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03.琥珀とルカ

 博物館。有名なワンシーンを切り取った絵画、幾百年の時を越えた歴史的な書跡、考古学の常識を変えた出土品。貴重な品々を一目見るべく、他所行きに着飾った人々が往き交う。

 そんな中、一つの展示品の前で、まるで自らも彫刻になったかのように動かない子どもがいた。

 同世代の子どもより一回り小さい背丈。道ゆく人は子どもに気づかずぶつかりそうになりながら、不機嫌そうに避けていく。日に灼けた肌にそばかすが散っている。シャツとズボンもくたびれていて、磨き込まれた白い大理石の上にはおよそ似つかわしくない身なりだ。いたずらに一目を集めぬように、左目の上の火傷のような痣を、長く伸ばした飴色の髪で隠している。子どもの息がガラスケースに白い丸を描く。緑がかったはしばみ色の瞳は、ガラスケースの中に鎮座する「万年時計」に釘付けだった。

 花のように繊細な、六角柱の木彫りのフレーム。中には黄金こがね色の文字盤が並び、いっぺんに異なる時を刻んでいる。頂点にあるガラスのドームの中には、規則正しい天体の軌道が巡っていた。

 世界のすべてがここにある。そう思った。


──いつまで見ているの、琥珀。配達の時間に遅れるわよ。

 母親の呼びかけも耳に入っていないらしい。子どもの口はぽかんと解けたままだ。

 ここにきてようやく、これが幼い頃の自分を眺める夢だということに気がついた。生まれて初めて博物館に連れて行ってもらったときの夢。


 琥珀という名は、両親と縁があった、東の国の誇る天才時計職人から授かったものだと聞かされていた。彼の国では、アンバーのことをそう呼ぶらしい。何万年も前の時間を閉じ込めた石の名。痣や鋭い目つきのせいで周りの子どもから遠巻きにされていた琥珀にとっては、珍しい響きの名前も、劣等感を駆り立てるものに過ぎなかった。

 けれど東の国の最高傑作、万年時計に出会ったこの日。変だと思い込んでいた自分の名を、初めて誇りに思えるようになったのだった。


***


「おい、琥珀。そろそろ休憩はおしまいだぜ」

 不躾に揺り動かされて、琥珀はぼんやりと目を開けた。かび臭く湿った空気を吸い込むと、夢の残り香が霧散する。

 不規則に立ち並ぶ石柱。首が痛くなるほど高い天井。ランタンの明かりが、壁に張り巡らされた不気味な意匠を浮かび上がらせる。

 ここは博物館ではない。

 「遺構」だ。

「どうせまた遅くまで機械弄りしてたんだろ。お前さんも飽きないねぇ」

 そういってヤセギスは、懐中時計をだぶついた深緑のベストに滑り込ませた。蜘蛛のように細長い指が、オーバル型の銀縁眼鏡を押し上げる。「おい、しゃきっとしろ。寝坊助よう」まだぼんやりしている琥珀の顔をヤセギスが覗き込んでくる。足もとにあるランタンの炎が、レンズ越しに紫色の瞳を揺らした。

「ピカリとシズカは……?」

 琥珀は首を回しながら、前髪を両手で掻き上げた。もう幼い頃のように、痣を隠すためにやみくもに髪を伸ばすことはしていない。

「先を見てくるってよ。この辺りのトラップは解除済みだと。もうしばらくで戻ってくると思うが……お、噂をすりゃあ影だ」

 ヤセギスが出入口を見やりながら、ちぢれたとび色の髪を中折れ帽に収めた。大きな体を縮めて、シズカが部屋に入ってくる。

「ありゃ、お前さんだけかい。あねさんはどうした」

「……面白いものを見つけた。待っているから来い、と」

 彼が琥珀の正面にどっかりと座り込むと、彫りの深い顔立ちに暖色の陰影がついた。胡散臭い商人然としたヤセギスと違い、シズカはいかにも克己的な砂の国の敬虔な信徒だ。素朴な白装束に身を包み、ターバンで髪を覆い隠している。シズカは胸の前で手短に祈りを捧げると、鞄から取り出した堅パンを口いっぱいに詰め込んだ。

「……女神は言う。空腹時の祈りは、短くて良いと」

「口の中のものを飲み込んでから言ってくれ」

 ターバンの下からは灰色のポニーテールがはみ出しているし、隠れた側頭部には女神の頭文字の剃り込みが入っている。砂の国の掟は、実はそんなに禁欲的ではないのだろう。琥珀の視線に気がついたシズカは、頬をぱんぱんにしたまま、じっと赤銅色の瞳を返してくる。飼い慣らされた大型犬のような落ち着きぶりだ。

「あんたがめいっぱい祈りを捧げるのは、いったいどんなときなんだよ」

「……己の全てを賭けるとき」

「よっぽどの馳走を前にしたときだろうな。……おら、姐さんも待ちくたびれてることだし、とっとと行こうや。お前さんの分のブツが見つかったら撤収なんだからよ」

 ヤセギスに背中を叩かれて、琥珀はずり落ちた袖をまくり直した。指なし手袋をぐっと引き締めて立ち上がる。

「ああ。今日という今日は、とびっきりの『当たり』を見つけてやるさ」


***


 遺構。

 誰が、何のために造ったのか。誰も知らない巨大な地下建造物。

 わかっているのはただ一つ、その誕生が、暁の国成立より遥かに昔であるらしいということだけ。

 太古の昔、かつて存在したという「魔法」によって造られたという説が濃厚だそうだが、琥珀はあまり関心がなかった。遺構には、歴史的意義なんかよりずっと琥珀を惹きつけるものがある。それが「遺物」だ。


 じっとりと澱んだ空気を掻き分けながら、琥珀たちは奥に進んでいく。口の減らないヤセギスを先頭に、寡黙なシズカが殿を務めて。

 ランタンの灯りが、侵入者を迎え討つように立ち並ぶ、物々しい獣の彫像を浮かび上がらせる。今にも雄叫びを上げそうなほど真に迫る出来栄えで、思わず肝を冷やす。

 金の意匠と緻密な刺繍の施された垂れ幕が、無骨な壁を豪華絢爛に飾り立てている。役目を忘れた燭台は、ほとんど朽ちかけながらも美しい造形を保ったままだ。遺構が人の手によって造られたものではないとされる理由は、古代の建造物とはにわかに信じがたい、高度な建築技術によるところが大きい。


「お、ここにあるぜ。こいつぁどうよ」

「小さすぎる。これじゃあ、使いものになりゃしない」

 にべもなく告げて、琥珀は遺物コンパスをポケットにしまった。

 遺構のそこかしこには、遺物と呼ばれる無色透明の結晶が生えている。大きさや形、色や密度など、てんでばらばらな希少素材だ。質によっては蒸気機関や精密機器に組み込まれたり、宝飾品として流通したりする。特に大きいものは「当たり」と呼ばれ、目の飛び出るような値がつくこともある。

 遺構にやってくる探索者のほとんどは、一攫千金が目当てだ。しかし、琥珀には別の目的があるのだった。


「ちょっとしたご婦人用のアクセサリーなんかにゃ、うってつけだと思うがねぇ」

「俺がご婦人用の遺物を採って何になる」

「だな。お前さんが淑女に縁があるわけないわな」

「……言ったな。そのうちあんたのすかした眼鏡がずり落ちるくらいおどかしてやる」

「そうかい、そうかい。そんときゃ祝杯でも挙げてやらぁ。なあ、シズカ」

「……うむ」

 三者三様の靴底が床を叩く。その硬い音は、暗闇の向こうまで不気味に響き渡った。


 一山当てれば丸儲け。

 にもかかわらず、遺構にやってくる探索者の数は、そう多くない。


***


「来た来た。おーい、こっちこっち。あ、琥珀君、おはよう」

 巨大な吹き抜けを背に、ピカリが大きく手を振っている。彼女が飛び上がるたびに、短く切り揃えられただいだい色の毛先が軽快に跳ね、全身にぶら下がった探索道具がずしりと軋む。琥珀ですら不自由を感じるほどの重装備で、細身な彼女がなぜこうも身軽に動けるのか、謎は尽きない。

「おはよう、ってな……置いていくくらいなら起こせよ」

「あはは、寝る子は育つからね。ね、そんなことより」ピカリは水色の瞳を猫のように眇めて、擦り傷だらけの指先を吹き抜けの奥底に向けた。「あれ見て。あそこ、何かが光ってる」

 琥珀は手すりの向こうを覗き込む。ピカリの指の先に、小さな光が見えた。松明やランプの炎とは一線を画す、透き通った青い燐光。

「遺物……か?」

 琥珀は遺物コンパスに目をやる。しかし針は沈黙したまま。これほど奥深くにあれば、当然コンパスの感知範囲外だ。光っているのが遺物なのか、はたまた別の何かなのかも、これでは判別しようがない。近づいて確認したいが、下へと続く階段は途中で石壁に塞がれて通れなくなっているようだった。

「姐さん、この穴っつうのは、よっぽど深いんですかい?」

 ヤセギスが猫背を丸めて下を覗き込むと、ピカリは首にかけていた遠眼鏡を目に当てる。

「手持ちの縄梯子を三つ繋げても足りないね。垂直三十メートル以上はあるか……どれどれ、ちょっと調べましょっか」

 ピカリが腰のツールベルトからフレアガンを引き抜く。なぜだか無性に、琥珀の胸がざわついた。

「ピカリ、ちょっと待て……」

「え、何か言った?」

 琥珀の制止よりも早く、ピカリの照明弾が暗闇の底に撃ち込まれた。景気のいい銃声と共に、光が深度を照らし出す。続けて、がしゃん、という不穏な何かの作動音が闇に轟いた。

「……がしゃん? 今がしゃんっていってないよね?」

「いっただろ確実に……」

 何かの気のせいだと思い込みたくても、金属同士が噛み合う音が続けざまに響いて、現実から目を背けることを許さない。天井のハッチが軋みながら開いていき、洒落にならない大きさの鉄球が顔を出す。

「なあ、あれ、転がって来ないよな?」

「来るだろ確実に……逃げろ!」

 一目散に逃げようとするや否や、背後の通路のシャッターが無情に下りる。鉄球がハッチからごおん、と吐き出され、嬲るようにゆっくりと加速していく。

「ぬんっ」

「やめとけ!」

 立ちはだかろうとするシズカの巨体を引きずって、まろびながら階段を駆け下りていく。

「あはっ、ごめんごめん、ちょっとした失敗」

「致命的失敗だろ!」

「冗談じゃねぇ、俺ぁ億万長者になるんだ、こんなところで終わってたまるかっての!」


 宝の山たる遺構にやってくる探索者の数が、そう多くないのは。

 一度足を踏み入れれば、世にも恐ろしいトラップが、探索者に襲いくるからである。


***


 鉄球は壁と手すりに横っ腹を打ちつけながら、侵入者をぺしゃんこにするべく迫り来る。

「なあっ、ピカリ、この先、行き止まりじゃなかったか」

「そうかも? ええっと、どっかに抜け道は……」

「探せえ!」

 ヤセギスの甲高い叫び声が響き渡る。その瞬間、行手を阻んでいた障壁が、大きな音を立てて左右に割れた。

「開いた……? あっちだ!」

 不思議なことに、次から次へと壁が開いていく。まるで招き入れるように。考えている暇などなかった。最後に開いた横穴に、一行はなりふり構わず飛び込んだ。走るための床がなくなって、鉄球は奈落の底へと落ちていく。


「はぁ……はぁ……た、助かった、のか?」

「間一髪だったな。ったく、勘弁してくださいよ、姐さん」

「あはは。面目次第もございません」

 ヤセギスがずり落ちた眼鏡を直し、消えてしまったランタンに火を灯す。その光が、フロアの中央に鎮座する古ぼけた石棺を照らし出した。

 周囲に灯りを差し向ける。壁の模様は、今まで一度も見たことがない禍々しさだ。真っ赤な絨毯には全く踏み荒らされた形跡がない。壁面に沿って立つ彫像は、いろんな獣が合体したような、ただごとではない様相をしていた。


「……開けなけりゃ駄目か?」

 未踏区画に未知の調査対象。ここで見て見ぬふりをする探索者はいなかろう。しかし、さんざん鉄球に追い回された挙句、放り込まれたおどろおどろしいフロアに謎めいた石棺。これが厄介ごとの種でないというなら、街のぐるりを逆立ちして一周したっていい。

「ここで開けねぇ奴ぁ玉なしだ」

 そういうヤセギスはしっかと腕を組んでいる。横を見ると、シズカは琥珀に熱い視線を送っていた。

「……そんな期待の眼差しで見るんじゃない」

「じゃあ開けるねー」

 なすりつけ合いの空気を破ったのはピカリだった。棒立ちの男たちを押し除けて、躊躇なく石棺の蓋に手をかける。やはりこれくらい豪胆でないと、上級探索者は務まらないのかもしれない。

「さすが姐さん、肝っ玉が太ぇ!」

「都合よく玉の質を変えるなよ」

「シズカちゃん、そっち持って」

「……うむ」

 ピカリに呼ばれて、シズカが反対側を持つ。琥珀は唾を飲み込んで、ツールベルトの鞄に手をかけた。吉と出るか凶と出るか。予測不能な状況ながら、一探索者として目が離せないのもまた本音だった。ゆっくりと蓋が持ち上がっていく。ピカリが驚きの声を上げた。

「わっ、羽根みたいに軽いよ。蓋は砂で出来てるみたい」

 そのとき、琥珀はポケットが小さく震えていることに気がついた。遺物コンパスを取り出すと、銀の針が石棺の方向を指し示していた。

「……?」


 しかし石棺の中にあったのは遺物ではない。干からびたミイラでもない。探索者を脅かす恐ろしいギミックの類でもない。

 まるで今しがた眠りについたかのような、一人の少年だった。


「こりゃあ、死んでんのかね……?」

「生きててたまるか。壁の向こうにいたんだぞ」

 四人で少年をまじまじと検分する。白金色の髪は絡まりもれも見当たらず、石棺の底に向かって滑らかに広がっている。上背は琥珀よりは大きく、ヤセギスよりは小さいくらいだ。整った顔立ちとは裏腹に、上等そうなスカーフやベストは泥や土に汚れていた。

「私、こんな綺麗なミイラ見たの初めて」

「……この耳飾り、近頃都で流行りの意匠だな」

 ヤセギスが痩けた顎を擦りながら指摘する。見間違いだろうか。少年の眉がぴくりと引き攣ったような気がした。それを見咎めたシズカが、無言で少年の耳を掴み、情け容赦なく引っ張り上げる。


「痛てててて! 何をするんだ!」

 生きているはずのない少年の大音声だいおんじょうが、遺構中に響き渡った。


 それがルカとの出会いだった。

 このときの琥珀には知る由もなかった。

 国家を揺るがす厄介ごとの歯車が、すでに回りはじめていたことも。

 目の前で耳を押さえている少年が、後の「魔王」になることも。

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