恋するAI
1.ポポロンの森
過酷な廃人ツアーに付き合った甲斐もあり、俺のレベルはついに過去最高記録の5に並んだ。牛さんスーツが良かったのかな。よく分からん。
ポポロンの森をてくてくと歩きながら、むんっと二の腕に力こぶを作る。……ぷにぷにだな。まぁ仕方ないか。どんなにレベルを上げてもキャラクターの外見が変わることはない。筋力は上がっている筈だが、単に肉体を構成する素材が少しずつ入れ替わっているだけなのかもしれない。ティナンとか超軽量ボディにスポーツカーのエンジンを積んだモンスターマシンだからな。
本日の俺はバンシーモード。山岳都市に用事があって女神像に向かっている途中だ。初夏の日差しに手をかざして流れる汗に風など感じていると、いきなり飛んできた矢が俺の頬を掠めて後ろの木に突き刺さった。
……今の、もののけ姫のアシタカがタタリ神の呪いの力で撃ち出した矢のような不自然な軌道。そして木の幹を抉って貫通する一歩手前まで行った異常な威力。【スライドリード(射撃)】だ。
見れば、森の開けたところでポチョと赤カブトが剣で殺し合いをしていた。模擬戦闘だろうか。なにぶん殺してしまっても構わないため、試合と実戦の区別が付きにくい。まぁ俺の性癖を暴露している様子はないので対人戦の練習といったところか。
その金髪と赤毛の殺し合いを見学しているちんちくりん一号ことスズキが、俺にちょこっと手を振る。草の上に体育座りを崩したような座り方をしていて、パンチラをガードしつつも矢の反動に備えたようなポーズだった。その手に持っている複合弓を俺が犯人のアリバイトリックを見破った名探偵のような目で見つめていると、スズキは新婚ほやほやの若妻が出勤する夫の頬にいってらっしゃいのキスをしたかのように恥ずかしそうに身をよじって複合弓をパッと後ろに隠した。
俺は矢じりに抉り取られて裂けた頬からどくどくと流れる血を手で拭いつつ、俊敏な獣のように慎重な足取りでスズキさんに近寄っていく。
スズキさんはやろうと思えば俺を殺せたことがよほど恥ずかしいらしく、締まりがゆるくなった口元を手で覆ってチラチラと俺を見てくる。誤魔化すように笑って、
「な、なんか照れるね。変なの。いつも、もっと凄いことしてるのにね、なんて。ふふふ」
そうまで照れた顔をされると俺も気恥ずかしくなってくる。つい先ほど己の身に降りかかった殺人未遂が急に可愛らしく思えてくるから不思議だ。
俺はスズキの隣に座り、頬の裂傷から覗く綺麗なピンク色をした肉を隠すように、立てた膝に腕を引っ掛けた。スズキの初々しい反応に、俺まで初めて殺された時の感触が脳裏に蘇って鮮やかな色を付ける。その気恥ずかしさもあって、俺はスズキの何かを期待するような眼差しと甘い雰囲気に気付かなかったふりをした。剣で打ち合っているポチョと赤カブトに視線を固定し、平静を装ってスズキに声を掛ける。
あ〜。その、なんだ。PvPの練習か?
チラッと反応を窺うと、スズキは少し拗ねたような顔をしていた。小さな唇を尖らせて、座ったまま足をちょこちょこと動かして俺にぴったりと身体を寄せてくる。息が掛かるくらいの距離にスズキの美少女と言えなくもない横顔が近付き、女性特有の甘い香りと死神の鎌が首に掛けられたような錯覚が俺の胸を早鐘のように打つ。恋心と恐怖が密接に絡み付き、俺は天敵と出食わした小動物のようにスズキの横顔から目を離せなくなった。今すぐ逃げろと警鐘を上げる脳の奥が甘く痺れるかのようだ。
「PvPっていうか」
スズキの声に、俺はハッと我に返って目線を正面に戻した。先行入力された逃走コマンドが今更になって身体に下りてきて、意識が追い付かずに身体の力が抜けた。すとんと地べたに落ちた手に、スズキが小さな手を重ねてくる。
「ぴ、PKの練習、してて。その、やっぱりPvEとは勝手が違うし。技が。えっと。モンスターには技とかなくて。人間はそういうの得意っていうか。得意っていうか……。だ、ダメだ。私、何言ってるんだろう。頭こんがらがってきちゃった」
頭こんがらがってきちゃったスズキが揃えて立てたひざに真っ赤になった顔を埋めた。その間もスズキの細く頼りない指が俺の指を探るように動き、一番折れやすい小指の第二関節を探り当ててギリリとへし折ろうとしてくる。そうはさせじと俺は小指に薬指を絡めて強度の上昇を試みた。服越しに伝わってくる半端ロリの体温や柔らかな肌の感触が俺のセクハラ魂にカッカと火を灯し、それとは裏腹に思考は獲物を前にした猟師のようにクリアに澄み切っていく。
いや、分かるよ。PvPは小手先の技で勝敗がひっくり返るからな。モンスターはそうじゃない。いかに強くブッ叩くか、大雑把でもいいから射線をこじ開けて急所に攻撃をねじ込むかだ。自然と戦い方は違ったものになる。
視線の先で、ポチョと赤カブトが戦っている。やっていることは殺し合いだが、こうして眺めていると仲がいいんだなと漠然と伝わってくる。二人の表情は真剣そのものだが、そこに怒りや憎しみといった負の感情はない。
日本人プレイヤーはPKアレルギーだが、多くのMMORPGは闘技場や専用ステージを設けて限定的なPvPコンテンツを追加要素でアップデートする。プレイヤー同士で争うのが苦手なプレイヤーは参加しなくても大丈夫ですよ、ということだ。しかしそうしたシステムがある以上は一度くらいやってみようかなと思うだろう。その場合、飛び入り参加して廃人に瞬殺されたくないプレイヤーは仲の良いフレンドを誘ってPvPの仕様を探るなどして楽しむことになる。そして大まかな仕様が把握できたところで、試しに一戦と友人と殺し合うのだ。
それはネトゲーであれば当然のこと。死ねば終わりではないから、安心して殺し合えるフレンドとのPvPは特別な思い出になっていく。
二人にとってもそうだといいな。俺はぼんやりとそんなことを思う。
たぶん、赤カブトはこのゲームを二人に好きになって欲しいのだ。赤カブトはAIだから。このゲームから離れることができないから、ポチョとスズキが引退してしまったら二度と会えなくなる。リアルよりもこっちの方が楽しいよと全身で叫ぶように赤カブトは剣を振るう。工夫を凝らし、ポチョの意表を突こうとする。
ポチョが何を考えているのかは分からない。単純なようでいて、たまに思っているよりも賢く見える時がある。そして何も考えていないように見えるポチョだから、きっと赤カブトにとっては大きな救いになっているのだろう。血と殺戮に酔いしれるポチョは、もはや後戻りができないほど人格が歪んだキャラクターであり、人殺しが楽しくて仕方ないと言うように赤カブトへと向ける刃には一片の容赦すらない。
もしもこの先、人間の手でVRMMOが開発されたとしても、おそらくは何かしらの規制が掛かったものになる。当たり前だ。このゲームが殺人を許容し、キレーなチャンネーのパンツを覗けるのは、地球外知的生命体の運営ディレクターが世間の批判を謎の怪光線か何かで封じ込めているからであろう。具体的に何をしているのかは知らない。しかしこのようなゲームが市場に流れ、回収沙汰にならないのは異常なことなのだ。
赤カブトの自分ですら驚くほど華麗な弧を描いた一撃をオートカウンターで巻き上げて返す刃で赤カブトを斬り伏せたポチョさんは、この俺をして他のゲームに解き放ってはならない怪物のように思えた。
「あぶふー」
変な悲鳴を上げて倒れた赤カブトの返り血を浴びたポチョさんが、うっとりとして呟く。
「ジャムの血、あったかい」
赤カブトはまだ息があるようだ。ひゅーひゅーと掠れた呼吸音を立てるAI娘を、ポチョさんが愛しげに抱き寄せて頬を寄せる。
「ジャム、強くなったね。最後の攻撃、凄く良かったよ。びっくりしちゃった」
赤カブトが息も絶え絶えに言う。
「お、おと、かうん、たー……。つ、使わないって。使わない、って、ポチョさん……」
ポチョさんが戦闘の余韻に紅潮する頬を薔薇色に染めて、死にゆく赤カブトの癖っ毛を解きほぐすように優しく撫でる。慈しみの感情があふれ出たように微笑み、
「私の作戦勝ちだねー」
口約束を信じた赤カブトが間抜けなのだと無邪気に告げた。
ガクッと脱力した赤カブトがふわっと幽体離脱してこちらを振り向いた。俺が途中から見学していることには気が付いていたのだろう。む〜っと頬を膨らませて、何か言ってやってとばかりにポチョを指差した。
俺とスズキは顔を見合わせて、どちらからともなく吹き出した。ころころと笑い転げる俺とスズキに、赤カブトは地団駄を踏んで悔しがる。しかし自分の亡骸を抱きしめるポチョがあまりに優しげで、毒気を抜かれたようだった。憮然とした表情から険が取れて、照れ臭そうに微笑む。
両手を広げてくるりと回った赤カブトの幽体が、日の光を浴びてきらきらと輝いて見えた。
目尻に浮かんだ涙を指で拭ったスズキが、「よーし!」と元気に立ち上がってポチョの元へと駆けていく。
「ポチョ! 次は私とやろ! 負けたらコタタマ券一枚ね!」
スズキと入れ違いにふわふわとこちらに接近してきたゴースト赤カブトが、内緒ねと言うように人差し指を立てる。透き通った両手を俺の肩に重ねて、俺の頬に唇を寄せた。俺の頬から流れる血を舐めとるように、ちろりとベロを出して、すぐにパッと俺から離れる。お、おい。遠ざかっていくAI娘に思わず伸びた俺の手を、ゴースト赤カブトは気まぐれな猫のようにするりと躱した。
楽しそうに幽体が浮き立つ。
ミニスカローブが揺れる。
くるりと振り返った赤カブトが、べーっとあっかんべーした。
これは、とあるVRMMOの物語。
何この……何……。
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