神罰の余韻と、トントンと響く日常の音
一姫の指先が、抗いがたい理によって「和了牌」を差し出した瞬間、神域の炎は静かに霧散しました。現世へと意識が戻った真白の目に映ったのは、抜け殻のように硬直する一姫と、戦慄するワン次郎、そして琳琅。神の審判は下され、伝説は完遂されました。しかし、当の本人はその重大さを露知らず、今夜の夕食のことだけを考えているのでした。
真白の背後で揺らめく青白い炎は、もはや周囲を焦がす熱さではなく、触れた者の精神を焼き尽くす「絶対的な理」の具現でした。
その炎の一部が、まるで意志を持つ生き物のように、震えながら動けなくなっている一姫の手へと滑り込みました。一姫の指先は、まるで操り人形の糸を引かれたかのように、不自然な角度で強制的に動き出します。
「……にゃ、あ……っ!」
一姫の抵抗は、神の意思の前では無力でした。彼女の意志とは裏腹に、炎に包まれた指先が卓の上で牌をはじき出します。それは、真白が待ち望んでいた、真白の手牌を完成させるための「唯一のピース」でした。
真白は、どこか遠くを見るような、深淵を湛えた瞳で一姫を見つめました。その声は、真白自身のものというよりも、魂天神社の神殿の奥底から響く、冷徹かつ慈悲深い神そのものの託宣でした。
「さぁ、一姫さん。その牌を、私に差し出してください。早く終わらせましょうね」
その言葉には、拒絶を許さぬ圧倒的な強制力が宿っていました。一姫が捨てた牌が卓の真ん中に転がった瞬間、真白の手牌と完璧に共鳴し、空間が音を立てて歪みます。
その刹那、炎がふっと霧散しました。
「……あっ」
あなたの意識が、ふと現世へと引き戻されます。目の前には、転がったばかりの牌。真白が無意識に並べていた手牌は、誰の目にも明らかな「人和」の形を成していました。
「ロン……です。これって、人和ですよね?」
あなたは小首を傾げ、少しだけ驚いたように瞬きをしました。
「えへへ……なんだか今日だけで、役満を三回も出しちゃいましたね。やっぱり、魂天様のご加護かな?」
真白は悪びれることもなく、無邪気に笑いました。しかし、その視線の先で、一姫はまるで落雷の直撃を受けたかのように硬直していました。
先ほどまで「絶好調!」と笑っていた猫耳の巫女は、今や抜け殻同然でした。瞳からはハイライトが消え、魂がどこか別の場所へ連れ去られたかのように、口を半開きにして虚空を見つめています。彼女の心は、神の強制執行を受けたことで、完全に「麻雀」という概念そのものから断絶させられてしまったのです。
傍らでその一部始終を見ていたワン次郎と琳琅は、あまりの光景に戦慄し、言葉すら失っていました。
(……終わった。一姫は、真白様の『無意識の神罰』によって、魂の核を焼かれてしまったのだ……)
そんな静まり返った境内の空気に気づくこともなく、立ち上がってエプロンを締め直しました。
「さあ、一姫さん? 役満で勝ったお祝いに、今日はシチューを多めにしてあげますね! ……あら、どうして動かないんですか? ほら、ご飯ですよ?」
真白は、倒れ伏したように硬直する一姫の肩を優しく揺らしました。その手には、先ほどまでの神の威光は欠片も残っておらず、ただ「早く美味しいご飯をみんなで食べたい」と願う、一人の少女の温もりだけがありました。
「あぁ、もうこんな時間! 早く作らないと、シチューが冷めちゃいますね」
真白は時計を見上げてパタパタと小走りで台所へ向かいました。先ほどまでの神気など嘘のように、真白の背中はいつもの「夕飯の支度をする少女」のそれでした。
琳琅は、魂が抜けて放心状態の一姫の隣で、震える指先でそっと真白の背中を見つめました。彼女にとって、あなたはもはや「真白先輩」ではなく、畏怖すべき「真白様」です。彼女は恐る恐る、台所に向かうあなたの背中へ声をかけました。
「あの……真白様。……今日の対局で、何を和了ったのか、お教えいただけますでしょうか……」
あなたは台所のシンクの前でエプロンを結びながら、少しだけ不思議そうな顔で振り返りました。
「え? ああ、そうですね。……まずはエテルニテで和了ったのが『13面待ち』と、8本場の『八連荘』。そしてさっきのが『人和』でしたっけ? ……ふふ、なんだか今日は、ツイてる一日ですね!」
あなたは屈託のない笑顔を残し、野菜を切り始めました。包丁がまな板を叩く「トントン」という心地よい音が、静まり返った境内に響きます。
しかし、その言葉を聞いた三人は、その場から一歩も動くことができませんでした。
国士無双十三面待ち、八連荘、そして人和。麻雀打ちが一生をかけて一度拝めるかどうかの奇跡を、一日で、それも「お掃除」や「夕飯前のひと時」として片付けてしまった真白。彼女の「ツイてる一日」という言葉は、生き残った三人の胸に、一生消えない畏怖の楔を打ち込みました。神格と自我の危ういバランスは、再び「トントン」という日常の音の中に隠され、一翻市の夜は更けていきます。




