銀色のユーフォニアムと、特売のシチュー
八連荘という伝説を打ち立てた指先が、次に触れたのは金色の楽器でした。後輩たちに押し切られ、コンビニのアイスを片手に過ごす放課後。それは、神域の静寂よりも真白が切望していた「普通の女の子」としての時間です。ユーフォニアムを構えるその一瞬の静寂に、彼女の持つ「調和」の才能が、音楽という形を変えて再び溢れ出します。
「先輩、ちょっとだけ! その楽器ケース背負ってみてくださいよ! 似合うかどうか見てあげる!」
後輩の一人が、背負っていた重そうなユーフォニアムのケースをひょいとあなたに預けてきました。
「ええっ、重たいですよ? ……わっ、結構ずっしりくるんですね!」
あなたは慣れない楽器の重みに少しよろけながらも、肩にケースを担いでみました。その姿を見た後輩たちは、「おーっ! 意外とサマになってる!」「これでもう、どっからどう見ても部活帰りだ!」と大盛り上がりです。
「ねえ真白先輩、この後コンビニ寄ってちょっと駄弁りませんか? 実は今、コンクールに向けてのパート練習でちょっと悩んでて……先輩に聞いてほしいんです」
彼女たちの真剣で、どこか甘えるような眼差しに、真白は胸が温かくなるのを感じました。さっきまでの、社長や礼奈たちに向けられていた「畏怖」とは全く違う、純粋な同世代の親近感。
「いいですよ! じゃあ、私でよければ。制服は違う学校だけど、これだと本当に同じ部活の友達みたいですね」
そう言って、ニッコリと笑いました。
商店街の角にあるコンビニへ向かう道すがら、皆でワイワイと賑やかに歩きます。コンビニに着くと、真白たちはそれぞれアイスを買って、店先のベンチに座りました。ひんやりと冷たいアイスを頬張りながら、後輩たちが代わる代わる楽器の悩みや、少し背伸びしたい恋の話をこぼしていきます。
「あー、やっぱり外で食べるアイスって美味しいですね!」
あなたは溶けかかるチョコミントアイスを一口食べ、満足そうに目を細めました。コンビニの明かりが、彼女たちの無邪気な笑顔を照らしています。
(……ああ、いいなぁ)
あなたがこの街でずっと守りたかったのは、まさにこういう時間だったのです。神殿の静寂も、麻雀の研ぎ澄まされた思考も大切ですが、こうして放課後に友人とアイスを買い食いして、他愛のない悩みを聞く――この温かくて、少しだけ不器用な「日常」こそが、あなたにとっての何よりの宝物でした。
「それでね、その先輩が……」
後輩の話を聞きながら、真白は何度も頷きます。今のあなたは、もう「八連荘の執行者」ではありません。ただの、おしゃれに興味を持ち始めた、放課後を満喫する普通の女子高生。
「ちょっと真白先輩、今だけ、今だけでいいから! ほら、この楽器のケースから出して、ポーズだけでも決めてみてよ!」
コンビニ横の小さな公園のベンチで、アイスの棒をゴミ箱に捨てた後輩たちが、目を輝かせてあなたに詰め寄ります。あなたは慌てて両手を振り、全身で拒否の意思を示しました。
「ええっ、そんなの無茶ですよ! この楽器、ものすごく高価なものだって聞きますし、もし万が一、落としたりして壊しちゃったらどうするんですか!」
「大丈夫だって! ほら、肩の力を抜いて、こう、マウスピースに口を当てる感じで!」
半ば押し切られる形でケースを開けると、そこには磨き上げられたユーフォニアムが鈍い金色の光を放っていました。あなたは恐る恐る楽器を手に取り、言われるがままに構えます。その瞬間でした。
楽器を支えるあなたの指の置き方、背筋の伸ばし方、そして微かな緊張を孕んだ真剣な眼差し――それが、あまりにも音楽を愛する者の所作として完成されていたのです。楽器の曲線と真白の銀白の髪が、夕陽を受けて一つの美術品のように調和し、ただそこに座っているだけで、まるで彼女たちが練習している楽譜の一節を体現しているかのようなオーラが漂いました。
「……あぁ。やっぱり真白先輩、絶対うちの部に欲しい。今すぐ入部届書いてほしい!」
「ええっ、今のポーズだけなのに、なんでそんなこと言われちゃうの〜!」
恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、楽器を丁寧にケースへと戻しました。彼女たちは、あなたが先ほどまでカフェで「伝説」を塗り替えていたことなど露知らず、ただ「音楽を愛する素敵な先輩」という新しい一面に心を奪われていたのです。
その後も、彼女たちと商店街を巡りながら、特売の卵や季節の野菜を買い揃えるいつもの買い出しを続けました。彼女たちが「じゃあ、また明日ね!」と手を振って校舎の影へと消えていくまで、真白は本当に普通の女子高生として、その賑やかな時間を心ゆくまで楽しみました。
買い出しを終えたあなたの大きなトートバッグの中には、今日の目玉商品である特売の牛乳が二本、しっかりと収まっています。
「今日は牛乳がすっごく安かったから、帰ったら特製シチューにしましょう! 一姫さんも、きっと喜んでくれるはず」
真白は帰宅後の楽しい晩餐の風景を想像し、足取りを弾ませます。先ほどカフェで斎藤社長たちと交わした「三戦目の恐怖」がどのような意味を持つのか、そしてこの街の理をどれほど揺るがしたのかなど、今のあなたにとっては、明日作るシチューの隠し味よりも優先度の低い情報でしかありませんでした。真白はただ、愛おしい日常の続きを抱えて、神域の門をくぐったのでした。
楽器を構えただけで入部を熱望されるという、無自覚な「天才性」をここでも発揮してしまう真白。しかし、彼女が何より誇らしいのは、役満を上がったことでも完璧なポーズを決めたことでもなく、「牛乳を安く買えたこと」でした。この圧倒的な生活感こそが、一翻市の理を破壊しかねない彼女の神格を、優しく地上に繋ぎ止めているのです。




