表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/6

第三話 初めての行使、そして嘲笑う貴族たち

 古文書を手に入れてから、ヘレナは廃教会に寝泊まりしながら、独学で術式を読み解く日々を送った。

 貴族の娘としての教養はあっても、魔法の心得などまるでない。それでも、生きるためには手段を選んでいられなかった。幸い、この古文書に記された「呪術魔法」は、詠唱に多くの魔力を必要とする類のものではなく、術者自身の意志の強さ——「何を望み、何を裁くか」という明確な意志こそが、発動の鍵になるようだった。


(皮肉なものですわね。魔力ではなく、覚悟が力になるだなんて)


 それなら、自分には嫌というほどある。処刑台に上る覚悟をした、あの夜から。

 最初の数日は、蝋燭の炎を揺らすことすらできなかった。それでも諦めずに繰り返すうち、七日目の夜、ようやく小さな成果が現れた。祭壇に置いた枯れ枝が、ヘレナの意志一つで、音もなく灰に変わったのだ。


「……できましたわ」


 誰もいない廃教会の中、ヘレナは思わず声を漏らした。


***


 食料が尽きかけ、やむなく森を出て近くの町へ足を運んだ日のことだった。

 薄汚れたドレス姿のヘレナは、当然のように目立った。すれ違う人々が、遠慮のない視線を向けてくる。それでも、空腹には勝てない。ヘレナは、井戸端で洗濯をしていた老婆に声をかけ、パンの端切れを分けてもらおうとした。


「あら、いい格好してるじゃない。どこの家のご令嬢が、こんな薄汚い格好してるのかしら」


 背後から、甲高い笑い声が響いた。振り返ると、身なりの良い若い女が三人、こちらを見て嘲笑っている。地方領主の娘たちだろうか、それぞれ派手な装飾品を身に着けていた。


「もしかして、王都から逃げてきた、あの魔女令嬢じゃなくて?」

「やだ、本当に⁉ 処刑される前に逃げ出したなんて、卑怯者ですわね」

「魔女のくせに命乞いだなんて、みっともない」


 どうやら、ヘレナの手配書か何かが、既にこの町にも回っているらしい。


(噂の広まる速さだけは、前世から変わりませんのね)


 ヘレナは、静かに三人を見据えた。かつての自分なら、この場で泣き崩れていたかもしれない。けれど、今は違う。


「——魔女、と仰いましたわね」


 落ち着いた声で問い返すと、女たちは一瞬たじろいだものの、すぐに勝ち誇った笑みを浮かべた。


「あら、否定しないの? やっぱり本物の魔女なのね」

「気味が悪いこと。早く衛兵に突き出さないと」


 一人が、通りがかりの衛兵に向かって手を振ろうとした、その時。


「——ええ、否定いたしませんわ」


 ヘレナは、まっすぐに前を見据えて言った。


「わたくし、本物の魔女ですもの」


 その場の空気が、凍りついた。


「な……」

「今、何と……」


 女たちの顔から、笑みが消えていく。ヘレナは静かに手を掲げた。指先に、これまで練習してきた術式の感覚を思い出す。相手を傷つけるためではない。ただ、少しばかり——己の意志を、示すためだけに。


「怖い思いをさせるつもりはございませんの。ただ、これだけは申し上げておきますわ。——無実の者を、いわれのない噂だけで断じるおつもりなら」


 女たちの足元、地面が僅かに黒く染まり、小さな棘のような影が音もなく突き出した。触れれば怪我をする、その一歩手前で止まる、ぎりぎりの威嚇。まだ制御しきれていない力で、これが精一杯だった。


「ひっ……⁉」

「い、いやぁあああっ⁉」


 悲鳴を上げ、三人は転がるようにその場から逃げ去っていった。

 ヘレナは、掲げていた手をゆっくりと下ろした。心臓が早鐘を打っている。初めて他人に向けて力を使った緊張が、今になって全身に押し寄せてきた。


(……できました、わね)


 それでも、後悔はなかった。傷つけたわけではない。ただ、理不尽に怯えるだけの令嬢ではないと、示しただけだ。

 井戸端の老婆が、呆気に取られた顔でこちらを見ていた。ヘレナは、居住まいを正し、優雅に一礼した。


「お騒がせして申し訳ございませんわ。——先程のパン、まだいただけますかしら」


 老婆は、しばし言葉を失っていたが、やがて小さく笑い出した。


「……あんた、面白い子だねぇ。いいよ、持ってきな」


 差し出されたパンを受け取りながら、ヘレナは初めて、この世界に来てから——いや、生まれてから初めて、自分の力で何かを勝ち取ったのだと実感した。


(悪くございませんわね、この感覚)


 小さな町の片隅で、ヘレナ・エンヴァークラウンの新しい生き方が、静かに始まろうとしていた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。ブクマ登録も、大変励みになります! これからも、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ