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婚約破棄されたので、不正会計を暴きます ~地味な書記魔法の私ですが、辺境伯領を立て直したら冷徹辺境伯がなぜか離してくれません~  作者: 小竹X


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026 王家の印と民の印

公開監査会は、もはや単なる監査ではなくなっていた。


セドリックの証言と襲撃、補助印使用簿の存在、そして国王自らの封鎖命令。広場の空気は“どちらが正しいか”ではなく、“どこまで腐っていたのか”へ変わっている。


問題は、暴くだけでは足りないことだった。


「消された村を、どう戻す」


国王の問いはまっすぐだった。

階段の上で負傷したセドリックが運び出され、代わりに補助印使用簿の原本が運ばれてくる。監査局の官吏が急ぎ照合し、確かに三村の削除処理が王印ではなく第一王子補助印で一括処理されていたことが確認された。


アルノルトはなおも抗う。

「緊急権限の範囲内です。辺境の再編は将来的な合理化であり――」


「合理化の結果として、盟約補遺が求める保護義務まで削れた」


エドガーが淡々と遮る。


「手続き上も、影響評価なしでの消名処理は違反です」


「監査局ごときが王子へ」


「監査局だからこそです」


この男、やはり嫌いではないかもしれないとエリシアは思った。


だが肝心なのはここからだ。

補助印使用簿で不正は立証できても、消された村を法的かつ魔法的に“戻す”には別の手続きが要る。補遺二にある再審条項を満たし、王家名代と辺境伯、記録官、当該村代表が立ち会い、名を復記しなければならない。


「再審を」


ルシアンが言う。


国王は頷きかけたが、バルタザールが割って入った。


「お待ちください、陛下。たとえ消名処理に瑕疵があったとしても、今この場で復記すれば、過去十年分の税・補助・相続・兵役記録すべてに連鎖的な見直しが発生します。行政が止まります」


止まります。

組織が責任を取りたくない時によく使う言葉だ、とエリシアは思う。

前世でも聞いた。今やると現場が混乱する。年度内には難しい。手続きが膨大だ。

その“今ではない”が何年も人を放置する。


「止めない方法を考えるのが、行政でしょう」


思わず口をついて出た。

広場の視線が集まる。


国王が促すようにこちらを見る。エリシアは一礼し、呼吸を整えた。


「ご提案があります」


「申せ」


「王家の印だけで閉じた台帳へ戻すのではなく、王家の印と民の印、両方を使います」


ざわめきが広がる。

バルタザールは露骨に眉をひそめた。


エリシアは北境公開記録帳を開き、すでに集めてきた署名と印を示した。


「ベルメ、フォーエン、サンティルの公開記録は、現地で名を読まれ、代表者と住民が確認し、辺境の記録官権限で仮記録化されています。これに王の復記印、辺境伯印、監査局確認印を重ねれば、少なくとも“存在しなかったことにはできない正式記録”になります」


「そんな前例はない」


アルノルトが吐き捨てた。


「ないから作るのです」


エリシアは視線を逸らさない。


「秘密裏に消されたなら、戻す時は秘密裏であってはいけません。公開された記録として、誰でも読める形で残すべきです」


広場のあちこちから同意のざわめきが起こる。

商人たちは返金や再計算の可能性を感じ取り、遺族たちはようやく“見てもらえる”気配を嗅いでいる。


国王は黙って公開記録帳を見下ろした。

頁には村の名だけでなく、失われた橋、届かなかった薬資、死者数まで記されている。数字が冷たいままではなく、人の生活と結びついたまま並んでいた。


「……余が知らなかっただけで、こうして書けば分かるのだな」


老王は低く呟く。


「はい」


エリシアは答えた。


「だからこそ、読まれなければ意味がありません」


その時、階段上の近衛がざわついた。北方軍からの急報だという。水晶板を使った遠隔伝令が持ち込まれ、そこに映ったのは白く濁った北境の景色だった。


砦の向こうで霧が渦を巻き、銀色の影が群れでうごめいている。

二番監視所付近の結界が、目に見えて薄い。


「北境が持ちません!」


伝令の叫びが水晶越しに響く。


広場の空気が一気に凍る。

今さらながら、これは会計の話だけではないと思い知らされる。記録が死ねば守りも死ぬ。その実例が今、遠隔板の向こうで進行しているのだ。


バルタザールがそれでも言った。

「復記作業は後日でも」


「後日では遅い」


ルシアンが初めて大きく声を上げた。


「北境は今、消された記録のまま戦っている」


国王の顔が引き締まる。


「必要な印は何だ」


問われ、エリシアは即答した。


「王の復記印。辺境伯印。監査局確認印。そして当該村の村印または代表印。可能なら、被害を受けた遺族と納入者の副印も」


「多いな」


「多い方が、二度と消しにくくなります」


国王は数秒だけ目を閉じた。

やがて開いたその眼には、先ほどまでの迷いが少し減っていた。


「用意せよ」


侍従が走る。

王家の印箱、朱砂、印泥、確認札が運び込まれる。アルノルトが何か叫んだが、今やその声は広場へ届かない。


ハンナが小さく息を吐く。


「本当に、王の前で名前が戻るのかい」


「戻します」


エリシアは答えた。


ベルメの蜂蜜も、フォーエンの薪も、サンティルの薬草も、全部“なかったこと”にはさせない。

そのためにここまで来た。


問題は一つだけ残っていた。

王家の正式印箱は三つある。そのうち復記印だけが、なぜかまだ届かない。


エドガーが険しい顔で戻ってくる。


「印箱係が見当たりません」


バルタザールの表情が、ほんの一瞬だけ揺れた。


遅らせる気だ。

ここまで来てもまだ、時間を稼いで結界の崩壊を待つつもりなのかもしれない。


エリシアは北境公開記録帳を抱え直した。


「なら、印が来るまでにできることを全部やります」


村代表、監査局、辺境伯、遺族、納入者。

押せる印から先に押す。空欄は残しても、頁そのものは進める。


二度と止めさせないために。

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