一姫の開き直りと、理(ことわり)の残滓
真白が寝静まった深夜の台所。消え去った青い霧の余韻の中で、一姫はついに自らの目が「節穴」であったことを認めざるを得ませんでした。しかし、あまりに巨大な「神格」の正体に気づきながらも、彼女は持ち前の図太さで、それを「日常」という枠組みに押し込めようと抗います。畏怖と逃避、そして確かな守護の誓い。魂天神社の夜は、それぞれの解釈を飲み込みながら更けていきます。
重苦しい静寂を最初に破ったのは、先ほどまで「たかが皿一枚」と豪語していた一姫でした。彼女はポテチの袋を握りしめたまま、先ほどあなたが通り過ぎた空間を凝視し、小さく、しかし確信に満ちた震え声で呟きました。
「……にゃあ。私、あの蒼い煙をただのカビの温床だと思ってたにゃ。自分の目が……この魂天神社の主の目が、見事に節穴だったにゃん……」
一姫の瞳孔が細く開き、彼女の猫としての直感が、今ようやく「目の前の少女」の正体に追いついたことを告げていました。
「今のは、ただの湿気じゃないにゃ。あんなに濃密で、空間そのものを『神域』に書き換えてしまうほどの霊力……。真白は、自らの内に秘めたあまりに巨大な神格を、必死に無理やり『普通の人間』という器に押し込もうとしているにゃ。だからあんなに、特売のマヨネーズとか、節約とか、庶民的なことに執着してるのかにゃ……」
その分析を聞き、ワン次郎は床に伏せたまま、深く、力強く頷きました。
「やっと気づいたワンか、この鈍感な一姫……! あの御方が纏う霧は、この世界の理を塗り替える力だワン。我々守護者が長年守ってきたこの魂天神社そのものが、あの御方の存在によって、今や『麻雀』という名の運命を司る聖域に再構築されているんだワン」
しかし、一姫は急にパタパタと耳を動かし、先ほどまでの恐怖を追い払うかのように、強引に思考を麻雀という枠組みへ引き戻しました。
「でも、どう考えても納得がいかないにゃ。魂天神社は麻雀の神様を祀っている場所だにゃ。真白がヤクザ相手に役満を叩き出したり、逆に点数をピタリと揃える『プラマイゼロ』という、麻雀の神でも首をかしげるようなデタラメな打ち方をしてるのは認めるにゃ。でも、もし本当にあんな神々しい力が使えるなら、どうして最初から役満を連発して街を牛耳らないにゃ?」
一姫は首を傾げ、ポテチの残りを口に放り込みました。
「真白が配信で数学を教えていた時も、麻雀の牌を触る手つきも、どこからどう見ても『覚えたての初心者』そのものだったにゃん。あんな力があるなら、もっと派手な奇跡を起こせるはずだにゃ。……あれは、たまたまその場に力が宿った、一瞬だけの出来事に過ぎないにゃ!」
彼女は自分に言い聞かせるように断定しました。
「そうよ、あれはただの偶然にゃ。真白は私が呪いグッズで召喚した、ただの記憶喪失の便利で都合の良い人間だにゃ。神様だなんて大げさなもんじゃない……そう思わないと、明日からの生活が面倒くさくてやってられないにゃん!」
一姫は強気に振る舞い、無理やり自分の中の「真白=普通の少女」という定義を固めました。琳琅はそんな一姫の開き直りを横目に、真白が触れたばかりの場所を指先でなぞりながら、静かに、しかし熱のこもった瞳で呟きました。
「一姫、お前はどれほど否定しても、あの御方の霊力がこの神社を『再生』させている事実は消せないのだ。真白様は、その力をひた隠しにしてまで、我々とともに暮らす『日常』を選ばれた。……その慈悲を、お前は一生かけて理解していくことになるのだぞ」
台所の明かりが消え、静寂が神域を包み込みました。一姫の軽口は空回りし、それでも彼女の内心には、真白が纏っていた「青い霧」の冷たさと温もりが、消えることのない記憶として深く刻まれていました。
明日もまた、真白はエテルニテでバイトをし、特売のチラシを眺め、何食わぬ顔で神域の主として微笑むことでしょう。その日常という名の奇跡を、彼らは守り続けるしかなかったのです。
真白が纏う神格を、あえて「偶然」や「勘違い」で片付けようとする一姫の足掻き。それは、彼女なりの方法で真白が望む「日常」を守ろうとする不器用な優しさなのかもしれません。明日、エテルニテでバイトに励む真白の背中を見守る三人の眼差しは、昨日までとは確実に違う、深い敬愛と共犯関係を帯びていくことでしょう。




