25.未来視
「探索者様。探索者様ったら!」
「えっ、何か言った?」
ガチコに呼びかけられているのに気づき、ピカリは顔を上げた。
「どうなさったんです、ぼうっとして。ですから、貴女はいったい室長とどのようなご関係なのかと聞いているんです。直属の部下である我々だって、室長を個人的にお呼び立てしたりできませんけれど?」
「んー、ただならぬ仲?」
「何ですか、その曖昧な回答は」
ピカリが調査のため、再び境界観測研究所跡地に足を踏み入れたのは、ルカ誘拐事件から五日後のことだった。
折れ曲がった鉄骨や傾きかけた機材こそ撤去されているが、内部はほとんど爆発直後のままだ。爆発の原因となった観測装置のガラスは大破し、大量の遺物が土砂崩れのように流れ出ている。西側に追いやられた鼻つまみ者が収集したにしては、尋常ではない数だ。
「この遺物群は、何に使用されていたのですか?」
ガチコの質問に答えたのは、目の下に隈を作った若手研究員だった。
「あ……はい。界波数の平均値を計測するために使っていました」
取調室で支離滅裂な言動を繰り返す所長とは対照的に、彼はすすんで事情聴取に応じた。しかし徒党を組んでルカに無体を働いた男の心変わりのきっかけなど、ピカリにとっては些末なことだった。
「──と、このようにして、被験者から発せられる界波数を特定の値まで引き上げようと」
「ふんふん、なるほどね……わかる?」
「わからないんですか?」
ピカリが耳打ちすると、ガチコはけんもほろろにため息をついた。
「不確かな『新世界』なるものへの到達を大義名分に無辜の者を拷問し、闇雲に苦しめたということです」
「ふうん……」
「そ、そんな言い方……! 確かに被験者には申し訳のないことをしました。しかし、『境界』の存在を否定することは、やめていただきたい!」
「あ、うん」
手帳をパタンと閉じると、ガチコはルカが繋がれていた電源装置に視線を転じた。金属製のレバーは見事にへし折れ、ひしゃげた外板の中から焼き切れた配線が顔を出している。
「かなりの規模の爆発だったようですね」
「本当にねー」
電源装置を破壊した張本人であるピカリは、明後日の方向を見ながら同調した。
ルカは助かった。琥珀は重傷を負ったが、命は拾った。不埒な研究所は解体され、当面の危機は去ったと言える。しかしピカリには、どうしても拭い去れない疑問があった。
「ガチコ」
「はい?」
振り返ったガチコに向けて、ピカリは指鉄砲を突きつける。
「バーン」
「……はい?」
青筋を立てながら万年筆を弄ぶガチコに、ピカリは続けて問う。
「今の、ガチコなら、銃を構える前に避けられる?」
「銃を構える前に? そんなこと出来るはずがないじゃありませんか」
「だよね。私にだって無理。でも、それが出来たとすれば……どんな理由が考えられると思う?」
目の良さには人一番自信があった。だから見間違いであるはずはない。
あのとき琥珀は、ならず者が背後から銃口を向けるより先に、ルカを突き飛ばしていた。
とびきり勘が良いとは思っていた。琥珀が「嫌な予感がする」と言い出せば、必ずと言っていいほど悪いことが起こる。
トラップの回避にしたってそうだ。たとえば、琥珀がパーティーに加入して最初の探索のとき。琥珀が予備知識もなしに躱してみせた短鞭トラップは、発動を見てから回避できるような速度の罠ではなかった。まんまと向こう脛をしばかれたピカリ自身が、そのことをよく知っている。
「勘で片づけるには、ちょっと度が過ぎるんじゃないのかな」
「……? ふむ、そうですね」
ガチコは口もとに手をやって熟考する。
「予め先のことをわかっていれば、不可能じゃないのでは? 私の愛好する劇団にも、銃声が鳴る前に倒れてしまう大根役者がいますもの」
「あ、意外とそういうの好きなんだ」
「お構いなく」
身も蓋もないガチコの例えを、ピカリは頭の中で揉む。もしも自分に先のことが読めるなら、きっと賭け事で一山当てている。明日の天気を言い当てて、毎日のように中央広場で発表すれば、街の人気者になれそうだ。
「こんなのはどうだろう? 迷える子羊よ、あなたの未来をピカリと言い当ててしんぜよう」
「何ですか、その西側に掃いて捨てるほどいる胡乱な占い屋じみた口上は」
両手を広げてくるりと反転したピカリの視線の先に、見知らぬ青年が立っていた。
上質なベルベットのフロックコート。底抜けに深い青色の瞳。丁寧に撫でつけられた白金色の髪。
「もし。貴女らは何の話をしているのだろうか」
目の前に佇んでいた青年こそが、この国の第一王子にしてルカの異母兄である、ラルゴその人だった。
***
ラルゴは痛烈な既視感を覚えていた。
境界観測研究所が起こした不祥事の視察のために訪れたその牙城は、かつて垣間見た未来の断片と瓜二つだったからだ。
事件のあらましも報告を受けている。人体実験の最中、青い光と共に爆発が起き、負傷者も出た。果たしてこれが単なる偶然の一致であり得るのか。
もしも、ここで起きた事件こそが己の見た未来だったならば……ルカは、生きている。
「ご機嫌麗しゅう、殿下」
ガチコが恭しく一礼すると、ピカリはあんぐりと口を開けた。
「えっ。お、王子様!?」
「殿下、こちらの探索者様は当事者です。この度、我々の調査に協力していただいております」
「こ、こんにちは。ピカリです。でも、どうして王子様が直々に?」
「騒動を起こしたのは王立研究所を追放された者だ。不穏分子の暴走を看過した責任は、我ら王家にある」
すらすらと建前が口先に上る。事故現場に自ら出向いたのは、報告書の内容に引っかかりを覚えたからに他ならない。
「婦女子がこのような事件に巻き込まれるとは。さぞ恐ろしかったであろうに」
大破した電源装置を見ながら労りの言葉を口にする。ピカリは明後日の方向を見ながら答えた。
「はい。怖かったけど、友達のピンチだったので頑張りました」
「……はて、友達とな」
ピカリの目が、あからさまに泳ぐ。
「えっと、ちょっとした茶飲み友達です」
「仮初にも第二王子を捕まえて、茶飲み友達とは恐れ入る」
「えっ、ごめんなさ……あ!」
慌ててピカリが口を押さえる。その動揺がかえって、ルカの生存を裏づけていた。
あの断崖絶壁からどうやって逃げ延びたのか。今日までどこでどんな生活をしてきたのか。聞きたいことは山ほどあれど、為政者として、何を置いても確かめなければならないことがあった。
「鎌をかけるような真似をしたことは詫びよう。正直に答えてくれたまえ。この惨状は……ルカが起こしたものなのか」
ラルゴは率直に問い質した。するとピカリの表情から後ろ暗さが吹き飛び、怒りへと様変わりする。
「……言っている意味がわかりません」
思いもよらない反感に気圧される。その横でようすを伺っていた若手研究員が、おずおずと口を挟んでくる。
「お、恐れながら、殿下。爆発したのは当所の観測装置本体です。入力飽和のためにオーバーヒートしたのです」
「入力飽和? オーバーヒート? いったい何があったというのだ」
「探索者様、殿下に対して無礼な態度は……」
困惑気味のガチコに嗜められても、ピカリは一歩も引かない。まっすぐな水色の眼差しは、ラルゴの未だ知らない物語を湛えていた。
「何かされたって言うんなら、それはルカ君の方です」
***
降り続く雨が、お気に入りの星空を覆い隠している。親方が淹れてくれた薬湯は、湯気が立たなくなって久しい。屋根を叩く大粒の雨の音を聴きながら、ルカは膝を抱えていた。
親方は隣町での大口取引を蹴って、入院中の琥珀に代わり黙々と修理業務に勤しんでいる。ヤセギスやシズカ、ピカリが連日顔を出してくれるが、ルカの胸に立ち込めた雨雲が晴れることはなかった。
いつものようにオルゴールのぜんまいを巻き上げる。しかし、音が出ない。不思議に思ってもう一度巻く。やはりオルゴールはうんともすんともいわない。
焦燥に駆られて何度も巻き上げているうちに、ぽきん、と不吉な音がした。折れた真鍮の巻鍵が、ルカの手の中から転がり落ちる。
「琥……っ」
反射的に助けを求めようとして、その愚かさに気づく。琥珀は直せない。他ならぬルカ自身が、琥珀の「魔法」の手を壊したのだから。
「あ、ああ……」
ルカは蹲った。最後に残った糸が切れて、果てしない暗闇の底に落ちていくような気がした。
──もう、ここにはいられない。
数少ない荷物を鞄に詰めて、シズカが返してくれた青いリボンを結える。静かに梯子を降りると、親方が立ちはだかった。
「どこへ行こうってんだ。こんな酷ぇ雨の中をよ」
「……親方」
もし、この工房に引き取られなければ、今頃どうなっていたことか。まともな生き方を知らなかったルカは、きっとヤセギスがいつか言っていたように、ころりと売り飛ばされて、明日をも知れない暮らしをしていたに違いない。
「貴殿から受けた恩義は万金に値する。義理堅きドワーフの長に、格別の感謝を」
ルカは折目正しく片膝をつく。親方は椅子から飛び降りると、丸っこい拳でルカの膝を小突いた。
「琥珀が悲しむぞ」
「……もう、友達ではいられないんだ」
自分が近くにいれば、また琥珀を危険な目に遭わせてしまう。そんなことになれば、もう二度と立ち上がれない。
何より、琥珀と顔を合わせるのが怖くて仕方がなかった。
親方の分厚い掌を両手で包み、額を寄せる。
「親方。こんな僕を受け入れてくれて、ありがとう。……琥珀を傷つけてしまって、ごめんなさい」
体の芯から温まるスープ。風にはためく洗濯物、石鹸の香り。傷だらけの作業机、油の匂い、規則正しい時計の針の音。母が好きだった歌を奏でる宝物。
小さな屋根裏部屋は、ルカの城だった。
***
琥珀が工房に帰ってくる頃、すでにルカの姿はなかった。
「ようやく戻ってきやがったな。このやんちゃ坊主が」
「親方、本当にすみませんでした」
開口一番謝罪して、琥珀は親方の前に両膝をついた。一週間も工房を留守にした挙句、右手と胸に巻かれた包帯は、当分外れそうもない。
「このたわけ者。こんなときくらい、自分の体の心配だけしてろ」
親方は手拭いを琥珀の頭に放って寄越す。それを受け取り、黙って濡れた髪と肩を拭った。
「あの、親方。ルカの奴は」
「出て行ったよ。夕べのうちにな」
「そう、ですか」
驚きはなかった。静まり返った工房に足を踏み入れた時点で、察しはついていた。
「行く当てがねぇと言うもんでな。魔族の集落の場所を教えてやった。暮らしぶりはいいとは言えんが、魔族なら、出自を理由にあいつを突っぱねたりはしねぇだろうよ」
「それは……どこにあるんですか」
「聞いてどうする。追いかけたところで、お前に何が出来る」
琥珀は動かない右手を、左手で握り締めた。
ルカがどうして出て行ったか、想像がつかないと言えば嘘になる。今の琥珀には、ルカを追い詰めることしかできないであろうことも。
親方は大きな髭を撫でつけ、踵を返した。
「風呂なら沸いてる。腹減ってんなら水菓子もある。体に障らんよう、今日はさっさと休め」
横殴りの雨が、くたびれた窓枠をガタガタと揺らす。新天地を目指すのにもってこいの日和とは、お世辞にも言いがたい荒れ模様だった。
風邪なんか引かなくたって、雨は冷たいだろうに。




