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05.地下と屋根裏

 官庁街の中央で肩をそびやかしている石造りの庁舎、遺構管理局。等間隔に並んだ長い窓のあいだを、剥き出しの真鍮の配管が這っている。後から無理やり継ぎ足したのが丸わかりの歪な造りだ。ときどき吐き出される蒸気の間の抜けた音だけは、妙に愛嬌がある。

 琥珀が重たい扉を押し開けると、タイプライターの打鍵音が押し寄せた。ロビーの革張りのベンチでは、私服のピカリが足を揺らしながら順番を待っている。男物じみた紺のブレザーにキュロット。鮮やかな赤のボウタイと、同じ色の紐で締められた編み上げブーツ。遺構の中で見る探索装備姿に比べると、随分軽そうだ。琥珀の姿を見つけると、彼女は大きく擦り傷だらけの手を振った。

「やっほう、琥珀君。コンパスの返却?」

「ああ。それと、未踏区画の件で」

「じゃあもっと早く来ないと。お天気の日は混んでるんだから」

「げ」

 琥珀は急いで、カウンター脇に備えつけられた発券機のレバーを引き下げる。「九番」と書かれた真鍮の番号札が、ぺっと吐き出された。番号表示板を見る──三番。

「はあ……」

 堪えきれずにため息が逃げた。


 番号札を弄びながら周囲を見回した。寸分の狂いもなく積み上げられた石壁が、探索スケジュールや遺構内部マップで埋め尽くされている。禁則事項の貼り紙の周りには、より大きく、より単純な文言で書かれた注意喚起が、やけっぱち気味に広がっていた。


 しばらくして、ラッパが歪んだ声で「九番でお待ちの方。総合窓口へお越しください」と呼んだ。琥珀はあくびを噛み殺しながら、オイルでぴしりと髪を整えた男性職員のいる窓口に向かう。

「本日のご用件は」

「コンパスの返却と、前回の探索で未踏区画に入ったんで、マップ更新報告を……」

 男性職員はつむじを見せたまま、慇懃無礼に対応する。

「貸与物の返却は資材管理課へ。マップ更新の件については、申請書を作成して承認印をもらってから、地下の地図課に回ってください」


 言われるがままに、記入ブースに足を向ける。申請書の白地図に未踏区画が載っていなかったので、鉛筆で無理やり付け足した。承認窓口に持ち込むと、問答無用で突き返される。

「書類不備です。書き直してください」

「いやいや、未踏区画に到達したんだって。白地図に載ってないんだから仕方ないだろ」

「……少々お待ちを」

 窓口担当が、奥に座している腕章をつけた職員に相談しにいく。「前例がない」「担当部署が違う」と、益体のない会話が漏れ聞こえる。

「例外は承認できません。地図課にご相談ください」


 地図課に行くと、案の定門前払いされた。

「承認印のない申請書は受理できません。承認窓口にて印をもらってください」

「いやいや、承認してもらえなかったんだって。未踏区画に到達したんだ!」

「……未踏区画ですか。承知しました。少々お待ちを」

 職員は手早く書類を作成し、カプセルに詰め込んだ。それをカウンター裏の気送管に差し込む。ぽんっと小気味のいい音がして、カプセルが垂直のパイプを駆け上っていった。近頃郵便配達にも使われはじめた最新の機構だ。琥珀が少し感心した直後、ガコンと不吉な音がする。旅立ったはずのカプセルがけろりとした顔で出戻っていた。

「……調子が悪いようですね。こちらの書類を持って総合窓口にご相談ください」

「勘弁してくれ……」

 琥珀はがっくりと肩を落とした。


***


 袋小路のネズミのように彷徨わされ、ようやく煩雑な手続きから解放される。精魂尽き果てた琥珀を、右手にコーヒーのカップ、左手にかじりかけの揚げパンを持ったピカリが出迎えた。

「終わった?」

「くつろいでんな……」

「次の探索、一ヶ月後だって」

「遠いな……」

 無情な現実に疲労感が増す。ルカは勝手に忍び込んでいたが、本来遺構探索は完全予約制だ。本当なら今すぐにでも再調査に行きたい。遺構がルカに応えるところをこの目で確かめたい。しかし飽くなき好奇心も、制度の前では無力だ。

「同行者はルカ君で申請したから。ヤセギス君は、商売次第だってさ」

 揚げパンを頬張りながら、ピカリが次回の編成を事もなげに告げる。

「シズカが泣くな」

 ピカリのような上級探索者は、資格を持たない人間を一人まで同行させることができる。今まではシズカがその枠に収まり、恵まれた体躯を活かしてボディーガードを務めてくれていたのだ。寡黙な大男のしょんぼりする顔がよぎり、何とも言えない心持ちになる。

「にしても、一ヶ月か……」

 それは同時に、最短でもその間、あの俗世離れした王子をどうにかしなければならないということだった。


「探索者様。少々よろしいでしょうか」

 硬い声に呼びかけられて振り返ると、鉄紺色の引っ詰め髪が目に入る。すっかり顔馴染みになった職員が、ジャケットの襟を正しながらバインダーをめくっていた。

「あ、ガチコ」

 ピカリが馴れ馴れしく手を振ると、ガチコは鋭い咳払いを返した。──ガチコというのは本名ではない。ピカリが勝手に彼女の人となりを名状しているだけだ。

「先日の報告書に目を通しました。貴女は毎度のことながら、こちらの手間を増やしてくださる」

「いやはや、毎度お世話になってまぁす」

 元気よく敬礼を返すピカリ。丸眼鏡の奥の赤錆色の目がすうっと細まる。ガチコの手の中で、ものすごいスピードで万年筆が回っているが、ピカリはまるで気にするようすがない。立場は異なれど、同情と親近感を覚えてしまう。

「あんた、今度は何やらかしたんだよ」

「心当たりがなさすぎてどれだかわかんない」

「ありすぎて、じゃなくてか?」

 こそこそと話していると、再び咳払いが飛んでくる。

「どこの世の中に『人』を採取してくる探索者がいますか。説明を求めます」

「えへん。ばっちり上限に収まってたでしょ」

「貴女は人と石の区別がつかないようですが、私は違います」

「どういうことだ? どうにも話が見えないんだが……」

 ろくでもない予感を覚えつつも琥珀が尋ねると、ピカリはいけしゃあしゃあと答える。

「琥珀君の遺物の採取数が上限に満たなかったから、ちょうどいいと思ってルカ君を遺物として登録しただけだよ」

「とんでもない奴だな。味方ながらびっくりだよ」

 遺構からルカを連れ出そうとしたのを係官に見咎められたとき、「私にお任せあれ」と胸を叩くピカリに全てを託したのだが。常識の枠をぶち抜く皺寄せは、事務手続きという形で返ってくるらしい。

「メカだって反応したじゃない」

「ただの故障です。そんなことより、その人物は何者なのか、何故行動を共にしていたのか、詳細の報告を」

 黒光りするパンプスが床をコツコツと鳴らすと、癖のある毛先が忙しなく揺れる。

 ここで事情を詳らかに話せば、十中八九ルカは管理局預かりになるだろう。そうなれば、この先遺構の謎に近づく機会は二度と訪れないかもしれない。琥珀はピカリを横目に見た。ピカリは目だけで頷く。

「ガチコ。次の探索で、私たちはとびきり面白い報告を持ってくる。この話の続きは、そのときにしようか」

 ピカリの真剣な声色を受けて、ガチコが考え込む。そして諦めたように頭を振った。

「……その呼び方を許可した覚えはありません」


***


 結論から言うと、ルカは琥珀の工房に居候することになった。ヤセギスは妻帯者だし、シズカは修行僧さながらの暮らしぶりだし、ピカリはあれでも年頃の婦女子だ。議論する前から、答えは出ていたに等しい。そのことを告げると、ルカは両手もろてを挙げて喜んだ。

「ありがとう、君は命の恩人だ。僕の疑いが晴れて屋敷に戻れたあかつきには、ううむ、そうだ、とびきりの茶葉を用意して、君をお茶会に招待してやろう!」

「気遣いは無用だ。住処を保証する代わりにあんたにも働いてもらうんだから」

「うん? 何だって?」

 見た目に違わず、都合の悪いことは右から左に抜けるたちであるらしい。琥珀は噛んで含めるように繰り返す。

「ただ飯食らいは置いておかないって言ったんだ。ここで暮らしたけりゃ、あんたも働くんだよ。飯も部屋も、その対価だ」

「……働く? この僕が?」

 ルカはまるで異国の言葉でも耳にしたかのように呆けた。


 この工房の主は、ドワーフの親方である。琥珀は時計職人見習いとして、住み込みで彼に師事している立場だ。

 親方には、包み隠さずわけを話した。ルカが王家に追われているらしいことも含めて。それでも親方は、大きな髭を撫でながら承諾してくれた。

「自分の尻は自分で拭けるってんなら、好きにすりゃあいい。それにたとえ王家といえども、この街じゃあ勝手な真似はできねぇはずだ」

 親方の言葉は気休めではない。金の竪琴町は、国の中にありながらも国に支配されない街だ。不文律を破って経済を止められでもしたら、王家だってただでは済まない。親方が言うのはそういうことだった。


「そういうわけで、今日からここがあんたの城だ」

「冗談はやめたまえ。ここは物置だろう? 君、僕のことを荷物みたいに詰め込んでしまおうって魂胆なのか?」

「意外と的を射たことを言うじゃないか。そうさ、今のままじゃああんたはお荷物だ。まともに扱ってほしければ、まずはこの物置を何とかするんだな」

 埃っぽい屋根裏部屋に通すと、ルカは案の定文句を垂れた。剥き出しの梁は蜘蛛の巣に占領されているし、床には古新聞や麻袋、切りっぱなしの端材が散乱していて、足の踏み場もない。

 夜になると親方は家に帰ってしまうので、この工房で寝起きしているのは琥珀一人だ。しかし一階は作業場兼受付で、半地下が台所。地下は加工場に倉庫、風呂場に琥珀の部屋がぎゅうぎゅう詰めだ。ここは下宿先として、いっそましな方ですらある。そりゃあ今までルカが暮らしていたであろう王宮に比べたら、天と地ほどの差があるだろうが。今は涙を飲んでほしいものだ。

「ちょっと掃除すれば見られるようになる。ほら、手伝ってやるから」

「それは使用人の仕事だろう。君がするんじゃないのか?」

「誰が使用人だ。あのな、あんたはお尋ね者で、俺はあんたを匿ってやる立場なんだぞ。少しは自覚を持て」

 あんぐりと口を開けている王子の手に、箒と塵取りを押しつける。ルカがまごまごしているうちに、琥珀は屋根窓のハンドルに油を差し、蜘蛛の巣を掃討し、てきぱきと荷物を地下の倉庫に移していく。そうしてやっとのことで、屋根裏は人一人暮らしていける程度に片づいた──ほとんど琥珀のはたらきによって。

 机や椅子は使っていなかったものを運び入れたが、さすがにベッドは余っていない。ありったけの毛布をかき集めて、屋根裏の隅に積んでいく。

「悪いがあんたの寝床はこれだ。我慢してくれ」

 ルカが真顔で琥珀を見つめてくる。

「君は何を言っているんだ」

「仕方ないだろ。洗って天日干しすればかさが五割増しくらいになるかもしれないぞ」

 昨夜作業場に泊めてやったときは、毛布を一枚渡しただけで満足したくせに。許容範囲の基準がよくわからない奴だ。


***


「次は洗濯だ」

 今度はルカを連れて裏庭に出る。ルカは積み上がった洗濯籠と桶、井戸と物干し竿を順番に見た。

「……え」

 だんだん反応が単調になってきている。琥珀は知らんぷりして、井戸に釣瓶つるべを落とした。ずしりとした手応えがあり、ロープが手のひらに食い込む。

「いいか、こうやって水を汲んでだな……」

「僕、フォークより重いもの持ったことないんだが」

「やったな。世界広しといえどあんたほど働き者の貴族はいないよ。誇っていけ」

「そ、そうか? ふふん。そこまでいうなら仕方ない」

 おだてに乗りやすくて助かった。ルカは琥珀に続いて釣瓶を落とす。が、下手だ。とてつもなく。まっすぐに落ちなかった釣瓶が、ぱちゃぱちゃと水面を泳ぐ。やっとのことで掬えたと思えば、今度は上がってこない。

「うっ、重い。君って見かけによらずっ、馬みたいに力があるのか?」

「褒めてるのか貶してるのかどっちなんだ。って、腰を入れろ、手を緩めるな!」

「わあ、全部こぼれたぞ!」

「こぼしたんだろ。ああもう、言わんこっちゃない!」


 擦った揉んだの末、ようやく桶に水を張る。

「見てろ。こうやって綺麗にするんだ」

 琥珀は汚れた服に石鹸をこすりつける。まずはルカの上着から。シャツの方は──小柄な琥珀のものはルカには入らなかったので──ヤセギスから替えの服が届くまで着たきりだ。

 ルカがスカーフを手に取って、おっかなびっくり擦りはじめる。赤子でも愛でるような力加減で。

「そんなんじゃ春になったって終わらないぞ。もっと強くこすれ。よしよし、じゃない。ごしごし、だ」

「もっと強く? これくらいか? あっ」

「あいてっ」

 ルカの手からすっぽ抜けた石鹸が、琥珀の顔面に直撃する。悶絶する琥珀のありさまに、ルカは口を覆って戦慄いた。

「……こいつ、君のことが好きらしい。矢も盾もたまらず飛び出してキスするくらいに」


***


「念のため聞くが、料理はしたことあるのか?」

「あると思うのか?」

「じゃあ俺の手伝いだ。それならできるだろ」

「できると思うのか?」

「いばって言うことか?」

 焦げた油の匂いのする台所に、石鹸の残り香が混じる。鍋やフライパンは煤けていて、テーブルは染みと傷まみれ、玉ねぎと乾燥ハーブと布巾が全部同じフックにかかっている。台所に足を踏み入れた瞬間、ルカは麻袋を壁に寄せたり、転がった空き瓶をテーブルに乗せたりしはじめた。意外だ。

「その袋に芋が入ってる。剥いといてくれ」

 琥珀は鍋に水と乾燥豆を放り込み、火にかけた。ルカが袋から泥だらけの芋を取り出して、切羽詰まった顔で見せつけてくる。

「琥珀、これ汚れてるぞ! とてもじゃないが食べられやしない」

「猪でもあるまいし、洗って食べるに決まってるだろ」

「なるほど、石鹸を使うのだな。任せておけ」

「やめとけ」

 料理の合間にルカの面倒を見る。というより、ルカの面倒の合間に料理をしているのに近い。手伝わせているはずが、いつもの倍は時間がかかっている。

「そんなんじゃ食うところがなくなるだろ。親指はここで、ナイフじゃなく芋を動かす。ゆっくりでいい」

「ひいい、怖い。指が全部なくなってしまう」

「泣き言を言うんじゃない。こんがり揚がったポテトフライを満足いくまで味わえるかどうかは、あんたの頑張りにかかってるんだぞ」

「はっ、琥珀! 大変だ、火がついてる、火事だ!」

「落ち着け、焼いてるだけだ。やめろ、水をかけるな!」


 取引先から帰ってきた親方が、綺麗になったルカの部屋を覗く。裏庭にはためく洗濯物を眺めた後に、完成した料理が並ぶテーブルについた。ミルクと堅パン、琥珀が作った玉ねぎと焼きソーセージ入りの豆スープ。ルカが削り出した、不恰好なポテトフライ。

「何だ。なかなか見どころがあるじゃねぇか」

「ははは」

 深く頷いている親方に乾いた笑いを返す。そんな琥珀をよそに、ルカはナイフとフォークで上品に口へ運ぶと、真面目くさった顔をした。

「……美味いな。僕、自分に料理の才能があるとは知らなんだ」

「……再調査、まだかな」

 琥珀は天を仰いだ。

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