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断罪劇で王子が破棄したのは婚約ではなく計画でした ――断罪されたはずの公爵令嬢は男爵令嬢の王妃教育係になります  作者: 製本業者


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第35話 兄弟は、視察先をどうするかで揉める


第一王子視点:その視察、誰のためですか


執務机の上に置かれた報告書を、私はしばらく無言で見下ろしていた。


内容自体は、さほど珍しいものではない。

第二王子ジュリアンが、近いうちに地方視察を検討している。

王都近郊、あるいは北辺方面も候補に含む――。


それだけなら、別に構わない。


むしろ良いことだ。

内政を学ぶと言うのなら、机の上の数字だけでは足りない。

道を見て、橋を見て、倉を見て、人の顔を見る。

それができるなら、ジュリアンはまた一つ王に近づく。


いや、歓迎すべきであり、同時に警戒すべきでもある。

兄としては喜ばしい。

競争相手としては、少しばかり厄介だ。


歓迎すると同時に警戒すべき、なのだが。


(……なぜ、ルクレール公爵領が候補に入っている)


報告書には、そこまで明記されていない。

明記されていないが、周辺情報をつなげれば見える。


エレノアが、マリエンヌを連れてルクレール公爵領へ向かう。

その時期に合わせるように、ジュリアンが地方視察を検討している。


偶然。

もちろん、偶然かもしれない。


だが、王宮で偶然という言葉を簡単に信じる者は、だいたい早死にする。


(いや、違う)


私は報告書を閉じた。


これは政治だ。

ジュリアンが、王妃候補の成長を確認する。

あるいはルクレール公爵家との距離を測る。

内政を学ぶ名目で、実地を見る。


そう考えれば不自然ではない。


不自然ではないが、気に入らない。


……いや、気に入らないのではない。

危ういのだ。


北辺がきな臭い。

遊牧諸部族の動きが活発になっているという報せもある。

そんな折に、ジュリアンが公爵領へ近づけば、無用な火種になる。


そうだ。

私は火種を避けるために確認するだけだ。


決して、エレノアのいる場所へ弟が行くことが気に入らないわけではない。


(……何を考えている、私は)


私は立ち上がった。


考えるより先に歩いた方がいい。

こういう時は、考えすぎるとろくなことにならない。


 ○ ◆ ○


ジュリアンは、書庫脇の小さな執務室にいた。

護衛に取り次がせると、すぐに入室を許された。


「兄上?」


机の向こうで、ジュリアンが顔を上げる。

書類を広げ、地図を脇に置き、インクの乾いたメモまで揃えている。

いかにも“ちゃんと準備しています”という顔だ。


少し腹が立った。


「視察に行くと聞いたが、どういうことだ」


我ながら、第一声としては少し強い。

だが、もう口から出たものは仕方がない。


ジュリアンは一瞬だけ目を瞬き、それから穏やかに首を傾げた。


「なぜご存じで?」


「そんなことはいい」


「よくはないと思いますが」


「いい」


「兄上」


「いいと言っている」


ジュリアンは、ほんの少しだけ口元を緩めた。

笑うな。

私は詰問しに来ている。


「視察そのものは悪くない。だが、今、公爵領を視察する必要はないだろう」


言った瞬間、ジュリアンの目が少しだけ細くなった。


「公爵領、と」


「……」


「私はまだ、行き先を決定したとは申し上げていませんが」


しまった。


いや、しまっていない。

私は情報を得ている。第一王子なのだから当然だ。

当然だが、今の言い方は少しばかり踏み込みすぎた。


「候補に入っているのだろう」


「候補には、いくつか入っています」


「なら外せ」


「理由を伺っても?」


「必要がない」


「必要がない場所なら、候補に入れません」


「お前は本当に、こういう時だけ面倒になったな」


「兄上ほどではありません」


軽い。

だが、目は軽くない。


昔のジュリアンなら、ここで少し引いていた。

少なくとも、私の機嫌を読んで、言葉を丸めていた。


今は違う。

真正面から受けてくる。


それが少し嬉しくて、少し腹立たしい。


「北方の蛮族……いや、遊牧人が活発化しているというのに」

口にした瞬間、自分で舌打ちした。勢いで、使うべきでない呼び方を選んでいた。


だが。

ジュリアンの表情が変わった。

いや、変わったしまった。


しまった、と思った。


今度こそ、本当に。


「……北方の」


「いや、今のは」


「いえ、よく分かりました」


「だから、蛮族という言葉は言いすぎで……」


私の言葉を完全に無視したジュリアンは、ゆっくりと地図へ視線を落とした。

その動きが、妙に楽しそうに見えたのは気のせいではない。


「まだ行き先は決定していませんでした。

ですが、思わず蔑称を使うほど、兄上が気に留めていらっしゃるなら、北辺の状況は実地で確認するべきですね」


「待て待て」


「王都で報告書を読むだけでは分からないこともあります」


「待て、ジュリアン」


「しかも、ルクレール公爵領は北辺に近い。公爵家の領内業務も確認できる。内政と防衛を同時に学ぶには、これ以上ない場所です」


「お前、今、私の言葉を利用したな」


「兄上のご助言です」


「ご助言ではない」


「では、ご懸念ですね」


「言い換えるな」


ジュリアンは、そこでようやく少しだけ笑った。


昔のような、ただ無邪気な笑みではない。

相手の一手を受け取り、自分の形にして返す者の笑みだ。


「ありがとうございます、兄上。おかげで、視察の理由が明確になりました」


私は、心の底から思った。


(やられた)


 ○ ◆ ○


「そもそも」


私は咳払いをした。


「お前がわざわざその時期に行く必要はないだろう。マリエンヌは教育のために公爵領へ向かう。邪魔をするな」


「マリエンヌ、とお呼びになるのですね」


「……王妃候補の名前を呼んだだけだ」


「なるほど」


「何だ、その顔は」


「いえ。兄上がそこまで彼女の教育環境を気にされているとは思いませんでした」


「当然だ。私が見出した以上、途中で余計な横槍を入れられては困る」


「余計な横槍」


ジュリアンは、少しだけ考えるように間を置いた。


「それは、私のことでしょうか。それとも、兄上ご自身のことでしょうか」


「……ジュリアン」


「失礼しました」


全く失礼した顔ではない。


私は深く息を吐いた。

この弟は、確実に面倒になっている。


「それに、兄上」


ジュリアンは地図を畳みながら、何でもないように言った。


「ルクレール公爵領へ行くとしても、私が会うのは領主と代官、兵站担当者、商会関係者です。

マリエンヌと会えるとは限りません」


「会うつもりだったのか」


「会えないとは申し上げていません」


「お前な」


「兄上こそ」


ジュリアンは、そこで初めて、少しだけこちらを見上げた。


「エレノア様とは、今後の事でお話しする機会があるかも知れませんね」


部屋の温度が、一段下がった気がした。


「……公爵令嬢は今教育係だ」


「そうですね」


「王位に関わる」


「はい」


「それに公爵家は重要だ」


「その通りです」


「分かっているなら、その顔をやめろ」


「どの顔でしょう」


「今の顔だ」


ジュリアンは笑わなかった。

確かに、唇は横一文字に結ばれている。


だが、その目だけが、ひどく楽しそうだった。


……なるほど。

人は、口元を動かさなくても笑えるらしい。


しかもそれは、口で笑われるより、ずっと腹が立つ。


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