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08.夜のオルゴール

「引っ張るぞ、せーのっ、えい! はは、どうだ。上手いものだろう!」

 屋根裏から朗らかな声が降ってくる。滑車がからからと乾いた音を立て、工房と向かいの薬屋との間に、真っ白なシーツが帆のように吊り上げられていく。琥珀が窓から風に波打つ布の連なりを眺めていると、ルカが軽やかに梯子を降りてきて、そのまま表へと飛び出していった。

「……第二王子はもっと陰気な奴だと思っていたんだがな」

 煤けた手拭いで丸太のような腕を拭いながら、親方が琥珀に並び立った。

「陰気、ですか。あれが?」

 今まさに陽光の下、一癖あると評判の薬屋の魔女を相手に和気藹々と話しているルカと、「陰気」という評価がどうにも結びつかない。親方は「下世話な話だ」と鼻を鳴らした。

「もっぱらの噂だったからな。難しい生まれのせいで都の外れのしみったれた屋敷に押し込められて、け者にされているとよ」

「除け者? ……まさか」

 そんな話、ルカの口から今まで聞いたことがない。表の通りでは、頑固な職人たちがルカの屈託のない笑い声に足を止め、小さな輪を作っている。賑やかな声が、鉄の匂いとともに店の奥まで届いていた。

「実際、第二王子はついぞ表舞台に出てくることがなかった。それは疑いようもねぇ事実だ。だが……半端な仕掛けじゃあ、活きのいいぜんまいは抑えきれねえってこったな」

 はためく洗濯物の向こうで、ルカが魔女に恭しく一礼する。琥珀の頭の中に、真っ黒に汚れた子どもの手を躊躇なく取るルカの姿がよぎった。


「琥珀、親方、マダムから手伝いのお礼をもらったぞ!」

 戻ってきたルカの手の中には、小さな薬包紙があった。「礼? あの偏屈婆さんが?」琥珀が紙の折り目を開くと、微かにハーブの香りが広がる。中に入っていたのは、色とりどりの飴玉だった。

 琥珀とて何度か魔女の洗濯の手伝いをしたことはあるが、礼をもらったことなど一度もない。「魔法」でも使ったのか? 魔王の生まれ変わりだから。

 釈然としない気持ちでいると、ルカが「琥珀、一緒にいただこう」と包みを差し出してくる。

「俺はいいよ。あんたがもらったものだろう」

 ルカには馴染みがないのだろうが、飴玉はこの辺りではなかなかどうして立派な贅沢品なのだ。何の手伝いもしていない自分が、せっかくのご褒美を横取りするわけにはいくまい。琥珀が遠慮すると、ルカは目を瞬かせて、飴玉を一粒口の中に放り込んだ。

「だからって目の前で食う奴があるか!」

「うむ、甘いな……んん!?」

 満足げに甘みを味わっていたルカが、急に目をまんまるくした。飴玉みたいに右へ左へ瞳を転がして、未知なる味わいに戸惑っている。

「どうした。毒でも盛られたか?」

「……口の中に風が吹いてる。僕、おやつに風を食べたのは初めてだ!」

 ……いったいぜんたい、どんな味がするっていうんだ。腕組みをして唸っていると、親方が横から琥珀の太ももを小突いてくる。琥珀は「……やっぱり、一つくれ」と観念して手を出した。「ふふん。最初からそう言いたまえ」ルカは待ってましたとばかりに、琥珀の掌に一番大きな飴玉を握らせた。


 親方が呵々(かか)と笑って、豪快に腕まくりをする。

「琥珀、ルカ。水を汲んでこい。今日の飯は牛すじの煮込みスープだぜ」

「ああ、この前の舌がとろける親方の絶品スープか! やったあ、琥珀、早く早く!」

「おい、そんな急がなくったって飯は逃げないっての」

 大はしゃぎのルカに手を引かれて、思わずつられて笑ってしまった。


***


 ぞっとしない悪夢から目を覚まして、琥珀は作業台から顔を上げた。いつのまに眠っていたのだろう。書きかけの製図に涎を垂らしちゃいないか。冴えない頭で机の上を探るが、伝わってくるのは傷だらけの木目の感触だけだ。ランプの灯りに人影が揺らめいて、隣に目をやる。どうやら製図はルカの手によって攫われていたらしい。

「こら、返せ。あんた何やってるんだよ、こんな時間に」

「それはこっちの台詞だ。君ったら随分とくたびれた顔をしているじゃないか」

 ルカの手から製図を取り上げて、琥珀はため息をついた。

「大したことじゃない。ちょっと……せっかく組み立てた時計を、アリとキリギリスに全部分解される夢を見て、うんざりしただけだ……」

 目覚めてしまえば実に他愛のない、しかし職人にとっては最悪の夢を思い出して、琥珀は軽く頭を振る。ルカは何故かきょとんとして、「それが君の将来の夢なのか?」と頓珍漢なことを言う。まったくどんな勘違いだ。


── もっぱらの噂だったからな。難しい生まれのせいで都の外れのしみったれた屋敷に押し込められて、け者にされているとよ。

 ふと、昼間の親方とのやり取りが脳裏を掠める。

「ルカ。少し、いいか……いや、言いたくないなら無理強いはしないが」

「どうした。奥歯にものの挟まったような言い方をして。君らしくもない」

 言いあぐねていると、かえってルカの方から詰め寄ってくる。琥珀は腹をくくった。

「あんた、この先どうするんだ。こっちとしては、遺構の謎が解けるまでは付き合ってもらうつもりだけどさ」

 もし昼間の話が本当ならば、たとえ今回のことがなかったとしても、ルカにとって都は逃げ出したい場所だったのではないのか。もしもそうだったとして、親方が許してくれるのならば、しばらくのうちはここに隠れていてもいい。もちろん、仕事を手伝うならば、だが。

「ああ、何を言うのかと思えばそんなことか。屋敷に帰るに決まっているだろう。爺やと婆やも待っていることだしな」

 琥珀の懸念とは裏腹に、ルカはけろりと言ってのける。

「帰りたいのか?」

「もちろんだとも」

 揺らめく炎と同じ色の瞳が、じんわりと夜に溶ける。

「母上はもういないけれど、爺やと婆やと四人で暮らした大切な家だ。昔は兄上や姉上もよく遊びにきてくださってな。母上は体が弱くて、目もお見えにならなかったから、あまり遠出はできなかったけれど。皆で野がけに出かけたりもしたんだぞ」

 ルカは立て板に水のごとく話し続ける。その表情に陰りが見当たらないのは、決してランプの灯りが煌々と照らすからというだけではないように思えた。

「王様とは上手くやってるのか。父親なんだろ?」

「父上はお忙しい方だ。しかし僕を気遣う手紙をくださったこともあるんだぞ」

「ほとんど話したことがないってことか?」

「それは……お忙しいのだから仕方ない。兄上もそう仰っていた」

「兄上ね……。あんた、その兄さんに命を狙われてるんだよな?」

 遺構で出会った日にルカが語ったことを鑑みれば、王家に抹殺されかけたことは明らかだ。それも大好きな実の兄の手によって。家族を敬愛してやまないルカにとっては、胸を引き裂かれるような痛みなのではないのか。目の前であっけらかんと思い出を語るルカの姿は、どうにも手酷い裏切りを受けた人間には見えなかった。

「そのことなのだが……やはり僕にはどうしても、兄上が僕を殺そうとするとは思えないのだ。だからきっと、誤解なのだと思う」

「誤解って……何がだよ。あんたが魔王の生まれ変わりだってことが?」

「それも誤解なら、兄上が僕を暗殺しようとしたというのも誤解さ。第一、この国の未来を担うお方が、そんな世迷言に耳を貸すとでも? 変てこな占い屋の吹聴を真に受けた兄上の部下が、胸一つで……というのが真相なのさ。どうだ?」

「どうって……まあ、ない話ではないか」

 ルカにしては筋が通っている。だが、果たしてそんな都合のいい話があるだろうか。琥珀はラルゴのことをよく知らない。都暮らしならいざ知らず、こんな下町の片隅には王族の話なんて響いてこないのだ。新聞だって王家におもねるような記事しか書かないし、判断材料がなさすぎる。

 どちらにせよ、わかったことが一つある。境遇がどうあれ、ルカは自分がひとりぼっちだとは思っていなかったのだ。そのことに琥珀は少しだけ胸を撫で下ろす。


「さあ、今度は君の家族の話を聞かせてくれたまえ」

 ルカが椅子に深く腰を据え、鷹揚に両手を広げた。

「俺の? 何だよ、藪から棒に」

「僕だって話したんだ。順番だろう」

「はあ、まあいいけど。大した話はできないぞ」

 琥珀は手遊てすさびにドライバーを弄ぶ。

「両親は少し離れたところで暮らしてる。本当は、俺が稼ぎ頭にならなけりゃいけなかったんだが……俺の夢のために、送り出してくれたんだ」

「ああ、アリとキリギリスに時計の分解をさせる夢だったか」

「あのなあ。真面目に話した俺が馬鹿みたいだろ! ……ほら、見ろ」

 琥珀は作業台の引き出しを開けた。ルカが覗き込んでくると、中にしまってある紙包みを透かして、青い光が点々と輝いた。さすがにもうこれしきのことで驚きはしない。慣れとは恐ろしいものだ。

「これは何だ?」

「遺物の中心からくり抜いた『芯』だよ。いい遺物から採れた『芯』はすこぶる丈夫で、時計の軸を受ける石に使うと、どんな摩擦にも耐えうるんだ」

「ふうん……?」

 ルカはあまりわかっていなさそうに生返事をする。

「つまりだな……こいつを使えば使うほど、時計は長持ちする。じゃあ、もしも。常識じゃ考えられないような数を使ったなら……どうなる?」

「永久に……動き続けるのか?」

 淡い光が、ルカの横顔を縁取る。

「さすがにそれは極端だけど。でも何十年、いや、何百年経っても、油を差して、ねじを巻いてやれば動き出すんだ。時を超えて」

 一度の探索で良質な遺物に一つ巡り会えれば僥倖。しかし、くり抜ける芯はわずかに一個。──だからこそ、ヤセギスの手引きで良い店に巡り会えたことは計り知れない幸運だ──納得のいく数を集めるのに、どれだけの時間を要するか見当もつかない。

「途方もない話だな……」

「そうか?」

「そうだろう。いかにも朴訥ぼくとつそうな顔をした君が、そんな情熱家だったなんてね」

「一言余計だな」

 ヤセギスには笑われた。掃いて捨てるほど金のある貴族だって、そんな酔狂な真似はしない。かかった手間に見合う値をつければ、誰だって手を出そうとしないだろう。そんなのは勘定が合わない、ということらしい。

 しかし技術屋なら誰だって一度は思うはずだ。採算なんか知らんぷりで、最高の一品を作ってみたいと。商人に笑い飛ばされるくらい荒唐無稽なのが、かえってちょうどいい。

「それで、琥珀はどんな時計を作るんだ? 親方のからくりのような、大がかりなものか? それともこれくらいの小さなものか?」

 ルカが作業台の隅に置いてあった、赤いベルベットのオルゴールを掲げてみせる。

「いや……俺が作るのは、世界の全てを刻む『万年時計』だ」

 琥珀の人生を変えた、稀代の天才職人の時計。たった一つで大海原を支配し、遥か天空を駆け巡る。東の国の最高傑作。あれこそが琥珀が目指す唯一無二の高みだ。


「……ところであんたの持ってるオルゴール、親方の作品じゃないぞ。俺が作ったものだ」

「えっ、これを君が?」

 ルカがオルゴールをまじまじと見つめる。赤い小箱の上には、真鍮の竪琴を手にした木彫りの少年が腰を下ろしている。琥珀はルカの手からオルゴールを掠めて、ぜんまいを巻き上げた。暁の国の民なら誰もが知っている民謡が流れはじめる。少年の手がこてんと動き、弦をかき鳴らす仕草を見せた。ルカはオルゴールと琥珀の顔を、交互に見比べる。

「愛らしいな……」

「何だよ、文句があるなら聞くぞ」

「どうして褒めたのに拗ねるんだ。君って本当に器用なんだな。それに……母上が好きだった歌だ」

 ルカはご機嫌にオルゴールにかじりついて、止まっては巻き上げてを繰り返している。この調子では琥珀が作業している間中、耳もとでオルゴールをかき鳴らされかねない。

「そんなに気に入ったのなら、あんたにやるよ」

「えっ、いいのか? 売り物ではないのか?」

 見開かれた瞳にランプの灯光が集まる。

「それは習作だ。俺はまだ見習いだからな。部屋に戻ったら、好きなだけ聴くといい」

「ありがとう! 琥珀、ありがとう!」

 子どものようにはしゃいで、ルカはオルゴールを大切そうに抱えて屋根裏へ帰っていった。琥珀は頭を掻いて、「……全然捗らなかったな」と、真っ白な製図を裏返した。


***


 屋根裏部屋の小さな窓の向こうに星明かりが揺れる。ルカはオイルランプに火を入れて、オルゴールのぜんまいをゆっくりと巻いた。シリンダーの櫛歯が弾かれ、星がぶつかり合うような澄んだ音が鳴り渡る。綺麗に折り畳んだまま一度も使っていない毛布にオルゴールを乗せて、ルカは上機嫌にその音色に耳を澄ませた。空が白み、月が隠れて、陽が昇るまで。ずっと、ずっと。


***


 空っぽの棺が薄暗い礼拝堂に横たわる。まばらな参列者たちが、祈りの花を手向けていく。ステンドグラスを透かした光だけが、静寂をしめやかに彩っている。

「……ルカ」

 漆黒のヴェールの奥で、リリーの声が掠れた。燭台の細い炎が、窶れた頬の影を濃くする。

「どうして……ルカが……」

 打ちひしがれる妹に、ラルゴはかける言葉を持たない。勲章を外したフロックコートの胸を張り、凍れる瞳で宙を睨む。空の棺を前に、王が弔いの言葉を捧げる。葬送が厳かに鳴り響き、深い悲しみをかたどっていく。遠い御伽話など、まるでなかったかのように。

第一章おわり

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