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断罪劇で王子が破棄したのは婚約ではなく計画でした ――断罪されたはずの公爵令嬢は男爵令嬢の王妃教育係になります  作者: 製本業者


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第31話 令嬢は、領地以外にも思いをはせる

【エレノアside】王都の外でしか教えられないこと


マリエンヌが食堂を出ていく背を、私はしばらく黙って見送っていた。


足取りは硬い。

だが、怯えて逃げ出したい者の歩き方ではない。

怖がりながら、それでも前へ行くと決めた者の歩き方だ。


……最初の頃を思えば、ずいぶん変わった。


紅茶を口に運ぶ。

少し冷めていた。


向かいの席には、もう誰もいない。

それなのに、先ほどまでそこにいた少女の戸惑いと緊張だけが、まだ薄く残っている気がした。


「第二王子殿下が視察にお見えになるかもしれませんわね」


ああ言った瞬間、分かりやすいほど顔を上げた。

まったく、あれで隠せているつもりなのだから困る。


けれど、少しだけ安心もした。


浮ついているのではない。

昨夜のことで頭がいっぱいになって、足元をなくしているのでもない。

ちゃんと、意識してしまっているだけだ。


それならまだいい。

自覚がある感情は、制御できる。

少なくとも、自覚がないよりは。


問題は、そのあとだった。


「それなら……第一王子殿下の方かもしれませんね」


あの切り返しを受けた時、私は数秒、言葉を失った。


……本当に、数秒だけだ。

外から見れば、ただ返答を選んでいただけに見えただろう。

そうでなければ困る。


だが内心では、あの子にしてやられた、と思っていた。


以前のマリエンヌなら、ああいう返しはできなかった。

からかわれれば赤くなって俯くだけだっただろう。

それが今は、慌てながらでも打ち返してくる。

しかも、私に最も効く方向で。


成長したものだ。


……ええ、本当に。


私はカップを置き、指先で受け皿の位置をわずかに直した。


公爵領へ連れて行くのは、思いつきではない。


王都で教えられることは、もうある程度教えた。

礼儀、姿勢、会話、沈黙、視線、舞踏会での立ち方。

人前で崩れずに在るための型は、かなり入った。


だが、それだけでは足りない。


王妃は、夜会で美しく笑っていれば務まる立場ではない。

むしろ、そういう華やかな場は表層にすぎない。


本当に必要なのは、その外側だ。


誰を安心させ、誰を緊張させるべきか。

家臣の忠誠をどう受け止めるか。

領民の訴えを、どこまで情として聞き、どこから統治として裁くか。

平時の穏やかさを守るために、何を先に整えておくべきか。


そういうものは、王都の学園では教えきれない。


だから、連れて行く。


ルクレール公爵領なら、それが見せられる。


王都ほど洗練されてはいない。

だが、王都よりよほど剥き出しだ。

富も、軍も、民も、境も。

家が一つ立っているということが、どういう意味を持つのか。

あそこでは誤魔化しようがない。


まして最近は、北辺が少しきな臭い。


父上から届いた書簡にも、表現は慎重だったが、いつもの“季節の動き”では片づけられないとあった。

遊牧の諸部族が、どこかで誰かに押されているのか、それとも内側でまとまりを得つつあるのか。

まだ断定はできない。

だが、活発化しているのは確かだ。


だからこそ、今のうちに見せておきたい。


王妃になろうとする者が、守られた庭の中だけで完成するなど、有り得ない。

もし本当に王家へ入るなら、

あの子にもいつか、華やかな場ではなく、剥き出しの現実の前で立つ時が来る。


その時、何も知らないままでは困る。


それに――


私は小さく息を吐いた。


第二王子殿下が来る可能性は、冗談半分ではあるが、半分は本気だ。

あの方なら、王にもっともらしい理屈を並べ、視察の名目を取りつけても不思議ではない。


真面目で、理性的で、野心がないように見えて、必要とあらばきっちり道を通す。

そういう方だ。

昨夜の祝宴で、それは周囲にも十分伝わったはずである。


そして、おそらく。

本人がどれだけ理屈を整えようと、視察先にマリエンヌがいることは、行き先を選ぶ理由の一つになる。


あの二人はまだ幼い。

だが、だからこそ厄介でもある。


素直で、真っ直ぐで、まだ互いを“政治”の言葉で覆い隠す技術を持っていない。

少し目を離せば、簡単に顔へ出る。


……いや。

顔へ出るのは、むしろ健全なのかもしれない。


そこまで考えて、私は自嘲した。


何を言っているのだろう。

まるで自分だけは違うような言い方ではないか。


私だって、十分に未熟だ。


第一王子殿下の名が出ただけで、一拍、返答が遅れた。

あの程度で取り乱したなどとは言わない。

言わないが、平然としていたとも言い難い。


腹立たしい。


昔からそうだ。

あの方は、こちらが忘れたつもりで整えたものを、いつも少しだけ崩していく。


幼い頃は、ただ眩しかった。

賢く、強く、気高くて、あまりにも遠い場所にいる人だった。

だから追いかけた。

追いつけるはずもないのに、せめて隣に立てるようになりたいと思った。


それがいつからか、失望に変わった。

変わった、と思っていた。


けれど、違ったのだろう。


失望していたのではない。

待っていたのだ。

勝手に見限ったふりをしながら、どこかでずっと。


――戻ってきなさいと。


本当に、腹立たしい。


戻ってきたと思ったら、今度はこうして、こちらの呼吸を乱してくる。

昨夜だってそうだ。

場を切り、流れを奪い、挙句の果てに当然の顔で手を差し出してくる。


あんなもの、断れるはずがない。


私は視線を落とし、カップの中に揺れる紅茶を見た。


公爵領へ行けば、王都のようにはいかない。

家族がいる。

家臣がいる。

土地がある。

境がある。

私がルクレールの娘であることを、嫌でも思い出す。


それは悪いことではない。

むしろ、そのために戻るのだ。


けれど同時に、あの方がもし本当に北辺へ来たなら――


「……いえ。あり得なくはありませんわね」


先ほど自分で口にした言葉を、心の中でもう一度なぞる。


あり得なくはない。

むしろ、あの方なら来るかもしれない。


国のために。

弟のために。

マリエンヌのために。


そして、もし。

その順番のどこかに、私が少しでも混じっているのだとしたら。


……それはきっと、あまりにも都合の良い願望だ。


私は背筋を伸ばし直し、立ち上がった。


感傷に沈んでいる暇はない。

旅程の確認、護衛の編成、持ち込む教材、父上への返書、母上への伝言。

やるべきことはいくらでもある。


王都の中で教えられることは、もう終わりに近い。

次は外だ。


あの子には、立ってもらう。

華やかな場だけではなく、その外側でも。


そして私もまた、試されるのだろう。


ルクレールの娘として。

教育係として。

……そして、おそらくは、それ以外の意味でも。


食堂を出る頃には、もう顔はいつものものに戻っていた。


戻っていなければ困る。


氷の令嬢が、たかが一言で乱されているなどと、

誰にも知られるわけにはいかなかった。

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