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07.街を歩けば

 鍋みたいに大きな山高帽を買ってもらって、ルカはご機嫌に職人街を練り歩いている。はじめは髪型が崩れるだの何だのと喚いていたが──惜しむような出来映えでもあるまいに──、思いのほかサイズにゆとりがあるとわかって安心したらしい。一歩ごとにずり落ちてくる真っ黒なひさしは、ルカの素性を曖昧にするのにお誂え向きだ。作業着を羽織っただけの琥珀と並んでも、そこそこ馴染んでいるのではなかろうか。ルカが金の竪琴町にやってきて以来、まともに表に出るのはこれがはじめてだが、行き交う人から好奇の目を感じることはなかった。

 職人たちは黙々と、石炭を運んでは炉に突っ込み、赤熱した真鍮を叩きのめし、店先の大釜を掻き回している。黒ずんだレンガ造りの街並みには、油と金属の焦げる匂い、人の息吹が満ちていた。

「どこもかしこも煤まみれだな」

「この辺りはまだましな方だぜ」

 ヤセギスが肩をすくめると、ルカは首を傾げた。


「悪い。先行っててくれ。用を済ませてくる」

「『芯抜き』か。どこでやるんだ?」

 琥珀は曲がり角の工房を指差す。壁の料金表を覗き込んだヤセギスが眉を跳ね上げた。

「おいおい、相場の倍近くじゃねぇか。これじゃあお前さんの取り分がなくなっちまう。もっといい店に口を利いてやらぁ」

「別に構いやしない。俺は芯さえ手に入ればそれでいい」

「根っからの職人気質しょくにんかたぎだねぇ」

 ヤセギスは呆れたようにかぶりを振ったが、すぐにつと膝を打つ。そしてぽつねんと佇むルカへ視線を向けた。

「ルカよ。お前さん、ちょいと『冒険』したかねぇか?」

「もちろんだとも!」

 ぶかぶかの帽子が、これ見よがしに弾んだ。


***


 停留所にトラムが滑り込んでくる。一階は通路まで人が溢れていたので、鉄の階段を鳴らして二階へ上がった。都のトラムは二階まで屋根に覆われているというが、この街では野晒しの展望台だ。

 ルカを通路の奥に押し込んだところで、トラムが汽笛を上げて発車する。湿った蒸気が白く視界を濡らした。

 市場の中央通りから聞こえる威勢のいい呼び込みが、レールの軋みに重なって遠ざかる。用水路では婦人たちが洗濯に勤しみ、遠くの陸橋を黒煙と共に貨物列車が駆けていく。

「山の方にもトラムが走ってる!」

「貨物列車だ。人じゃなく荷物を運んでるんだぞ」

「向こうの川に船が停まってる。観光船か?」

「こんな煤けた街に観光客がくるかよ。洗濯船だ。ほら、ご婦人が洗濯物を持って出てきただろ」

 琥珀にとっては見慣れた光景でも、ルカには目に映るもの全てが新鮮であるらしい。両手で帽子を押さえながら、流れていく景色を食い入るように見つめている。

 トラムが中央広場の時計塔の前を通りかかると、ちょうど正午を告げる音楽が鳴り響いた。

「琥珀、時計が踊っているぞ!」

 ルカが驚いて声を上げた。真鍮の文字盤の下部に設られたステージで、ブリキの人形たちが演奏会を繰り広げている。

「あれは親方が作ったからくり時計だ」

「親方が……あんな楽しいからくり、都でも見たことがない」

「すごいだろ。この街のランドマークなんだ。俺も整備のために塔に登ることがある。トラムの二階よりずっといい眺めだぞ」

 得意になって話すと、ルカが目を輝かせる。

「あんな高いところから街を見下ろしたら、さぞかし気分がいいだろう。よし、僕をそこに連れていってくれ」

「残念だったな。関係者以外立ち入り禁止だ」

「そんなあ!」

 ふと、ヤセギスが腕組みをしてにやついているのに気づく。急に気恥ずかしくなって、琥珀はいけ好かない年長者を肘でつく。

「何だよ。その訳知り顔は」

「いやね。おじさん嬉しくってなぁ」

「見世物じゃないし、おじさんって歳でもないだろ」


 そんなやり取りをしていると、車掌がやってくる。

「乗車賃を」

「……乗車賃?」

 ルカは遠くのものを見るように目を眇めた。琥珀は片手を挙げ、「二人分」と言って乗車賃を支払う。ぽかんとしているルカの肩をヤセギスが叩いた。

「いいかいお坊ちゃん。世の中、鉄の箱一つ乗るにも金がいるんだぜ」


***


 坂道を下って貨物駅を行き過ぎ、倉庫街の手前でトラムを降りる。建物の間隔が広く、中心部より煤煙が濃い。景観を慮らない露天商たちが、思い思いの天蓋を張って通りを占拠していた。

「さて、本命の前にだ。ちょっくら俺の用事に付き合ってもらうぜ」

「わっ、何をする!」

 ヤセギスにぎゅっと山高帽を押し込まれ、ルカが小さく抗議した。


「おう、しばらくじゃないか。待ってたよ」

「おやっさん。調子はいかがです?」

「すこぶる安定してるよ。旧式もさっさと鞍替えしたいもんだ」

 鉄骨が剥き出しの無骨な町工場に足を踏み入れるなり、ヤセギスは流れるように商談をはじめた。

 手持ち無沙汰にしていると、梯子の上から大きく手を振っている大男の姿が見えた。頭を覆っているマスクを脱ぐと、女神の頭文字を刻んだ剃り込みが露わになる。

「シズカ!」

 灰掻き棒を炉に預け、シズカが近づいてくる。剃り込みの印象も手伝って、薄汚れたつなぎに身を包んだその姿は、信徒というよりならず者に近かった。

「シズカはここで何をしている?」

「……掃除」

「掃除か。可哀想に。シズカの勤め先にも汚す奴がいるんだな……」

「そりゃどういう意味だ、おい」

 深く頷いているルカを睨む。せっかく部屋を貸してやっているというのに何たる言い草だ。第一、住まいが汚れるのは生きている証だろうに。

 シズカは物言いたげにルカを眺め回している。次回の探索メンバーから外されたことを、やはり快く思っていないのだろうか。琥珀がひっそりと気を揉んでいると、シズカが巨体を縮めて耳もとに口を寄せてきた。

「私の着古しもやろうか」

「……二回りでかいな。気持ちだけ受け取っておくよ」


 ヤセギスは思いのほか早く戻ってきた。名残惜しそうにするシズカに別れを告げて、町工場を後にする。

「随分早かったじゃないか。商談はまとまったのか?」

「いや。今度近くにでけぇ工場がおっ建つらしいっておやっさんが嘆いてたんでね。そっち狙いに切り替えだ。最悪、シズカにゃ次の勤め先を探してもらわんとな」

「あんた、人の心ないのかよ……」

「馬鹿言っちゃいけねぇ。いい商人っつうのは誰よりも人の心をわかってるんだぜ?」

「あれ……?」

 不意にルカが足を止めた。視線の先にはチラシが貼られた掲示板と、それを見つめる髪の長い男。耳が尖っている。魔族だ。

「ルカ、どうかしたのか」

「ああ、いや……爺やと婆や以外の魔族を見たのは初めてだったから」

 男が掲示板を離れていくと、胡乱うろんなチラシが目に入った。


【占いの館 未来の呼び声】

 当館主の持つ「未来視」が、あなたの明日を言い当てましょう。

 迷える子羊たちよ。

 倉庫区四番地 焼却炉前にてあなたを待つ。


【境界観測研究所】

 遺構管理局は真実を隠している!

 当研究所は管理局が黙殺し続けている「境界」の観測に至ろうとしている。

 若者よ。未知の扉を拓き、世界の夜明けを望め。

 西区三十番地 境界観測研究所まで


【危険作業員募集】

 運搬および炉清掃。負傷・死亡時、補償なし。

 魔族可。

 西区七番地 職業相談所


「おいルカよ、お前さん、ぼけっとして『西側』に足を突っ込むんじゃねぇぞ」

「西側……?」

 ヤセギスは澱んだ水路を隔てる大きな石橋を指差す。

「あっち側はな、まともな奴なら近づかねぇ。俺たちゃ皆、向こうを西側って呼んでる。一度ひとたび迷い込んだが最後、お前さんみたいなひょうろく玉は、悪い大人にケツの毛まで毟り取られることになるぜ」

「ケツ……何だ……?」

「やめとけ」

 琥珀は橋の向こう側を見やる。鉄柵のように並ぶ煙突の向こうに、煙たい鈍色の空が垂れ込めていた。


***


 琥珀がヤセギスに案内されたのは、絵に描いたような曰くつきの店だった。ささくれだった棚には、用途不明のからくりや、怪しげな液体が満ちた瓶が所狭しと並び、その隙間に遺物のかけらが乱雑に押し込まれている。窓には麻布がかかっていて、ランプの灯りが店主の目をぎらつかせていた。

「用向きは」

「芯を抜いてほしい。余った殻はそっちで好きにしていい」

「相殺か。ブツを出してみろ」

 革袋から遺物を取り出す。店主は煙草をみながら検めた。そして数字の刻印された青銅のプレートを並べて、内訳を提示する。

 琥珀は眉を顰めた。ヤセギスは「いい店に口を利いてやる」と豪語していたはずだが。これなら職人街の工房の方がまだ安い。

「そう足もと見てやるなよ、旦那」

 後ろからヤセギスが気安く肩を組んでくる。

「何だい、あんたんとこの客か」

「そういうこった。鞘取り目当てじゃなく、道楽で芯を集める変わりもんなんだぜ」

 からかい混じりのヤセギスの台詞にむっとする。だが真正面から否定もできない。琥珀は頭を掻いて、店主を見据えた。

「止まらない時計を作りたい。たくさんの芯が必要だ。ざっと百個はくだらない」

「……物狂いだな」

 店主が煙草の灰を落とした。

「代金据え置きで二個抜いてやる」


 預かり証を胸に抱いて、琥珀はほくほくしながら店を出る。顔がにやけるのを止められない。まさかいっぺんに倍の成果が出るとは思いもよらなんだ。こんなにいい思いができるなら、毎度遠出するのもやぶさかではない。それにしても、こんなしまりのない顔をルカに見られたら何を言われるか──

「……ルカ?」

 辺りを見回すが、路地裏には人っ子一人いない。

「あのバカ王子……! 油断も隙もありゃしない!」


***


 ルカは通りの片隅で、まさに契約書にペンを走らせようとしているところだった。傍らでは煤まみれの魔族の子どもが、所在なげにようすを見守っている。

「ルカ! あんたなぁ……勝手にふらふらして、いったい何やってるんだよ」

「何って、人助けだ」

 ルカの目は真剣そのものだ。琥珀は契約書を掲げている男を見やる。身なりは整っていて、帽子も糊が効いている。

「薬代がかかるのです。どなたかが借用書にサインしてくだされば、私めがお貸ししましょう。期限までに返していただければ結構です」

「借用書……?」

 胡散臭い響きが耳をざらつかせる。

「頼むよ、兄ちゃん! 母ちゃんが病に臥せってるんだ。なのにもう三日も食べてなくて」

 子どもがルカの足もとにしがみついた。ルカは膝を折って、「わかっているとも」と子どもの真っ黒な手を取る。気のせいだろうか。琥珀には悲劇を謳う子どもの目つきが、やけに爛々としているように見えた。

「はいはい、ちょいとごめんなすって」

 背後からヤセギスがひょいと契約書を奪っていく。紫色の瞳が、蛇のように鋭くなる。

「返済期限は三日。利息は三割。この額、たかが煙突掃除じゃあ逆立ちしたって払えねぇな」

「そこをお頼み申したい。サインさえいただければ……」

「がきんちょの薬代を情け深いぼんくらに背負わせる。回収できりゃめっけもん。返せなけりゃあ、あんたの言いなりだ」

「そのようなことは。そうした場合『ちょっとした労働』にご従事いただくだけです」

「労働なら僕にもできる!」

 ルカが口を挟む。工房で働いた経験が、ルカに変な自信をつけさせてしまったらしい。ヤセギスは中折れ帽のつばを上げて、手の中の紙切れを翻した。

「ルカ、社会勉強だ。お前さんは今、売り飛ばされようとしてるんだぜ」

「……え」

「人聞きの悪い! 私は親切心で……」

「ちょっとした労働、なんてのに手を出したら、最悪二度とお天道さんの下を歩けなくなる。お前さんなら……労働はまだましな方、だな」

 自分が何を言われているのかわかったらしい。ルカは一瞬、傷ついたような顔をする。

「でたらめだ! 私は──」

 なおも反論しようとする男に、ヤセギスが契約書を突き返す。

「こいつぁこんなつらして文無しだ。それだけじゃねぇ。とんでもねぇ訳ありときた。……あんた大損こくぜ」

 男の目つきが変わった。ヤセギスは嘘をついていない。王族だとか追われているとか、肝心なことを言っていないだけで。

「この辺で商売したけりゃあ、もっと上手くやれよ」

 男の肩を叩いて、ヤセギスは踵を返した。後ろ髪を引かれているルカを促して、琥珀も後を追う。

「助けないのか?」ルカが追い縋る。

「お前さんが一生おまんま食わせてやんのか?」

 ぴしゃりと言い返され、ルカは何も言えずに俯いてしまった。


 居候がとぼとぼついてきているのを確かめながら、琥珀はヤセギスに並んだ。

「すまん、恩に着る」

「なに、道楽だよ。あんな面白い読みもん、臭ぇ契約書か、新聞の隅に載ってる冒険譚くらいだからな」

「意外とそういうの好きなんだな」

「放っとけやい」

 琥珀は振り返る。子どもが男の足を踏んで、「下手くそ!」「くそがき!」と罵り合っているところだった。


***


 その後ヤセギスの提案で、ルカの耳飾りを一つ質に入れた。片耳だけでも当面の生活費に充てるには十分な値がつき、ルカは初めて自分の財布を持つことになった。「琥珀に乗車賃を返してやりな。むやみに借りを作る癖をつけるなよ」ヤセギスに諭されて、ルカは殊勝に頷いた。

「琥珀、ありがとう。二人とも、すまなかった」

 いつも尊大なルカの神妙な顔に、調子が狂って仕方がなかった。


「帽子代はいいのかよ」

 琥珀が尋ねると、ヤセギスは煙管をふかした。

「ありゃ貸しじゃねぇ。投資だ」

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