表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、不正会計を暴きます ~地味な書記魔法の私ですが、辺境伯領を立て直したら冷徹辺境伯がなぜか離してくれません~  作者: 小竹X


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/22

011 歌の端をかじる石造修道院

白鐘修道院の門は閉ざされていた。


ルシアンが呼び鈴を引くと、ほどなくして小窓が開き、年配の修道女が鋭い目を覗かせる。


「どなたです」

「グレイフォード辺境伯ルシアン。急ぎ確認したい古文書がある」


修道女はエリシアたちの後ろに並ぶ護衛を見て、さらに目を細めた。


「さきほども“王都からの文書確認”を名乗る方々が来られました」


やはり先客だ。


「今どこに」


「院長様と文書庫に」


ルシアンはそれ以上言葉を費やさなかった。扉が開くや否や中へ踏み込み、エリシアたちも続く。

中庭は静かで、風の音と遠い鐘の揺れだけが聞こえる。その静けさの中に、場違いな足音と焦りの気配が混じっていた。


文書庫は礼拝堂の脇にあった。

重い扉を押し開けると、中では二人の男が棚を漁っていた。王都式の外套。昨夜の隠密ほど露骨ではないが、どう見ても敬虔な文書確認者ではない。


「動くな」


サイラスの剣が抜かれる。

男たちは一瞬固まったが、すぐに紙束を抱えて窓へ走った。片方は護衛兵に取り押さえられたものの、もう一人は棚を倒して逃げる。


「エリシア!」


ルシアンの声に頷き、彼女は倒れかけた棚を支えた。古い写本が雪崩のように落ちる。紙の角が腕に刺さり、痛みが走るが離せない。


その棚の隙間から、一冊だけ異様に重い革装本が滑り落ちた。

表紙には薄く、北境盟約補遺二と刻まれている。


「ありました!」


叫ぶと同時に、文書庫の奥から静かな声がした。


「乱暴な来訪者が続く日ですね」


振り返れば、白い修道服を着た老女が立っていた。院長だろう。細い身体に似合わず、立ち姿は揺るがない。


「わたくしは院長アグネス。まずは棚を元へ戻していただけますか」


場を見て最初の一言がそれなのか、とミラが目を丸くする。

だがアグネス院長の言うことは正しかった。文書庫にとって一番大事なのは、戦いではなく、紙を守ることなのだ。


逃げ損ねた男たちは縛り上げられ、アグネス院長の許可のもと、エリシアたちは文書閲覧室へ通された。


補遺二は、盟約台帳の本文に追加された条項集だった。

その内容を読み進めるうち、エリシアは何度も息を止めた。


境界集落が災害や戦で疲弊した場合、中央は三年を上限に徴税を軽減し、代わりに備蓄・治水・薬資を優先配給する。

ただしその措置を受ける村は、盟約台帳と各地保管写本の両方に名が残っていなければならない。

片方からでも削除された場合、保護対象から外れ、結界優先度も下がる。


「なんて陰湿な」


エリシアは思わず漏らした。


「書類一つで、人を守る優先順位まで変わるのですね」


アグネス院長が頷く。

「この国は、建国の時から記録に魔力を絡めてきました。約束を残すために。けれど残す力があるなら、消す力もある」


ルシアンは別の頁を見て顔を険しくした。


「薬資の優先配給」


その低い声に、エリシアは彼を見る。


「何か」


「母が死んだ年、北境で熱病が流行った」


彼は頁から目を離さないまま言った。


「王都の記録では、グレイフォード領への薬材配給は“予定通り”だった。だが実際には半分も届かなかった」


静かな口調だったが、指先にだけ力が入っている。


「その年、削られた村名があったのかもしれません」


エリシアが言うと、ルシアンは短く頷いた。


「母は村を回って配給を分けた。最後は自分が薬を使わずに死んだ」


言葉は短いのに、重かった。

サイラスもミラも黙り込む。


ルシアンが王都を嫌う理由の一端を、エリシアはようやく具体的に理解した。

ただ冷たいのではない。誰かの都合で、守られるはずの人間が切り捨てられるのを見てきたのだ。


補遺二の末尾には、さらに重要な一文があった。


“消名の異議は、保管写本の現認をもって再審に付す。再審には辺境伯、王家名代、記録官、当該村の代表者の立会いを要す”


「再審ができる」


エリシアが呟く。


「白鐘に写本が残っている限り、消された村を復帰させる法的根拠があります」


「法的根拠だけならな」

とルシアン。


「王都が応じるとは限りません」


「でも、殴りつけるための紙にはなります」


珍しく強い言葉が出たのは、自分でも少し驚いた。

ミラが「今の好きです」と小声で言い、サイラスが咳払いをした。


その時、外から鐘が鳴った。

一度、二度、三度。祈りの鐘ではなく、警戒の打鐘だ。


修道女が駆け込んでくる。


「院長様! 裏門に武装した男たちが!」


アグネス院長は眉一つ動かさなかった。

「やはり来ましたか」


ルシアンが即座に立ち上がる。

「補遺二を持って出る。サイラス、護衛を二手に。ローウェルは俺のそばを離れるな」


「了解!」


文書庫の裏手には、古い石橋へ続く細道があった。白鐘の名の由来である鐘楼はその先、崖際に建っているらしい。

院長の案内でそこへ向かう最中、矢が一本、石畳へ突き立った。


「伏せろ!」


護衛兵が前へ出る。修道院の静けさは一瞬で破られ、代わりに足音と怒号が満ちた。


エリシアは胸に補遺二を抱え、必死で走る。背後で金属音が響き、白い壁に泥が跳ねる。


石橋を渡りきる寸前、追手の一人が飛びかかってきた。反射的に身を引いたが、足がもつれる。

その腰を、強い腕が引き寄せた。


「前を見ろ」


ルシアンだった。

低い声と同時に剣が閃き、追手の刃を弾く。


心臓が跳ねる。

恐怖でか、別の何かでか、もうよく分からない。


鐘楼へ辿り着くと、サイラスが内側から扉を閉めた。外ではまだ足音がする。だが石造りの塔は簡単には破られないだろう。


狭い階段室に荒い呼吸が満ちる。

エリシアは補遺二を抱えたまま、その場へ座り込みそうになった。


「大丈夫か」


ルシアンが片膝をつく。


「だ、大丈夫です」


嘘だった。足が震えている。

それでも補遺二だけは離さなかった。


「なら休め。夜明けまでここで持ちこたえる」


塔の上では古い鐘が風に揺れ、かすかに鳴っていた。

まるで歌い損ねた歌の端を、石が噛んでいるような、不思議な音だった。


そしてその夜、狭い鐘楼の中で、二人は互いにもう少し深いところまで知ることになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ