第29話 人々は、王家の“次の物語”を語り始める
「弟のために、踊ってやってくれ」
レオンの言葉を合図にしたように、広間の空気はもう一段ゆるんだ。
楽師たちは軽やかな曲へ移り、中央の空間には、今度はもっと気軽な踊りの輪が広がっていく。
男女はゆるやかに組み合わされ、入れ替わり、立ち替わり、笑いながら足を運ぶ。
それぞれに見栄えはよい。
それぞれに教養もあり、所作も洗練されている。
王宮の祝宴として、十分に美しい光景だ。
だが――だからこそ分かる。
先ほどの二組は、やはり異質だった。
第二王子ジュリアンとマリエンヌの踊りは、教本をそのまま抜き出したような正しさと、若さゆえの初々しさが同居していた。
一方で、第一王子レオンとエレノアのそれは、むしろ剣戟に近い。
華麗で、迫力があり、噛み合っているのに、どこか一歩も譲っていない。
今、広間の中央で繰り返されている群舞は、そのどちらでもない。
整ってはいる。
だが、記憶には残りにくい。
だからこそ、人々は踊りながらも、先ほどの二組を思い返していた。
「やっぱり、あの四人だけ空気が違ったな」
「違いすぎて、逆に祝宴の余興としては出来すぎだ」
「余興で済めばいいけれどね」
グラスを手にした貴族たちは、笑いながら言葉を交わす。
笑いながら、その実、探っている。
誰が何をどう見たのか。
どこまでを“偶然”と受け取り、どこからを“意思”と読むのか。
広間の端では、レオンがちょうど退出しようとしていた。
不自然ではない。
顔は出した。弟も祝った。王にも礼を尽くした。
むしろ第一王子としては、これ以上長居しない方が“綺麗”に見える。
それでも、その背中が視界から消えると、場の噂は一段深くなる。
「……あの退き方、上手いわね」
「長く居すぎれば主役を食う。短すぎれば不和に見える。ちょうど良いところで切った」
「ちょうど良すぎて、作為的よ」
「王宮で作為的でない振る舞いなんて、あると思う?」
別の輪では、もっと露骨だった。
「第一王子殿下、王位を諦めていないというより――堂々と獲りに来てるな」
「だが、弟を立てたのも本当だ」
「そう。あそこが面白い。押し潰しに来たのではない。真正面から並び立った」
「つまり、争いはするが、足を引っ張り合う形にはならない……と?」
「少なくとも、今夜見せたのはそういう絵だ」
「絵、ね」
「絵で十分だ。王都の人間は、絵で納得する」
その言葉に、年嵩の貴族が低く笑う。
「納得するのは民衆だけではない。われわれもだよ。
兄弟仲が修復されたかどうかはさておき――少なくとも、あの二人の争いは、陰で足を引く類いのものではあるまい」
「ぶつかり合うでしょうな」
「ええ。しかも、どちらも手を抜かない」
覇気と突破力。
耐久と統治。
誰かが明言したわけでもないのに、広間のあちこちで、そんな言葉が似た形を取り始めていた。
「第一王子殿下は覇王候補、か」
「第二王子殿下は賢王候補、だな」
「王にしてみれば、嬉しい悲鳴だろう」
「……嬉しい悲鳴には違いないさ」
その言葉のあとに、小さな沈黙が落ちる。
やがて、別の男が肩をすくめた。
「だが、どちらも無能よりはよほど始末が悪いぞ」
「同感だ」
「無能なら切ればいい。無視もできる。
だが、優れた候補が二人いるとなれば、選ぶ苦悩は何倍にもなる」
「しかも、片方があまりにも明白に劣っているのではなく、別々の強さを持っているとなれば、なおさらだ」
「王も大変だな」
「父としてか、王としてか?」
「両方だろうよ」
その答えに、誰も反論しなかった。
高卓では、王がまだ静かに広間を見渡している。
王妃もまた、扇の向こうから人の流れを追っている。
遠目には穏やかだ。
だが、その穏やかさの裏にある計算と疲労を、古参の者たちは知っている。
王とは、優れた後継を望む生き物だ。
けれど、優れた後継が二人並んだとき、その望みはそのまま重荷へ変わる。
「覇王候補と賢王候補を同時に持つ――」
誰かが、半ば感心したように呟く。
「たしかに、王家としては贅沢な悩みだ」
「贅沢か」
別の声が、苦笑した。
「贅沢には違いない。だが、胃は痛むだろうよ」
それには、何人かが本気で笑った。
笑ったが、すぐにまたグラスを傾ける。
笑いは酒で流せても、盤面の重さまでは軽くならない。
広間では、まだ音楽が続いている。
誰かが踊り、誰かが噂し、誰かが次の一手を考えている。
祝宴は続く。
だが、今夜本当に人々の記憶に残るのは、おそらく料理でも音楽でもない。
主賓と呼ぶべき四人が、それぞれの思惑と誤解と高揚を抱えたまま、
一度だけ、完璧に近い形で交差した――その瞬間だろう。
そしてその意味を、王都はしばらく、好き勝手に語り続けるに違いなかった。
誰が誰をどう見ていたのか。
誰が誰を誤解していたのか。
その答えを、当人たちですらまだ知らないまま、夜だけが静かに更けていった。




