表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/610

均衡のランチ、「学校」という名の空白

十三面待ちという、麻雀における至高の奇跡。それを「たまたま」と笑い飛ばし、真白は再びエプロンをなびかせて厨房へと戻ります。神の如き打牌を見せたかと思えば、次はフライパンを振るう日常の主へ。そのあまりに鮮やかな切り替えに、閻魔社長こと斎藤治さえも、自らの計算式を根底から揺さぶられるのでした。

勝負はあなたの劇的な勝利で幕を閉じました。しかし、あなたはといえば、勝ったという高揚感よりも、「これでようやく、また普通にコーヒーを淹れられる」という安堵感の方が強く、エプロンの汚れを払うことに必死です。


「終わりましたね。さて、休憩はこれくらいにして、次のお客様がいらっしゃる前に店内の掃除をしておきますね!」


真白は何もなかったかのように、手際よくテーブルを拭き始めました。その無邪気なまでの「日常への帰還」の姿勢こそが、彼ら麻雀を司る住人たちにとって、最も制御不能で、かつ最も抗いがたい「真白という名の奇跡」そのものだったのでした。


真白が掃除用具を手に取り、カフェの奥へと消えていくと、先ほどまで静まり返っていたテーブルに、三人の溜息が重なりました。自動卓に並べられた牌はまだそのままですが、その残像には、先ほどの十三面待ちの衝撃が色濃く残っています。


「……ねえ、本当に彼女、初心者なの?」桂奈はスマホを握りしめたまま、信じられないという様子で礼奈に問いかけました。 「あの最初の半荘、彼女、私や礼奈さん、そして社長にまでわざと振り込んでいたように見えたの。まさか、あれも計算の上での手加減?」


礼奈は車椅子の上で深く考え込むように眉を寄せました。「ううん……あれは手加減というより、彼女の中で何か別のルールが動いていたみたい。昨日だって、一姫さんとこの店で打った時、最初は大差をつけられていたのに、最後は綺麗に『プラマイゼロ』で終わっていたのよ」


その言葉に、これまで冷徹に分析を続けていた斎藤社長が、珍しく鋭い眼光を向けて身を乗り出しました。「プラマイゼロ……? 麻雀において最も難しいといわれる、あの完全均衡を無意識に達成したというのか」


礼奈は静かに頷きました。「本人は『たまたまそうなっただけ』って、本当に不思議そうな顔をしていて。意図的な操作じゃなくて、まるで場全体の均衡を整えること自体が彼女の自然な呼吸であるかのような……」


「ふむ……興味深いな」社長は冷酷な笑みを浮かべました。「一戦だけの『奇跡』なら偶然で片付けられる。だが、もしこれが彼女の真の実力であれば、この街の経済構造さえも書き換えかねない変数となる。……次は、連続で対局させてみるべきだ」


そこへ、店内の隅を掃き清めていたあなたが、何食わぬ顔で戻ってきました。


「お待たせしました。あ、もしかしてまだ麻雀をされるんですか?」と尋ねるあなたに、桂奈は少しだけ心苦しそうな顔で、しかし好奇心を抑えきれない様子で声をかけました。 「ねえ真白ちゃん、もう一戦……今度は連続でやってみない? 社長も、さっきの十三面待ちの再現性が見たいみたいで」


私はきょとんとした表情で、手に持った雑巾を小さく振りました。「えっ、連続で、ですか? 私、いつも一日一戦までって決めているんです。それ以上打つと、なんだかこう……頭の中がぼんやりして、自分の感覚じゃなくなってしまうような気がして」


真白は、自分がただの「麻雀好きなアルバイト」だと思いたい一方で、無意識のうちに己の神格を制御するために「一戦」という制約を自らに課していることに、まだ気づいていませんでした。 社長はその言葉を聞いて、あなたの「無意識の防衛本能」を確信し、ますますその瞳に狩人のような光を宿すのでした。


「あ、いけない! もうこんな時間ですね。お昼のランチタイムの準備をしないと!」


時計を見て慌てたように言うと、張り詰めていた店内の空気がふっと緩みました。あなたは麻雀の牌からさっと手を離し、エプロンの紐をキュッと締め直します。


「もう一戦やってもいいですけど、まずは腹ごしらえからです! 礼奈さん、いつものように厨房お借りしますね」


真白はそう言って小走りで厨房に向かうと、そこからは野菜を刻む軽やかな音や、フライパンが火の上で踊る心地よい音が聞こえてきました。あなたは鼻歌まじりに手際よく材料を炒め、彩り豊かなランチプレートを完成させていきます。その姿は、先ほどまで「十三面待ち」という神業を見せた対局者とは思えないほど、どこにでもいる、働き者の普通の女子高生そのものです。


厨房から漂う香ばしい匂いに、自動卓に残った三人はふと我に返りました。


斎藤社長は、厨房で忙しそうに立ち回る真白の背中を、観察するようにじっと見つめています。それまで冷徹だった彼の表情に、かすかな困惑が混じりました。


「……そういえば」


社長は低い声で、礼奈と桂奈に問いかけました。


「彼女、今日学校はどうしたんだ? この時間は本来、授業中のはずだが」


その質問に、桂奈は苦笑しながら肩をすくめました。


「真白ちゃんね、この街に来てから、どうも戸籍とか学籍の管理がふわっとしてて……。本人に聞いても『あ、そういえば制服は着てますけど、授業の記憶があまり……』なんて言っちゃうの。でも、街の誰もが彼女を『学生』として受け入れてるし、この街のことわり自体が、彼女を高校生として存在させている感じなのよね」


礼奈も頷きながら、少し寂しそうに厨房の奥を見やりました。


「ええ。それに彼女、学校よりも『この街にいるみんなが困らないように』ってことに使命感を感じているみたいで。学校に通うことより、こうしてお昼ご飯をみんなに作ってあげることの方が、今の彼女にとっては大事な『お勉強』なのかもしれませんね」


三人は、真白が厨房からニコニコと笑顔でランチプレートを運んでくる姿を見て、再び口を閉ざしました。真白という少女が、この街で「何者」として存在しているのか。その答えが、今真白が出そうとしている温かいお昼ご飯の中に隠されているような気がして、三人は複雑な思いでそのプレートを受け取ったのでした。

「一日一戦」という無意識の防衛本能、そして「制服を着ているのに学校の記憶がない」という、一翻市そのものが真白に与えた曖昧なアイデンティティ。彼女が淹れるコーヒーや作る料理には、神域の均衡を保つための成分が含まれているのかもしれません。社長たちの疑念をよそに、真白の「温かいお昼ご飯」が、狂いかけた世界の歯車を再び日常へと繋ぎ止めていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ