絶望に負けないで
1.スピンドック平原
日本サーバーにスマイルと呼ばれるプレイヤーが居る。
キャラクターネームはサトウnキ。これは重複を避けるための処置であり、見分けさえ付けばいいという考えによるものだった。良くも悪くもゲームから一歩離れたプレイスタイルのプレイヤー……。それがスマイルだ。
そんな彼が、魔物に追われるプレイヤーを助けたのは、ほんの気紛れだった。少なくとも彼自身はそのように考えたが、らしくない行動をしている自分に戸惑いを覚えているようであった。あるいは一方的に捕食されるだけの弱者に自分の姿を重ねて見たのかもしれない。
彼の中で何かが変わり始めていた。
スマイルが助けたプレイヤーは、オンラインゲームでは珍しくもない見目麗しい女性で、西洋の血を思わせる金糸のような長い髪と深みのある青い瞳をしていた。
もっとも実際のところは分からない。多くのオンラインゲームがそうであるように、このゲームのキャラクターは外見を自由に変えることができる。性別も怪しいものであった。
しかしスマイルは特に追求しなかった。
ユーザーの個人情報を探るのはネットリテラシーに反した行いであり、マナーを破れば無為にプレイヤーの反感を買う。それどころか女性キャラクターを助けたというだけで下心あってのものと疑われるだろう。
普段のスマイルなら面倒事を嫌って、これ以上の関わり合いを避けただろう。だが、この時のスマイルは違った。
丁寧に頭を下げて礼を述べた女が、あまりに世間知らずに見えたからかもしれない。供も付けずに魔物がひしめく草原をのんびりと歩いていく女に、スマイルは苛立ちを隠そうともせずに声を掛けた。
「そっちは深部だ。死にたいのか? そうでないなら、悪いことは言わない。街に引き返せ。君には無理だ」
女は、困ったように、でも〜と間延びした声で返事を先延ばしにした。物事をはっきりとしようとしないその態度も、またスマイルの苛立ちを助長しているようだった。
とはいえ、スマイルも急ぐ旅ではない。とあるプレイヤーより、今のお前は使い物にならないと歯に衣着せぬ物言いで暇に出されたのだ。業務上のミスを押し付けてしまったという後ろめたさもあり、スマイルは言い返せなかった。
つまり暇を持て余しているというのが彼の現状だった。
他人の役に立とうなどと殊勝な心持ちとは無縁の男であったが、自分から声を掛けておいて話も聞かずに立ち去るのは憚られたのかもしれない。
女は、今日の天気や人が多くてびっくりしたことなどをのんびりとした声で語っている。つまり何だと言うのだ。詳細なようでいて、肝心な部分はあいまいな話だった。要領を得ない女の説明に、スマイルは驚異的な忍耐力を発揮して耳を傾けた。
整理すると、女は街でパーティーを組もうとしたがメンバーが見つからなかったらしい。
そうだろうな、とスマイルは小声で毒吐いた。たったそれだけのことを聞き出すのに、とんでもない遠回りを強いられている。このような女とパーティーを組んだなら一事が万事この調子で足を引っ張られることは想像に難くなかった。自分が同じ立場だったとしても賢明なプレイヤー諸君と同様の判断を下したろう。
と、すでに関わる気が失せているスマイルに、女が良いことを思い付いたとばかりに嬉しそうに手を打った。そして、こう言った。
一人ぼっち同士、一緒に行きましょう、と。
冗談ではない、とスマイルは思ったことだろう。しかし女はすっかりその気になっているようで、スマイルの返事を待たずに歩き出した。断りの声を上げようとするスマイルの機先を制するように……それは偶然だったのかもしれないが、女が振り返って微笑んだ。
「私はルリイエ。あなたは?」
ぽかんとしたスマイルが、ルリイエと名乗った女から目を逸らしてぶっきらぼうに言う。
「……スマイルだ。そう呼ばれている」
女が首を傾げた。何も考えていないように、変なの、と呟く。あなた、ちっとも笑ってないのに、と。
スマイルはいよいよ憮然として、押し黙った。同行することが既定路線のようになってしまったが、もはや文句を言う手間すら惜しんでいるようだった。いっそルリイエを置いて立ち去ればいいものを、期待を持たせてしまった自分にも非があると考える。目下のものに多くを求めない。それはスマイルという男の欠点であり、また美点でもあった。
ルリイエが両手を広げて草原を駆けていく。旅の道連れが出来たことがよほど嬉しいのだろう。
まぁ俺なんだが。
俺はスマイルくんに見えないよう先行するや白目を剥いて歯列をギラつかせた。
ルリイエ。バンシーモードのポチョベース。隠しナンバーだ。
俺は、絶対に正体がバレたくない時はスズキベースを使わない。
バレたら困るバレたら困ると口では言いながら事あるごとにスズキベースを引っ張り出してきたのはゴミどもに印象付けるためだ。
……そう、全てはこの時のため。
俺は今にも吹き出してしまいそうな口元を引き締めた。それでも含み笑いは漏れるから、ガラにもなく駆け出してスマイルくんを引き離しておいた甲斐があったというものだ。
くくくっ……。スマイルの旦那ァ。随分とお優しいこって。もしかして立ち直ったつもりなのかな? 甘い甘い。旦那ともあろうお方がなんてザマだ。ええ、おい。あんたのことだ。知識としては知ってるんじゃないか?
一度ブッ壊れた精神は絶対に元通りには治らない。人間様の脳みそは再生力を持たない。代替えが効かない。一見立ち直ったように見えても、それは別の何かで心の隙間を埋めただけだ。
心の支えと呼ばれるもの。あるいはそこまで大袈裟なものじゃなくてもいい。ふとした時に思い出して懐かしむ程度の、心のアルバムに挟まれた一枚の写真。
この俺がスマイルの旦那のそれになる。
筋書きはこうだ。
今のスマイルくんは以前の自分を取り戻そうとしている。以前の自分だったらどうしたろうか……そんなことを意識し続けている。
だから、今のスマイルくんなら、心の深いところにくさびを打ち込める。
過去の思い出に浸る時、人間の脳はセキュリティが甘くなる。
先生が俺に教えてくれたことだ。
人間の精神は大きな木に例えることができる。
枝をいじったところで大した効果は得られない。いじくるなら、もっと深いところ。理想を言えば根っこということになるだろう。さすがにそこまでは無理だろうが、枝分かれしてる元んトコまではイケるかもナ?
くくくっ。旦那ァ。どんなに硬派ぶっても男ってのは女に弱いんだぜ? あんたのボロ雑巾みたいになったプライド、ぽっかりと空いた心のスキマに、先生像をぴったりとハメて埋めてあげるからねェ〜。この優しいルリイエさんがさァ〜。
あっはァーはっは!
2.エッダ水道-【提灯あんこう】秘密基地
まぁ焦ることはない。
スマイルくんの心のケアはじっくりやって行くとしよう。
何しろフレンド登録したら俺の正体がバレちまうからな。偶然を装って接触を繰り返すのがベストだろう。
相手はサトウシリーズ御大。そんじょそこらのモブとは訳が違う。いずれはルリイエモードの正体に疑いの目を向けるハズ。いや、すでに疑ってるかもな。ボロを出したつもりはないが、精神的にまいってる時に近付いてきた女くらいには考えてるかもしれない。楽しいねェ。β組との化かし合い、騙し合いだ。どう転んでも俺に損はない。
さて、俺の可愛い妹弟子どもは元気かな?
俺はウキウキした足取りでネフィリアさんと愉快な仲間たちの秘密基地をうろつき回る。
おや、何やら揉めているようだ。
ネフィリアたんがガミガミとマゴットを叱っている。
「ウチで【ギルド】は飼えないと言っただろ!」
マゴットがクソ虫さんをぎゅっと抱きしめてイヤイヤをするようにかぶりを振る。
「だって! だって、他の子は飼ってるし! 私も……!」
「お前にはペスが居るだろ! 人間なんか秒でやっつけるメチャ強な召喚獣が!」
「ペスはそういうことするために連れて来たんじゃないモン!」
ペスさんがくぅんと鳴いてマゴットの頬をペロリと舐める。
感極まったマゴットがペスさんにひしっと抱きつく。
ペスさんがじっとネフィリアを見つめる。
無垢な瞳を向けられて、悪者みたいになったネフィリアたんが癇癪を起こした。マゴットに寄り添っているクソ虫さんを指差し、くいっと手首を返す。
「ええいっ、もういい! 来い!」
ネフィリアは国内サーバーに住む【ギルド】の指揮官代行だ。
クソ虫さんがガシャガシャと八脚の足を鳴らしてネフィリアのほうに歩いていく。
マゴットが慌ててクソ虫さんにしがみ付いた。
「だ、ダメ! ね、ネフィリアさん……! やめて! この子をどうするつもりなの!?」
ネフィリアの答えは非情だ。
「マナポにする」
マナポの原材料は【ギルド】の体内にあるチップだ。彼らは行動不能に陥ると自壊するため、生きたまま解体しないと手に入らない。
マゴットがびくっと震えてポロポロと涙を零した。
「やだ! やだぁ! どうしてぇ!?」
半狂乱に陥ったマゴットがネフィリアを指差す。しかし魔法は撃てなかった。このゲームの攻撃魔法は誰かを守れる性質のものではない。撃てばクソ虫さんとペスさんも巻き添えになる。
引き攣った声を上げて指を引っ込めたマゴットがわんわんと泣き叫ぶ。ボロボロと零れる涙を手で拭っていると、壁にもたれ掛かっている俺と目が合った。地獄に仏とばかりにパッと喜色を浮かべたマゴットが俺に助けを求めてくる。
「コタタマ!」
俺は悲しげに瞳を揺らして、ゆっくりと首を横に振った。
「あっ……」
マゴットが察した。
……そう、ここに居る俺は、俺が生きた証みたいなものだ。つまりは霊体であった。
ネフィリアのタンスを漁ってたらクソ虫さんにヘッドショットされてしまったのである。
残念ながら俺の最強装備を手に入れることはできなかった。ネフィリアのタンスに隠されてることは分かってるんだ……!
なのに……くそっ。マゴットよ。不甲斐ない兄弟子を許せ。
でもな……。
俺はしゃがみ込んで、透き通った手でクソ虫さんの機体を撫でてやった。もちろん触れないが、ほんの少しでもぬくもりが伝わればいいと思った。
なぁ、マゴット。こいつはお前に感謝してると思うぜ? 戦うだけの人生なんて悲しいじゃねえか。だからさ……。
マナポになっちまっても、きっと、いつか……また会えるさ。
だろ? ネフィリア。
「ふん……」
面白くなさそうに鼻を鳴らしたネフィリアが、ふいっと顔を逸らした。クソ虫さんを引き連れてマゴットの部屋を出ていく。
ネフィリアは口には出さなかったが、俺には分かる。
実際その通りだった。
布団に潜って泣きじゃくるマゴットを宥めながら待つことしばし、マナポにされた筈のクソ虫さんがぴょこっと顔を出した。
ほら、マゴット。
俺が手振りで指し示してやると、マゴットが布団から飛び出してクソ虫さんに抱きついた。二度と手離さないとばかりにきつく抱きしめる。
もう大丈夫だな。俺はマゴットの部屋を出ていく。
クソ虫さんに頬を押し付けているマゴットがぽつりと言った。
「こ、コタタマ。ありがと……」
俺は何もしちゃいないさ。気付かないふりをして廊下に出る。
腕組みなどして廊下の壁にもたれ掛かっているネフィリアが、ふいっと顔を逸らした。
俺は苦笑した。
【ギルド】は滅びない。無限に成長し続ける。
マナポにされてもすぐに復活するのだ。
基本的な設定をコロッと忘れたマゴットが勝手に騒いでいただけで、最初から何も問題はなかったのである……。
これは、とあるVRMMOの物語。
マナポ産業の闇を見た。
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