31.最後の探索
「断じて許してはならん! 得体の知れぬ『門』を開くなど危険すぎる」
机を叩く音に、タイプライターの乾いた打鍵音が重なる。
「しかし、遺構は国有ではありません。阻止しようにも強制力がない」
「第二王子と交渉の余地があるのではないでしょうか。直ちに中止、あるいは延期を求めましょう」
「問題はそれだけではありません。長年この国の産業を支えてきた魔族を、見知らぬ土地へ放り出そうというのですか?」
前例のない議論は収束する気配を見せない。だだっ広い会議室を、ばらばらの主張が飛び交う。
「仰る通り! 魔族には魔族の生活基盤がある。性急に事を進めるのは、彼らのためになりますまい」
訳知り顔で頷く者は、次の取引の刻限を気にして懐中時計を覗き込む。
「それ以前に、魔王の生まれ変わりをのさばらせるべきではない。研究者くずれが起こした事件が王子の所業でなかったとて、不穏因子であることに変わりはあるまい」
声高に叫ぶ者は、唾を飛ばして反論を押し潰す。
「第二王子を直ちに召喚すべきです。殿下、ご意見を」
一同の視線がラルゴに集まる。ラルゴは席を立ち、彼らを見渡した。
「ルカに出頭を命ずることは叶いませぬ。何しろ、ルカは『既に死亡している』のですから」
会議室は、水を打ったように静まり返る。
「……殿下、ここは言葉遊びの場ではありませんぞ」
「で、ですが、事実、書類上であっても、死人を召喚する術はないのでは……」
「王命が下れば紙切れなど無用。陛下!」
飼い犬に手を噛まれたと言わんばかりに、老議員が奥に座す王を仰ぐ。
ラルゴが政務に携わるようになって以来、政に努めて口出しをしなくなった王が、ビロードの椅子から立ち上がる。紋章の刻まれたネクタイピンが、ランプの明かりを弾いた。
「余は、ルカが魔王の生まれ変わりであるなど、信じてはおらぬ」
低い声に、微かな情けが滲む。王が公の場でルカへの情愛らしきものを表したのは、ラルゴが知る限り初めてであった。
しかし今のラルゴは、その情けがルカの全てを受け止め得ないことを知っている。
「いいえ。魔王の生まれ変わりであっても良いのです」
***
ルカが『門』のことをピカリに話すと、鶴の一声で遺構の探索が決まった。
ヤセギスは「魔界ね。商機の匂いがぷんぷんするぜ」と腕をまくり、シズカはというと、こっそりと勉学に励み、ひっそりと取得した探索者資格の証明書を、無言で差し出してきたのだった。
久方ぶりに訪れた遺構は、晴れ渡る空を背負い、物々しく佇んでいる。入構受付カウンターの係官の前に四枚の出入許可証を並べて、ピカリは隣に立つシズカを見上げた。
「いやあ、シズカちゃんと一緒に行けるとはね。今日は賑やかになりそうだ」
「うむ」
「シズカの一人や二人、増えたって大して賑やかにゃならんだろうに。なあ、ルカ」
ヤセギスが横から茶々を入れてくる。ルカはぶんぶんと首を振って、シズカの背を叩いた。
「そんなことはない。シズカ、今日は大いにはしゃぎ回ってくれたまえ!」
「うむ」
「あははっ、羽目を外して死なないように気をつけてね」
係官はパーティーを見て、許可証を見て、もう一度パーティーを見た。
「一人多くない?」
「……え?」
顔を見合わせる一同の後ろから、小柄な少年が割り込んでくる。そしてカウンターに五枚目の許可証を放り、開口一番文句を言った。
「置いていくなって言っただろ」
「琥珀……!?」
ルカは素っ頓狂な声を上げた。断腸の思いで置いてきたはずの琥珀が、素知らぬ顔でグローブをはめ直しているのだから。
「どうして来たんだ」
「規則上、入構人数は一人までなら増減可能だろ」
「そういうことじゃない! 君は、その……」
遺構探索は、どれだけ慣れた面子でも危険が伴う。利き手に後遺症を負った琥珀を連れてはいけない。無理を押して、もし琥珀の身に何かあったら。
「あんまり見くびってくれるなよ。あんたらの足は引っ張らない。それにさ……こういうの、最後な気がするんだ」
こうなると、琥珀は梃子でも動かない。三人の視線が、リーダーのピカリに集まる。彼女はいかにも深刻そうに腕組みをしながら、「あ、うん。いいよ」とあっさり快諾してしまった。
「む。い、いいのか?」
「シズカちゃんもいるしね。琥珀君って、言ってもちっとも聞かないんだから。放し飼いにするよりいいかなって」
「誰が野犬だ」
「琥珀の予感は当たるからなぁ。遺構で儲けられなくなったら、俺が泣くぜ?」
ヤセギスが後ろから琥珀の肩に組みつく。シズカはほんのわずかに口の端を持ち上げ、手短に祈りを捧げた。
ピカリが慣れた手つきで遺構の扉の鍵を外し、ギイ、と押し開ける。遺物の採掘跡が、待ち構えていたかのように、一斉に青く煌めき出した。
溢れそうな想いを噛み締めるルカを、琥珀がそっぽを向きながら肘で小突いた。
「それじゃあ皆の衆。今日の目的は遺構の最深部……その向こうへ到達すること!」
ピカリの高らかな宣言を合図に、一同は最後の探索へと足を踏み入れた。
***
慌ただしく馬車から降りてきた一団が、遺構入口前で何事か喚き散らしている。係官に掴みかからんばかりの老議員の前に、ミラージュブルーはさっと割り込んだ。その傍らには、堅苦しい表情のガチコが控えている。
「あら、何かお困りごとかしら?」
「第二王子がここに入って行ったのだろう。今すぐ中に入れるのだ。我々は彼奴を止めなければならぬ」
「遺構探索は完全予約制ですの。入構許可証の提示をお願いいたしますわ」
老議員の激しい剣幕を尻目に、ミラージュブルーはにっこりと掌を差し出す。
「国家の存亡がかかっているやも知れぬのだぞ」
「それは大変! 急いで上級探索者に同行をご依頼の上、管理局から入構許可申請をしてくださる?」
「……痴れ者が」
益体のない問答に痺れを切らし、老議員は片手を挙げた。控えていた私兵たちが、ホルスターに手をかけながらぞろぞろと前に出る。ガチコと係官を背に、ミラージュブルーはゆったりと髪を掻き上げた。
「あらま。丸腰の文官相手に威嚇行為ですの? 問題になりましてよ」
「所詮は魔族か。悠長に規則を守っているうちに国が傾いても良いというのなら、逆賊と見做す他あるまい」
決定的な警告。しかし、退く者は誰もいない。
薄氷を踏むような緊張を切り裂いたのは、石畳を踏み鳴らす、一糸乱れぬ重厚な足音だった。
「待たれよ」
老議員は振り返る。凛とした声の主は、儀礼剣を腰に佩いた第一王子ラルゴ。その背後には忠実なる近衛が、靴先をぴったりと揃えて控える。
「魔族もまた、この国の民。我々は長きに渡り、そのことを顧みなんだ。今こそ、贖うときである」
「……ご乱心めさるな、殿下。得体の知れぬ『門』なるものを暴き立て、何が起こるか知れたものではないのですぞ!」
「すべての責は、この私が負おう」
「否。それは少しばかり、欲張りというものでしょう」
次いで、水底から響くような深い声が鼓膜を揺さぶる。ローブの裾をはためかせ、女は静かに歩み出る。指に光る、一族の長たる証を旗印として。
「今このときより、ルカは楔の一族の庇護下にある。あの子は我らが領分。何人たりとも、侵すことは叶わぬ」
老議員はわなわなと唇を震わせた。理解できない。何故、一国を担う者が、連綿と歴史を紡いできた者が、危険を冒してまで正体不明の「魔界」などと繋がろうというのか。
魔族ならば、この国で充分に暮らしているではないか。
「管理局、管理局はそれでよいのか! 貴殿らの遺構が支配されんとしているのだぞ」
「規則上、管理局は未踏区画への侵入を妨げてはおりませんので」
規則集の目次をなぞって、ガチコが丸眼鏡のブリッジを押し上げた。
剣と盾。そして融通の利かない規則が、ルカの進む道を守る。
ラルゴは儀礼剣を抜き放った。研ぎ澄まされた切先が天を突く。鏡のような銀の剣身が、陽光に燦然と輝いた。
「ここから先は、私たちの未来だ!」
***
「新聞の隅に載ってる冒険譚の最終回みたいだね」
最後の休憩時間。感傷的な台詞を吐いたその口で、ピカリはおやつの揚げパンにかぶりつく。
「そんなに緊張感のない奴が言う台詞かよ」
前人未到の領域を目指しているとは思えないマイペースさに、琥珀は拍子抜けしながら革袋の水を呷った。少し離れたところで、ヤセギスが「魔界」にまつわる新しい商売の皮算用を、延々とシズカに聞かせている。柄にもなく口数の少ないルカは、髪のリボンを触りながら、暗闇の向こうを見つめていた。
「ねえ、琥珀君。前から聞きたかったんだけど」
唇の端の砂糖を舐めて、ピカリが昨日の夕飯を尋ねるような調子で言った。
「キミって、未来が見えるの?」
「何だよ、藪から棒に。俺は西側の胡乱な占い屋か」
琥珀は肩をすくめる。第一、未来が見えていたのなら、もっと上手くやれたであろうことが目白押しだろうに。色々と。
「だって、ほら。たとえば初めての探索のとき、初見でトラップを避けられたじゃない。どうして?」
「いつの話だよ。そりゃ、それくらいわかるだろ」
「うん? うーん……ま、いっか!」
首を傾げながら、ピカリは花柄のハンカチに指を拭った。
ピカリはいつも通りだ。やることなすこと突拍子もないくせに、妙に落ち着き払っている。
このまま進んでいけば、ミラージュブルーは「魔界」に帰ってしまうかもしれないのに。
「あんたは……いいのか。『門』を開けても」
束の間、沈黙が満ちた。ご機嫌なヤセギスの講釈と、シズカの適当な相槌が耳に入ってくる。
しかしピカリが表情を崩すことはなく。バシンと、笑って琥珀の背中を叩いただけだった。
「そんなことより、綺麗だね、それ」
話を打っ遣って、ピカリが琥珀の首もとを指した。セレスタイトのペンダントが、ランプの明かりを透かして揺れる。
「そうか?」
「ふふん、もちろんだとも。琥珀の目に狂いはないのだから!」
待ってましたと言わんばかりに、ルカが割り込んでくる。さっきまで借りてきた猫のような有様だったのに、現金な奴だ。
「うん。とっても綺麗。冬晴れの霜柱みたい」
水色の瞳の中に、光が踊る。
それもそうだ。同じものを見て、綺麗だと思ったのだから。
「欲しいなら……やる」
「えっ、いいの? やった!」
「ちょっ……待て、琥珀。それは……」
両手を挙げて喜ぶピカリを尻目に、ルカが困惑の表情を浮かべる。琥珀はルカを視線で制し、ペンダントを外してピカリに手渡した。ピカリはペンダントを首から提げ、子どものように胸を張った。
「どう? 似合う?」
「ああ」
ベルトまみれの無骨なベストの上に、氷細工のように繊細な石が煌めく。それが何故か、初めからピカリのために誂えられたかのように、しっくりと馴染んでいた。
「……お似合いだよ」
「? ありがと!」
ヤセギスとシズカに休憩の終わりを告げに行くピカリの背中を見送って、ルカが小声で「よかったのか?」と尋ねてくる。一つ頷き返して、琥珀は重たいリュックを背負い直した。
***
そしてまた、この場所に立っている。
意匠が溶けて歪んだ、左の壁。時化の海のように乱れ狂った、右の岩壁。壁の下部から突き出した人の足のような塊も、あの日のままだ。
その境目に描かれるのは、ルカの首筋にある魔王の紋様を、一本の剣が刺し貫いている図。
あの向こうに、どうやら「魔界」があるらしい。
琥珀たちは「大当たり」を採取したときのように、階段を下ってここまでやってきた。しかし、明らかに異なる点がある。
吹き抜けに降りる前、ルカは朗々と問うた。
「あの日の僕と、今の僕。その違いがわかるだろうか。もしも、応えてくれるのなら……示してくれ」
かつては一段ずつしか現れず、ルカの足を小動物みたいに震わせた階段が、そのたった一言で、いっぺんに最下層まで延びていったのだった。
ルカの横顔が強張っている。背後ではヤセギスとシズカが、何も言わずにルカの声を待つ。ピカリは遺物コンパスに目を落として、大きく振れる針を注視する。
琥珀は左手で、ルカの背中を押した。
「かましてやれ」
予感ではない。確信だった。
この先にあるものは、地獄なんかじゃない。
ルカは、近頃めっきり見せなくなっていた、自信家めいた笑みを浮かべた。
そして境目に跨るように、両手をつく。
「僕は……魔王になる!」
ピカリの手の中で、遺物コンパスがはっきりと「門」を指した。
重なり合った二つの紋様が、リボンのように解けて。
琥珀の左目の上の痣が、チリ、と痛んだ。
そのとき眼前に広がった光景の美しさを、
生涯忘れることはない。




