第十一話 声、そして決意
あの夜から、数日が経った。
胸の奥に灯ったあの奇妙な感覚は、あれ以来、何度か訪れるようになっていた。強くなったり、弱くなったり、まるで誰かの心臓の鼓動を、遠くから感じ取っているかのように。
(今日も……感じますわね)
ヘレナは、旅を続けながら、その感覚に意識を向けることが増えていた。答えの出ない問いを抱えたまま、それでも歩みを止めるつもりはなかった。
***
その日、ヘレナが訪れた町の外れで、思いがけない再会があった。
「——エンヴァークラウン殿。しぶといお方だ」
物陰から現れたのは、ガイウスだった。以前よりも殺気立った表情で、単身、ヘレナの前に立ちはだかっていた。
「あら。まだ懲りておられませんの」
「懲りるものか。……上からは、あなたを排除するか、確保するか、どちらでも良いと言われている。もはや、交渉の余地はない」
ガイウスの手に、黒く禍々しい光が集まり始めた。以前とは明らかに異なる、殺意を伴った力。
「今度は、私自身の手で決着をつけさせていただく」
「——結構ですわ」
ヘレナは、感情の色を消した声で、はっきりと答えた。
「わたくしも、いい加減、あなた方の企みには、うんざりしておりましたの」
ゆっくりと、優雅に一礼するように、けれどその瞳には、確かな戦意を灯して。ヘレナは、静かに問いかけた。
「——お覚悟は、よろしくて?」
言葉と同時に、ヘレナの周囲に、黒い影の波が広がった。ガイウスの放った光を真正面から受け止め、拮抗する。
「これしきの力で……!」
「あら。前回よりも、随分と力が増しておりますのね。それだけ、必死ということでしょうか」
ヘレナは、冷静に力の流れを読み取りながら、少しずつ、着実に主導権を握っていった。前世の真実を知り、この旅で幾人もの人々と出会い、守るべきものを見出してきた今のヘレナは、廃村で戦ったあの日よりも、確かに強くなっていた。
やがて、ガイウスの力は完全に呑み込まれ、彼は片膝をついた。
「ば、馬鹿な……。この短期間で、これほどまでに……」
「力とは、一人で振るうものではございませんの。守りたいものがあるからこそ、強くなれる——あなた方には、決して、分からない道理でしょうけれど」
ヘレナは、静かにガイウスを見下ろした。手を下すつもりはなかった。ただ、二度と付き纏わせないだけの、決定的な力の差を示す必要があった。
「今日のところは、これで見逃して差し上げますわ。ですが、次はございません」
ガイウスは、悔しげに歯を噛み締めながら、部下たちと共に闇の中へと姿を消していった。
***
静寂が戻った町の外れで、ヘレナは大きく息を吐いた。
(これで、しばらくは大丈夫でしょう)
安堵の息をついた、その時だった。
——胸の奥の疼きが、これまでとは比べ物にならないほど、強く脈打った。
「……っ!」
同時に、声が聞こえた。はっきりとした、けれど遠くから響くような、若い男の声。
『転生し……悪役令嬢……のヘレ……ヴァークラ……』
(……この声)
ヘレナは、はっとした。聞いたことのない声のはずなのに、なぜか、強い確信があった。
(創造主様……。間違いございませんわ)
根拠はなかった。けれど、確信だけがあった。自分という存在を生み出した、その人からの呼びかけだと、理屈を超えたところで分かってしまう——そういう感覚だった。
(あの方が……お困りですのね)
胸の奥の疼きが、切迫した何かを訴えかけてくる。
混乱しながらも、ヘレナは直感的に理解した。今、まさにこの瞬間、遠い世界で、誰かが自分を必要としている、その気配なのだと。
「参りますわ」
静かに、けれど力強く、そう呟いた。
(戻れるかどうかなど、分かりませんわ。ですが……呼ばれたのなら、参りませんと)
自分の意志で選び取った力。自分の意志で選び取った生き方。ならば、この呼びかけに応えることもまた、自分自身の意志で選び取る。
(誰かに定められた運命ではなく、わたくし自身が、決めますわ)
目を閉じ、意識を、その気配の方へと集中させていく。手のひらに、あの夜と同じ、温かく懐かしい光が灯り始めた。
***
その光を見て、真っ先に駆けつけたのは、レイフだった。
「ヘレナ様! その光は……」
偶然、この町に立ち寄っていたレイフは、ヘレナの異変を聞きつけ、急いで駆けつけてきたのだった。
「レイフ様……」
「まさか、以前仰っていた、"創造主"のもとへ?」
ヘレナが、旅の途中でぽつりと語ったことがあった。自分がこの世界に生きているのは、ある人物の創造によるものだということ。そして、いつかその人物に呼ばれるかもしれないということ。レイフは、半信半疑ながらも、その話を覚えていてくれたのだった。
「えぇ。呼ばれておりますの」
「戻って、こられるのですか」
レイフの声に、隠しきれない不安が滲んでいた。ヘレナは、それに気づきながらも、まっすぐに答えた。
「分かりませんわ」
「……!」
「戻れないかもしれません。それでも——参りますわ」
迷いのない声だった。レイフは、何か言いかけて、けれど言葉を呑み込んだ。彼女の決意の固さを、これまでの旅で、痛いほど理解していたからだった。
「……ヘレナ様らしい、お答えですね」
「ふふ。お褒めの言葉と受け取っておきますわ」
光が、少しずつ強くなっていく。ヘレナの体が、輪郭から淡く発光し始めていた。
「レイフ様。少しだけ、お話をしてもよろしいかしら」
「……はい、もちろんです」
光に包まれ始めた体のまま、ヘレナは、静かにレイフを見つめた。伝えるべきことは、まだ全て、伝え終えてはいない。それでも、今は、この光に応えることが先だった。
(創造主様。今、参りますわ)
目を閉じ、ヘレナは意識を、光の奥へと委ねていった。
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