ネフィリアの野望
1.赤の洞窟
うだるような熱気の中を攻略組がふらふらと進んでいく。
ここ赤の洞窟はいわゆる不人気ダンジョンというレッテルを貼られている。
常設ダンジョンの一つではあるが、ヨロダンや骨ダンと違って立っているだけでDoTダメージが入る過酷な環境だ。
ゴツゴツした岩肌はカッカと赤く、地表に点在する間欠泉に迂闊にも近寄ろうものなら噴き出した高熱の蒸気で瞬く間に調理済みになってしまうだろう。
天然のサウナだ。
攻略組は人間らしい感情を捨てた戦闘マシーンのように思われがちだが、そんなのはごく一部のクソ廃人だけである。ゾンビのように両腕を垂らして歩きながらぶちぶちと不平不満を述べる。
「あっちぃ……」
「……なんなの、このマップ。バカなんじゃないの?」
「常設ダンジョンは……大半が使い物になんねえからな……」
「ここはまだマシなほうだぞ……。闇ダンはマジでヤバい。普通にショック死するからな……」
「こ、氷くれ。体温が上がりすぎてヤバい」
常設ダンジョンは魔石不足に喘ぐプレイヤーの為に用意されたボーナスステージであったが、俺たち種族人間は足場が悪いと地形効果で勝手に死ぬという弱点を抱えていた。溺死、落下死、焼死、窒息死、頭を角にぶつけて死ぬなど、挙げていったらキリがない。それでもプレイヤーがダンジョンに挑むのは魔石を採集するためだ。必然的に周回することになるので、自然と足場が平坦なダンジョンに需要が集中し、さらに足場は平坦でも立っているだけで死ぬようなダンジョンは出稼ぎ候補地から外されていくことになる。パタパタと死んでいく俺たちを見て、運営ディレクターのョ%レ氏は種族人間の環境適応力を探っていたのではないか。結果、言うほど適応力がないことが分かった。何しろ俺たちは家を建てて軒下で風雨を避けてぬくぬくと暮らす頭良すぎな霊長類様なので、各種属性の耐性が皆無なのである。暑すぎても、寒すぎてもダメなのだ。
赤の洞窟の攻略難度は星5つで評価するなら星2つだ。立って歩ける、生きてモンスターに会える、という点が高く評価されている。なお、モンスターが強すぎて勝てないのはどこに行っても同じなので評価項目には含まれない。
星2つのダンジョンは攻略可能なレベルだ。攻略組は文句を垂れながらも順調に進んでいく。このレベルのプレイヤーなら間欠泉には近寄るなだの痛覚カットされてるから体調管理しっかりだの蒸気が濃いところは避けろだのといった細々としたことはいちいち言わない。お決まりの儀式をこなすようにトラブルに対処していく。
口論で二名ほど死ぬという不測の事態はあったものの、やがて彼らは洞窟の深部に辿り着いた。先頭を行く男が無言で腰の剣に手をやり鯉口を切る。それが合図だった。各々が武器を手にし、岩陰に身を潜めるなどして配置につく。
「……居たぞ。上位個体だ」
「のんきに風呂なんぞに浸かりやがって」
「ぶくぶくに肥えたブタ野郎が。上等だよ」
彼らの目的は上位個体を狩ることだ。
ウオロクの発見を皮切りに攻略組が不人気ダンジョンの再調査を実施し、各地で上位個体が発見されたのだ。
再調査で発見された上位個体は六体。
それら全てが過去に討伐されたと思しきネームドモンスターだった。
ここ赤の洞窟は積極的に周回したいダンジョンではないが、地形効果にさえ気を付ければ戦えない環境ではない。まして攻略組は種族人間の精鋭部隊だ。リアルを棄ててゲームに人生を賭けている。迅速に戦闘準備を整えていく。
「リジェネ、カウント。15、14、13…」
「ケー。POT3、4」
「2、5」
「0、7」
「重ナシ。速専」
「ケー。10、14」
「神。ケー」
攻略組であろうと何だろうとプレイヤーは職業軍人ではないから複雑なことはできない。【心身燃焼】の重ね掛けは意味がない。よって開戦直後に一度集まる。手持ちのPOT類の確認と大まかな戦闘方針。【四ツ落下】の生贄は基本的に使わない。人間爆弾も基本ナシ。POT類をしこたま持ち込んだヤツが居る。そいつは神。
【心身燃焼】のカウントが進むたびに攻略組の戦意は内圧を掛けるように研ぎ澄まされていく。
ゲームだけが人生だ。ゲームだけが彼らの存在を肯定してくれるものだった。将来のことなんて誰にも分からない。が、暗澹たる未来が待ち受けていることは朧げに察している。その不安を紛らわせるためにゲームに没頭する日々だ。
そんな時だった。暫定エイリアンが夢物語でしかなかったVRMMOを持ち込んだのは。
とうにリアルへの未練を断ち切ったハズの彼らは「期待」をしてしまう。このゲームの先に何があるのか。彼らはギルドについて楽観的な姿勢を崩さない。もしもギルドがネット上の脅威であるというなら、彼らの人生は何かしらの意味を持つかもしれない。彼らは心の奥底でギルドに感謝をしているのだ。生まれてくれてありがとうと祝福している。
カウント0。
岩陰から飛び出した攻略組の肉体が放電し機械化した。母体の力を引きずり出し、黒い金属片が半身を疎らに埋める。
少し離れたところで岩陰に身を潜めていた俺はベロリと舌舐めずりをした。
い〜い的だァ〜。
ファイエル!
俺は銀河英雄伝説よろしく【歩兵】たちに掃射を命じた。
鉛玉に頭をブチ抜かれた攻略組がバタバタと倒れて折り重なっていく。
「マーママママママママママ!」
俺は笑った。愉快で仕方なかった。
攻略組といえど、しょせんは人間だ。統制されたギルドの銃撃の前では紙クズ同然よ。あまりに呆気ない幕切れに物足りないとすら感じている。少し待ってやったほうが良かったかもなァ。まぁリジェネが入ったところで足を撃ち抜いてしまえば同じことなのだが。
完全勝利だ。
ガシャガシャと八脚を鳴らして喜びを表現する【歩兵】たちを俺は労ってやりながら、愛しの我が子の前に進み出た。
ミシェル。安心しろ。お前は俺が守る。お前の敵は全部殺してやるさ。
さあ、久しぶりにママにお前の顔をよぉく見せておくれ。
ぐつぐつと煮えたぎる温泉に浸かっているミシェルが、ざばあっと熱湯を掻き分けて立ち上がる。
このゲームのオークは簡単に言うと直立歩行するデカいブタだ。鼻が利き、種族人間などよりも衛生観念が高いため、温泉をこよなく好む。
そんな彼らにとってプレイヤーは低い衛生観念しか持たない未開の住人であり、綺麗好きのブタさんは俺たちの身を清めることに強い執念を燃やしてくる。
ミシェルが俺の身体をひづめでガッと掴んだ。
おお、ミシェルよ……。
ミシェルは俺の三番目の子ということになる。ウオロクは六番目、ウサ吉は十一番目だ。ネフィリアの策謀により儚く散った我が子との再会に俺の胸は震えた。
もしや、俺のことを覚えて……?
覚えていなかったようだ。
ミシェルは俺を持ち上げると高々と掲げ、俺の身体を引き千切った。ふわっと幽体離脱した俺には目もくれず、プリモツした俺の上半身と下半身を熱湯に沈めてゴシゴシと擦り合わせる。綺麗に消毒された俺の亡骸をミシェルは満足げに眺める。そうして、ぱくりと食った。おそまつっ!
2.クランハウス-居間
ネフィリアめぇ!
日本サーバーの魔女、ネフィリアがついに世界征服に乗り出したと巷で話題になっている。
魔石に目が眩んだ攻略組は討伐隊を結成して上位個体に挑んだが、ギルドの狙撃により全滅。これを受けて攻略組はネフィリアの采配によるものと断定した。実のところネカマ八曜に言ってギルドを投入したのは俺なのだが、ゲームだけが生き甲斐の廃人どもは俺みたいな雑魚キャラに負けたと認めることはできない。β組のネフィリアにやられたと吹聴して体裁を保ったのであろう。
とはいえ物は考えようである。
ネフィリアは、俺に上位個体を保護するためにネカマ八曜と交渉するよう命じた。上位個体は上位個体だ。ウオロクだけとは誰も言ってない。言ったかもしれないが、誰にでも記憶違いというものはある。そうでなくともレイド級候補という趣旨には反していないのでまったく問題ない。つまり俺はネフィリアの操り人形に過ぎなかった……? ゆゆ、ゆ! 許せんよなァー! 俺は激しく義憤を燃やした。
さて、ネフィリアのバイオテロはモンスター娘を探す旅だったと言ってもいい。
ネフィリアの、とは言ったが、実行犯は俺とアンパンくんであり、ネフィリアは自分の手を汚すことなく高みの見物といったところだ。なんならネフィリア自身の口から「やれ」と言われたことは一度もなかったかもしれない。あるいは主犯は俺だった……見方によってはそうなるだろう。
しかしそんな俺にも言い分はある。
ネフィリアの下に居た頃、俺は来る日も来る日も骨ダンに放り込まれ「目で覚えろ」だの「想像を見ろ」だのとヘタクソな説明をされてストレスがマッハな日々を送っていた。それでも俺が家出しなかったのは、ネフィリアがちょこちょこ色仕掛けをしてきたからだ。俺の肩に手を置いたり、背中を叩いたり、露出多めの服を着たり、髪型を変えたりと、手を替え品を替え季節に応じて俺にある種の「期待」を植え付けたのである。
しかし当のネフィリアにその気はなかったらしく、進展しない仲に業を煮やした俺はモンスター娘を探し求めて旅をすることにした。アンパンくんを連れて行ったのは毒をバラ撒いて邪魔なゴミを一掃するためである。
モンスター娘の目撃証言には事欠かなかった。当時の俺はまだ掲示板の闇に触れていなかったので、ゴミどもの証言を信じて片っ端から常設ダンジョンに潜る日々だ。しかしスクショを上げろと言っても上げないし、信憑性を疑われたゴミは「ダンジョンにレイド級は居ない。何故だと思う?」だのともっともらしいことをレスして追求の手を躱すのであった。正直、俺は半信半疑だった。何しろモンスター娘はちっとも見つからないし、まだ見つかってないの?だのとマウントを取ってくるゴミにイラついた俺は、いつしかモンスター娘の目撃証言をレスする側になっていたからだ。群衆心理の真相を見た思いがした。
だが俺は諦めなかった。
キレーなチャンネーをがっちりガードする特別な所有権はモンスターには適用されないという情報は、悪質なデマが氾濫するスレにおいて、たった一つの真実のように思えたから。
ナニをしようとしてたって?
ばか、言わせんなよ。
「バカはお前だー!」
俺はネフィリアにブン殴られて地べたに転がった。
ウチの丸太小屋に乗り込んできたお師匠様に事情聴取されている。
ネフィリアは「くそっ」と悪態を吐いて苛立たしげにソファに尻を落とした。俺もソファになりたい。
「魔石を回収するべきだったのか……! 魔石。Egg。予想して然るべきだった。しかし上位個体だけが何故……。いや、そんなことはどうでもいい。市場に流れた高位魔石は今ドコにある……?」
ネフィリアはぶつぶつと独り言を漏らしながら足を組み替えた。スカートの端からふくらはぎがチラつく。
俺は視界の端でネフィリアのふくらはぎをじっくりと鑑賞しながらやんわりと手のひらを上に向けた。
まぁそう気にするなよ。過ぎた話だ。魔石を回収できなかったのは仕方ない。お前は現場に居なかったし、あの頃はまだギルドを従えてなかった。何から何まで思い通りには行かねえさ。
事実である。
当時のネフィリアが上位個体を討伐するためにはプレイヤーを動かすしかなかった。
五感の開発すら知られていなかった頃の話だ。ヘイトコントロールの技術と強化された目を要する巣作りはまさに奥の手……秘中の秘だった。レイド級が眷属を平気で使い潰すため上位個体は自然発生することはなく、ただしフィールドにランダムに出没する強個体はネトゲーにおいてありふれたシステムだった。
つまりネフィリアは公式イベントを装ってプレイヤーを動かし、上位個体を狩らせたのである。
その結果、プレイヤー同士で高位魔石をめぐる醜い争いが勃発し池ポチャならぬ熱湯ポチャしたのは避けようのないことだった。豚ダン以外の不人気ダンジョンも大体そんな感じだ。特に闇ダンはひどい。攻略させる気がないとしか思えない。
お気楽な俺をネフィリアがギロリと睨み付けてくる。
「……常設ダンジョンは封鎖する。ギルドを常時配置し、プレイヤーを力尽くで排除する。……これはチャンスだ。ギルドを育てる、またとない機会になるだろう」
うん、いいんじゃないの。近頃の歩兵ちゃんたちの怠けぶりは目に余るぜ。
「モンスターとギルドは反発し合う性質を持っている。反発作用とはな……コタタマ。反発する力が生じているということだ。相性が悪いということではない。むしろ逆だ。相容れないものを組み合わせた時、そこには莫大なエネルギーが生じる」
ふーん。
「モンスターはギルドを排除しようとするだろう。ギルドはモンスターに狩られながらも学んでいく。急速に成長していくかもしれない……。それが良いことなのかどうか判断が付かない。できれば避けたかった手段だ」
そう言ってネフィリアは笑った。この先、どう転ぶか分からないからこそ笑うことができる女だった。
「ウッディ。この事態、お前はどう見る?」
俺の頬がギャンッと裂けて舌がにゅるんと伸びる。お喋りウッディだ。
「怖いなら放っておけばいい。シンイチには悪いが、私は上位個体に対してそれほど愛着はない」
そう言うなよ、ウッディ。俺はモンスター娘を見つけることはできなかったが……他にもっと大切なものを手に入れたんだ。あいつらを守ってやりたい。今度こそ。
「……常設ダンジョンが封鎖されれば、プレイヤーたちの不満はお前に向かう。おそらくは、そうなる。ネフィリア。他の手段を探るべきだ」
じゃあ中間を取るか。
「中間とは?」
常設ダンジョンが封鎖されて一番困るのは生産職だろ。
戦闘職の連中にとってギルドと戦うのは悪くない。マナポの原材料になるからだ。
だったら、こうしよう。
生産職に歩兵ちゃんをレンタルして、マナポ産業への忌避感を植え付ける。
生産職には可愛いタイプの女キャラが多い。戦闘職の幾ばくかは動きが鈍るハズだ。多分、魔石採集に出掛ける生産職の護衛を申し出るやつらが出てくる。
そうなれば歩兵ちゃんはモンスターから少し距離を置ける。
つまり……
ネフィリアが俺に代わって結論を述べた。
「ギルド移住計画か」
そういうことだな。まぁ問題点は多い。まず誰でも彼でも狙撃って訳にゃ行かなくなるから上位個体の守りが手薄になる。生産職を装う戦闘職も出てくるだろうし、マナポ産業が衰退するかもしれない。さすがに完全にブッ潰れることはないと思うが。あれはイイ金稼ぎになる。いずれにせよ、歩兵ちゃんたちの成長を抑制しつつ戦闘職の連中を牽制できる。全体的に確実性は薄いかな。
だが……ゴミどもはいつも俺の予想を上回る。あいつらを手玉に取ってきたつもりでも、最後の最後に俺を出し抜くのはいつもあいつらだ。
なるようにしかならねえってんなら今回は少しばかり欲張ってみてもいいんじゃねーか?
俺の提案に、ネフィリアは薄く微笑んだ。
「言うようになったじゃないか」
ギルド移住計画。
それは、審査を通った生産職にギルドの指揮権を一部譲渡することを意味していた。
ギルドは……歩兵ちゃんたちは……いつしか俺たちにとって身近な隣人と呼べる存在になっていたのだ。
さあ、新しい商売を始めようか。
これは、とあるVRMMOの物語
闇の勢力が動き出す……。標的は、生産職。
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