第五話 気づかれぬ想い
旅を続けるうち、ヘレナはある町で、思いがけない人物と再会することになった。
「……あなたは、まさか」
町の外れにある小さな屋敷。その門の前で出迎えたのは、かつての婚約者――前世で自分を見捨てた王太子の面影を色濃く残す、一人の青年だった。
「初めまして、と言うべきでしょうか。私はレイフ・アシュフォード。この町を治める、アシュフォード家の三男です」
名乗られたその家名に、ヘレナは息を呑んだ。前世の記憶にある、王家の分家の名だった。
(この方は……まさか、あの方の血を引く……)
整った顔立ち、穏やかな声音。前世の婚約者と重なる部分がありながらも、纏う空気はまるで違う。あの人が纏っていたのは、地位に驕った冷たさだった。けれど目の前の青年からは、飾らない誠実さが伝わってきた。
「先日、この町で困っている子どもを助けてくださった方がいると聞きまして。噂の魔女殿とは、あなたのことでしょうか」
「……お耳が早いですのね。えぇ、その通りですわ」
隠すつもりもなく、ヘレナは頷いた。もう、誤解を恐れて縮こまるつもりはない。
「魔女……というのは正確ではございませんけれど。わたくし、自らの意志で力を選び取った者ですわ」
レイフは、その言葉に一瞬目を見開き、やがて、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「素晴らしい心構えですね。よろしければ、しばらくこの町に滞在なさいませんか。旅の疲れも溜まっておいででしょう」
邪気のない申し出だった。ヘレナは少し迷ったが、道中で傷めた靴を直す必要もあり、素直に厚意を受けることにした。
***
それから数日、ヘレナはアシュフォード家の客人として滞在した。
「エンヴァークラウン様は、本当に博識でいらっしゃいますね。古文書の解読など、私には到底真似できません」
「まぁ、お上手ですこと。必要に迫られて、独学で学んだだけですわ。……それよりも、レイフ様。エンヴァークラウン様、はお止めくださいませ。ヘレナと、お呼びいただきたいですわ」
「……よろしいのですか?」
「ええ。畏まった呼び方をされますと、少し寂しく感じますもの。旅の道連れというのは、もう少し気安い方が、性に合っておりますわ」
夕食の席、レイフはヘレナの話に熱心に耳を傾けていた。それだけでなく、いつからか、ヘレナのために町で一番美味しいという菓子を取り寄せたり、庭の花を摘んで部屋に飾ったりするようになっていた。
「レイフ様、これは……?」
「ああ、庭に咲いていたので。ヘレナ様に似合うと思いまして」
当のヘレナは、それをただの客人へのもてなしだと、まるで疑うことなく受け取っていた。
「まぁ、お心遣い痛み入りますわ。とても良い香りですこと」
微笑んで花を受け取るヘレナに、レイフは頬を赤らめながらも、それ以上何も言わなかった。
***
滞在も三日目に入る頃には、レイフの気遣いは、日を追うごとに増えていった。
朝は、ヘレナが目を覚ます頃を見計らったように、焼きたてのパンと温かいお茶が部屋の前に届けられる。
「レイフ様、毎朝このようなお心遣い、恐縮ですわ」
「なに、大したことでは。旅でお疲れのご様子でしたので、せめて朝くらいはゆっくりなさっていただければと」
昼は、書庫で調べ物をするヘレナのために、誰よりも早く灯りを整え、椅子に上着をかけておく。
「あら、この上着は……?」
「書庫は少々冷えますので。よろしければお使いください」
「まぁ、至れり尽くせりですこと」
夜は、夕食の後、庭を散歩するヘレナに、必ずさりげなく付き添う。
「星が、綺麗ですわね」
「……ええ。本当に」
そう言いながら、レイフの視線は、星ではなく、隣を歩くヘレナの横顔に注がれていることに、当のヘレナは気づいていなかった。
「旦那様、いよいよ想いを打ち明けられるのでしょうか」
「さあな。あの様子だと、ヘレナ様は全く気づいておられないようだが」
「レイフ様も、なかなか勇気が出せないご様子ですし」
使用人たちは、そんな二人のやり取りを、遠くから微笑ましく見守っていた。
***
滞在五日目、屋敷で小さな夜会が開かれた。近隣の貴族たちを招いた、ささやかな集まりだったが、そこにヘレナが同席することになった。
「ヘレナ様のことは、私の大切な客人として、皆にご紹介したく思いまして」
レイフの言葉に、ヘレナは戸惑いながらも頷いた。
夜会が始まると、噂はすでに広まっていたのか、ヘレナの周りには、あっという間に若い貴族の子息たちが群がった。
「これはこれは……噂に聞く、規格外の魔法使いのご令嬢とは、あなたでしたか」
「よろしければ、私と一曲、踊っていただけませんか?」
「いえ、私が先に申し上げたはずです」
物珍しさと下心の入り混じった視線が、次々とヘレナに注がれる。ヘレナは涼しい顔で、けれど確実に一線を引きながら、その場を捌いていった。
「皆様、お心遣いは嬉しく存じますけれど、わたくし、旅の身の上ですので、あまり長居はできませんの」
やんわりとした断り文句にも怯まず、なおも食い下がろうとする一人の子息が、ヘレナの手を取ろうと伸ばしかけた、その時だった。
「——失礼、ヘレナ様は、少々お疲れのご様子です」
するりと、レイフがヘレナと子息の間に体を滑り込ませた。柔らかな笑みを浮かべながらも、その声には、有無を言わせない静かな圧があった。
「レ、レイフ殿……。いや、これは失礼した」
子息は気圧されたように一歩下がり、そそくさとその場を離れていった。
「レイフ様、助けていただいて、ありがとう存じますわ」
「いえ……。ヘレナ様に、無作法な真似をする者を、見過ごすわけにはまいりませんので」
その声が、いつもより僅かに硬いことに、ヘレナは気づかなかった。けれど側で見ていた使用人たちは、皆、密かに顔を見合わせていた。
(旦那様……。あからさまに、ご機嫌が悪くなられましたわね……)
(他の殿方が近づくたび、ずっとあの調子ですよ)




