西方の檻④
◇
中央平原へ向かうドワッフ王国本隊の支度が着々と進んでいた。平原一帯を埋める軍隊の列は、国家としての力をまざまざと見せつけられる。
重槍の穂先が林のように揺れ、王国の誇る『重装歩兵団』の歩が土を飛ばし、伝令の馬が絶え間なく軍隊という体を流れる血液のごとく走り回っている。ドワッフ王国軍が動くというのは、こういうことらしい。大地そのものが重々しく唸っているようだった。
その喧騒の端にアルドたち遊撃部隊はいた。
本隊が亜獣の湧出する予定地へ向かうのに対し、こちらが目指すのは西部研究所である。この国を内側から食い荒らしている亜獣の軍勢――その出所があの施設にあるのではないか。それを確かめるための二十人にも満たない小さな隊だ。
アルドは、とある荷を積み終えたばかりの馬車の脇に立っていた。
その馬車はドルフ村に向かうもので、軍事物資ではなく、ドワッフ王国の技師たちが乗り込んでいる。その荷台の傍らには、ハルバードを携えた少女が背筋を伸ばして立っていた。
「アンネ。ドルフ村までの護衛、頼んだぞ」
「はっ、アルド様。‥‥‥あ、あの、ココミ様をどうかよろしくお願いします」
アルドは思わず、ほうと胸中で驚嘆する。
護衛を任された者が、主命を出した側に注文をつける。教会において明らかに不敬とされる物言いだ。だが、アルドはあえてにやりと笑った。アンネはというと緊張で赤くなった顔をしながらも、ぐっと口元を引き締めている。
そうか。仲良くなったんだな。
ドワッフ王国までの長い道中で、この生真面目な少女とココミさんが親しくなっていたのだと、いまさらのように知った。
「ああ、分かった。アンネも道中は気を付けるようにな」
「はっ!」
馬車の車輪が小石を跳ねていく後ろ姿を見送ってから、アルドは自らの遊撃部隊のほうに戻る。
そこには、当然のような顔をした鍛冶師が立っていた。第八工区の主任技師長ゲルドである。
「‥‥‥ゲルド。あんた、やはり来る気か?」
「自分の鉱区で掘った石が、どこへ行って、何になったのか。‥‥‥そいつを見ずに帰ったんじゃ、鍛冶師の名折れってやつだぜ」
もっとも彼を外す気はアルドにもうない。
西部研究所は、第八工区で採掘されるジタント鉱石を求めていた場所――最近では鉄鉱石の発注ばかりが多かったらしいが。その疑惑の施設に入るというなら、ゲルドの知識は必要になる。
「ああ、そうだな」
人選を終えて、ようやく支度がひと段落した。
と、
それを見計らったように、アルドに近づく者たちがいた。
人目を避けるようにして、なんとヴィッセン王がアルドの前に現れたのだ。もちろん単身ではない。宰相のシュルト、そして第八連隊長のグラン、それから数人の護衛兵が彼らの周囲を固めている。
「アルド様。折り入ってのお話があります」
「ヴィッセン王、なぜここに? 中央平原での戦の支度をされていたのではなかったか」
「‥‥‥私も、西部研究所に行きたいのですっ」
ヴィッセン王の言葉に、アルドは思わず二度見してしまった。
聞き間違いではないかと宰相シュルトを見やる。驚いてはいない。ということは、王はすでに幹部たちには通達済みということか。王の背後では宰相シュルトが考えを改めさせたいのだろう「王よ、なにもそこまでなさる必要は‥‥‥」と小声を漏らしている。
王は耳を貸さずに、ただまっすぐにアルドだけを見ていた。
アルドはふむ、と眉間にしわを寄せた。宰相が止めようとしているのだから、アルドもそのようにした方が良いのか、顔見知りのグランに目を向けた。視線に気づいた屈強な連隊長は、困ったように肩をすくめた。どうやら彼はこの事情の仔細は知らされていないらしい。
それでも、グランは王の願いを後押しした。
「‥‥‥アルド殿。国王の願いを、聞き入れてはくれまいか」
立場上、グランが王の言葉を否定できるはずもない。
ふむ、と再びアルドは唸る。グランは、ドワッフ王国に入ったときに補給基地において共に亜獣と戦った仲間だ。その男にそんな顔で頼まれてしまえば、無下にはできない。
どう応えようかと改めてヴィッセン王一同を眺めて「ああ、そうか」とアルドは気づいた。まったく国王ってのは、政治に長けてるな。俺が断りにくい相手を連れてきて、わざわざ断りにくい場所に立たせている。
アルドがなおも黙っていると、王は静かに続けた。
「中央平原の指揮はグランに執らせます。彼は攻撃陣を得意とする者。湧き出る亜獣を蹴散らすには、ちょうど良い役でしょう」
王がシュルトへ目線で合図を送る。宰相は「はっ」と短く応え、一通の書状をグランへ手渡した。
それは軍の全権委任状だった。
受け取ったグランの手が一瞬止まる。驚きと戸惑いを慎重に押し殺した顔で、連隊長はそれを胸に収めた。
グランに軍の全権を委ねるってのは、当然にグランの指揮が優れていることもあるが、俺の歓心を買うってのもあるだろうな。なにせ俺の目の前で委任状を与えるなんて、政治に疎い俺でさえ分かる。
そこまでして、王は西部研究所に行きたいのか。
(正直、気が重い)
一国の王を、疑惑の場所に連れていくのだ。いくら俺が聖霊の使徒だからと言っても、自分の一存で許可を出すなんて出来やしないだろ? 身の安全など保障できるはずもない。はっきり言って足手まといだ。それに、王が抜けた穴は誰が埋める? 中央平原で亜獣を止めるために王都から出張ってきたはずだ。王が抜けた軍では、そもそも士気が下がる――。
アルドはヴィッセン王に、
「‥‥‥その話は、少し待ってくれ」
王が、微かに息を呑むのが肌で感じられた。彼が何かを発する前に、アルドの思考は別の方向を向いていた。王の申し出を断る断らないの前に、遊撃部隊にとって重要な問題を詰めておかなければならないことがあったのだ。
それは――西部研究所の「入り方」が決まっていないのだ。
「イエル」
アルドは若い下士官――西部研究所の誘い主を呼んだ。
「西部研究所に入る道は、いくつだ」
「はっ。研究所正面に向かう道。それから貨物運搬通路。加えて、隠し通路がございます。隠し通路は、非常事態に備えて作られたものと聞いております」
簡潔で、無駄がない。アルドは他の隊員たちの様子もちらりと見やったが、誰も口を挟まなかった。付け足す情報を持つ者はいないということだな。
「ココミさん。空から偵察できるような生活魔法はあるかな?」
「いえ、ないです。触れて中身の状態を見るものならありますけど‥‥‥ほら、物を修理するときって、内部の状態が分からないとダメじゃないですか」
「はは。なるほどな」
だとすると、空から偵察・侵入ってのは無理か。やはり道は限られてくる。
「イエル。隠し通路はもう使えないと考えるが、どうだ」
「はっ。‥‥‥その通りかと」
即答だった。
先遣の密偵は、一人も帰ってきていない。ならば隠し通路は割れている。潰され、見張られていると考えるのが道理だ。正面は論外、警戒されて当然である。壁に穴を開けるという手もあるにはあるが、時間がかかる上に音が出る。却下だ。
残るは、貨物運搬通路。
貨物を通す道なら、荷崩れに耐えるだけの通路になっているはずだ。天井も高い。最悪、戦闘になっても身動きは取れる。何より、荷が積まれていれば身を隠しやすい――が、そこまで考えて、アルドは眉を寄せた。
それだけなら、密偵たちだって考えたはずだ。紛れ込むだけなら、いずれ見つかる。荷の陰に潜む鼠は荷を下ろせば丸裸だ。
(‥‥‥駄目だな。三つとも塞がってる)
アルドが持ち得るすべての知識――千年前の記憶を引っ張り出す。閉まった店にどうやって入るか。裏口は施錠されている。正面はシャッターが下りている。窓は割れば音が出る。
だが、あの頃だって、朝までに必ず開く扉が一つだけあった。
――納品だ。
どんな夜だろうと、便は来る。そして店は、それを受け取らないわけにはいかない。受け取らなければ、明日の棚が空になってしまう。
アルドは顔を上げた。
「イエル。あの施設はいまも塗料を作ってるんだよな」
「はっ。‥‥‥帝国への納品義務がございます。止めるわけには参りません」
「なら、材料が要るな。何が要る?」
イエルが答えに詰まった。専門外なのだろう。
代わりに答えたのは、ゲルドだった。
「ジタント鉱石だ。うちの工区から送っとる。‥‥‥だが、それだけじゃ塗料にはならん」
「塗料には何が必要なんだ?」
「‥‥‥それは、儂らには教えてもらえん」
鍛冶師の声が、そこで濁った。
アルドは、その濁りの意味を考え、そして――王を見た。
ヴィッセン王も、じっとこちらを見返していた。まるで、そう問われるのを待っていたかのように。
「‥‥‥ヴィッセン。あんた、知ってるな」
王は答えず、懐から革袋を取り出した。口をわずかに開いて、中を見せる。
煌めいているものが見えた。宝石? 深い青とも緑ともつかぬ色と幾何学的な模様が、その内側で渦巻いている。
「ジタント鉱石から塗料を精製するには、この宝石が必要なのです」
王はそそくさと宝石の入った革袋の口を縛り、懐に戻した。ちらりと見えた限りでは中に十数個は入っていたようだった。まあ、宝石は高価だからな、あまり人目に晒したくないのも当然といえば、そうだろう。
「ちゃんと‥‥‥見れませんでした」
「まあ、そう言うな」
横から身を乗り出していたココミさんが頬を膨らませている。それを軽くいなしてから、アルドはようやく思い至った。
そうか、今の宝石は王自身が王家の秘術で作ったものってことか! 確かに技術流出を防ぐために、ココミさんの鑑定眼で覗かせるわけにはいかないってのも分からんでもない。
『マスター。あの宝石ですが』
ルルナの声が、頭の中に落ちてきた。だが、続きは来ない。
『‥‥‥いえ。なんでもありません』
アルドは片眉を上げたが、聞き返さなかった。彼女がこういう言い方をするときは、たいてい、聞いても答えないのだ。
――それより、だ。
アルドのなかで、像が結ぶ。
あの施設は、塗料を作り続けなければならない。帝国が納品を待っているからだ。止まれば、あの連中の首も飛ぶ。そしてその塗料は、王家の宝石がなければ作れない。
つまり――潜り込むんじゃない。向こうから、門を開けて迎え入れてもらうって寸法か。
検問を通るのではない。検問の側が頭を下げて通す荷。つまり『王家の宝石搬入隊』となってしまえば、あの施設は絶対に拒めない、唯一の荷物となることが出来る。
「‥‥‥イエル。宝石を運ぶ隊は、いつ出る」
「調べます。‥‥‥ですが、街道で待ち合わせる形になるかと。搬入の日取りは向こうが決めておりますので」
よし。施設に入る糸口は掴んだ。
アルドは、ふうと息を吐く仕草をしながら、ヴィッセン王を盗み見る。この痩せた王は足手まといなどではなかったのだ。もし彼がいなければ、宝石が手に入らない。いや、それどころか、宝石が本物かどうかを保証できる者すらいなくなる。逆に言えば、彼さえいれば、扉は必ず開く。
なるほど。彼自身が、鍵だったのだ。
――と、そこまで考えて。
(‥‥‥おい、待て)
アルドの足が、ちょうど宰相とグランの前で止まった。
(俺はいま、なんて考えた?)
足手まといか、鍵か。使えるか、使えないか。
この痩せこけた男を、俺はいま、そういう物差しで測ったのだ。連れていく理由が見つかったから、連れていくことにした。それだけの話なのだが、
(‥‥‥それ、どこかで見た景色だぞ )
千年前だ。俺を使用価値で測っていた連中と同じだ。人ひとりを、会社の歯車として使えるのかと、利用価値があるのかと冷ややかに値踏みする目。あの目で見られて、俺は擦り切れて、そして――要らないと判断された。
(俺は、あれが嫌いなんじゃなかったのか。それを俺がやっちまっているのか?)
目の前の男は、王だ。国を背負っている。その男の覚悟を、俺は「宝石が作れるから」という理由で荷物として最適だと結論付けた。それは――。
アルドは口を開きかけた。
断ろうと思ったわけではない。だが、何か言わなければならない気がしたのだ。この男に、あんたは荷物なんかじゃないと、そう言うべき、だ。
だが、王のほうが早かった。
「アルド様。私は、宝石を運ぶために行くのではありません」
ヴィッセン王は、まっすぐにアルドに向かって話す。もともとこけていた頬がいっそう深くくぼんで見えた。十分な休みも取っていないのだろう。それでも、その目だけは、静かに底光りしている。
(‥‥‥訳ありだな)
そうなのだろうと察してはいた。だが、その目つきを見てアルドは自身の考えを改め始める。訳あり、などという言葉で到底括れる目ではなかった。覚悟を決めた人間の目に他ならなかった。それも――決めるまでに、相当に悩みに悩んだ末の‥‥‥。
やがて王は、自身の覚悟を言葉にした。
「私がこの目で見なければ‥‥‥私はきっと、これからも宝石を作り続けてしまいます」
アルドには、その言葉の意味が半分も分からなかった。
宝石? それを作り続ける。それがなぜ、命を懸けて敵地に踏み込む理由になるのだろうか。
ただ隣に立つ宰相シュルトが、ほんの一瞬だけ、複雑な表情を浮かべた。そしてアルドの視線に気づくと、宰相はその顔を隠すようにそっと伏せた。
――それで、十分だった。
この男は、使われに来たのではない。
読んで下さいまして、ありがとうございます。
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