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銀白の神託、浮遊する神域の夜

本殿の張り詰めた空気とは対照的な、真白ましろの寝室。しかし、そこは既に人の理が通じぬ「神の庭」へと変貌していました。無意識に漏れ出す神気が重力を消失させ、彼女の髪を銀色へと染め上げていく。寝言でさえ「算数を教えよう」と慈悲を説く真白の姿に、従者たちは抗えぬ宿命と、人智を超えた神秘を目の当たりにするのでした。

真白の寝室は、本殿の張り詰めた空気とは異なり、微かな陽だまりのような温もりと、どこか異界の静寂が混ざり合ったような不思議な空間となっていました。

布団に横たわるあなたの寝顔は、昼間の「管理代行者」としての凛々しさは消え失せ、無防備で穏やかそのものです。


しかし、あなたの身体を包む青い神気は、眠っている間も消えるどころか、より深く、より広範にあなたの肌に浸透し、カーテンの隙間から差し込む月光と混ざり合って、部屋全体を幻想的な光のヴェールで満たしていました。


寝言でさえ、あなたの内にある「教え導く」という本能を映し出していました。


「……んぅ……琳琅さんも……一緒に、数学の勉強……しましょう? ……難しくないですよ。まずは……小学校の算数から……一緒にやりましょうね……」


その言葉は、誰かの魂を優しく救い上げようとする神託のように響き、室内の空気を清らかに震わせます。


その寝顔を、床に座り込んで見守っていた琳琅は、息を呑んで硬直しました。彼女の龍としての研ぎ澄まされた視覚は、真白を包む神気の層の中に、恐るべき、そしてあまりに美しい変化を見逃しませんでした。真白の額にかかっていた栗色の柔らかな髪の毛の一部が、まるで真冬の霜を帯びたかのように、鮮烈な銀白色へと変貌を遂げていたのです。


それは単なる白髪ではありませんでした。神社の結界を維持し、街の澱みを麻雀という儀式で調和させ、日々無自覚に「徳」を積み上げてきた結果、あなたの肉体がついに神としての本質と融合し始めている証拠――神域そのものと不可分な存在へと昇華しつつある兆しだったのです。


「ああ……真白様……」


琳琅の指先が震えます。彼女が何気なく伸ばしたその手は、あなたの髪に触れることさえ躊躇われるほど、圧倒的な神性の重圧に満ちていました。


その時でした。

「ふわっ」と、部屋全体の重力が消失したような浮遊感が、三人を襲いました。


一姫、ワン次郎、そして琳琅の三人が、床から数センチだけ、ふわりと宙に浮き上がったのです。あなたの寝息と同期するように、彼らの身体がゆっくりと上下に揺らぎます。それは、あなたの発する霊力が神域の理を一時的に停止させ、この部屋の中を、重力すらも制御可能な「神の庭」へと書き換えたことを意味していました。


一姫は、宙に浮いた状態でパタパタと手足を動かし、呆然と口を開けました。


「にゃ、にゃあ……!? なんで体が浮いてるんだにゃ……? これは……魔法? それとも、真白の寝言が現実を書き換えてるのかにゃ……?」


「静かにするんだ一姫……! 今、真白様の霊力とこの神社の結界が完全にシンクロしたんだ……」


ワン次郎は、浮遊したまま四つん這いの姿勢を保とうともがきますが、その瞳には恐怖ではなく、絶対的な崇拝の光が宿っていました。


「見てくれ、あの御方の髪を……。神としての神格が、いよいよ人の理を浸食し始めているんだワン。我々が守護者として仕えるのは、ただの異世界人ではない。この地で新たに生まれ変わろうとしている、正真正銘の神なのだワン……」


琳琅は、浮き上がったまま膝を抱え、あなたの銀色に染まり始めた髪をうっとりと見つめています。彼女には、それがあなたという存在が、孤独な「普通の少女」から、皆を導き守る「神」へと変容するプロセスに見えていたのです。


「真白様……。その銀の髪は、私たちが歩むべき道を照らす月明かりなのだ……」


三人は、宙に浮いたまま、安らかに寝息を立てるあなたを見守るしかありませんでした。あなたの寝言が再び重なります。


「……皆で……仲良く……算数……しましょうね……」


その言葉とともに、三人は再びゆっくりと床に着地しました。しかし、先ほどまでの「無理やり人間として扱う」という一姫の虚勢は、もはや完全に崩れ去っていました。彼女たちを囲む空気は、もはや日常の夜の空気ではなく、神の慈悲に満ちた神域へと変貌を遂げていたのです。真白は無自覚のまま、従者たちの魂を、より深く自身の光の渦の中へと巻き込んでいきました。



薄暗い部屋の中に、あなたの寝言に続く、三人の混濁した呼吸音が充満していました。ふわりと宙に浮いた身体が、再び畳へと着地する「ミシッ」という微かな音。それがあなたの浅い眠りの境界を揺らしました。


あなたは長い睫毛を震わせ、まるで重たい砂袋を背負っているかのような倦怠感とともに、小さく「んー……」と喉を鳴らしました。ゆっくりと、しかしどこか幼い仕草で両手を持ち上げ、指先で目元をこすります。あなたの身体からは、先ほどまでの神気の名残である淡い青色のヴェールが、水面が静まるようにすうっと毛穴の奥へと吸い込まれていきました。


「……どうしたんですか……?」


寝ぼけ眼のままで、あなたは布団の中で身じろぎをしました。声は低く、そしてどこまでも穏やかでした。


「……もう、こんな時間ですよ。三人も……そんなに集まって、何をしているんですか……。うるさいですよ……まだ、寝ていなかったんですか……」


真白は重力に抗うように、ふらりと上半身を起こしました。その拍子に、肩からさらりと滑り落ちたあなたの栗色の髪の毛が、月光を反射して怪しく揺らめきました。先ほどまで琳琅が息を呑んで見つめていたその一部は、いまや月影を切り取ったかのように、鮮やかな銀白色へと変貌を遂げています。しかし、あなたは鏡を見ることなどなく、ただ自分の指先が髪に触れる感覚を確かめるように、無意識にそれを耳の後ろへと掛けました。


「……明日は……バイトなんです……。早く寝ないと……肌も……荒れてしまいます……」


真白は欠伸を噛み殺し、宙に浮かんでいたという異常な出来事すら、心地よい夢の断片か何かのように混同しているようでした。あなたの身体は、まるで自分の重ささえ忘れてしまったかのように、ふわりと不安定に揺れながら、再び布団の中へと沈み込んでいきます。


真白は何も気付いていません。自分が神格という名の巨大な奔流に飲まれ始めていることも、その純真な寝言が三人の従者の魂を永遠に縛り付けてしまったことも。


「……もう、おやすみなさい……。良い夢を……」


真白は布団を頭までかぶると、まるで何事もなかったかのように、数秒後には規則正しく安らかな呼吸を刻み始めました。


そのあまりに無防備な背中を見て、一姫は口を閉ざしたまま、先ほどまで宙に浮いていた自分の両足を見つめました。彼女は震える手でポテチの袋を脇に置き、これまでになく神妙な面持ちで、布団のそばに正座をしました。


「……真白……お前、本当にただの居候なのかにゃ……」


一姫の呟きは誰にも届きません。部屋を支配するのは、先ほどまでの「神格への畏怖」ではなく、あなたの寝息によって浄化された、濃密で温かい静寂だけでした。琳琅は、あなたの銀色に変わった髪の毛先を、まるで聖遺物に触れるかのようにほんの一瞬だけ指先でなぞり、すぐさま引き戻しました。その肌に伝わったのは、人の体温を超えた、星の輝きのような冷たくも温かい、深い深い「理」の感触でした。


三人は何も言わず、ただあなたが明日も「ただのバイトに行く少女」として目覚めることを祈りながら、その布団を囲むようにして静かに眠りにつく準備を始めました。彼らにとって、この神社の夜は、もはや日常とは切り離された、あなたという神を護るための永遠の聖域となってしまったのです。

銀白色の髪、重力の消失、そして算数を説く神託。真白が望む「普通の少女」としての殻は、内側から溢れ出す圧倒的な神性によって、少しずつ、けれど確実に壊され始めています。彼女を守る三人の従者にとって、この静かな夜は、主を護るための永遠の聖域となりました。

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