脱走
1.人間の里-人工進化研究所
「脱走だーッ!」
先生が脱走した。
ガラス越しに常に見張られているような環境から。
どうやってかと言うと、約束のネバーランドばりの頭脳戦……ではなく、完全な力業だった。
つまり【重撃連打】で壁を壊して逃げた。
そりゃそうだ。そりゃそうなる。魔法使いを個室に監禁するのは無理だ。壁壊せるなら壊して逃げるよねっていう。
しかし、いくら先生でも廃人ひしめく研究所から外に逃げるのは無理だ。いや無理ではなかった。先生は壁を全部ブチ抜いて逃げた。
俺は先生を追っている。捕まえて引き戻す気などまったくないが、先生がダッと地を蹴って駆け出したら誰だって追いたくなるだろう。崩落した瓦礫が頭上に迫るが、見えている。身体も動く。脳と身体の波長がぴたりと合った感じ。調子がいい。先生補正だろう。俺は一心に先生を追う。
先生の脱走プランは至極明快だ。魔法使いを個室に監禁するのは無理がある。これはマッド廃人たちのミスだ。ならばわざわざ複雑なことをやる必要はない。ささやきに関しても同様だ。リアルならスマホを取り上げれば済む話だが、MMORPGにはささやきがある。ささやきによる外部連絡を完全に封じる手段はない。
壁に空けた穴から研究所を飛び出した先生がリュウリュウと合流した。着ぐるみ部隊の新メンバーのパンダさんだ。
マッド廃人のミスだと一方的に決め付けるのは早計だったかもしれない。先生がリュウリュウをささやきで呼んだのは、戦闘員との衝突を予期していたからだ。
樹上からクソのような廃人、サトゥ氏が飛び降りてきた。リュウリュウが先生を背に庇って肩に通したタイヤを構える。
「逃走経路を読んでいたのか」
サトゥ氏は余裕の態度だ。ポケットに両手を突っ込んで答える。
「先生のことだ。所内の内部構造はほぼ把握されているだろう。所員の移動に掛かる時間とか、施設の目的とかな。脱走にもっとも適したルートに網を張ってれば会えると思ってたよ。こんなふうにな」
先生! リュウリュウ! 逃げろーッ!
怪鳥のように飛び上がって襲い掛かる俺に、サトゥ氏のカウンターが一閃した。俺の斧を手の甲で逸らしたサトゥ氏の右ジャブが俺の頬で弾けた。大して力を込めた感じではなかったが、速さとタイミングがドンピシャだった。俺の脚がガクリと折れる。た、立てねえ。強すぎる。サトゥ氏、貴様……。いつの間にここまでの力を……!
「コタタマ氏。俺はもうロスト前の俺を越えてる。お前だって分かってんだろ? ロストの最大の弊害は記憶を失うことじゃない。レベルだ」
違うね。俺は反論した。
10や20のレベル差が何だってんだ。お前らはレベルに固執するからエンフレ戦に消極的だ。レベルが高ければ高いほど……失うものは大きくなる。躊躇いが生じる。
サトゥ氏よ。全盛期を越えたと言うくらいだ。お前のレベルは25以上なんだろう。それがどうした? エンドフレームのレベルは1000以上。お前は俺には勝てねえってことさ。
ノリで完全変身しようとする俺の頭を先生がぽかりと叩いた。
「やめなさい」
でも、先生!
先生は繰り返し言った。
「やめなさい」
はい。
俺は従順に頷いた。
少し遅れて追いついてきたマッド廃人どもをサトゥ氏が手で制した。
「下がってろ。別にお前らの所為じゃない。警備が手薄なことは分かってた。俺は、コイツ……リュウリュウに用がある」
「008体さん……」
「俺を識別番号で呼ぶのはやめろ。お前ら俺に何をする気だ」
マッド廃人にとっては自分トコのクランマスターですら興味深い観察対象であるに過ぎない。貫禄の一桁ナンバーにサトゥ氏は凄く嫌な顔をした。気を取り直して続ける。
「リュウリュウ……いや、白龍。お前がどれほどのものか見てやるよ」
無造作に距離を詰めるサトゥ氏に、リュウリュウは棒立ちになって答える。
「俺はリュウリュウだ。白龍ではない」
リュウリュウの身長は2メートル近い。自然とサトゥ氏が見上げる形になる。腕を伸ばせば届く距離。サトゥ氏は鼻で笑った。
「前世は関係ない、か。コタタマ氏はそういう考え方をするよな。でも、俺は違うんだよ。力を持ってるやつが何もしなければ恨まれるぜ。それは当たり前のことで、それが嫌なら徹底して雑魚のフリしろよ。都合のいい時だけ実は強かったんですなんていうのは通らない。暴力ってのはそういう性質の強さなんだよ」
しかしリュウリュウは揺るがない。
「知ったことか。お前の考えなど。俺はGoatの友だ」
サトゥ氏がニヤリと笑う。
「それで? 先生をここから逃がしてどうする? お前が俺たちよりも上手くやれるとは思えないが」
リュウリュウが舌打ちした。
「そういうことか。お前は最初から俺を利用するつもりだったんだな」
……リュウリュウは廃人ではないかもしれないが、先生のリア友だ。それは、ロストしてゲームの記憶を失ったリュウリュウが先生を頼ってきたことから容易に推測できる。
廃人でなくともリア友なら先生を守ることは可能だ。互いにスケジュールを調整することができる。
サトゥ氏は……。
(先生には俺から言う。気になることもあるしな)
最初からリュウリュウに目を付けていたのだ。
とはいえ、実力が未知数の相手に先生を託す気にはなれなかったのだろう。
しかし先生の読みはサトゥ氏の上を行く。
「サトゥ。私のことはいいんだ。私はキャラクターデリートしようと思う」
!? 先生、それは……!
「いいんだ。私なりにブライトという職業については探りを入れていた。これはユニークジョブだ。一人だけ……一人ぼっちというのは、正直、堪える……。私は、みんなと一緒がいい」
サトゥ氏は慌てていた。
「先生。それはダメです。ユニークジョブというのは、それはどうして?」
「サトゥ。私たちが目撃したのは【戒律】が生まれる瞬間だよ」
先生は授業を始めた。
「つまり、このゲームの職業は以前にどこかの誰かが作り出したものだ。その中から私たちに適したジョブ、もしくは使い勝手のいいジョブだけがレギュラー化した……という見方だね。最初に生まれた職業は君主でもいい。君主の【戒律】は厳しすぎて、使えるスキルに制限を掛けることで条件をゆるくした。そういう推測も成り立つ。順番はどちらでもいいんだ。より強力なプレイヤーを生み出すために上位職が生まれていったという順番でもいい。いずれにせよ、攻撃魔法と回復魔法の分化は早い段階で行われたと見ていい。立ち位置が違う。ダメージディーラーとヒーラーを一人で兼任するのは無駄が多い。このゲームの魔法はターゲットを狙い撃ちできないからだ。唯一の例外が【風速零下】と【迅速発破】ということになるだろう。プッチョとムッチョは自らを卑下していたが、とんでもない。あの二人は時代の最先端に居る。あれらのスキルは、この先、広く信じられていたスタンダードを書き換える可能性すら秘めている」
……だから先生の新職業ブライトは、使い勝手の悪いジョブということになる。
まぁ当たり前の話ではある。味方に囲まれてる状況で攻撃魔法は撃てないし、敵に囲まれてる状況で回復魔法は打てない。
このゲームは魔法使いゲーだ。強力なスキルをいかに運用するかが勝負の分かれ目なのに、基本的な役割分担を放棄するのは賢い遣り方とは言えない。
君主のマジュンくんなんかは無双してたが、あれは個人の才覚によるところが大きい。別に君主でなくとも、三次職であっても何とか乗り切れたのではないかと思う。どうしても厳しいようなら仲間を呼べば良かったのだ。フレンドリスト破棄の【戒律】を持つ君主だったからこそ危ない橋を渡ることになったという見方もできる。
先生の決意は固いようだ。
サトゥ氏はあたふたしている。
「ちょっ、ちょ〜」
視線はあっちへふらふら、こっちへふらふらしている。固有ジョブだからこそ、それを捨てられては困るのだ。攻略組の鑑であった。
「ちょっ、待って? 待ってください。俺が悪かったです。より良い未来を。みんなでより良い未来を模索しましょうよ。それがいい。そうするべきだ」
先生は嫌がった。
「嫌だ。私は、みんなと一緒がいい」
「ちょ〜……。こ、コタタマ氏。何とかして」
何とかって言われてもな……。一応やってみるけども。
……先生。俺なりに考えてみたんですけど、先生はマレのロストを回避しましたよね。ブライトってのは君主の性質を受け継いでるってことです。だったら他人に譲ることもできる筈だ。そして、これは直感的なものなんですけど……。俺の最終職がそうなんじゃないかなって。何となく。思うんです。
先生を含め、この場に居る全員がギョッとした。え? なに? 俺、何かおかしいこと言った? だって光の魔法使いだよ? 先生の第一秘書である俺が何やかんやあって継承するのが筋だろ。そういう流れじゃんね。
……誰も何も言ってくれなかった。
誰も何も言ってくれなかったので、この場はひとまず解散という流れになった。
おい、待てよ。サトゥ氏。先生の身辺警護の件はどうするんだよ。
「いや……。最善じゃないことは分かっているが……しばらくはウチのものを付ける。一時しのぎになるが、ひとまずは……。正直、どうしたらいいのか分からない。一気に分からなくなった……」
おい! それじゃ困るんだよ!
ッ……リュウリュウ! お前は先生の味方だよな!? サトゥ氏は頼りにならねえ! お前が先生を守るんだ! やってくれるな?
「先輩は凄い人だ」
俺のことはどうでもいいんだよ!
ね、先生。今はとにかく無茶しないことです。魔法を連発して疲れたでしょう? おうちに帰りましょう。みんな心配してますよ。
俺は先生の丸い背中をさすってから、バッと振り返ってマッド廃人どもを指差した。
おい! オメェーら分かってるな? 次はねーぞ! 次に先生に妙なことをしたら全員殺すからな! というか、あとでブッ殺す! 首洗って待ってろ! 逃げたらお前らのフレンドを一人ずつ殺す! お前らに次はない。震えて眠れ……。
俺が皆殺し宣言すると、ワーッとインドの人たちが出てきて踊り始めた。
クッソイケメンがモデル歩きで真っ直ぐこちらに向かってくる。
俺とクッソイケメンは曲に合わせてバッとポーズを取った。
俺らの背景で、当たり前のようにエンフレ戦が勃発していた。知らない粗大ゴミと知らない粗大ゴミの刃が交差して激しい火花を散らす。
流れ弾を食らって四散した俺と、どっかで勝手にくたばったセブンの幽体が邂逅した。
カットインが入り乱れる。
一体どこに潜んでいたのか、お色気担当のリチェットさんとメガロッパさんが振り返ってパチッとウィンクした。長い髪が揺れる。
ガンダムのオープニングみたいになっていた。
主人公みたいな顔したサトゥ氏が、閉ざしていたまぶたをゆっくりと開ける。白目が青白く発光し、細い稲妻を発した。
くるりとターンした先生が、左右の腕を交互に大きく振りながら刻むように前進。片足立ちになってバッと両のひづめを突き上げた。グリコポーズだ!
俺たちは歓声を上げた。
問題は山積みだ。何一つとして解決していない。
ただ、今は……。
この熱狂に身を任せていたかった。
これは、とあるVRMMOの物語。
戦え。その先に答えはある。
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