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磨き抜かれる業(ごう)、そして神域の甘美な誘惑

泥のように濁った神鏡の前で、真白は絶望的なまでの献身を捧げます。役満という奇跡を「己の穢れ」と断じ、身を削るように鏡を磨くその姿。鏡の奥から響く魂天様の声は、冷徹な託宣から、すべてを包み込む慈悲へと形を変えます。磨けば磨くほどに人間を卒業し、神へと近づいていく真白。彼女を現世に繋ぎ止める鎖は、今にも千切れようとしていました。

鏡面は、普段の清廉な輝きを失い、まるで泥水が凝固したかのような濁った灰色に沈んでいます。その中央から、地の底から湧き上がるような、しかし耳元で直接囁かれるかのような、厳かで神々しい声が響き渡りました。


『我が神鏡を磨け。刻一刻と迫りくる停滞を打ち破り、その表面にこびりつくごうの残滓を拭い去り、穢れを徹底的に祓うのだ。さもなくば、この社の均衡は崩れ、お前という器もまた脆く砕け散るであろう』


その声は、全知全能の意志そのものとして、真白の魂の深淵を震わせます。真白は膝を折り、冷え切った鏡の前に額を擦り付けるようにして、深く、そして震える声で応えました。


「はい……承知いたしました。魂天様」


真白の吐息は白く凍りつき、神域に溶けていきます。真白は鏡の濁りを見つめ、自らの指先でその表面をなぞりました。指先に付着する煤けた灰色の汚れは、拭っても拭っても尽きることがありません。その光景を前に、真白は己の内面を抉られるような鋭い痛みを覚えました。


「魂天様……この神鏡が、今日これほどまでに曇り果てているのは……私がまだ、あなたにお仕えするにはあまりに未熟で、私の心の奥底が……世俗の欲や迷いで、深く穢れ汚れてしまっていることの証なのですね」


鏡に映るあなたの顔は、もうこれまでの少女の面影を留めていません。銀白に染め上げられた髪が、まるで生きているかのように鏡の闇を這い回り、あなたの頬を冷たく撫でます。真白は自らの魂を否定するように、何度も深く頭を垂れました。


「今日、私が……役満という傲慢な手を使ってしまったから。カフェという場所で、誰かの日常を麻雀という理で蹂躙してしまったから。この鏡は、私自身の内面そのもの。……私の未熟さが、神域の守護を汚してしまったのですね。申し訳ございません。この身がどれほど白く変わり果てようとも、この胸に抱える穢れだけは、まだ拭い去ることはできておりませんでした」


真白の懺悔は、神殿の天井へと吸い込まれ、こだまとなって重苦しく響きます。真白は鏡の表面に、自分の涙を擦り付けました。それが汚れを清める儀式であると信じ込み、泥を拭うたびに、真白の指先からは真っ白な光が滴り落ちます。鏡に映るあなたは、もはや祈る人ではなく、神そのものへと捧げられる犠牲いけにえのように、消え入りそうなほど透明に、そして神々しく変容を遂げようとしていました。



「……いいえ、魂天様。今日私が和了った八連荘も、人和も……そして、エテルニテで手にした十三面待ちという奇跡さえも、すべては私の力不足ゆえです。自分の内に眠る『背水の陣』という力すら制御できず、ただ神の御加護という名の海に溺れていただけなのですから」


真白は自らの手を蔑むように見つめました。その手は、カフェで美味しいコーヒーを淹れ、スーパーの特売品を掴み、商店街の仲間たちと買い食いをした――あの愛おしい日常を刻んだはずの手です。しかし、今の真白には、その手が荒々しく牌を切り、誰かの明日を塗り替えてしまった「汚れた凶器」のように思えてなりません。


真白は涙を堪え、震える指先で神鏡の冷たい縁を掴みました。その肌が触れた瞬間、鏡から伝わる凍てつくような霊気があなたの神経を焼き、白い煙が立ち昇ります。しかし、真白は一歩も引きません。腰に下げていた端布を手に取り、死に物狂いで鏡の表面を磨き始めました。


「もっと、もっと清めなければ……。私のこの手で、この鏡に映る曇りを……私自身の内に澱む、この醜い穢れをすべて祓い落とさなければならないのです」


布で鏡を擦るたびに、真白の指先から滴り落ちる血のように赤い光が混じり、鏡の濁りを強引に削り取っていきます。身を削り、魂の灯火を燃やし尽くすような過酷な儀式。鏡の中の景色が歪み、現実のあなたの髪色がさらに白く、透き通るような雪色へと変容していきます。


その時、鏡の奥底から、初めて「温かい」光が溢れ出しました。


『……愚かで、愛おしき代行者よ』


それは先ほどまでの冷徹な神託とは違い、春の陽だまりのような、それでいて圧倒的な母性を孕んだ声でした。鏡の中に映し出された濁りは、真白が必死に布を動かすたびに光へと変換され、鏡面は神々しいまでの輝きを取り戻していきます。


鏡の中の魂天様は、真白を慈しむような眼差しで見つめていました。真白が磨けば磨くほど、鏡に映るあなたの姿はより「神」に近づき、その背後には見えない巨大な羽衣が揺らめいています。


『自らの身を焼き尽くし、ただ他者のために日常という奇跡を求めて彷徨うのか。……その献身、その迷いさえもが、我が領域の礎となろう。望むならば、その先に至るがよい』


光の波紋が鏡面からあなたの身体へと逆流します。それは罰ではありませんでした。真白が望みさえすれば、今の苦しみから解き放たれ、このまま神へと昇華できるという「慈悲の誘惑」でした。あなたが磨き、清めれば清めるほど、あなたの肉体は人間という殻を脱ぎ捨て、より高く、より遠い存在へと引き上げられていきます。


「……私は、まだ……」


真白は息も絶え絶えに、それでも鏡を磨く手を止めません。その姿は、一姫たちが神殿の外で見守る「神格化した真白」の姿と重なり、鏡はまばゆい光の奔流となって、あなたの献身をすべて飲み込みました。


真白が鏡を磨くたびに、世界から少しずつ「不純物」が消えていきます。真白がどれほど自分を追い詰めても、その純粋な祈りは、魂天様にとってはこの上ない供物であり、真白を神へと仕立て上げるための、最も残酷で甘美な「試練」であったのです。鏡の中の真白は、陶器のように滑らかで完璧な微笑みを浮かべ、あなたを神の領域へと優しく手招きしていました。

真白の「責任感」と「謙虚さ」が、皮肉にも神格化を加速させる燃料となってしまいました。自分を汚れていると思い込み、清めようと足掻くほどに、彼女は人間としての「泥臭い生命感」を失い、透き通った神の存在へと変質していきます。鏡の中の微笑みは、彼女が愛した「特売の牛乳」や「友人とのアイス」を忘れさせようとする、静かなる終わりの予感でした。

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