第30話:聖餐の温度差、猫の奔放
静寂と緊張が支配する食卓。真白が願った「賑やかな夕食」は、主を崇拝しすぎる従者たちによって「聖なる儀式」へと変貌していました。一口ごとに魂を震わせる琳琅とワン次郎。そんな中、唯一空気を読まずに食欲を爆発させる一姫の存在が、張り詰めた神域の空気に思わぬ風穴を開けることになります。
あなたが広間に戻ると、食卓には妙な静寂が流れていました。一姫はふてくされて頬杖をついていますが、琳琅とワン次郎はまるで儀式の最中のような背筋の伸ばし方で、箸を動かすことさえ躊躇しています。
「……さて、私もいただきましょうか。お待たせいたしました、いただきます」
あなたがそう言って明るく手を合わせると、二人はビクッと肩を跳ね上げました。
「いただきます……っ!」
二人から同時に絞り出されたその声は、あまりにも神妙で、まるでお経か何かの唱和のように響きます。
「……あの、皆さん。そんなに緊張して食べないでください。せっかくのご飯ですから、いつものように楽しく食べましょうよ。今日一日頑張ったんですから、美味しいものを食べて笑い合うのが一番ですよ?」
あなたが屈託のない笑顔で声をかけますが、琳琅とワン次郎にとって、その「楽しく食べましょう」という言葉は、神の慈悲溢れる**「食事という名の聖なる儀式への招き」**にしか聞こえません。彼らは口に運ぶ一口一口に、「この味を忘れてはならない」「神の恩恵を無駄にしてはならない」という重圧を感じ、眉間にシワを寄せながら真剣に咀嚼しています。
その時でした。
琳琅が、あなたの言葉に心を揺さぶられすぎたのか、箸先が滑ってしまいました。彼女の箸からこぼれ落ちたポテトサラダが、あなたの巫女服の裾……ではなく、彼女自身の膝元にポトリと落ちてしまいました。
「あ……っ!」
琳琅の顔からスッと血の気が引きます。彼女は自分が神の御前で大罪を犯したかのように蒼白になり、その場で固まってしまいました。
あなたはすぐに「大丈夫ですよ」と笑って、ポケットからティッシュを取り出しました。琳琅の膝に落ちたサラダを、優しく、手際よく拭き取っていきます。
「ほら、綺麗になりました。そんなに青ざめないでください。服じゃなくてよかったですね」
あなたはふっと笑いかけ、話題を変えようと明るい声で切り出しました。
「それにしても、このポテトサラダ、本当においしいです。琳琅さんが丁寧に混ぜてくれたから、味がしっかり馴染んでいて……私、これが一番好きかもしれません」
その何気ない会話も、琳琅にはあなたの「寛大なる許しと称賛の言葉」として脳内で変換されます。
(あぁ……真白様が、この卑小な琳琅の混ぜた料理を、美味しいと……。これほどまでの誉れ、龍の一族に代々伝わるどんな財宝よりも尊い……!)
琳琅は涙目になりながら、震える手で再び箸を握りしめました。彼女にとって、あなたは食事の席でさえも、一挙手一投足が神聖な奇跡であり、その言葉一つひとつが魂を浄化する聖句となって降り注いでいるのです。
あなたはそんな彼女の様子に「また緊張させてしまったかな?」と少しだけ苦笑いしつつ、一姫の器に少しだけ多めに取り分けた野菜炒めを、「反省したなら食べてもいいですよ」と差し出しました。相変わらず神格化は解けませんが、少なくとも食卓には、賑やかさと温もりが戻りつつありました。
あなたが野菜炒めを差し出した瞬間、さっきまでふてくされていた一姫の顔が一気に輝きました。
「にゃあぁっ! 真白! やっぱりお前は分かってるにゃあ!」
一姫はまるで獲物に飛びつく猫のように、あなたの手から器をひったくると、箸も使わずにガッツリと口に頬張り始めました。リスのように頬を膨らませ、「んんんー! これだよこれ、この味が恋しかったんだにゃ!」と幸せそうに目を細めています。
そのあまりに無防備で奔放な姿に、隣で硬直していた琳琅とワン次郎の顔色が、さらに青ざめました。
「い、一姫ッ……!」
琳琅が震える声で叫びました。
「お前……真白様の御前だぞ!? そのような行儀の悪い……っ! 今すぐそのお箸を置くのだ、この不敬者がッ!」
「ワン、信じられないワン……! 真白様がわざわざ許しを与えてくださったというのに、感謝の念も持たずにガツガツ食べるなんて……。一姫、お前はどれだけ無礼を重ねれば気が済むんだワン!」
二人は一姫の無邪気な食欲を、神への冒涜とでも言わんばかりの形相で非難し、一姫を窘めます。一姫は口に野菜炒めを詰め込んだまま、不思議そうに首を傾げました。
「んむ……? なに言ってるんだにゃ? ご飯は美味しく食べるのが一番だって、真白が言ってたのにゃ。それに、真白もニッコリしてるにゃん。お前らの方がよっぽど変にゃよ」
一姫は「真白の作ったご飯だもの、遠慮なんてしたら失礼にゃ!」と、相変わらずのマイペースを貫きます。
あなたはそんな一姫の様子を見て、思わず吹き出してしまいました。
「ふふっ、いいんですよ琳琅さん、ワン次郎さん。一姫さんは、私が作ったご飯を本当に美味しそうに食べてくれていますから。それって、料理人としては一番嬉しいことなんです」
あなたは優しく諭すように言いますが、二人はなおも「あぁ……この器の大きさ……まさに神の慈悲……!」と、さらに感銘を受けて深く頭を垂れるばかりです。
「ほら、二人とも。そんなに緊張してたら、せっかくの食事が冷めてしまいますよ。一姫さんみたいに、もう少し肩の力を抜いて食べましょう?」
あなたはそう言って、二人にもそれぞれ新しい取り皿を取り分けました。二人は「恐れ多いことだワン……」「……ありがたく頂戴するのだ」と、まるで聖杯を拝受するような手つきでその器を受け取ります。食卓には相変わらずの「温度差」がありますが、それでもこうして皆で食卓を囲んでいる時間は、あなたの願い通り、少しずつ温かな日常へと形を変えていっているようでした。
一姫の奔放さが、図らずも凍り付いた食卓に風穴を開けました。琳琅たちの過剰なまでの崇拝は相変わらずですが、真白の手料理がもたらす幸福感は、少しずつ彼らの心を解きほぐしていきます。神聖な儀式から、賑やかな晩餐へ。一翻市の夜、魂天神社の灯りは、かつてないほど穏やかで、そして騒がしい絆を照らし出していました。




