第26話 誰が誰を選ぶのか、祝宴の視線が一点に集まる
楽師たちの奏でる旋律が、乾杯のあとのざわめきを少しずつ別の意味に変えていく。
談笑は続いている。笑い声も途切れない。
けれど広間の中央に近い者ほど、次に誰が誰へ歩み寄るかを見逃さないよう、無意識に声量を落としていた。
第二王子ジュリアンが、杯を侍従へ預ける。
その動きだけで、いくつもの視線が彼へ集まった。
「……行くわね」
「当然でしょう。主役だもの」
「問題は、どちらへ行くかよ」
囁き声は、ごく小さい。
だが、聞き耳を立てる者ばかりの場所では、小ささなど意味を持たない。
ジュリアンの進む先には、公爵令嬢エレノア・ルクレールと、男爵令嬢マリエンヌ・フォン・ハウゼンがいた。
そしてそれが、今夜の“最も見やすい分岐点”だった。
「エレノア様を誘えば、いかにも自然ね」
「自然かしら? 元婚約者よ。第二王子殿下が手を取れば、それだけで意味が濃すぎるわ」
「でも、公爵家との距離を測るには一番分かりやすい」
「分かりやすすぎるのよ。あれをやったら、もう中立の顔はできない」
別のところでは、違う角度の分析が始まっている。
「男爵令嬢の方なら、主役が“王妃候補の成長”を確認する形になる」
「ええ。あれなら穏当だわ。誕生パーティーの主役が、兄の見出した娘に最初の一曲を与える。美談にも見える」
「美談ねえ。兄弟仲が良さそうには見えるでしょうけど」
「王位の話を抜きにすれば、ね」
貴族たちは、どちらを選んでも意味が生まれることを知っていた。
知っているからこそ、目が離せない。
「エレノア様なら、格は申し分ない」
「でも、近づきすぎると“第二王子派に転ぶ”って見られる」
「マリエンヌなら、第一王子殿下の見る目を第二王子殿下が認める形ね」
「ただし、あの男爵令嬢が場に慣れきっていないなら、主役に恥をかかせる危険もある」
誰もが、分かったように語る。
けれど実際に分かっているのは、ほんの表面だけだ。
本当に危ういのは“どちらを誘うか”ではなく、その一歩が今後どう読まれるかの方なのに。
ジュリアンは、そんな外野の計算を知ってか知らずか、一定の歩幅で二人へ近づいていく。
柔らかい笑みを浮かべながら、視線は冷静だ。
主役として、場を壊さず、それでいて場に飲まれない。
「悪くないわね」
「ええ、最近の第二王子殿下、本当に盛り返してきた」
「第一王子殿下優位と言われていたけど……これでまた均衡かしら」
「王様も、ますます決めづらくなったでしょうね」
その時だった。
広間の入口で、何かが空気を断ち切った。
人の声が消えたわけではない。
音楽も止まっていない。
なのに、広間中が一拍だけ呼吸を止めたように感じた。
入口に立っていたのは――第一王子レオン。
「……っ」
「まさか」
「どうしてここに」
「聞いてないわよ」
囁きは、瞬く間に波になる。
予想外の者が現れた時、人はまず驚き、その後で意味を作ろうとする。
第一王子の登場は、まさにその手の衝撃だった。
しかも、ただ現れただけではない。
場を読んでいる者の立ち方だった。
自分が今、この広間の中心線を引き直したことを理解している者の歩き方。
だが、本当に聡い者たちが見ていたのは、レオン本人ではない。
高卓だ。
王と王妃は、確かに複雑な顔をしていた。
父としての驚き。
母としての案じ。
統治者としての計算。
それらが同時に浮かんではいる。
――それなのに。
少なくとも、慌ててはいない。
「……あ」
「そういうこと」
誰かが、妙に納得したような声を漏らした。
「最初からご存じだったのね」
「でなければ、王があんな顔で立てるはずがない」
「なるほど……“驚いていない”のが答えか」
噂は、一度方向が定まると早い。
「じゃあ、これって……」
「第一王子殿下と第二王子殿下の関係修復を、あえて祝宴で見せるための仕掛け?」
「兄弟仲は修復された、王家は割れていない――って?」
「それなら、この登場の不自然さも説明がつくわ」
理解した“つもり”の者たちは、一斉に安堵した。
王家が割れていない。
王と王妃の管理下で、兄弟の競争は保たれている。
そう思えれば、恐れるべきものが少し減る。
もっとも――
本当にそうかどうかまでは、誰にも分からない。
分からないまま、人々は“そういう筋書きだったのだ”と自分を納得させる。
王宮の祝宴とは、事実ではなく“納得できる物語”が勝つ場所だからだ。
そしてその物語の中心で、当の第一王子は何事もなかったように微笑み、
第二王子の前へ――いや、そのさらに先にいる二人の前へ歩み出ていた。
誰が誰を選ぶのか。
その問いで固まっていた盤面は、もう一度、まるごと塗り替えられようとしていた。
音楽が流れ、四人の立ち位置が定まった瞬間。
広間の空気は、目に見えない形で一度ひっくり返った。
第二王子ジュリアンの誕生パーティー。
その主役が最初に手を取る相手を、誰もが見ていた。
そこへ現れた第一王子レオンが、何でもないことのように場を切り分けてみせたのだ。
――ジュリアンには、マリエンヌを。
――自分は、エレノアを。
それは一見、あまりにも自然だった。
自然であるがゆえに、逆に不自然だった。
「……見た?」
「見たも何も、見せつけられたわよ」
貴族令嬢たちの囁きが、扇の陰で熱を持つ。
「結局、あの二人――まだ終わってないんじゃない?」
「どっちの二人よ」
「決まってるでしょ。第一王子殿下とエレノア様」
「でも、あれって未練というより、むしろ割り切りすぎてて怖いんだけど」
別の場所では、若い貴族子息たちが、わざとらしく肩をすくめていた。
「政治的には妥当だな」
「主役の第二王子殿下に、兄上が見出した王妃候補をあてがう。で、自分は元婚約者を引き受ける。無難だ」
「無難、ねえ。無難な男が、あのタイミングで乱入してくるか?」
「だからこそだろ。王位を諦めていないって意思表示だよ」
「いやいや、逆だろ」と、別の男が笑う。
「諦めてないなら、あんな綺麗に弟へ華を持たせるか?
むしろ“兄弟はもう割れていない”って見せたかったんだろ」
「見せたかっただけで、割れてないとは限らないがな」
「それを言い始めると、王宮の祝宴なんて全部そうだ」
軽口のようでいて、誰も本心では笑っていない。
笑いながら、自分の派閥の損得に照らして盤面を測っている。
一方、年嵩の貴婦人たちは、また別の温度で眺めていた。
「レオン殿下、ああいうところは本当にお上手ね」
「上手というより、腹が据わったのではなくて?」
「どちらでも同じこと。王妃候補を“自分で選んだ娘”として弟に渡し、自分はエレノア様を取る――あれは場を知っていないと出来ない」
「でも、エレノア様のあのお顔……」
「ええ。仕方ない、と言いたげで、仕方ないだけではなさそうだったわね」
そこへ、また別の扇の陰から、甘い声が混ざる。
「私は、第二王子殿下とマリエンヌ様の方が可愛らしくて好きですわ」
「まあ。あの男爵令嬢、殿下に見られた瞬間、少しお顔が――」
「やめなさいよ、可哀想に。まだ若いのだから」
「でも第二王子殿下も、あれはまんざらでもなさそうではなくて?」
「では第一王子殿下とエレノア様は?」
そう問われて、一瞬だけ輪の空気が止まる。
「……あちらは、可愛らしいでは済まないわね」
「ええ。似ているもの」
「似ているからこそ、厄介なのよ」
答えた令嬢は、それ以上は言わなかった。
言わなかったが、周囲は何となく察したような顔をする。
第一王子とエレノア。
あの二人は、寄り添うというより、噛み合う。
睨み合っているようで呼吸が合い、呼吸が合っているようで、いつでも刃を抜けそうな距離。
「未練、なのかしら」
「どうかしらね。むしろ冷め切っているから、あそこまで綺麗に踊れるのかもしれないわ」
「冷め切っていたら、わざわざ手を取る?」
「政治なら取るでしょう」
「政治だけなら、あんなに自然には見えないと思うのだけれど」
正解を知る者は誰もいない。
当人たちですら、たぶんはっきりとは分かっていない。
だからこそ、噂はよく育つ。
「第一王子殿下はエレノア様に未練がある」
「いや、第二王子殿下こそ公爵家へ近づこうとしている」
「マリエンヌ様は第一王子殿下に選ばれたが、最近は第二王子殿下にも心を寄せているらしい」
「何それ、まるで四角関係じゃない」
「まさか。王族と公爵令嬢と男爵令嬢よ。そんな下世話な話になるものですか」
そう言って笑った者が、一番下世話な目で見ている。
それが祝宴というものだ。
そして、そうした噂をいちばん鋭く楽しんでいるのは、案外、政敵たちではなかった。
同じ学園に通い、同じ年頃で、同じように“見ているだけ”しか出来ない者たちの方だ。
「でも、分からないわよね」
「何が?」
「誰が誰を一番欲しがっているのか」
それは、あまりにも軽く投げられた問いだった。
だが、その軽さに似合わず、妙に鋭かった。
誰が誰を欲しがっているのか。
王位か、公爵家か、王妃候補か、元婚約者か。
あるいは、もっと別の――言葉にしづらい何かか。
誰にも分からない。
分からないまま、音楽は流れ、四人はそれぞれの相手と踊っている。
そして、分からないからこそ。
この夜の噂は、しばらく王都を離れそうになかった。




