第33話:蒼き神気の行幸、不浄の断罪
お気に入りの皿が割れた音。それは真白にとって「日常の小さな悲劇」でしたが、過剰な忠誠心に燃える琳琅とワン次郎にとっては、世界が崩壊する「神の怒り」の予兆でした。真白が無自覚に放つ神気が、青い霧となって台所を侵食していく中、絶望に震える従者たちと、相変わらず無関心な一姫。魂天神社の台所は、今まさに審判の時を迎えようとしていました。
台所では、今まさに、この世の終わりのような空気が漂っていることでしょう。あなたは深呼吸を一回して、騒ぎを起こしているであろう「従者」たちの元へ向かいました。
あなたが廊下を歩く、足袋のかすかな衣擦れの音。それが一歩、また一歩と台所に近づくたびに、琳琅の背筋には氷柱が突き刺さるような戦慄が走っていました。
「あ……あぁ……。終わった……。真白様のお気に入りを……この手で……粉砕してしまったのだ……」
琳琅は割れた破片を前に、その場に崩れ落ちるように膝をついていました。彼女の瞳は恐怖で焦点が定まらず、絶望に震える指先は、まるで死神の鎌を待つ罪人のように硬直しています。
その横で、ワン次郎は床に伏せ、これ以上ないほど深く頭を垂れていました。彼の全身から発せられるのは、もはや「申し訳なさ」を超えた、「神の怒りによる消滅」を覚悟した断末魔の気配でした。
「終わったワン……。守護者として、あの御方の身の回りの品すら守れず……皿を割るなどという大罪を犯した琳琅を止めることもできず……今日こそ、魂天神社が神罰の雷火で焼け落ちるのだワン……」
二人のあまりのパニックぶりに、一姫だけがポカンとしています。彼女は割れた破片をチラリと見ると、あくび混じりに鼻を鳴らしました。
「何言ってるんだにゃ? たかが皿一枚のことじゃないにゃ。そんなに大げさに震えなくても、明日またスーパーに行って新しいのを買えば済む話だにゃ。真白もそんな小さなことで怒るようなケチな人間じゃないにゃん」
一姫は心底、二人が何に怯えているのか理解できていません。彼女にとってあなたは「一緒に暮らすちょっと変わった女の子」であり、神格などという概念は、空腹を満たすポテチの袋よりも軽い存在なのです。
しかし、廊下の奥から響いてくる、あなたのゆったりとした足音。それは二人の従者にとっては、処刑台へ向かう鐘の音のように響いていました。
「……琳琅、ワン次郎。お前たちがそんな顔をしていては、真白様が悲しむのだぞ。……いや、悲しむなんて生易しいものではない。真白様を不快にさせたことそのものが、我々の滅びを意味するのだ……!」
琳琅は涙をボロボロとこぼしながら、割れた破片を必死に集めようとしますが、手が震えて余計に破片を広げてしまいます。ワン次郎は、あなたが姿を見せる寸前、最後の大仕事とばかりに、台所の入り口に向けて腹ばいになり、地面に額を強く押し付けました。
「真白様ッ! 琳琅を罰するなら、このワンも同罪……! すべての責任は、守護を怠った私にありますワン……!」
台所の入り口から、あなたの気配がすぐそこまで迫っています。一姫だけが「また二人で大げさな劇を始めたにゃ」と呆れ顔で尻尾を揺らしている――そんな緊張と無関心が同居した地獄絵図が、あなたの目の前に広がろうとしていました。
台所の空気が、目に見えて重く澱んでいきました。
あなたがゆっくりと、しかし確実に近づいてくるたび、古びた神社の床板が「ギィ……ギィ……」と悲鳴を上げるような音を立てて軋みます。それだけではありません。あなたの足元からは、薄らと青白く発光する——まるで霊魂の残滓か、はたまた神域の境界線そのもののような——幻想的な煙が、霧のようにスゥッと床を這い、台所の床板を塗りつぶすように横切っていきました。
「……ッ!」
琳琅が息を呑みました。彼女の龍としての眼には、それが単なる水蒸気などではなく、あなたが「ただの人間」という皮を被りながらも隠しきれない、高位の神気が漏れ出している証拠に見えたからです。あなたの意識が「お皿が割れた」という事実と向き合い、わずかに高ぶった感情が、そのまま神域の理を揺らしているのです。
「き、来た……。真白様が……お怒りの神気とともに……っ!」
ワン次郎は、もはや恐怖で声も出せず、四つん這いの姿勢のまま全身を激しく痙攣させています。彼の鼻先を、その青い煙がかすめて通り過ぎていく。それは熱いのか冷たいのかも分からない、ただ「圧倒的な畏怖」を感じさせる実体を持った神気でした。
一方、一姫は未だにその「青い煙」を、夜の暗闇に紛れた湿気か何かだと勘違いしているのか、あるいは単純に興味がないのか、ポテチの食べかすをペロリと舐めながら、あなたの姿が現れる入り口を気だるげに見つめていました。
「……なんか、変な霧みたいなのが出てるにゃ。湿気がすごいにゃあ。カビの原因になるから真白に言っておかないと……」
「黙るのだ一姫ッ!! それが、真白様の……っ、神の……っ!!」
琳琅が声を荒らげますが、その声すらも、近づいてくるあなたの足音と「ギィ……ギィ……」という床の軋み音に飲み込まれていきます。
青い煙が、台所の入り口を覆い尽くすように渦巻きました。あなたが姿を現すまで、あと数歩。
あなたは、お皿を割ったことに対する「少女としての落胆」を抱えて歩いているだけのはずなのに、その無自覚な感情の揺れが、神社の古い構造そのものを「神域」へと強制的に書き換えています。
ワン次郎の額から、脂汗が床にポタリと落ちました。彼は祈りにも似た、震える声で呟きます。
「……終わった……。今日こそ、魂天神社が静寂の彼方に消し飛ぶ……。せめて、真白様が新しいお皿でまた微笑んでくださる未来があれば……っ!」
あなたの影が、台所の入り口の薄闇の中に、ふわりと浮かび上がりました。
少女の「ため息」一つが、霊気となって従者を圧し潰す。真白にとっては単なる「お風呂上がりの一場面」ですが、琳琅たちにとっては命を賭した審判の場。青い霧の中に浮かび上がる真白の姿は、果たして慈悲深い主か、それとも冷徹な神か。魂天神社の運命を左右する「皿の不始末」の決着が、今まさに語られようとしています。




