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断罪劇で王子が破棄したのは婚約ではなく計画でした ――断罪されたはずの公爵令嬢は男爵令嬢の王妃教育係になります  作者: 製本業者


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第18話 公爵領同行の一言が、食堂をざわつかせた

昼の食堂は、いつもより賑やかだった。

銀食器の触れ合う音、笑い声、噂話を囁く声が、天井の高い空間に薄く反響する。


その賑わいには、妙な熱が混じっていた。

学園では珍しくない噂の熱――けれど今日は、火種が良すぎる。


その中心にいるのは、相変わらず――公爵令嬢エレノア・ルクレールだ。


近寄りがたい。

姿勢も所作も完璧で、髪の一房すら乱れない。

一見すれば“氷の令嬢”という古い呼び名が、まだ似合う。


だからこそ、噂は勝手に増殖する。


「ねえ、あの方……夜も寝てないんですって。男爵令嬢に礼儀作法を叩き込むために」

「嘘でしょ。睡眠削って教育とか……怖すぎない?」

「でも、泣かせても逃がさないって……ほら、あの“断罪劇”の後から、さらに加速してるって聞いた」


誰も見ていないはずの“夜”を、誰もが見てきたように語る。

根拠のない言葉ほど、口にしやすい。


だが――最近の彼女を知る者は、視線の温度が少し違った。

恐れだけではない。困惑と、妙な尊敬が混ざっている。


「……ねえ、聞いた? 男爵令嬢、まだ泣いてないって」

「泣くどころか、食らいついてるらしいわよ。あのエレノア様の要求に」

「え、あの『頭の角度が一度違うだけで死罪』みたいなやつ?」

「盛りすぎよ。でも……似たようなものじゃない?」


囁き合う貴族令嬢たちは、半分怯え、半分感心している。

“氷”が“熱”を持っていることに、ようやく気づき始めたのだ。


「冷たいのに、やってることは案外親身よね……」

「熱血、って言っていいのかしら。口は辛いけど、投げないもの」

「親身っていうか……自分の作品にしてる感じ。あれは、教育じゃなくて制作だわ」


食堂の窓際。

エレノアはいつも通り背筋を伸ばし、食事を取っていた。

その向かいに、マリエンヌ・フォン・ハウゼン男爵令嬢が座る。


男爵令嬢――という響きだけで、誰かが鼻で笑いかけて、すぐ飲み込む。

いま、笑うのは“空気が読めない”側になりつつあるからだ。


彼女の動きは、最初の頃より明らかに変わっていた。

皿を扱う手つき。椅子の座り方。視線を置く角度。

丁寧で、無駄がなく、それでいてどこか柔らかい。


「……ほんと、変わったわ」

「見た目だけじゃない。喋り方も、間も、品が出てきた」

「この前、廊下で会釈されたんだけど……なんか、こっちが襟を正したくなった」

「分かる。あの子、いつの間にか“場”を作るようになってる」


周囲はそれを見て、ざわめきを抑えきれない。

驚きが、すぐに結論へ飛びつく。


「第一王子殿下、見る目ありすぎ……」

「ほらね。『原石』って言ったの、伊達じゃなかった」

「というか、殿下は“原石”を拾う趣味なの?」

「失礼よ。でも、あの場で拾ったのは事実でしょ……」


第一王子レオンの名前が出るたび、空気が少しだけ張る。

笑っているのに、声の端が硬い。

数ヶ月前までは、王位継承の空気は“拮抗”という言葉で片付けられていた。

第一王子レオンと第二王子ジュリアン。

どちらも凡庸ではないが、決定打もない――そんな評価。


だが“あの断罪劇”以降、流れが一度レオンへ傾いた。


「マリエンヌの件で、第一王子が優位って噂だったのにね」

「最近、第二王子殿下も盛り返してるらしいわよ。内政の勉強、本気だとか」

「支出の話をしてるのを聞いたって。……あれ、地味に怖いわ」

「怖いって何よ」

「“ちゃんと怖い”。派手じゃないけど、国が締まるタイプの怖さ」


別の席では、貴族子息たちがわざとらしく笑いながらも、声を落としている。


「王様も判断が難しいだろ。片方は攻め、片方は守り……って感じがしてきた」

「どっちも、妙に“王”っぽくなってきたよな。均衡してる。高い次元で」

「……で、結局どっちが勝つ?」

「知らん。というか、勝つ負けるで語るのが浅いんだろ」

「その“浅い”って言い方が浅いわ」


分かったような口を叩きながら、誰も“本当のやり合い”は理解していない。

見えているのは結果と噂だけ。

だからこそ、噂は面白がられ、恐れられ、勝手に物語になる。


言葉の端々に、興奮と不安が混じる。

王位という“遠い話”が、少しずつ現実味を帯び始めた証拠だ。


そんな食堂の熱を、エレノアは――一瞥もしない。

噂は噂。視線は視線。

彼女にとっては、空気の揺らぎの一つでしかない。


エレノアはナプキンで口元を押さえ、淡々と告げた。


「マリエンヌ。食事の後、少し時間を取りなさい」


「……はい」


返事は小さいが、芯がある。

マリエンヌの目は逃げない。

それに気づいた近くの席が、またざわつく。


「返事がもう、女官みたい……」

「いや、王妃っていうか……怖いわ、あの成長」

「怖いっていうより……“決まってる”。もう腹が決まってる顔だもの」


エレノアは声量を上げない。

けれど、言葉は不思議と届く。

もともと届く声ではない。届かせる“圧”がある。


「あなたは――大分、形になってきました」


その一言に、周囲がぴたりと静まった。

褒め言葉としては淡白。

なのに、エレノアの口から出ると“判定”になる。


誰もが知っている。

彼女は、軽々しく褒めない。

褒めるときは、次の課題がもう見えているときだ。


マリエンヌは、ほんの一瞬だけ目を丸くし、それからすぐ背筋を正した。

喜びを飲み込む仕草が、また一つ“訓練の成果”だった。


「……ありがとうございます」


礼の言葉さえ、余韻が短い。

余計な熱をこぼさない。

その“抑え方”に、近くの席の令嬢が思わず唇を噛んだ。


(あれ、簡単じゃないのに)


エレノアは頷くだけで、続ける。


「ですから、次は王都では難しい教育へ移りますわ」


「難しい……教育、ですか?」


問い返す声は小さい。

だが、震えないように抑えられている。

それを見た者が、勝手に解釈を足す。


「……余裕あるふり、してない?」

「いや、あれは余裕じゃない。腹が決まってるだけ」


エレノアは淡々と言葉を継ぐ。


「ええ。たとえば――領民とどう接するか。

儀礼の外側にある、実際の“王妃の仕事”です」


マリエンヌの喉が小さく鳴った。

緊張。だが、逃げない。

周囲の学生たちは息を飲んだ。


「領民と接する……」

「王都じゃ学べないやつだ……」

「え、そこまで? まだ男爵令嬢なのに?」

「男爵令嬢“だった”んでしょ。もう……違う」


誰かが言って、誰かが頷き、誰かが勝手に頷きたくなくて黙る。

噂の輪は、同意と反発で太くなる。


エレノアは当たり前のことのように言う。


「ルクレール公爵領へ向かいます。――あなたも」


ざわめきが、一段階上がった。

“男爵令嬢が公爵領へ同行”という事実は、噂好きの胃袋を刺激しすぎる。


「え、連れていくの?」

「同行って、つまり……屋敷に住むの?」

「まさか。同じ屋根の下――」

「馬鹿言わないで。公爵家よ?」

「でも、教育って名目なら……」

「名目“なら”ね」


尾ひれが付く速度が、早い。

話題が美味しすぎると、噂は真偽よりも“盛り”を優先する。


「そこまでやるの? 熱血すぎない?」

「氷の令嬢、氷どころじゃないわ……」

「氷っていうより、氷の上で火を焚いてる感じ」


エレノアは、周囲の声を風の音のように無視して、最後に付け加えた。


「ただし、その前に一度――中間報告を兼ねて、第二王子殿下の誕生パーティーへ参加します」


マリエンヌの肩が、ほんの少しだけ強張った。


「……ジュリアン殿下の、誕生パーティー……」


その名が出た瞬間、空気が変わった。

騒がしいのに、音の質が変わる。

“面白い噂”から、“触ってはいけない現実”へ。


「ええ。公の場です。

あなたが今どこまで来たかを示すには、ちょうど良い」


“示す”。


その言葉が食堂に落ちた瞬間、周囲の噂は一斉に色を変えた。

軽口を叩いていた者ほど、声を落とす。


「見せる気だ……」

「第二王子の場で?」

「うわ、王位の空気……また動くんじゃ」

「動くっていうか、見せつけるでしょ。優位を」

「いや、逆に……第二王子側が何か仕掛けるかも」

「仕掛けるって何を?」

「……そういうの、あるじゃない」


“あるじゃない”で済ませる。

分かったふりの便利な言葉。

それで場の緊張をごまかす。


「王様、ますます決められないな」

「でもさ、こういう場で差が出るんだろ……」

「差って、何の?」

「ほら……格、みたいな」

「格って言えば通ぶれると思ってる?」


誰かが言って、誰かが笑い、誰かが黙る。

理解しているふりをしながら、実際には上っ面しか掴めていない。

ただ確かなのは――ここで“見せた”側が、盤面を動かす権利を持つということだけだ。


その中心で、エレノアだけが揺れない。

そしてマリエンヌも、揺れながら――踏みとどまる。


「……承知しました。ご迷惑はおかけしません」


言い終えた瞬間、近くの席がざわめく。


「迷惑って……言い方、もう女官みたい」

「違う。あれは“責任”の言い方よ」

「男爵令嬢だったのに……怖い」


エレノアは平然と返す。


「迷惑ではありませんわ。――仕事です」


冷たい言い方に、近くの令嬢がひそひそ笑う。

けれど、その直後に気づく。

エレノアの視線が、ほんの僅か――マリエンヌの手元の震えを覆うように落ちていることに。


叱る。切る。突き放す。

それでも、最後の最後で“支える”ように位置を調整する。

冷たいのに、見捨てない。

高貴なのに、現場まで降りてくる。

そんな矛盾が、今の彼女の評判を作っていた。


食堂の空気はまた熱を帯び、噂は増幅し、王位の天秤は見えないところで揺れる。


けれど二人は、雑音の中でも淡々と食事を続けた。

次の舞台が、もう決まっているからだ。


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