06.青い光
「よう、景気はどうだ……何だお前さん、少し窶れちゃいねぇか?」
工房の呼び鈴を鳴らしたヤセギスは、琥珀の顔を見るなり眉を顰めた。
「……ちょっとな。いや、あんたにだけは言われたくないが」
琥珀は作業机から顔を上げる。分解しかけの懐中時計の蓋の裏に、隈の浮いた自分の顔が映り込んだ。
昨日は丸一日ルカのお守りにかかりきりで、ろくすっぽ仕事に手が回らなかった。そのため琥珀は、オイルランプの明かりを頼りに、空が白むまで手を動かし続ける羽目になったのだ。開け放たれた扉から差し込む日光が、寝不足の目に容赦なく刺さる。ヤセギスは肩をすくめて、カウンターの上に麻の包みを置いた。
「まあいいや。ほらよ、約束のブツだ。俺のお古だが、文句は言わせねぇぜ」
ヤセギスのお下がりを身に纏ったルカが、梯子を降りてくる。琥珀は思わずヤセギスと顔を見合わせた。
「ちぃとばかり……様になりすぎだな」
焦げ茶の外套、少し丈の余るスタンドカラーのシャツ。ボタンが一つだけ違う亜麻色のベストに、膝の出たズボン。包みから出てきた使い古しを見たときは、これならば誰もルカを高貴な身分だとは見抜けまいと思ったのだが。洗い立ての真っ白なスカーフを巻いたルカの佇まいは、下町の少年というより訳ありの子息だった。不器用な手つきで結ばれた青いリボンは、頭の左上に片寄っている。こんな妙ちきりんな髪型ですら、都の流行りだと唆されたら信じる者もいるのではないだろうか。
「ふふん、どうだ。僕は何でも着こなしてしまうな」
当の本人はこちらの懸念などつゆ知らず、呑気にふんぞり返っている。人目を引くことと人目を忍ぶことは、すこぶる相性が悪いのだが。このお尋ね者の王子は気づいているのだろうか。
「どうしたもんだか。こうなりゃ、鍋でもおっ被せておくっきゃねぇな」
ヤセギスは諦めたように、少しねじけたスカーフを直してやった。
***
地下からボイラーの低い音が響いてくる。親方が金属加工をはじめた合図だ。こうなると親方はしばらく上がってこない。その間、客の相手は琥珀の役目になる。
「ルカ。お客がきたら用件を聞いておけるか?」
カウンター奥の作業場から声をかけると、ルカは外套を畳みながら寄ってきた。
「何だ。今日は何をすればいいんだ?」
「修理なら話を聞いて、親方に用なら呼びに行って、買いものなら俺を呼べ」
「任せたまえ。それくらい僕にかかれば朝飯前だ」
胸を叩いてカウンターに戻っていく後ろ姿に、琥珀は思わず「本当かよ……」と呟いた。昨日あれだけぽんこつを晒したのに、いったいぜんたいどこからその自信が湧くのか。根拠のない自惚れ屋ほど始末に負えないものはない。
だがその前向きさのおかげなのか、ルカは馬鹿がつくほど素直だ。仕事ぶりこそ臍で紅茶を沸かすような出来だが、何を頼んでも二つ返事で受け入れる。さっきだって王族の身空で小間使いみたいに呼びつけられたのに、気にも留めない。おかしな奴だ。
机の隅に並んで順番を待っている修理品に手を伸ばす。ねじを巻く。巻き切る手前で、指先に伝わる手応えが、だだをこねる子どもみたいに重くなる。裏蓋をこじ開けた途端、目の奥にこびりついた眠気が洗われていく。
「……いいものだな」
自然に口角が上がる。機構の繋ぎ目に、研ぎ澄まされた透明な石が嵌め込まれていたのだ。話が早くて助かる。故障の原因は摩耗じゃない。
琥珀は袖を捲り上げ、ルーペを右目に挟み込んだ。機構をケースから取り出して、歯車の連なりに眼を滑らせていく──見つけた。歯の隙間に、微細な異物がしっかと噛み込まれている。
小さく鼻歌を歌いながらぜんまいの力を抜く。ねじ回しとピンセットで部品を一つ一つ外していく。いよいよ原因の歯車を外そうというときに、工房の呼び鈴がからんと鳴った。
「おお、ムシュー。我が館へようこそ。どんな願いも叶えて進ぜよう!」
次いで、オペラの歌い手じみた高らかな声が、琥珀の耳を劈いた。
「このバカ王子……!」
ここは怪しい呪い屋か。これが作業中でなかったら、不敬を顧みず後ろ頭の一つも引っ叩いていたところだ。手に持ったピンセットを落とさなかったのは職人の矜持という他ない。振り返らずとも目に浮かぶ。ルカが何一つ悪びれぬ顔で、客を困惑させるさまが。
腹をくくって椅子を引こうとすると、ぐえ、と蛙の潰れたような声がした。見れば、ルカが脇腹をおさえてよろめいている。代わりに腰に手を添えたヤセギスがカウンターを乗っ取っていた。肘が入ったな、あの角度は。ルカが喚くのも素知らぬふりで、中折れ帽を脱いだヤセギスは、老紳士へ恭しく一礼する。
「失敬、こいつときたら、まだてんで駆け出しでして。責任を持ちまして、私めがご用件をお伺いしても?」
「え、ええ……時計が壊れてしまったもので。直していただきたいのです」
鳩が豆鉄砲を食らったように固まっていた老紳士は、我に返ってカウンターで包みを解いた。草花をあしらった金属フレームの置き時計が現れる。
「マントルピースを掃除したときに、落っことしてしまって。いやはや、焼きが回ったものです」
「そいつぁいけませんや。ご主人のお時計、大事にされてきた顔してまさぁ」
深い情けを滲ませながら、ヤセギスはポケットから出した綿の白手袋で置き時計に触れる。
「ぜひとも真心こめてお直しいたしますよ。……なあ琥珀」
ヤセギスが持ってきた置き時計を覗き込む。何ということはない。長針と短針が外れて、ガラスの中で遊んでいるだけだ。
「……五分でやる」
「五分いただけましたら、うちの腕利きがきっちりと出来してご覧に入れましょうとも。いかがでございやしょう」
軽妙な弁舌に、老紳士は顔を綻ばせる。
「助かるよ。妻の形見の品でね。どうしたものかと途方に暮れていたところだったのだ」
その後ヤセギスは、琥珀が針を取りつけているたった五分ばかりのうちに、壁にかかっていた高級時計までも、ついでとばかりに売り捌いてしまった。工房にやってきたときはどこか塞いだようすだった老紳士は、帰る頃にはすっかり晴れ晴れとしていた。琥珀もルカも、ヤセギスの鮮やかな手腕を前に、目をぱちくりさせるしかなかった。
***
「琥珀、どうだ?」
「一日預かりだな」
「心得た」
ヤセギスの口達者ぶりを目の当たりにして、ルカには何やら思うところがあったらしい。「ひらめいた!」と叫んだときには、今度は何をやらかすつもりだと身構えたものだが、いざ客の前に立たせてみると、ルカの接客は急に本領を発揮しはじめたのだった。
「どうか一日、貴女の貴重なお時間をいただけませんでしょうか。うちの腕利きが丹精を込めてお直しいたしますとも。宜しゅうございますかな? マダム」
白手袋を胸に当て、ルカはカウンターの向こうの婦人に一礼した。もともと見てくれには品があるし、きちんとすれば様になる。昨日の慌て者ぶりが嘘のようだ。
「ええ、お願いしますわ」
まるで絵本に出てくる騎士のように振る舞うルカ。きっとこんな下町の店先で、こんなお姫様扱いを受けることになるとは、夢にも思わなかったに違いない。婦人はさっきから、うっとりとしなを作っている。
……上手くやってくれることに文句はない。ないのだが。
「ありがたき幸せ。これも何かのご縁。当店自慢の品もご覧になっておくんなまし。いかがです、こちらなど気品がありましょう。良い品は人を選ぶもの。貴女を待っていたのやもしれませぬ」
「あらまあ……」
「……何か、年寄りじみてるんだよな」
首を捻りながら、琥珀は時計の裏蓋をしめた。
***
今日の成果はここ最近で一番だった。売上を親方に報告すると、親方は琥珀とルカの頭に大きな手を置いた。
「上出来だ」
熱い掌の感触が照れ臭くて、ルカのようすを伺う。ルカの得意げな顔つきが、たった一瞬、切なげに歪んだような気がした。
「ここが風呂場だ。ほら、沸いてるだろ」
「おお……」
地下の蒸気風呂に連れていくと、ルカは物珍しげに辺りを見回した。
浴槽の上に備えつけられた配管を見る。親方が使ったボイラーの余熱で湯も沸かせるという優れものだが、いかんせん加減というものを知らず、床までびしゃびしゃにしてしまうのが玉に瑕だ。
次に石造りの小さな浴槽を。琥珀が少し身を縮めて入れる程度の大きさだ。ルカならば琥珀より少し、ほんのちょっとだけ小さくなって入らなければならないだろう。
桶に引っかけられた手拭いへ目を落とす。油やコーヒーの色が染みついてしまっているが、ちゃんと洗っているから清潔だ。そんな顔をされる筋合いはない。
「ここが……?」
「不満なら洗濯屋の洗いものにでも混じってこい」
壁にかかる温度計の目盛りはまだ高い。入っても焼け死なない程度に冷めるのを待ってから、ようやく浸かることができる。甚だ便利な代物だ。
「頃合いを見て入れよ。俺は後でいい。石鹸なら裏庭にある」
「裏庭に……?」
「考えるのをやめたら楽になれるぞ。上がったら声かけろよ」
しばらくして、案の定「熱いっ、僕を豆みたいに煮込んでしまおうっていうのか!」という絶叫が地下に響いた。だから頃合いを見ろと言ったのに。
***
風呂場をブラシでぴかぴかに磨き上げてから──ルカの物言いたげな視線を受けての行動ではない、断じて──自室にこもる。濡れた髪を乱暴に拭いながら、ツールベルトを手に取った。狭いベッドの上に探索道具を一つ一つ並べて、ランプの明かりを差し向ける。
ルカはいったい何なのだろう。遺構が特定の人間に反応するなんて話は、資格試験の教本のどこにも載っていなかった。次の探索にルカを連れていって、閉ざされた扉を開けさせたら、いったいどこまで行けるのだろう。国が成り立つよりずっと前から存在するあの不可思議な遺構の奥には、どんな驚きが眠っているのだろう。それに、ひょっとすると未踏区画には、琥珀が夢にまで見た「当たり」が身を潜めているかもしれない。
巻き上げ機の滑車に油を差していると、部屋の扉がノックされる。
「琥珀、入るぞ」
ランプの明かりが、夜着を纏ったルカの姿を浮かび上がらせる。水を含んだ髪が、首筋に張りついたままだ。
「ここって君の部屋だったんだ。てっきり物入れかと思ってた」
「じゃあ俺はブラシか何かか?」
実際、ルカの失礼な物言いは的を射ていた。琥珀の部屋は屋根裏なんかよりずっと狭い。ベッドと机の隙間に、鞄やら工具箱やらがぎっしりと敷き詰められている。琥珀はどんなところでも眠れる性分なので、住み込みをはじめるときに自分からここで構わないと言ったのだ。
「こんな時間に何の用だ。夜食なら台所の豆でもかじっていいぞ」
「僕はネズミじゃない。君の暮らしぶりを見物にきたに決まってるだろう」
面白いものなどあるまいに、ルカはしげしげと部屋の中を見回している。ふと、その視線が琥珀の顔に縫い止められた。というより、左目の上に。そういえば風呂上がりで前髪を掻き分けていたのだった。どうにも居心地が悪くて髪を下ろす。
「それ、怪我の痕か?」
「いや……ただの生まれつきだ」
子どもの頃ほど気にはしていないが、あまり人からじろじろ見られるのはいい気がしない。しかしそんな機微を汲み取れるルカではなかった。琥珀の前に回り込んで、ぐいと覗き込んでくる。
「痛くはないのか?」
「痛くない。もういいだろ」
「どうしたんだ。ようすが変だぞ」
「あのなあ……こういうときは見て見ぬふりをするものだろ。ただでさえ目つきが悪いのに、この痣のせいで怖いだの生意気だのと、散々言われてきたんだからな」
分別のつかない小童だった頃は、気に病むあまり両親を咎めたこともあった。しっかりと鉄拳制裁を食らったことも含めて、居た堪れない思い出だ。こんな無防備な夜分に誰かと一緒にいるからか、忘れかけていた屈託が顔を出してしまったようだ。
「おかしな話だ。痣があろうがなかろうが、君は生意気だろうに」
琥珀の煩悶などどこ吹く風で、ルカは大袈裟に肩をすくめた。
「何だよ。二つしか違わないくせに」
世話をしているのはこちらの方だというのに、何を偉そうに。琥珀が文句を言うと、ルカはきょとんとして、愉快そうに笑った。その顔を見て思い出す。偉そうなんじゃない。偉いんだった。
「って、おい。何居座ろうとしてんだ」
「ちょうどいいソファがあったから」
ルカは勝手にベッドの真ん中に腰を下ろしている。完全に寛ぐつもりだ。
「今さっきまで俺は道具の手入れをしてたんだぞ」
「それは僕が見ているとできないことなのか?」
「できるけど……はあ、もっとそっち詰めろよ」
ルカを隅に押しやって、ベッドの上で手入れを再開する。何が悲しくて男二人でこんな狭いところに収まらなくてはならないのか。
「琥珀、この小さな筒は何が入ってるんだ?」
「特製閃光粉だよ。間違ってもそのピン抜いてみろ。工房中が光と煙に包まれて、火消しが飛んでくるぞ」
「えっ……」
興味津々で見ていたルカが、そっとカートリッジをベッドに戻す。放っておけば何をしでかすかわからない奴だ。適当におどかしておこう。
「ん……?」
ふいに、ベッドの下から青い光が漏れていることに気がついた。訝しく思って、ベッドの下にしまってある木箱を引き出す。
「何だ……これ」
木箱の中に入っている遺物が、煌々と光っていた。そのうち一つを手に取って、矯めつ眇めつする。内側からぼんやりと発光し続けていること以外、何も変わったところは見当たらない。
「どうかしたのか?」
琥珀がそわそわしている一方で、ルカは何食わぬ顔で琥珀のゴーグルを覗き込んでいる。
「いや、何でそんなにどっしり構えてんだ。ほら、見ろよ。遺物が光ってるだろ。いったいどうして……」
「そういうものじゃないのか? 遺構の中に生えているやつも、近づいたら光ったぞ」
またしても衝撃的な発言が飛び出す。
「近づいたら、光った……?」
琥珀は動悸を抑えつつ、遺物を手にしたまま部屋を出る。光が途切れる。部屋に入ると、また光る。
「……こいつもルカに反応してるのか」
「どういうことだ?」
何も知らないルカに、どう説明したものか。遺物はランプでもなんでもない。ただの鉱物だ。誰かが近づいただけで光る特性があるなんて教本のどこにも書いていなかった、とでも言えばいいのか。
遺構はルカに反応する。遺物もルカに反応する。
間違いない。本人に心当たりがなかろうと、ルカは遺構と関係している。次の探索で、この謎を解き明かすことができるのだろうか。
「そうだ、コンパス……!」
遺構の中でルカを指し示した遺物コンパス。あの異常な挙動もこの件に無関係なはずはない。琥珀は勢いよく立ち上がり、
「……返したんだった」
続けざまに、遺構管理局に返却したことを思い出し、がっくりと座り込んだ。




