014 黄色い糸で綴じた嘘
西町の縫製工房を回るのに、丸一日とかからなかった。
黄色い糸は珍しいものではない。だが、エドガーの言う“規格が違う”というのは本当だった。普通の衣類用ではなく、文書綴じ用に蝋を引いた細糸で、しかも湿気に強い。そういうものを扱う工房は限られる。
「この糸ねえ」
糸商の老婆は、エリシアが見本として持ってきた端切れを摘んで言った。
「町ではほとんど売れないよ。服には向かないし、荷札にも贅沢だ。買うのは役所筋か、大きな商会の文書係くらいさ」
「どこへ卸していますか」
老婆は渋い顔をしたが、ルシアン不在の間も通じる銀印章を見せると、あっさり観念した。
「王都東区の縫製組合を通した注文が大半だね。こっちではグレイフォード税所と、あとフェルナー商会がたまに」
「フェルナー商会」
ノエルが控え帳へ書きつける。
その商会は西町では中堅だが、蜂蜜税事件の帳簿にも仲介名義で何度か出てきた。
次に当たったのは、町の郵便受け整理を担う未亡人たちの組合だった。
辺境では軍便や商便が混ざるため、細かな仕分けを女たちが請け負っている。彼女たちは男の役人より、日々どんな封書がどこへ流れているかをよく知っていた。
「黄色い糸の封書?」
組合長のクララが腕を組む。
四十代半ば、背の高い女で、視線が鋭い。
「あるわね。王都から来るわ。税所や商会に混じって、時々フェルナー商会の倉へ直で流れる」
「差出人は」
「空欄。だけど封蝋の残り方が役所っぽいのよ。丁寧すぎるから」
前世にもいた。無記名なのに、書類の作り方でどこの役所か分かる人たちが。
クララはさらに、ここ数か月で黄糸封書の量が増えていると教えてくれた。蜂蜜税の収支が膨らみ、修繕費の再計算が増えた時期と一致する。
「倉で中継してるなら、記録も残るはずです」
エリシアが言うと、クララは口の端を上げた。
「残してなければ、誰かの仕事が雑ってことね」
「ええ。そして私は、そういう雑さを見つけるのが得意です」
午後、フェルナー商会の倉へ向かった。
表向きは乾物と布地を扱う、特に怪しくもない商会だ。だが、荷札台帳と入出庫票を突き合わせると、積荷の数より封書箱の回転が多い。
しかも箱代として計上されている木箱の大きさが、実際の倉にあるものと合っていない。
「箱の中身は文書ですね」
ノエルが小声で言う。
「たぶん」
エリシアは倉番へ帳票提示を求めたが、相手はのらりくらりとかわした。
こういう時に便利なのが、前庭窓口で作った人脈である。
ちょうどそこへ、郵便組合のクララと養蜂家の女たち、それに西町の若い縫い子たちがやって来た。
「うちの請求書、ここで止まってるって聞いたけど?」
「黄色い糸の注文分、支払い控え見せてもらえる?」
「荷札の再発行費、二重取りされてるわよね?」
一気に複数方面から詰められ、倉番の男はあっという間に青くなる。
女たちの情報網は本当に侮れない。
「……開けなさい」
エリシアが静かに言うと、男はついに観念した。
倉の奥から運び出された木箱の中には、黄糸綴じの薄い台帳が七冊あった。
通常台帳より細く、持ち運びしやすい。だが中身は濃い。死んだはずの役人名義の給与受領記録、削除済み村からの蜂蜜納入、門税差額、修繕費差し替え。複数の不正を一か所で精算するための“中継簿”だ。
「ずいぶん親切ですね」
エリシアはぱらぱらと頁をめくる。
「これだけ綺麗にまとめてくださるなんて」
倉番は震えながら言い訳した。
「お、俺は運ぶだけで……」
「運ぶだけでも、受領印は押しますよね」
見せられた指はインクで汚れていた。
運ぶだけの手ではない。
黄糸台帳の末尾に、見覚えのある署名を見つけた瞬間、エリシアの瞳が冷える。
“現地再確認済 セドリック・ヴァンデル”
やはり来た。
兵糧庫、土手修繕、蜂蜜税。全部に彼の署名が点々とある。
しかも確認年月が多すぎる。同じ月に王都と辺境の複数箇所を回るのは物理的に不可能だ。
「自分で見てもいないのに、よく書けたものですね」
呟きながら紙へ触れる。
――報告だけ上げろ。俺が印を押す。
――現地確認は?
――必要ない。どうせエリシアが帳尻を合わせる。
前世の疲労が、一瞬だけ蘇る。机に積まれた修正指示、雑に押しつけられる丸投げ、最後に責任だけが残る感覚。
だが今は違う。
ここでは、その署名を捨てずに武器へ変えられる。
「全部写します」
エリシアが言うと、クララが腕をまくった。
「女手は足りてる?」
「むしろ足りなかったところです」
そうして、西町の倉は即席の写本工房になった。縫い子たちが頁を押さえ、郵便組合の女たちが帳簿番号を転記し、ノエルが一覧化し、ミラが砦と商会を走り回る。
前世で欲しかったのは、こういう連携だったのかもしれないとエリシアは思う。肩書ではなく、必要な時に必要な手が集まること。
日暮れ前、最後の台帳を閉じたところで、クララがぽつりと言った。
「ねえ、ローウェル嬢」
「はい」
「あなたが来る前、私たちはずっと“仕方ない”で済ませてたのよ」
彼女は黄糸台帳を指先で弾く。
「どうせ王都だし、どうせ辺境だし、どうせ女の言うことなんて届かないって。でもこうして紙に並べると、嘘って案外みっともないのね」
エリシアは少しだけ微笑んだ。
「はい。だから私は、紙に並べるのが好きなんです」
みっともない嘘ほど、一覧にするとよく映える。
その夜、砦へ戻ってからオズワルドと突き合わせると、黄糸台帳の中に一枚だけ不自然に薄い紙が挟まっていた。水に弱い紙質だが、端に古い測量印がある。
「地図塔の紙だ」
オズワルドが言う。
「昔、北部測量の原図を保管していた塔がある。今は半ば物置だが」
「なぜそこに」
「消えた村の位置を改める時、元図が必要だったのでしょう」
エリシアはその紙へ触れた。
――北を折れ。
――このままだと三村が図上に残ります。
――折り込んで外せ。正式図は別に起こす。
「北を、折る」
白鐘の補遺二、黄糸台帳、そして地図塔。
点がまた線になる。
消えた村は、帳簿だけでなく地図からも“折り畳まれて”消されたのだ。
ならば次に行くべき場所は決まっている。
記録塔――北部測量図の眠る塔だ。
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