閻魔社長の誤算と、十三面待ちの神託
穏やかな午後の『エテルニテ』に現れたのは、雀魂のトップであり「閻魔上司」と恐れられる斎藤治社長。彼の完璧な計算と冷徹な打牌の前に、初心者である真白は絶体絶命の窮地に立たされます。しかし、極限状態で目覚めたのは、本人の意思とは無関係な「神域の直感」。一翻市の運命を左右しかねない、あまりにも残酷で美しい奇跡が盤上に描き出されました。
穏やかなカフェ『エテルニテ』の午後の空気は、あなたが淹れたコーヒーの香りで満たされています。カウンター越しに、あなたはふと、隣で楽しそうにスマホをいじっていた桂奈に話しかけました。
「あの……桂奈さん、今日もオフなんですか? 毎日お会いしているような気がしますが……」
桂奈は「あはは、バレた?」と少しいたずらっぽく笑いましたが、すぐに表情を引き締め、あなたの手を握りしめました。
「実はね、ちょっと大変なことになっちゃって。こないだの数学解説配信、予想をはるかに超える大反響だったでしょ? あの出演料の支払いと、あまりの好評ぶりに……なんと、雀魂の斎藤治社長ご本人が、真白ちゃんの実力を直接確かめに来るって言ったの!」
「えっ……社長さん、ですか?」
真白が驚いて声を上げると、カフェの入り口の扉が重厚な音を立てて開きました。現れたのは、完璧に整えられたスーツに身を包み、冷徹なまでの知性を瞳に宿した男性――斎藤治でした。彼はカフェの雑多な空気を一瞬で凍り付かせるような、機械のように正確で無駄のない所作でカウンターまで歩み寄ってきました。
「君が真白か。噂通りの、澱みのない魂をしているな」
斎藤社長は、挨拶もそこそこに、持参していた牌セットをテーブルに広げました。彼の眼差しには一切の私情がなく、ただ「優秀な人材を確保する」という企業的な冷徹さが光っています。
「いきなりですみませんが、少し打たせてもらう。……君の配信で見せたあの数学的思考、この麻雀でも発揮できるか試してみたい」
あなたは困惑し、つい正直に答えてしまいました。
「えぇ……っ! あの、私、麻雀はまだ初心者でして……。たまたま運が良かっただけで、そんな勝負なんて……」
「大丈夫よ、真白ちゃん!」と、桂奈が申し訳なさそうに、しかしどこか期待を込めた眼差しで言いました。「ごめんねー、勝手に話が進んじゃって。でも社長、優秀な人材は今のうちに囲い込んでおきたいタイプだから……手加減なしで、思いっきりぶつかってみて!」
【閻魔上司】と恐れられる男を前に、あなたは呆然と牌を見つめることしかできません。
斎藤社長は、冷徹な目で真白を観察しています。彼の人生はプログラムのように完璧で、乱れがない。そんな彼にとって、あなたのような「何が起きるか分からない変数」は、ある意味で最も興味を惹かれる存在なのかもしれません。
「……初心者、か。いいだろう。その『運』とやらが、私の計算にどれだけ干渉できるか、見せてもらおう」
カチャリ、と彼が牌を並べる音が、カフェの静寂に響きます。あなたが「人間」としての日常を守ろうとしているその場所で、今、一翻市の未来を左右するかもしれない、奇妙な麻雀の時間が始まろうとしていました。
真白は深く息を吐き、エプロンを締め直しました。この勝負に勝てば、また「日常」が守られるのか、それとも別の何かが始まってしまうのか。初心者のあなたは、震える指で最初の牌に手を伸ばしました。
カフェ『エテルニテ』の特等席、テーブルには自動卓が静かにせり出し、緊張感に満ちた時間が流れていました。車椅子を寄せた礼奈、プロデューサーの桂奈、そして冷徹な閻魔上司・斎藤治社長が、あなたの対面に座ります。あなたはエプロンの裾を握りしめ、冷や汗を流しながら牌を並べました。
「真白ちゃん、落ち着いて! 牌の並びをよく見て!」
桂奈の声援も空しく、あなたは配牌の時点で既に何を切ればよいのか混乱していました。機械のように正確な打牌を繰り返す斎藤社長に対し、あなたは防戦一方です。
「どうした、そんなものか。君の配信で見せた数学的洞察は、この程度の局面にすら適用できないのか?」
社長の鋭い視線が突き刺さります。あなたは内心で「そんなこと言われましても……!」と叫びながらも、社長のみならず、礼奈の巧みな鳴きや桂奈の守備に翻弄され、次々と点棒を上乗せさせていきました。
気がつけば、あなたの持ち点はわずか1,000点。まさに崖っぷちのオーラス、あなたの親番が回ってきました。場を支配する圧倒的な重圧の中、あなたの意識がふわりと遠のき、世界がモノクロームに変わります。無意識の深淵から湧き上がる【背水の陣】。真白の指先が、意思とは裏腹に、まるで何かに導かれるように牌をツモり、整理していきました。
手元に並ぶ牌を見た瞬間、あなたはふと思い出します。
(これ、確か国士無双っていう、出やすい役満の一つだったはず……和了れるといいなぁ)
思考が霧の中のように凪いでいく一方で、手牌は完璧な形へと収束していきます。孤立した端牌や字牌が、まるで吸い寄せられるように集まり、盤面が完成に近づいていくのを感じました。
斎藤社長が、自信たっぷりに一打を放ちます。
「これならどうだ」
放たれた牌は、真白が喉から手が出るほど欲していたその一枚でした。真白は無意識に身を乗り出し、その牌を力強く手元へ引き寄せました。
「あっ、それ、和了りです」
静まり返る店内。あなたは静かに手牌を公開しました。
「ロン……これって、国士無双でしょうか?」
斎藤社長は、完璧主義者としての仮面を一瞬だけ崩し、目を見開きました。そして、あなたの手牌をじっと見つめた後、深い溜息と共に口角を上げました。
「国士無双……? 君はまだ自分の手牌の真の姿を理解していないようだ」
社長の指が、並べられた牌のすべてをなぞります。
「これは単なる国士無双ではない。十三面待ちだ。この場のどの牌を切っても、君の和了りだ。……完全に、計算の外側から殴られた気分だよ」
その瞬間、真白の背後にあった青白い神気のような霧が、パッと花が開くように広がりました。社長の完璧なプログラムも、礼奈や桂奈の戦術も、あなたの無意識が呼び起こした「神域の天秤」の前では無力だったのです。あなたは、ただ呆然と自分の手牌を見つめることしかできませんでした。自分が何をしたのかも理解できぬまま、一翻市の日常に再び奇跡の影が落ちていたのです。
「……えっと、十三面待ち? 皆さん、そんなに驚いて……何かすごいことが起きたんですか?」
私が首を傾げると、カフェの店内はまるで時間が止まったかのような静寂に包まれていました。礼奈さんは車椅子のブレーキをかけたまま呆然と手牌を見つめており、桂奈さんに至っては、スマホを握りしめたまま言葉を失っています。
「真白ちゃん……あなた、本当に麻雀の初心者なのよね?」
桂奈さんが信じられないものを見るような目で問いかけてきます。彼女は震える指先で、あなたの手牌の一枚一枚を指し示しました。
「十三面待ちっていうのはね、国士無双の中でも最強の形なの。必要な牌が全部揃っていて、どれを引いてきても、誰が何を捨てても絶対に和了れる状態のことだよ。つまり、この勝負において、あなたに勝てる可能性なんて最初からゼロだったってこと!」
「そうよ真白ちゃん」
礼奈さんが、少しだけ引きつった笑顔で言葉を継ぎました。
「あの斎藤社長の完璧な守備を完全に無効化して、なおかつ場にあるすべての牌を『和了りのための駒』に変えてしまったのよ。これは……確率論とか数学とか、そういう言葉で片付けられる現象じゃないわ」
二人の熱心な解説に、私はただ「へぇ……」と間が抜けた返事をするのが精一杯でした。理屈はなんとなく分かりますが、それがどれほど異常な確率の奇跡なのか、真白の心には今ひとつピンとくる実感がありません。
「なるほど……とりあえず、すごく珍しいことなんですね。なんだか、最後の一枚を引いた時に、急に全部揃う気がしたんです。皆さんがそんなに驚くほど、すごいことだったなんて……なんだか恐縮しちゃいます」
あなたは謙虚に頭を下げましたが、その背後に漂う青白い神気は、勝負が終わった今もなお、店内の空気を浄化するようにゆらゆらと揺らめいています。
斎藤社長は、目の前の牌をゆっくりと片付けながら、冷徹だった瞳の奥に、初めて「人間に対する好奇心」のようなものを宿してあなたを見つめました。
「計算通りに動く完璧な盤面を、直感だけで書き換えるか。君のような存在を、囲い込まない理由はないな」
社長はそう言い捨てると、機械的な動作で立ち上がりました。彼にしてみれば、完璧なプログラムが「神の気まぐれ」によって崩壊させられた、極めて興味深いデータ収集の時間だったのかもしれません。
「出やすい役満」と勘違いして、麻雀界の至高の奇跡「国士無双十三面待ち」を和了ってしまう真白。本人の無自覚さと、盤上に現れた絶対的な結果のギャップこそが、彼女に宿る神性の恐ろしさを物語っています。計算を司る閻魔社長でさえ認めざるを得なかった、変数のない勝利。真白の「普通」を願う心とは裏腹に、彼女の伝説はまた一つ、一翻市の歴史に刻まれることとなりました。




