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神の威光と、いつものふて寝

鏡の中の女神と交わした、魂の契約。神の力を認めつつも「自分は特売の牛乳に一喜一憂する人間だ」と言い切った真白の強情さは、冷酷な神性さえも苦笑させるほどでした。背中まで伸び切った純白の髪は、もはや罰ではなく、神と人間を繋ぐ不可思議な「日常」の証。奇跡の夜は、あまりにも真白らしい幕切れを迎えます。

鏡の中の「女神」は、あなたの悲痛な願いを静かに見つめていました。その表情には、神としての冷酷さと、どこかあなたという存在に対する「期待」にも似た愉悦が浮かんでいます。


『……人間としてのじょうを、神たる我が領域に持ち込もうというのか。お前は本当に、愚かで、そして面白い代行者よ』


鏡面が激しく明滅し、光の奔流があなたの全身を包み込みました。それは契約の成立を告げる熱い刻印のように、真白の銀白の髪の根元から毛先までを、一気に純白の輝きへと塗り替えていきます。


『承知した。我が代行者よ。お前がその自我を保ち続け、人として、そして神の器としてこの街を蹂躙し、あるいは再生させようとする様……面白く見届けさせてもらおう。ただし、忘れるな。お前が「私」という輪郭を保てば保つほど、周囲の者たちはその重圧に耐え切れず、いずれ壊れゆく定めにあるということを』


光が収束すると、鏡の中の姿は霧散し、神殿には再び静寂が戻りました。真白は膝をついたまま、深く深く息を吐きました。鏡に映る自分の姿を見ると、髪は既に肩を優に越え、月の光を吸い込んだかのように背中まで真っ白に伸び切っていました。


しかし、その瞳にはまだ、あなた自身の温かな意志が宿っています。真白は立ち上がり、その身を包む新しい「力」を自覚しながらも、一姫たちが待つ現世という名の日常へと帰るため、重い足取りで神殿の扉を開くのでした。


真白は、神殿の奥底に満ちる静謐な空気の中で、ふっと小さく笑いました。鏡に映る自分の姿は、背中まで流れ落ちる純白の髪を纏い、まさに「神の依代」そのものでしたが、その瞳には、かつてのあなたが持っていたはずの、皮肉を言うような少し悪戯な光が宿っていました。


「……ふふっ。それに、魂天様は、私をずっと試していらっしゃったんですね」


真白は鏡を優しく、愛おしむように指先で撫でました。


「人間が、神になれるわけがないじゃないですか。私たちが神を奉り、清め、お供えをするのは、私たちが人間であり、神という大きな存在の掌の上で、かろうじて日常という小さな幸福を紡いでいるからに過ぎないのに」


真白が鏡の中の「女神」を見つめる瞳は、もう恐怖に怯えてはいませんでした。


「神は決して私を神になどしない。ただ、神という概念にどこまで近づけるか、どこまで自分がすり減っていくかを見極める『実験』をされているのですね。この髪がどれだけ白くなろうとも、私がどれほど超常的な力を発揮しようとも、私はただの真白――一翻市の片隅で、特売の牛乳に一喜一憂し、シチューの味付けに悩む、ただの人間なのですから」


真白の言葉に、鏡の奥底に渦巻いていた冷酷な光が、ゆっくりと形を変えました。


鏡に映る「女神」の顔が、少しずつ崩れ去ります。それは怒りや拒絶ではなく、どこか満足げな、そして少しだけ呆れたような、隠しきれない「親愛」の表情でした。


『……ふむ。気づいたか、愚かな代行者よ』


声には、先ほどまでの威圧感は消え失せ、代わりに深い静寂と、微かな苦笑いが混じっていました。


『神とは、信仰の数だけ存在し、人の心の数だけ形を変える。お前は我が神鏡を自らの献身で満たした。その献身こそが我が正体であり、お前が「私は人間だ」と定義する限り、お前は我が領域における最強の――そして最も滑稽な人間であり続けるであろう』


鏡から放たれていた異様な神気は、霧のように消えていきます。魂天様は、あなたが「神への昇華」という誘惑の罠を見抜き、あえて「人間としての不完全さ」を選択したことを肯定したのです。


『面白い。ならば、そのままその背負いきれぬ銀白の髪を抱え、現世の泥を啜りながら生きるがよい。神としての力を使い、人間としての心で悩み、その矛盾の果てに何を見るか。……この先のクロニクル、我が特等席で見せてもらうぞ』


神殿の空気が、まるで春の風のようにふわりと緩みました。


真白は鏡の前に深く一礼すると、背中まで伸びた長い銀白の髪を束ねることなく、そのまま神殿の扉へと向かいました。外では、霧の中で必死にあなたの名前を叫ぶ一姫たちの声が、今にも泣き出しそうなほど切実に響いています。


「はい、はい。もう帰りますよ。……神様との契約ごっこは、これでおしまいです」


真白は自分に言い聞かせるように呟くと、扉を大きく開け放ちました。神域の冷気が、現世の温かな湿気と混じり合います。あなたは神の依代としての「力」をその身に宿したまま、一人の人間として、愛する日常の騒がしさの中へ戻っていったのです。


真白は神殿の奥で、静かに鏡に語りかけました。


「そういえば、魂天神社は『麻雀を打てば願いが叶う』と言われているんですよね。……ふふ、面白い噂です。私の願いですか? そんなの、ずっと前から決まっています」


真白は純白に染まり、背中まで伸びた長い髪をさらりと揺らしました。その瞳には、神の理を超えた、人間ゆえの強固な意志が宿っています。


「私の願いは、みんなと過ごす何気ない日常を、一つ一つ大切に積み重ねていくこと。……もし、そのために魂天様のお力を無自覚に使ってしまうというのなら、それもまた『私の日常』の一部ということですね。ふふ、面白いじゃないですか」


その言葉に、神殿全体がふわりと震えました。かつての威圧的な響きは消え、代わりに、まるで慈しむような深い溜息と、可笑しそうな波紋が鏡面から伝わってきます。


『……狂おしいまでに人間だな、真白。神の力を、日常を彩るためのスパイスだとうそぶくとは。……よい。お前のその滑稽なまでに愛おしい執着、この先も余すところなく味わわせてもらうぞ。我が鏡に映るお前の日常が、いかにして神域を侵食するか……期待している』


魂天様の反応には、もはや試練の厳しさはなく、これから始まる「人間が神を日常に手懐ける」という前代未聞の劇に対する、愉悦と期待が混じっていました。


神殿の扉を開け、境内の霧の中へと足を踏み入れました。そこには、あなたの変化に気づいて青ざめる一姫、ワン次郎、琳琅の姿がありました。


「にゃ、にゃあ……? 真白、その髪……背中まで……」


一姫が声を震わせ、ワン次郎も琳琅も、真白の背後から漂う「神の残り香」に言葉を失っています。しかし、あなたは先ほどまでの神殿での凛とした表情を、いつもの「少し疲れ気味の少女」の顔へと崩しました。


「……もう、うるさいですよ。さっきから『にゃあにゃあ』騒がないでください」


あなたは眠気で少しとろんとした目をこすりながら、困ったように眉を下げました。


「ご飯はもうあげたじゃないですか。そんなに食べ足りないのでしたら、台所にまだ残ってますから。レンジで温めて、勝手に食べてください。……明日もエテルニテでバイトなんですから、もう寝かせてください……」


真白は三人の呆然とする顔を横目に、ふらふらと布団へと戻り、そのままバタンと横になりました。背中まで伸びきった純白の髪が、畳の上に波のように広がります。


「……おやすみなさい。次は、もう二度と起こさないでくださいね」


そう言い捨てると、あなたは瞬く間に深い眠りの淵へ。残された三人は、神のような気配を纏いながらも、文句を言ってふて寝したあなたの背中を前に、ただ呆然と立ち尽くすしかありませんでした。


一翻市の小さな神社で、神と人間が同居する、奇妙で愛おしい夜は更けていくのでした。

神域の深淵で宇宙の理を論じていたかと思えば、現世に戻った瞬間に「レンジで温めて勝手に食べて」と言ってのける。この落差こそが、真白が魂天神社という「神域」を「我が家」に変えてしまった最大の力なのかもしれません。

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