第十二話 本物の魔女、その行く先
光に包まれながら、ヘレナは不思議なほど、心が凪いでいるのを感じていた。
けれど、完全に世界が切り替わる、その直前——ヘレナは、最後にもう一度だけ、レイフに向き直った。
「レイフ様。短い間でしたが、本当にお世話になりましたわ」
「……ヘレナ様」
レイフは、一歩前に出た。今まで胸に秘めていた想いが、今にも溢れそうになっているのが、傍から見ても分かった。
「王宮の話、覚えておいでですか」
「ええ、もちろんですわ。見学に伺うお約束でしたわね」
「……はい。その約束、どうか忘れないでいてください。私にとって、あの言葉は——他の何より、大切な約束のつもりでおりますので」
その声の真剣さに、ヘレナは、僅かに目を見開いた。何か、いつもとは違う響きがある。そう感じはしたものの、それが何なのか、はっきりと言葉にはできなかった。
「まあ……。そこまで仰っていただけるとは、思いませんでしたわ。……レイフ様は、本当に義理堅い方ですのね」
「……ふふ、そうですね。義理堅い、とでも思っていてください」
レイフは、小さく笑った。伝わりきらないもどかしさと、それでも今はこれでいい、という穏やかな諦観が、その笑みには滲んでいた。
「必ず、覚えておりますわ。レイフ様との約束ですもの」
ヘレナは、屈託のない笑顔で頷いた。
「短い間でしたけれど、レイフ様と過ごした日々は、わたくしにとって、かけがえのないものでしたわ。……どうか、良い王様になってくださいませ」
「ヘレナ様も……。どうか、ご無事で」
レイフは、一歩、光に向かって手を伸ばしかけた。届かないと分かっていても、伸ばさずにはいられなかった。
「参りますわ——創造主様のもとへ。……戻れるかどうかは、わたくしにも分かりませんの。それでも、王宮の約束、絶対に忘れませんわ」
最後にそう告げて、ヘレナ・エンヴァークラウンの姿は、まばゆい光の中に消えていった。
***
(怖くは……ございませんわね)
むしろ、清々しかった。
牢の中で誓った、あの夜のことを思い出す。大人しく殺されるつもりなど毛頭ない、と。理不尽に屈しない、と。そして今、自分は誰かに定められた運命ではなく、自らの意志で、この光の中に飛び込もうとしている。
(誰かに描かれた存在だから、消えるのではございませんわ)
光の粒子が、ヘレナの体からふわりと舞い上がる。それは涙のようでも、けれど同時に、花びらのようにも見えた。
(守りたい方がいたから――わたくし自身の意志で、ここへ参りますの)
脳裏に、これまでの旅の記憶が、次々と蘇っていく。
牢の中の絶望。廃教会での古文書との出会い。トビアスの、あの澄んだ瞳。レイフの、不器用な優しさ。ガイウスとの対決で知った、前世の真実。そして、守るべきものを一つひとつ見つけていった、この長い旅路。
(全部、無駄ではございませんでしたわ)
むしろ、この一つひとつが、今の自分を作ってくれた。前世では手に入らなかった、たくさんの繋がり。理不尽に負けなかったからこそ、辿り着けた場所。
光が、いよいよ強くなる。体は、もうほとんど透き通っていた。
(戻れるかどうかなど、分かりませんわ)
それでも、恐れはなかった。
(もし、これが最後だとしても——わたくしは、悔いておりませんもの)
力を使い切っていく感覚は、燃え尽きるというよりも、むしろ——長く閉じ込めていたものが、ようやく解き放たれていくような、そんな感覚だった。前世で押し殺していた感情も、今世で背負った理不尽も、全てを燃料にして、今、最後の力を、大切な人のために使う。
(創造主様。あなたが、わたくしをお創りくださったから——わたくしは、こうして、この生き方を選ぶことができましたのよ)
感謝だった。恨みでも、義務でもない。ただ、純粋な感謝が、光と共に、ヘレナの中から溢れ出していく。
(ですから、今度はわたくしが、あなたをお助けする番ですわ)
視界が、まばゆい白に染まっていく。
最後に、ヘレナの唇に浮かんだのは、満ち足りた笑みだった。
「——ふふ。戻れなくても構いませんわ」
誰に聞かせるでもない、けれど確かな声で、ヘレナは呟いた。
「だってわたくし、今この瞬間、誰よりも自由ですもの」
光が、弾けた。
もう、そこに、ヘレナ・エンヴァークラウンの姿はなかった。
風だけが、静かにその場を通り抜けていった。
しばらくして、レイフが一人、光の消えた場所に歩み寄った。地面には、何も残っていない。ただ、微かに、甘やかな花の香りだけが、その場に漂っていた。
***
「……ヘレナ様」
レイフは、空を見上げた。よく晴れた、青い空だった。
「あなたは、きっと、あちらでも——」
言いかけて、レイフは小さく笑った。心配など、野暮というものだ。あの人が、どんな場所であっても、自分の意志で、誇り高く生きていくことを、この短い旅の間に、嫌というほど知ってしまったのだから。
「……いつまでも、お待ちしております」
それだけ呟いて、レイフは空を見上げ続けた。悲しみはあった。けれど、それ以上に、確かな約束と、揺るがない敬意が、彼の胸を満たしていた。
***
——遠い、遠い、別の世界で。
四堂悠太は、空から舞い降りてきた一人の少女を、呆然と見上げていた。
金髪フワフワのロングヘアに、真っ赤なドレス。地面に降り立った後、優雅に歩み寄って、にっこりと笑う。
「あら、創造主様、ごきげんよう」
それは、これまでのどんな旅の記憶も感じさせない、晴れやかな笑顔だった。
彼女が、その一瞬前まで、どれほどの旅路を歩んできたのか。どれほどの理不尽と戦い、どれほどの人々と出会い、そして、どれほどの覚悟を胸に、この光の中へ飛び込んできたのか。
それを知る者は、まだ、誰もいない。
ただ、ヘレナ・エンヴァークラウンは、今、確かにここにいる。
自らの意志で選び取った、この瞬間に。
(完)
最後までヘレナ・エンヴァークラウンの物語をお読みいただき、本当にありがとうございました。
もともとは短編のつもりで書き始めたこの外伝ですが、思いがけず多くの方にブクマ登録・評価・いいねをいただき、大変励みになりました。ここまで応援してくださった皆様のおかげです。心より御礼申し上げます。
ヘレナが「創造主様」のもとへ向かった、その後——彼女がどうなったのか、気になってくださった方もいらっしゃるかもしれません。
もしよろしければ、本編「小説家志望、異世界に転生する ~僕の黒歴史が異世界を救う~」も、ぜひ覗いてみてください。ヘレナ・エンヴァークラウンが、また違う姿で皆様をお迎えするはずです。
改めて、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。




