西方の檻③
7/23~7/25 にかけて全編(ep.1~ep84)の、誤字脱字&本筋を分かり易く加筆修正、します。
◇
タンスイたちが都市マジルの地下で黒嘆石の脅威を目の当たりにしていた頃、領主の館では、ユキナたちの諜報活動が進んでいた。
諜報活動――いや、これは尋問と呼ぶべきだろうか。
あの騒ぎから二日と半。
火急の件だと喚き立てる兵士たちに連れ去られた新領主グドンは、いま、館の書斎のソファでぐったりと昏睡している。追ってきたユキナとブリッツが、改めて眠らせたのだ。あれほど厳重に見えた領主護衛の警備は、驚くほど容易に抜けた。
「それで、何か分かりまして?」
ユキナが投げかけた言葉の先には、作業を続けるブリッツがいた。手を止めることなく、彼は答える。
「そうですなあ。よほど念入りに術式が組まれておりますな。精神に作用する補助術式も、上手く作動しております。なかなかの術者ですぞ」
そう言いながら、ブリッツはグドンの片目を抉った。
泡を吹く男の眼窩から、ぬるりと眼球が押し出される。その下部に、聖霊魔法の術式が青白く輝いていた。
「ですので、グドンから直接に情報を抜き出すのは難しいと言えますな。壊して良いのならば、可能ですが‥‥‥如何なさいますか?」
飛び出した眼球を無造作に押し戻しながら、ブリッツは妖しく問うた。
「まだアームシュバルツ公爵と事を構えるのは、時期尚早だわ」
「まあ、そうでしょうな」
ユキナは手元の書類に目を落とす。字面を流し読む体で、胸中にため息を落とした。
(アームシュバルツ公爵‥‥‥一体、何を考えているのか)
私たちが新領主に接触していることは、情報として届いているはずだ。ユキナは表から、新領主の夜の相手として。ブリッツは裏から。それだけ露骨に手を伸ばしていながら、どこにも監視の目の気配がない。
(相当の手練れが隠密でいるのか。それとも、グドンは切り捨てられている? ‥‥‥いえ、それはないわ。これほど念入りに術式を組み込んでいる以上、何かに使おうとしているはず)
あえて、ブリッツに聞こえるように呟く。
「アームシュバルツ公爵の手の者は、私たちがここにいることに感づいてはいないのかしら?」
「それはありませんな」
即答だった。しかしブリッツは、そのまま数秒、ユキナの言葉の裏を探るように黙る。
「ユキナ様。何か、見落としでも?」
「‥‥‥そうですわね」
答えにならない答えを返して、ユキナは窓際へ歩いた。窓枠に手を置く。
何度目だろうか。書斎の調査は、すでに三巡している。公爵に繋がる手掛かりは何ひとつ出てこない。ならばと切り口を変え、いまは都市魔法に絞って洗い直している最中だった。
窓の外では、都市の空を渦巻く暗雲が覆っていた。日を追うごとに、はっきりと。
最優先は都市魔法だ。これが何を引き起こそうとしているのか。碌なものではないことだけは確かだった。
――もっとも、とユキナは自分に断りを入れる。
都市を救うことに、打算がないと言えば嘘になる。社会的地位。それも自分のではない、アルドのだ。この世界には他のプレイヤーがいるかもしれない。ココミをはじめ、自分たちが軽々しく表に出るのは憚られる。ならば、盤石な足場が要る。
そこまで考えて、また書類に目を戻す。
目ぼしいものはない。強いて挙げるなら、いま手にしている分厚い製本だけだ。都市計画書とでも呼ぶべきもの。建物の配置図と、区画ごとに住まう住人の一覧。
そこに、符丁が振られていた。
建物と住人のそれぞれに、番号と、意味の読めない記号。はた目には戸籍の原型のようにも見える。整然として、几帳面で、無機質な羅列。
ちらりとブリッツを見やった。
彼はまだ領主を診ている。半ば抉り出した眼球に顔を寄せ、その下部に刻まれた制御式を検分していた。
「それは?」
「これは補助魔法ですな。精神操作を行う上での補助を体に刻むのです。そうすることで精神と記憶の操作を確実なものとさせる――」
補助か。
グドンからの聴取はすでに諦めている。精神が半ば崩壊していた。自白剤も試した。おそらくこの男は都市魔法の深い部分について何ひとつ知らされていない。やはり元領主のドンヘルがいれば――だが、あの男は行方が知れない。
ユキナは窓を見上げた。暗雲が、さらに濃く都市を包んでいる。
「――補助?」
思わず、片手で口を覆った。声が出そうになったのだ。
まさか。
ユキナはすぐさま忍び鳥を呼び出し、窓から都市の空へ放った。
都市と住人が、都市魔法の補助として組み込まれているのではないか。閃いたその直感が、警鐘となって頭蓋の内側を打っていた。
忍び鳥がマジル上空で滞空する。カロリックの流れを、その目が捉える。届いた仔細に、ユキナはごくりと喉を鳴らした。
――都市魔法とは、ひとつで機能するものではなかった。
これまでユキナは、それを巨大な聖霊魔法の制御式だと思い込んでいた。地下のどこかに本体があり、それを潰せば止まるものだと。
そうではなかった。
マジル都市の建物が、区画が、そして数百人という住民が、ある一定のリズムを刻んでいる。それは上空に渦巻く暗雲の脈動と、寸分たがわず同期していた。
そして――、
ユキナは、ゆっくりと振り返る。
ソファで泡を吹く新領主グドン。彼もまた、同じリズムで一際大きくカロリックを鼓動させていた。
(――この男をここで殺せば、都市魔法は止まる?)
止まらない、止まるはずがない。
答えは、考えるより先に出ていた。この都市には、すでに数百の補助が稼働している。建物が、住人が、彼らを一人残らず殺して回るのでなければ意味はない。グドンひとりを排除したところで、何ひとつ変わらないのだ。
それに彼を殺せば、公爵と正面から事を構えることになる。まだその時期ではない。
「どうかされましたか?」
ユキナの表情に何を見て取ったのか、ブリッツが声を掛けてきた。
「‥‥‥今さらながらに、アームシュバルツ公爵の恐ろしさが分かったところよ」
「ふむ。何か、気づかれたことが?」
新領主グドン、それから行方知れずの元領主ドンヘル。あの二人が公爵の駒なのだと、ユキナは思っていた。
しかし、違った。
「アームシュバルツ公爵にとっては、このマジル都市そのものが駒でしかなかったのですわね。‥‥‥これほど多くの人間を抱えた都市が」
「ええ、そうでしょうな」
ブリッツは、あっさりと頷いた。
「人がいなくなったところで、そのうち増える。経済が停滞しても、いずれは元に戻る。痛くも痒くもありますまい!」
そうね、と胸の内で同意したことを口には出さなかった。
次善の策を探さねばならない。何かできることがあるはずだ。そう思って手を伸ばすほど、掴めるものが何もないという事実だけが、はっきりと形をとっていく。
アームシュバルツ公爵が糸を引いている。それは間違いない。確信がある。
だが――物的証拠が、何ひとつない。
密約は口約束で交わされ、駒は使い捨てられ、いまや都市ごと燃やされようとしている。その灰の中から、公爵の指紋を拾い上げる術がないのだ。
背後関係を暴くこと。それが、この街に、この領主の館に来たユキナの仕事だった。
思わず、ため息が漏れる。
ユキナという女は己を武器として磨き上げてきた。差し出せるものは差し出し、使えるものは何であれ使ってきた。そうやって、掴めないものなど何もないと信じてきた。
その手が、今は空っぽだ。
窓の外で、暗雲がゆっくりと渦を巻いている。
――そういえば。
しばらく前から、タンスイとの連絡が取れていない。
◇
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