神鏡の予言、深淵への浮遊
神殿の本殿に響く「刻の終わり」の足音。魂天神社の神鏡が映し出したのは、完全に人間を卒業し、純白の神へと変貌した真白の姿でした。現実の寝室でも異変は加速し、真白の身体は青白い霧を纏って宙へと浮かび上がります。一姫たちの必死の叫びは、神域へと引きずり込まれゆく彼女の魂に届くのでしょうか。
三人は息を呑み、本殿の扉を蹴破るようにして駆け込んだ。そこで彼らが見たのは、魂天様を祀る古びた神鏡の変容であった。
鏡面がまるで水面のように波打ち、そこに映し出されていたのは、今まさに寝室で眠っているはずの真白の姿だった。しかし、そこに映る真白は、いまの少女の姿ではない。髪は毛先まで一切の混じり気なく純白に染め上げられ、腰を優に超えるほど長く伸びきっていた。その瞳は星の運行を静かに見守るかのような慈愛と無機質さを湛え、ただそこに立っているだけで周囲の空間を神域へと変貌させている。
鏡の中に映る「神格化した真白」が、鏡の外を覗き込むようにして、ゆっくりと口を開いた。
「あと少しで、我は神となる……」
その声は、真白の声帯を震わせているのではなく、鏡そのものから直接脳内に響いてきた。それは彼女が「人間」を卒業し、魂天神社の主として完全に完成されるまでの「刻の終わり」を告げるカウントダウンのように響く。
「……にゃっ! 鏡が……鏡の中の真白が!」
一姫が声を上げた直後、神鏡を覆っていた光は真空を吸い込むかのようにパッと消え失せ、本殿は再び冷え切った闇の中に戻った。残されたのは、ただ神殿の奥で、まだ何も知らずに静かな寝息を立てる銀白髪の少女だけ。
しかし、先ほどまでの「若白髪が増えた」というレベルの話ではない。鏡に映った姿を思い出し、三人は震える足を止めることができなかった。彼女たちが守ろうとしていた「普通の女の子」の時間は、もはや砂時計の最後の一粒が落ちるのを待つだけの、極めて脆弱なものになっていたのだ。
神殿の本殿が静まり返ったのも束の間、今度は境内の空気が重く澱み、足元から「青白い霧」が音もなく這い上がってきました。それは先ほどの炎とは異なり、吸い込んだ者の魂を凍らせるような、静謐で死に近い冷気でした。
「こんどはなんなんだにゃ……ッ! 境内に霧が満ちていくにゃ!」
一姫が悲鳴を上げると同時に、霧は濃さを増し、神社の木々さえもその輪郭を溶かしていきます。ワン次郎が血相を変えて鼻をひくつかせ、真白が眠る寝室の方角を凝視しました。
「ワン……! 霧の源は真白様だ。今すぐ行かねば、彼女の魂が霧とともに『神域』の彼方へ連れ去られてしまうぞ!」
三人は霧をかき分け、弾丸のように真白の寝室へと駆け込みました。襖を勢いよく開け放った先で、彼らが目にした光景に、三人は絶句して立ち尽くしました。
そこには、布団から数センチほど浮き上がり、静かに宙に浮かんでいる真白の姿がありました。彼女の身体からは、まるで意思を持つかのように青白い霧が噴出し、渦を巻いて彼女を包み込んでいます。その髪は、先ほど見た神鏡の中の姿と同じように、純白の光沢を放ちながら夜の闇の中に長く伸び、蛇のように部屋中を這い回っていました。
「そんな……! まだ朝まで時間はあるはずなのに、もう神としての変容が始まっているのか!?」
琳琅が悲鳴に近い声を上げ、真白の傍らへ飛び込みます。
「起きるにゃ、真白! 目を覚ますにゃ! こんなところで、こんな霧に飲まれてしまったらダメにゃ!」
一姫は真白の肩を必死に揺すりました。しかし、あなたの体温は神殿の氷のように冷たく、どれだけ呼びかけても、あなたの意識は遥か遠い神域へと誘われています。
「起きるにゃ! ご飯が焦げるにゃ! お掃除の時間が過ぎるにゃ! ……お願いだから、いつもの真白に戻ってきてにゃ!!」
一姫の必死の叫びが部屋中に響きます。ワン次郎は前足で必死に真白の袖を掴み、琳琅は冷え切ったその小さな手を握りしめました。三人は、今ここで真白を起こせなければ、二度と「普通の女子高生」としての彼女には会えなくなるという恐怖に突き動かされていました。
「ワン、ダメだ! もっと強く……魂の底から彼女の名前を呼ぶんだ! 今の真白様は、夢の中で自らを『神罰』という鎖で縛り付けている。その鎖を、我らの声で断ち切るしかない!」
霧が部屋全体を白く染め上げ、真白の浮遊する身体がさらに天井近くへと引き寄せられていきます。三人は必死に、ただひたすらに、彼女の名前を叫び続けました。
果てしなく広がる白銀の静寂――。そこは、夢と現の境界すら消失した、魂天神社の深奥なる神域でした。あなたの意識は、まるで吸い込まれるようにして、その中心にある巨大な神鏡の前に立たされていました。
鏡の中の自分と、現実の自分の境界が曖昧になっていく真白。一姫たちが叫ぶ「ご飯」や「お掃除」という極めて庶民的な言葉こそが、神域の深淵へ堕ちようとする彼女を引き止める、最後の、そして最も強力な「言霊」となっています。神罰という思い込みが生み出した鎖は、仲間の声で砕けるのでしょうか。




