04.終わる日常
遺構探索には、遺構管理局が発行する「探索者資格」が必要である。一攫千金を夢見る探索者たちは、見ているだけで舟を漕ぎそうな規則の数々を、すべて頭に叩き込まなければならない。
一つ、遺物の採取は数量上限を厳守すべし。
一つ、採取した遺物の詳細は、三日以内に報告すべし。
一つ、入構及び退構時、許可証と人数を照合すべし。
遺構の出口。係官が指を湿らせて、申請書類を確認している。カウンターには四枚の出入許可証。カウンター越しに、各々あらぬ方向に視線を外しながら退構許可を待っている琥珀、ピカリ、ヤセギス、シズカ。その後ろでふんぞり返っているルカ。
係官はパーティーを見て、許可証を見て、もう一度パーティーを見た。
「一人多くない?」
***
窓の外から聴こえていた。
遠くまで響きわたる澄んだカリヨンの音。
嬉々としてさえずるコマドリの歌。
寄宿舎へと帰っていく学生たちの、屈託のない笑い声。
都の外れの小さな屋敷の窓辺に響いていたのは、ルカがしゃにむに羽ペンを走らせる掠れた音だけ。
頭の後ろで丁寧に編み込まれた、白金色の髪。無心に文字を追いかける、亡き母譲りの黄橙色の瞳。冬の陽射しを受けて光る銀の耳飾りは当世風だが、味わい深い刺繍の施されたベストは、とうに流行遅れだ。
何枚にも積み上がった写し書きの紙が、窓から吹き込んだいたずらな風に舞い上がった。首の後ろに流した髪の毛がふわりと揺れる。熱中して気づかないルカの代わりに、ノックの音と共に部屋に入ってきた乳母がそれを拾い上げた。
「坊ちゃま、お茶の時間にしましょうね」
清潔なリネンのエプロンの皺を整えながら、乳母は微笑んだ。年月が刻まれた目尻に、深い慈愛が滲む。糊のきいたモブキャップの下からは、人のものではない、尖った耳が覗いていた。
王家が魔族を使用人にする例は他にない。しかし母は分け隔てなく彼らを雇い入れた。そのため、ルカにとっては特別なことでも何でもないのだった。
「婆や、おやつは何だ?」
インクに汚れたルカの手が止まる。
「焼きたてのスコーンに、クリームをたっぷりと。本日の茶葉は、ええ、それはもう、とびきりですのよ!」
歌いかけるような乳母の調子に、ルカは無邪気に相好を崩した。
ひたすらの写書と、家庭教師による授業、一日四度のティータイム。それが齢十八になる第二王子ルカの、ささやかな暮らしのすべてだった。
その日のルカはめっぽう浮き立っていた。これというのも、敬愛してやまない兄であるラルゴから、ルカに宛てて手紙が届いたからだ。乳母と同じく耳の尖った老執事は、「ラルゴ様が坊ちゃまをお呼びになっているようでございます」と、端的に告げた。
「兄上にお会いできるんだ! 婆や、いっとう良い他所行きを用意してくれ。爺や、迎えはまだ来ないよな? 婆や、髪もやってくれ。爺や、」
「慌てなさいますな、坊ちゃま。刻限はまだ先でございますぞ」
愛妾の子であるルカとは違って、嫡男のラルゴは日々公務に明け暮れている。母の存命時は屋敷に顔を出すこともあったのだが、近頃はとんと姿を見せなくなっていたのだ。毎日変わり映えのしない写書に明け暮れながら、ひそかに侘しさを感じていたルカにとって、これほどの朗報はなかった。
「あらあらまあまあ、坊ちゃまったら。ちょっと待っておくんなまし」
ぜんまい仕掛けのごとくはしゃぎ回る主に、乳母がいそいそと礼服を持っていく。一人きりで静かな日々を過ごす若き主人と、それを見守る魔族の乳母と執事。穏やかな時間の終わりは、音もなく忍び寄っていた。
「……坊ちゃま」
賑やかな日常の一歩外で、老執事は一人、王家からの書状に目を険しくした。
第一王子ラルゴの名において
即刻の登城を命ずる。
***
使者がルカを送り届けたのは、ラルゴとの茶会の場などではなく、王宮の端に聳える小塔の一室だった。鉄格子の嵌められた窓の向こうは、切り立つ崖。絵画のように変わらない風景。これなら屋敷の窓の外の方がよほど彩り豊かだった。
食事は一日二度差し入れられた。パンと温かいスープ。毎日同じ分量だけ切り分けられたベーコン、ハム、チーズ。およそ楽しむための食事とはいえない献立。どれだけ火を入れて温められたものでも、乳母が腕によりをかけて作ってくれた料理のようには、ルカを満たしてくれなかった。
わけも聞かされないままに、ルカは隔絶された小部屋で数日を過ごした。多忙な兄がいつ駆けつけてもいいように、一張羅に袖を通したまま、背筋をしゃっきりと伸ばして。足音が近づいてくるたびに期待して、無口な給仕の姿に肩を落として。それでもルカは待ち続けた。話し相手もいない。鐘も鳴らない。学生の笑い声もしない。小さな檻に閉じ込められたまま過ぎゆく、色褪せた毎日。待てど暮らせど、ラルゴが訪ねてくることはなかった。
「ご機嫌よう、ルカ」
そんな退屈な暮らしに飽き飽きしていたルカは、異母姉である王女リリーの来訪をいたく喜んだのだった。
「姉上! ご無沙汰しております」
「元気そうで良かったわ。何をしていたの?」
「なんにもすることがないのです。兄上はいつ会いにきてくださるのでしょう? 爺やと婆やも、首を長くして僕の帰りを待っているだろうに」
「ええ……きっとそうね」
リリーはラルゴと同じ深い青色の瞳を細めた。シニヨンにまとめ上げられた蜂蜜色の髪は王妃譲りであったが、王妃の顔を知らないルカにはそれがわからないのだった。
束の間、ルカはリリーに他愛もないことを話した。優しく気高かった母のこと。ラルゴの立派な立ち振る舞いへの憧れ。乳母と執事が、いかに仲睦まじい夫婦であるか。取り留めなく語られる小さな箱庭の話を、リリーは遮ることなく聞いていた。
ふと、ルカが冷めた紅茶を傾けようとして、散らばった髪を掻き上げる。
「こっちへおいでなさいな。整えてあげましょう」
リリーはポーチから木彫りの櫛を取り出した。そしてルカを鏡台の前に座らせ、まっすぐな髪を梳ってやる。彼女の愛情深い手つきが、ルカに母の、乳母のそれを思い出させた。
「ありがとう、姉上。婆やがいないから、誰もやってくれないのです」
「そう」
無垢な笑顔を見せるルカに優しく微笑み返しながら、リリーは白皙のうなじにかかる白金の髪をそっと持ち上げた。その下にはっきりと刻まれたものを、まじろぎもせず見つめる。長いようで短い一瞬。リリーの青い瞳の中に、いい知れぬ悲しみと諦めが巡った。
「姉上、どうかなさいましたか?」
「いいえ。……ルカ、これを」
リリーは自らの髪を結えていた青いリボンを解いた。そしてルカの髪の上半分を、そのリボンで慈しむように結えてやったのだった。
***
真夜中、ルカは灯りもつけず、小さな窓から月を眺めていた。冬の空はさやかに、フクロウの鳴き声だけが時を刻む。どこまでも続くと思われた静寂を破ったのは、部屋の外から聞こえてきた硬い足音だった。
「誰だ……?」
滑り込んできたのは、二人の影。すわと立ち上がったルカを見て、男たちが身構えた。
「眠っていれば良かったものを」
まるで憐れむような響き。夜闇に溶ける濃紺の外套には、ラルゴの近衛の紋章が縫いつけられている。
「悪しき魔王の生まれ変わりの子。これを天命と心得よ」
カチリと撃鉄の上がる音。斜めに差し込む月明かりが、鋼鉄の銃身を鈍く光らせた。
「……魔王の、生まれ変わり?」
幼気な時分にどこかで聞いた御伽話が、ルカの頭に浮かぶ。馬鹿げていると笑い飛ばそうとした。しかし黒々とした銃口は、依然としてルカを睨みつけ続けている。
「何を……何を言ってるんだ。僕が? わからない。僕は何も知らない!」
「惚けても無駄。ラルゴ様が仰ることに間違いはない」
「……兄、上?」
今日までずっと信じて待ち続けた兄の名が、思いがけずルカの耳を打った。ならば今この瞬間、ルカの心臓を狙っているのは。足もとが瓦解していくような錯覚に囚われ、ひどい目眩を覚えた。
男が引き鉄を引く。ルカは無我夢中で身を縮めた。乾いた破裂音と共にベッドシーツが弾け、綿が舞う。襲撃者の隙間を縫って、開けっぱなしの扉から冷え切った回廊へと飛び出した。
冬の寒さが頬を切りつける。向かい風が吹きつける。追い縋ってくる怒声を背に、ルカは礼服を乱して渡り廊下をひた走った。
ラルゴ様が仰ることに間違いはない。
無慈悲に、冷たく。写書のように焼きついた一言が、ルカの足を縺れさせた。
「待て!」
背後で重なる銃声。暗闇の中を逃げ惑ううちに、腰のあたりが胸壁に激突した。勢い余った体が、石造りの縁を越えて、宙に投げ出される。
「あっ……」
ルカの体はそのまま、断崖絶壁の向こうへと吸い込まれていった。
襲撃者たちが胸壁に駆け寄り、身を乗り出す。ランタンの明かりを差し向けるが、見えるのは底の知れない岩場だけ。
「……報告だ。『第二王子は塔からの脱走を図り、誤って崖から転落し、死亡した』」
「良いのですか」
「この高さから落ちれば、命はあるまい」
男は無感情に銃を懐へ収めた。
「生きている者がいたならば……それは化け物だ」
***
「そうして僕は三日三晩走り続けて、あそこに逃げ込んだんだ」
「案外タフだな……」
遺構を出た琥珀たちは、拠点とする「金の竪琴町」へと戻ってきていた。煤けたレンガ造りの建物が並び、蒸気機関の白い煙が空に溶ける工業都市。一行が溜まり場にしているのは、琥珀が籍を置く時計工房だ。真鍮の文字盤がずらりと壁を埋め尽くし、机の上には工具と部品が所狭しと並んでいる。ルカの身の上話を聞く途中で、振り子時計が二度鳴った。
ようやく話が一段落したのを察して、琥珀は手慰みに精密ドライバーを回すのをやめた。あまりに荒唐無稽すぎて、いったいどこから突っ込んでいいのやら、皆目見当がつかない。
「ええと、じゃあルカ王子は……」
「シッ!」
琥珀がおずおずと挙手すると、ルカは辺りを鋭く見回して、唇の前に人差し指を立てた。
「僕は王家に追われてるんだ。不用意に呼ばないでくれたまえ」
「はあ……」
「ルカでいい。敬語もやめてくれ」
「ええ……?」
王子を名乗るこの少年はどうにも浮世離れしていて、遺構の奥で出会ってからこっち、調子を狂わされっぱなしだ。王族というのは意外とこんなものなのだろうか。
「じゃあ、遠慮なくいくぞ。ルカ、あんたの話をまとめるとこうだ。あんたは自分の兄さんのラルゴ王子に呼び出された。しかしラルゴ王子は来なくって、代わりに暗殺されかけた。そこを命からがら逃げてきたってわけだ。その理由が魔王の生まれ変わりだから、だって……?」
「そういうわけだ」
ルカが大仰に頷く。琥珀は投げやりに頭を掻いた。聞いておいてなんだが、話の規模がでたらめすぎて、ちっとも頭に入ってこない。
魔王の御伽話については、この国で育った者ならば誰だって、耳にたこができるほど聞かされている。ただし「悪い子は魔王に食べられちゃうぞ」という、よくある子ども騙しの脅し文句としてだ。大人になってまで信じている者など、聞いたことがない。王家というのは意外と迷信深いのだろうか。
ピカリが琥珀の袖を引いて、こそこそ耳打ちする。
「私、魔王の生まれ変わり見たの初めて」
「二度目でたまるか」
「僕は魔王の生まれ変わりなんかじゃない!」
聞き咎めたらしいルカはおかんむりのようすだ。王族が目の前で地団駄を踏む光景は、なかなかどうして刺激的で困る。琥珀に続いて、真鍮の煙管を耳に引っかけたヤセギスが挙手をした。
「そんでお前さんが魔王の生まれ変わりじゃないって確証はあんのかい?」
ルカは視線を彷徨わせて考え込んでから、胸を張った。
「それは……僕が魔王の生まれ変わりじゃないからだ」
「あ、さいですか」
「その問答は一旦置いといて。あんた、いったいぜんたいどうやって壁の向こうに行ったんだ?」
琥珀たちが鉄球に追い回されていたとき、堅く閉ざされた障壁が、突然次から次へと開いていった。最後に辿り着いたのが、ルカが石棺に潜んでいた未踏区画だ。
遺構管理局のマップ情報を照会したが、あの区画は過去にどんな探索者も到達した記録がなかった。どんな経路、どんな手段で入り込んだというのか。それに資格も持たないまるきりの素人が迷い込んで五体満足でいられるほど、遺構は甘くない。
ルカは不思議そうに目を瞬かせて言った。
「どうもこうも、近づいたら勝手に開いたから入ったんだ」
「はあ……!?」
一転して、全員が食いついた。寡黙なシズカですらも、無言で巨体を乗り出している。
「するってぇと何か。お前さんが前に立ちゃあ、遺構の方がひとりでに道を譲るってのか?」
「な、何だ。そういうものじゃないのか?」
「どういうこと? ルカ君は体中が磁石か何かでできていて、種も仕掛けもあるっていうこと?」
「いや……まったく心当たりがないが」
いっぺんに詰め寄られて、ルカがたじろぐ。
「どういうわけだ……」
琥珀は頭を抱えた。このいかにも頓珍漢な王子様が、未だ謎に包まれている遺構のマスターキーだとでもいうのか。魔王の生まれ変わり云々とかいう眉唾話より、こっちの方がよっぽど大事件ではないか。
「そうやって奥に進んでいったら……突然、恐ろしい銃声が聞こえてきたんだ!」
ルカが自分の体を抱いて、大袈裟に震え上がる。
「それは私のフレアガンだね」とピカリ。
「その後、『探せえ!』という野蛮な叫び声がして……」
「そりゃ俺だな」とヤセギス。何やら事の顛末が見えてきた気がする。
「奥に逃げて、ようやく見つけた石棺の中に隠れて、死んだふりをしてやり過ごそうとした。そしたら君たちがやってきて、蓋をこじ開けた……というわけなのさ」
ルカが頷きながらそこまで話すと、工房は時計の針の音に支配された。とっぷりと日が暮れて、窓の外ではガス灯の明かりが黒ずんだ石畳を照らしている。「……もう遅い」シズカがのそりと立ち上がり、壁かけのオイルランプに火を灯した。
机の片隅で、ピカリが管理局提出用の報告書にペンを走らせた。
「再調査、確定だね」
【採取した遺物:ルカ(魔王の生まれ変わりらしい。要再調査!)】




