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断罪劇で王子が破棄したのは婚約ではなく計画でした ――断罪されたはずの公爵令嬢は男爵令嬢の王妃教育係になります  作者: 製本業者


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第37話 公爵令嬢は、家族を思う

館の前に馬車が止まるや否や、二人の男がほとんど同時に歩み寄ってきた。

その後ろから、従者と女中たちも整った動きで続く。


向かいに座っていたマリエンヌが、目を丸くしたのが分かった。


……無理もない。


私は小さく息を吐き、先に馬車を降りた。

差し出された手は取らない。

ここは見慣れた石畳で、降りる高さも分かっている。


「こちらが、手紙でお伝えしていた男爵令嬢、マリエンヌ・ハウゼンですわ」


続いて、従者の手を借りて降りるマリエンヌを、私は父と兄に紹介した。


「よくぞ参られた!」


開口一番、父はそう言って、いかにも機嫌よさそうに笑った。


相変わらずだ。

敬語の形は一応整っているのに、どこか微妙におかしい。

間違っているわけではない。

だが、正しいとも言い切れない。

そして本人はまったく気にしていない。


その隣で、兄が喉の奥でくつくつと笑う。


片や陽気に声を張る父。

片や神経質そうに肩を揺らす兄。


どちらも背が高く、並ぶだけで圧がある。

なのに印象は見事なまでに正反対だった。


「お、お初にお目にかかります。ハウゼン男爵家のマリエンヌにございます」


マリエンヌは一拍だけ息を整え、それからきれいに礼をした。


……立派なものだ。


この二人を前にして、膝も視線も乱さず、きちんとした挨拶ができるのだから。

あとで一言くらいは褒めてやるべきだろう。


父は、見た目だけなら実に分かりやすい。

日に焼けた肌、分厚い肩、年齢を重ねてもなお衰えを感じさせない体躯。

豪放磊落という言葉を、そのまま服に着せたような男だ。


だが中身はまるで違う。


剣より帳簿、突撃より備蓄、武勲より輸送。

王家から一度ならず「いっそ中央で内政を見てほしい」と声をかけられたほどの、徹底した文官肌である。

本人はそのたびに笑って断ってきたが。


一方の兄は、初見ならたいてい誤解される。


明るい色の髪をきちんと撫でつけ、眼鏡の奥から冷静そうな目で相手を測る。

背は高いが、父のような分かりやすい威圧感はない。

むしろ痩身で、学者か宮廷官僚にでも見えそうな容姿だ。


だが、こちらも見た目に反している。


王国軍との合同訓練では、前線指揮で相手を完膚なきまでに叩き潰し、王国軍の元帥自ら「将として欲しい」と口にしたことがある。

あれは半分本気だった。

少なくとも、兄はそう受け取っていたし、父は腹を抱えて笑っていた。


「ようこそ、ルクレールへ」


父が片手を広げる。

声は大きいが、歓迎の意志だけは疑いようがない。


「道中、お疲れになったでしょう。まずは中で休まれよ」


「ありがとうございます」


マリエンヌはまだ少し強張っている。

無理もない。

目の前にいるのが、想像していたような“冷たく完璧な名門貴族”ではなく、

圧の強い大男と、笑っているのか企んでいるのか分かりにくい長身のインテリなのだから。


……いや、後者に関しては、たぶん大して間違ってはいないのだけれど。


「母上は?」


私はそこで、辺りを見回した。

出迎えに母がいないことに、ようやく気づいたからだ。


兄が「ああ」と軽く頷く。


「母上なら、王都の別邸へ向かったよ。妻の出産が近いからね」


「兄上の?」


「そうだ。さすがにこの時期に辺境へ置いておくわけにもいかないだろう」


なるほど、と私は合点した。


幼子が育つかどうかは、いまだ運に左右される部分が大きい。

まして初産が近いとなれば、領地より王都の方が医師も助産婦も揃う。

母がそちらへ付くのは当然だった。


「では、兄上は王都へ戻らなくてよろしいのですか」


「戻るさ。必要になればね」


兄はそう言って、眼鏡の位置を指で直した。


「だが今は、父上がどうしても自分で出迎えると言って聞かなかった」


「娘が帰るのだぞ」


父が即座に口を挟む。


「しかも客人を伴ってだ。迎えぬ父親があるか」


その言い方に、思わず私は目を細めた。


相変わらず、豪快で、妙なところで細やかだ。

そして、その細やかさを、たいてい力で押し通そうとする。


マリエンヌは、そんな父と兄を交互に見ていた。

まだ少し戸惑っている。

だが、その戸惑いの中に、先ほどまで想像していたのとは違う何かを見つけ始めている顔でもあった。


そうだろう。


厳しい。

優雅。

能力が高い。

――たしかに、その想像は間違っていない。


ただし、それだけではないのだ。


「とにかく、中へ」


私がそう言うと、父が大きく頷いた。


「うむ。立ち話で済ませるには、少々風が良すぎる」


「父上、それは“風が良すぎる”ではなく、“立ち話が長くなりすぎる”のでは?」


「細かいぞ」


「父上が大雑把すぎるのです」


二人のやり取りに、マリエンヌがほんの少しだけ目を瞬いた。


……まあ、そうなるわね。


馬車の中で、この家の人間をどう想像していたのかは知らない。

けれど少なくとも、冷たく静まり返った名門貴族の館ではないと、今この瞬間に理解したはずだ。


もっとも。


それで安心しきるようでは、まだ甘い。

この家の厄介さは、むしろここから先にあるのだから。


玄関ホールへ足を踏み入れた瞬間、外から見た時とは少し違う印象が広がった。


石造りの館らしく、床も壁も硬質だ。

磨かれた石床は高い天窓の光を受けて淡く光り、柱には過度ではない装飾が施されている。

王都の貴族屋敷のような華美さではない。

だが、武骨なだけでもない。


必要な堅牢さの上に、家としての格式と美意識を積み上げた空間だった。


正面階段は広く取られているが、吹き抜けは王都の邸宅ほど高くない。

その代わり、左右へ伸びる廊下は見通しがよく、奥の中庭へ抜ける大きな窓からは、外光と風が入るようになっている。


飾られている花も、都の流行を追ったものではなく、この土地で無理なく維持できるものばかりだ。

美しいが、それだけのために置かれているわけではない。

この館は、見せるための屋敷である前に、機能する家なのだ。


マリエンヌは、そんな玄関ホールを見渡しながら、明らかに視線の落ち着きどころを失っていた。


落ち着いて見せようとはしている。

歩幅も乱していないし、姿勢も崩していない。

だが、目だけが忙しい。


右を見て、左を見て、少し上を見て、また前へ戻る。

驚いているのを隠したいのに、隠しきれていない。


……まあ、無理もない。


王都の大貴族の邸宅とも違うし、男爵家の館とも当然違う。

しかもここは、ただの公爵家の屋敷ではなく、境を支える家の中枢だ。


マリエンヌはふと、中庭の方へ視線を向けた。

窓越しに、水音が聞こえていたのだろう。


「あの、素敵なお庭ですね」


そう言いながら、彼女は中庭の噴水を指した。


緊張している時ほど、人は無難な話題を探す。

今のマリエンヌは、まさにそれだった。


だが、父はごく真面目にそちらへ目をやる。


「うむ。あれは見栄えも良いが、貯水も兼ねておる」


「え」


「非常時には、あの水も無駄にはできぬからな」


「そ、そうなのですね……」


マリエンヌが一瞬だけ固まる。

父は一切ふざけていない。

本気で答えている。


兄も兄で、さらりと続けた。


「噴水の周囲は見た目より広くしてあります。人を集めても動線が詰まりにくいので」


「動線、ですか」


「避難、物資運搬、伝令の交差を考えると、狭い庭は不便だからね」


マリエンヌは「なるほど」と言いかけて、微妙に言葉を失っていた。


……そうなるわよね。


私も内心で同意する。

普通、令嬢が庭を褒めた時に返ってくるのは、花の種類だとか季節の見頃だとか、そういう話だろう。

貯水だの避難だのと言われるとは思わない。


けれど、父も兄も悪気はない。

本当に、その観点で見ているだけだ。


マリエンヌは気を取り直すように、小さく息を吸った。


「街も、とても立派でした。思っていたより、ずっと大きくて……驚きました」


今度は無難だ。

少なくとも、さっきよりは。


だが父は、またしても真面目に頷く。


「街は大きくなければ困る。兵も民も、倉も市も、分けて置かねばならんからな」


兄が補足する。


「橋を挟んでこちらと一体運用する前提だから。街の方に商業と職人、こちらに備蓄と指揮機能を寄せてある。完全に分けると弱いし、混ぜすぎても不便だ」


「は、はあ……」


「川は防壁になるが、同時に輸送路でもある。そこを切られないようにするための配置だね」


マリエンヌは、今度こそ返事に困っていた。

目では分かったように頷いているのに、頭の中では処理が追いついていない顔だ。


私は思わず視線を逸らし、笑いそうになるのを抑えた。


仕方ない。

本当に仕方ないのだ。


父も兄も、客人を威圧しようとしているわけではない。

美しいと思う前に、どう役立つかが頭に浮かぶ。


それを、何の悪意もなく客人にそのまま返すのだから、たまったものではない。


「……素敵、という感想に対するお返事としては、少しばかり硬すぎるのではありませんか」


私が口を挟むと、父がこちらを見た。


「そうか?」


「そうですわ」


兄も眼鏡の位置を直しながら、少し考えるような顔になる。


「だが、実際そういう設計だからな」


「そこを否定しているのではありません」


「では?」


「最初に言うべきは、“ありがとう”でしょう」


父と兄が、まったく同時に一瞬黙った。


それから父が、妙に納得したように頷く。


「なるほど」


「なるほど、ではありません」


「では、ありがとう、マリエンヌ嬢。庭も街も、褒めてもらえるよう整えてある」


父は真面目に言った。

真面目すぎて、かえって少しおかしい。


兄も遅れて頷く。


「ありがとう。あの街は、実際かなりよくできていると思う」


「兄上」


「何だ」


「褒め言葉の受け方まで分析しないでください」


マリエンヌは、とうとう小さく吹き出した。

慌てて口元を押さえているが、肩が揺れている。


緊張はまだ残っている。

だが少なくとも、最初に館へ入った時のようなこわばりは薄れていた。


マリエンヌが馬車の中で思い描いていたルクレール家像は、たぶん間違っていない。


ただし、この家の厄介さは、そこに妙な実務感覚と、本人たちの無自覚が混ざることにある。


「長旅の後に立ち話ばかりでは疲れるな。まずは応接へ案内しよう」


父がそう言って踵を返す。


「お茶の前に少し休ませるべきでは」

と兄が言い、

「その判断をするためにも、まずは座らせるのだ」

と父が返す。


私は小さく息を吐き、マリエンヌへ視線を向けた。


彼女はまだ戸惑っている。

でも、その戸惑いの中には、さっきまでとは違う色があった。


怖い、ではない。

たぶん――思っていたよりずっと変な家だ、という顔である。


……そこは、完全に同意する。


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