天幻の影――『忌の大影いまわのおおかげ』
平日(土日祝は休み)に投稿していきます。
6月は不定期投稿となります。
アルドの問いに、トレドは先ほどの恐怖をまざまざと思い出したかのように顔を青ざめさせ、震える声で語り始めた。ブリッツ監査官も、苦々しい表情でその話に耳を傾けている。
トレドとブリッツ監査官が出会い、それぞれドルフ村へ向かうための準備を進めていた矢先のことだったという。街中に突如として響き渡った、けたたましい鐘の音と、「敵襲!」という兵士の絶叫。血相を変えた早馬が駆け込み、街の門が閉ざされ、パニックが瞬く間に広がっていった。
「わしらは長年の商人の勘、とでも申しましょうか。とにかく、一刻も早く街から離れねばならぬと思いまして。そして、幸いにもブリッツ様も同じお考えで、教会に助けを求めてきた信徒の方々と一緒になって‥‥‥」
「ですが、街の外に出た我々が見たものは‥‥‥御使徒様、まさに地獄絵図が広がってございました」
トレドの言葉を引き継いだブリッツが、苦々しげに続けた。
「大地を黒く埋め尽くす、夥しい数の亜獣、ゴブリン、コボルド、そして見たこともないような異形の獣たち。彼らは統率された動きで、マジル市街へとなだれ込んでいきました」
「それで、国境都市マジルは、結局どうなったのだ?」
アルドが核心を突くと、トレドは再び震えながら答えた。
「は‥‥‥おそらくは、半壊‥‥‥いえ、もしかしたら全滅したのかもしれません。我々も必死で逃げてきたゆえ、詳細は、ただ、あの亜獣の軍勢を前に、街が持ちこたえられたとは到底‥‥‥」
(全滅だと? だが、マジルは人口10万を抱える大都市だと聞いたぞ? 単なる亜獣の襲撃でそこまでのものとなるのか?)
アルドの脳裏に次々と疑問が浮かび、最悪のシナリオが現実味を帯びてくる。その時、ブリッツ監査官が意を決したように進み出た。
「恐れながら、御使徒様。これは私の推測に過ぎませんが‥‥‥今回の事変、あるいは隣国ドワッフ王国にて『忌の大影』が生じた影響ではないかと、愚考いたします」
「――忌の、大影?」
聞き慣れぬ言葉に、アルドは眉をひそめて問い返した。
「はっ。聖霊教会に伝わる忌み言葉にございます。天より落ちる大いなる影――器物が命を得て、人を喰らう災いの総称。伝承では、千年の昔にも世界を覆ったと」
脳裏に先のオーク戦が思い浮かぶ。あの一瞬だけ垣間見た、機械と生物が入り混じった姿。器物が、命を得る――。
(それは‥‥‥千年前の、あの『天幻』のことじゃないのか)
「なぜ、それが起きたと判断できる? 理由はなんだ?」
「はっ。私が掴んだ情報と教会が今日まで積み重ねてきた資料から‥‥‥としか。ただこれは私の推論で‥‥‥申し訳ありません」
(だとすれば、事態は俺の想像をはるかに超えて深刻だ)
アルドが腕を組み、厳しい顔で黙り込むと、それまで静かに話を聞いていたユキナが、冷静な声でブリッツに尋ねた。
「監査官殿、お尋ねします。その時、都市を守るべき帝国兵士たちの姿は?」
「は。それが、主力部隊は『演習』の名目で遠方へ派遣されており、都市も、国境の砦さえも、ほとんどもぬけの殻の状態でございました」
「演習‥‥‥あけすけすぎますわね」
ユキナは何かを察したように、さらに鋭く尋ねる。
「では、その国境都市マジルは、現在、誰の統治下にある領域でございまして?」
「はっ。帝国五領会議筆頭、アームシュバルツ公爵の直轄領となってございます」
「アームシュバルツ、ですのね。その公爵について、もう少し詳しくお聞かせいただけますかしら?」
ユキナとブリッツの会話を聞きながら、アルドの背筋に冷たいものが走った。主力兵士団の不可解な不在。タイミングが良すぎる襲撃。そして「天幻」発生の可能性。さらに、その地を治めるアームシュバルツ公爵の影‥‥‥。
(なんだか、妙にきな臭くなってきた。戦いの裏には政治の思惑が‥‥‥いや、あって当然か)
その時、沈黙を破ってディルの声が響いた。
「御使徒様、問題は亜獣だけじゃありませんぜ! マジルとの交易路が落ちたとなれば、影響はもっと広がります。東の村じゃ塩の値段が三倍に跳ね上がり、西の農家は作物を街へ運べず腐らせるしかない。その混乱に乗じて公爵様の役人が『滞納した税のカタだ』と言って、農民から土地を奪い上げてるって話も、もう聞こえてきてやす!」
「こら、ディル! 御使徒様の前で、不確かな噂話を‥‥‥!」
「噂じゃありやせん、生きた情報です! だからこそ、俺たちカルグ商店の出番なんです! 俺たちにしか知らない裏道を使えば、必要な物資をこの村に届けることも、外の本当の情報を掴むこともできますぜ!」
ユキナはディルの言葉に、わずかに目を細めた。(生きた情報、ですって? あの鬼気迫る脱出の最中に、そこまで掴む余裕があったと? 現在のマジルの情報を掴んでいると? 若さゆえのはったりか、それともマジル襲撃の前に既に動いていたとすれば、襲撃のあることを知っていた‥‥‥)彼女は父親のトレドを観察する。(あの慌てぶりも、長年の経験からくる演技だとすれば、なかなかのものね。私から観察されていることに気づいているはずなのに、おどおどした態度を崩さず、決して目を合わせようとしない。‥‥‥ふむ、なかなかの胆力ですわ。ならば、独自の情報ルートというのは、ある程度信じても良いのかもしれない。若気の至りで口を滑らせた、というところかしら)
父トレドが慌てて息子を諌めるが、ディルは胸を張る。その言葉に、トレドは諦めたように、しかし静かに付け加えた。
「‥‥‥しかし、息子の言う通り、市民の窮乏に付け込んで利益を拡大するのは、為政者の常套手段でもございます」
為政者という言葉にブリッツも苦々しい表情をした。
「確かにマジルには主力部隊は遠征で不在でしたが、残っていた兵士はいました。その彼らは口をそろえて、給金の遅配で士気が下がっていると愚痴をこぼしていました。調べてみれば給金の遅配ではなく、為政者の懐に金が流れていたことを掴んでいます」
為政者――貴族どもの利権争い、ドルフ村の復興計画、国境都市の壊滅、そして『忌の大影』――天幻に違いない、という世界の根幹に関わる現象。絡み合う事象の中で、自分たちは一体どう動くべきなのか。アルドは眉間に深いしわを寄せ、重たい現実を前に人知れず唸った。
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