第2話 観察者は、どちら側に立つのか
「それはぜひ、私も知りたいですね」
すぐ後ろから届いた声に、わたくしは振り返らなかった。
驚かなかった、と言えば嘘になる。
けれど、それ以上に先に浮かんだのは――納得だった。
ああ、やはり。
あの場に、もう一人いたのね。
「……どなたかしら」
振り返らずに問う。
わざとだ。
名乗るかどうかを見るためでもあり、こちらの姿勢を測らせるためでもある。
「名乗るほどの者ではありませんよ」
軽い声だった。
けれど、軽すぎる。
空気の重さを理解したうえで、あえて外している声。
「ただの通りすがりです」
「通りすがりの方は、わざわざ断罪の場を最後まで見届けたりはしませんわ」
そこで初めて、後ろの気配が一歩近づいた。
靴音は静か。
重さがない。
それでいて、距離を詰めることに躊躇がない。
面倒なタイプね。
「では、観察者ということでいかがでしょう」
「観察者」
ようやく、わたくしは振り返った。
そこにいたのは、見覚えのない青年だった。
年はわたくしたちとそう変わらない。貴族の礼装ではあるが、どこか崩れている。タイの結びが甘い。袖口も整いすぎていない。
だというのに。
視線だけが、妙に整っていた。
こちらを値踏みするでもなく、見下すでもなく。
ただ、興味深そうに見ている。
まるで、書物でも読むように。
「失礼。名乗りが遅れました」
軽く一礼する。
動作は丁寧だが、形式だけだ。
「カイゼル・ドレイクと申します」
聞いたことのない名だった。
少なくとも、学院内で目立つ存在ではない。
それなのに、断罪の場にいて、最後まで残り、そして今ここにいる。
十分に不自然だ。
「ルナ・ローゼです」
「ええ、存じております」
にこり、と笑う。
わざとらしくないのが、逆に厄介だ。
「先ほどの一言、見事でした」
「どの一言かしら」
「“外れましたわね”」
わたくしは、ほんのわずかに目を細めた。
あれを拾うのね。
「意味が分かっていらっしゃるの?」
「半分ほど」
即答だった。
「残りの半分は、これから確認させていただきます」
随分と勝手なことを言う。
普通なら不快に思うところだが、不思議とそうはならなかった。
理由は簡単。
この男、少なくとも“分かっている側”にいる。
全部ではないにしても。
「確認、とは?」
「あなたが、どこまで知っているのか」
踏み込んでくる。
距離ではなく、認識に。
わたくしは一歩だけ後ろに下がった。
物理的な距離を取ることで、会話の主導権を取り戻す。
「知っていることなど、たいしたものではありませんわ」
「それは困る。たいしたものではないのに、あそこまで冷静でいられるはずがない」
ああ、そういうタイプ。
結論から入る。
「あなたは怒っていなかった」
「怒る理由がありませんもの」
「普通は怒る」
「普通、という言葉は便利ですわね」
少しだけ、笑う。
カイゼルは肩をすくめた。
「ええ。便利すぎて、誰も疑わない」
わたくしは黙る。
その言葉には、無駄がなかった。
沈黙が落ちる。
夜風が吹き抜ける。
大広間から漏れていた音は、もう完全に消えていた。
「では、質問を変えましょう」
カイゼルが一歩、こちらへ寄る。
今度は音を立てなかった。
「なぜ、否定しなかったのです?」
直球だった。
良い質問だと思う。
だからこそ、答える価値がある。
「必要がなかったからですわ」
「それは、“罪がなかった”という意味ですか?」
「いいえ」
即答する。
「“否定する価値がなかった”という意味です」
カイゼルの目が、わずかに細くなった。
興味が、深まる。
「つまり、あの断罪そのものが――」
「ええ」
言葉を重ねる。
「意味のあるものではなかった」
風が止んだ。
一瞬だけ、世界が静止したように感じた。
その沈黙を破ったのは、カイゼルの笑いだった。
「……面白い」
本当に楽しそうに言う。
「なるほど。あなたは復讐していない」
「復讐?」
その言葉には、わずかに引っかかりを覚えた。
「ええ。普通なら、ああいう場で恥をかかされたら、どうにかしてやり返そうと考える」
それはそうだろう。
「ですが、あなたは違う」
「どう違うのかしら」
「あなたは、“あの場”そのものを否定している」
少しだけ、間を置く。
悪くない理解だ。
「否定、というほど大げさではありませんわ」
「では?」
「……外れただけです」
同じ言葉を、もう一度。
今度は、意味を含ませて。
カイゼルはそれを、正確に受け取った。
「なるほど。評価から」
わたくしは、何も答えない。
それで十分だった。
「つまりあなたは、もう“評価される側”ではない」
「ええ」
今度は肯定する。
「少なくとも、今夜からは」
それは事実だった。
婚約も、進路も、推薦も。
すべて剥奪された。
つまり。
評価の土俵から降ろされた。
「それで、どうするおつもりで?」
カイゼルの問いは軽い。
けれど、その奥にあるものは軽くない。
わたくしは、少しだけ考えるふりをした。
本当は、もう決めている。
「さて」
夜空を見上げる。
星はあまり見えない。王都の灯りが強すぎる。
「まずは、確認からですわね」
「何を?」
「どこまでが、“決められている”のか」
視線を戻す。
「評価とは、どこまでが固定で、どこからが動くのか」
「……」
カイゼルは何も言わない。
ただ、じっとこちらを見る。
「それが分かれば」
わたくしは、少しだけ笑った。
「壊し方も分かりますもの」
沈黙。
そして。
カイゼルは、ゆっくりと息を吐いた。
「やはり面白い」
同じ言葉。
けれど今度は、確信が混じっている。
「いいでしょう」
一歩、距離を取る。
「しばらく、あなたを観察させていただきます」
「お断りいたしますわ」
「もちろん、許可は求めていません」
にこり、と笑う。
本当に、面倒な男だ。
「あなたにとって損はありませんよ」
「そうかしら」
「ええ。なにしろ」
カイゼルは、わたくしの横をすり抜けた。
そのまま、回廊の先へ歩いていく。
すれ違いざま、低く囁く。
「評価を“動かす側”の情報が手に入るかもしれませんから」
足が止まる。
ほんの一瞬だけ。
「……どういう意味かしら」
振り返る。
だが、彼はもう数歩先にいた。
「そのままの意味です」
振り返りもしない。
「あなたが知りたがっていることですよ」
軽く手を振る。
それだけで、会話を終わらせるつもりらしい。
「待ちなさい」
思わず、声が出た。
カイゼルは足を止める。
だが、振り返らない。
「一つだけ」
わたくしは、言葉を選ぶ。
「あなたは、どちら側の人間なの?」
少しの間。
静寂。
そして。
「さて」
肩越しに、声だけが返ってくる。
「それは、あなたが決めることでは?」
そう言って、彼は去っていった。
足音が遠ざかる。
やがて、完全に消えた。
残されたのは、わたくし一人。
夜の回廊と、冷たい空気。
そして。
胸の奥に、ほんのわずかに残った違和感。
「……面白い、ね」
誰の言葉だったか。
思い出して、少しだけ苦笑する。
評価を決める側。
動かす側。
そんなものが、本当に存在するのだとしたら。
――それは、わたくしが知りたかった場所だ。
ゆっくりと、息を吐く。
寒さはもう感じなかった。
「では」
一歩、前へ。
「探しましょうか」
回廊の先へ、歩き出す。
今夜、すべてを失った。
けれど。
だからこそ、ようやく手が届くものがある。
それが何かを確かめるために。
わたくしは、初めて“評価の外側”から、世界を見ることにした。
断罪のあと、ようやく一人になれる……と思いきや、そう簡単にはいかないようです。
ルナの「外れた」という感覚と、カイゼルの立ち位置。
ここから少しずつ、世界の輪郭が見え始めます。
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次話では、“評価の外側”がどんな場所なのか、もう少し具体的に触れていきます。




