22.西側
「喉頭を損傷しているようだな」
「再生を待ちますか」
「発話は不要だ。準備を進めたまえ」
所長と呼ばれた老年の男の指示に従い、若手研究員がぐったりとしたルカの胸に金属板を固定していく。
やめてくれ。あなたたちはいったい誰なんだ。どうして僕にこんなことをする。たった一言すら、喉の痛みに阻まれて咳に変わる。
金属板と皮膚の間に挟み込まれた濡れ布が、体温を奪っていく。その冷たさに震え上がると、若手研究員と目が合った。彼は怯んだように目を泳がせたが、手を止めることはなかった。
「都では鼠のせいで記録を取り損ねたからな。ここなら邪魔が入ることもあるまい」
「銃創は……跡形もありません。再生したと考えられます」
「壊れないのは好都合だ」
そこまで聞けば、嫌でも理解できた。都でルカを狙撃したのは──兄の差し向けた刺客ではなかったのだと。しかし真相が明かされたとて、今のルカの救いにはならない。
「しかし、その、良いのでしょうか。彼は王族です。後々問題になるのでは?」
「書類上は死んでいる。死体を如何に扱おうとも、咎める者などない」
「ですが……」
「死んだ蛙に電流を流せば脚が跳ねる。君も科学者の端くれなら、それくらい経験があるだろう」
まるで血の通わない物扱いだ。蛙の死体なんかじゃない。ここに生きていて、苦しみも痛みもある。そんな当たり前のことがなおざりにされていく。
「所長、通電準備完了いたしました」
生っ白い顔の記録係が、観測装置の波形を見つめたまま報告する。
「現在の界波数は?」
「十二・二Fzです。先ほど絞頸された際、四十Fzまで跳ね上がりました」
「やはり負荷は有効なのだな。境界の観測値は七十・四Fz。……再現可能だ。我々を異端と嗤った学会の能無し共に、一泡吹かせてやれるぞ!」
白髪頭を掻き乱しながら、所長は狂喜を滲ませた。得体の知らない恐怖に、ぞっと全身が粟立つ。
「や……やめてくれ。いったい僕が何をしたって言うんだ!」
やっと喉が通じて、悲鳴じみた声が出る。
「もう潰された喉が再生したのか」
所長が感心したようにルカの顎を上向かせる。首の内出血の痕は、とうになくなっていた。
「ぼ……僕に出来ることがあるなら、協力する。だからこれ以上酷いことはしないでくれ」
「ふむ」
ルカの懇願を受け、所長が思案するようすを見せる。取りつく島もないわけではないのだと、ルカは少しだけ胸を撫で下ろす。
「では問おう。君は『境界』についてどれだけ知っている。遺構の深部に存在する、空間の不連続。新世界との継ぎ目のことだ」
「境、界?」
しかし投げかけられた単語はどれも、ルカの預かり知らないものばかりだった。
「……わからない。遺構の最深部まで潜ったことはあるが、そこには何もなかった。本当だ」
「質問を変えよう。君の首の紋様の意味を知っているか? それはまさしく『境界』に繋がるものだ」
「僕の首に紋様があるということは、ミラージュブルー……知人から聞いた。魔王の生まれ変わりに現れるものだと。僕が知っているのはそれだけだ」
「ああ。他愛の無い王家の絵空事か」
つまらなそうに吐き捨て、所長はノートに走らせていた羽根ペンを置いた。
「この個体はあくまで媒体……新世界の鍵に過ぎないということか。ならば証言は無用。通電を開始する」
「待ってくれ! いったい何を……」
「始めたまえ」
無慈悲な合図に、記録係がレバーを押し下げた。
「あ……ッ!」
バチバチッ、と火花が弾ける。金属板から流れ込んだ衝撃に、背骨が折れるほど反り返った。身体中の自由が利かず、ひとりでに指が握り込まれていく。首の紋様と堆く積み上げられた遺物が、青白く明滅する。肉眼では追いきれないほど目まぐるしく、光と闇が入れ替わる。
「界波数上昇。二十九・八、三十五・一……」
未知の苦痛が、淡々と数値化されていく。やがてレバーが元の位置に戻されると、身体中の締めつけが一気に解けた。胸の痙攣が止まらず、浅い呼吸しかできない。
「はっ……はぁッ……!」
「最大値は」
「四十二・一Fzです」
「出力を一段階上げ、断続的に通電を行う」
「心臓への負担がかかりますが」
「構わん。個体は再生する」
心ない応酬が、体の痛みに追い打ちをかける。
「助、けて……琥珀……」
助けを求める声が、未だ躊躇いの中にいる若手研究員の耳朶を打つ。
「……所長。本当に、これで『境界』が再現できるのでしょうか。個体の再生能力は百も承知ですが、それ以外は普通の少年に見えます」
「わからないからこそ試すのだよ。己の理論の証明に魂を捧げずして、何が研究者か」
一方で、波形をなぞる老人の指先に迷いはない。
「界波数は負荷に伴って上昇する。我々はそこまでを既に掴んでいる。この針が七十・四Fzを示すとき、必ず何かが起こる。君は目の当たりにしたくないのかね。管理局が隠匿し、学会が唾棄した世界の真実に、自らの手が届く瞬間を」
「そ……それは……」
倫理を擲った老研究者の言葉が、良心に傾きかけた若き天秤を、探究心へと傾がせる。
「待って、くれ……本当は、君だって……こんなこと、したくないんだろう、頼む、止めてくれ……」
縋るような瞳から、若者は顔を背けた。
「通電を再開する。間隔は十秒だ」
再びレバーが押し下げられる。全身に針を打ち込まれるような激痛が走り、ルカの身体が再び、意思に反して折れ曲がった。
***
ルカが行方を眩ましてから、既に数時間が経過していた。琥珀はひたすらに街中を駆けずり回ったが、手にした「大当たりだったもの」の欠片は、依然として暗く沈黙したままだ。
そんなとき、待ち望んでいたフレアガンの鮮やかな光が空に炸裂した。琥珀たちが一目散に駆けつけると、シズカがその手に青いリボンを握りしめて佇んでいた。
「それ、ルカ君のだ」
ピカリが険しい顔をする。泥まみれのリボンが見つかったのは、人気のないうらぶれた路地裏だった。未舗装の地面に、まだ新しい粗暴な車輪の跡。その轍は一直線に、こちら側と西側を繋ぐ石橋へと続いていた。
「……冗談じゃないぞ」
頼むから光ってくれるな。手の中の欠片に祈りながら、琥珀たちは橋を渡る。そんな琥珀を嘲笑うかのように、ぽう、と弱々しい光が欠片に灯った。
想像していた中でも最悪の展開だ。この街でいっとう物騒な無法地帯──西側にルカはいる。
「こいつぁ……なかなかどうして、笑えねぇ事態になってきたもんだ」
ヤセギスが青い光を睨みつけながら毒づいた。シズカは瞑目し、青いリボンの泥を払って懐へ仕舞い込む。自責に沈み込みそうになる気持ちをぐっと堪え、琥珀はピカリに向き直った。
「ピカリ、あんたはここまでだ」
ピカリは面食らって、すぐさま冷静に反論してくる。
「捜索効率が落ちる。公文書の偽造なんか、チンケなごろつきのやり方じゃないよ」
彼女の言い分はもっともだ。一刻を争う事態だということも痛いほどわかっている。だが、これから向かうのは西側なのだ。
どう言ったものかと考えあぐねていると、ヤセギスが助け舟を出してくる。
「姐さん。あんたはここじゃあ価値がありすぎる。俺たちにゃ、あんたを守りながらルカを探す余裕はねぇ。かといって一人で行かせるなんざ、もっての外でさぁ」
ヤセギスが、ピカリの誇りを傷つけぬよう言葉を尽くす。ピカリは問答の時間すら惜しむように、固く唇を引き結んだ。
そして何かを閃いたように、明後日の方向を見た。
「わかった!」
不自然なほど素直に、ピカリは踵を返して駆けていく。その背中が遠くなるのを、男衆は見送るしかなかった。
「『いいこと思いついた』って、顔に書いてあったな」
「碌でもねぇことじゃないのを願うしかねぇな」
不安をこぼす琥珀とヤセギスを横目に、シズカが手短に祈りを捧げた。
「願うのではない。祈れ」
***
西側は、琥珀にとっても未知の領域だった。道端にはあらゆるものが転がっている。夥しい数の空き瓶、腐乱したポテトフライ、投棄された廃材、粗末な寝床、人。
シズカは単身でルカの捜索に当たっている。琥珀はヤセギスから「俺の目の届く範囲で聞き込みしてろ」と言いつけられ、唯々諾々とその後ろをついて回った。
手の中の欠片は異常な明滅を繰り返している。遺物がルカを感知して光るところは何度も見てきたが、こんな反応は初めてだ。
ルカの身に何かが起きている。それも尋常ではないことが。そんな予感が、冷や汗になって滲む。
近くにルカがいることはわかっているのに、肝心の居場所が掴めない。まさか一軒一軒扉を叩いて、「ルカを攫ったか」と聞いて回るわけにもいかない。
「情報収集と言やぁ、やっぱりここだよな」
八方塞がりの中、ヤセギスが毳々しい看板の前で足を止めた。
「ここって?」
派手で下品なファサードが、ガス灯の弱々しい明かりに浮かび上がっている。それはひとえに手仕事ばかりに没頭してきた琥珀とは、縁もゆかりもない店だった。
「ハーイ、素敵なお兄さん。今夜、遊んでいかない?」
「うわあっ」
格子窓の向こうから、半透明のシュミーズを纏った魔族の女が手を振ってくる。度肝を抜かれた琥珀は、思わず両目を覆った。
「こ、ここ、こんなことしてる場合じゃないだろ!」
「べらぼうめ、俺だってカミさんにぶっ飛ばされたくねぇやい。話を聞くだけだ。人間、下半身が緩みゃ口も緩む。こういう場所は情報の坩堝なんだよ」
商機を察した半裸の女たちが、次々と猫撫で声で誘いかけてくる。目を白黒させながら、琥珀はヤセギスの背中に隠れた。
「……俺も行かなけりゃ駄目か?」
「お前さんのような小童について来られても邪魔で仕方ねぇや。表で待ってろ。くれぐれもお利口さんにしてろよ」
ひらひらと手を振って、ヤセギスは娼館の中に消えていった。
取り残された琥珀は、一人ヤセギスが戻ってくるのを待った。掌の中で稲妻のような光が弾けるたび、焦燥が胸を掻きむしる。
「おい、そこのちびっこ。随分と珍しいもんを持ってんじゃないの」
声をかけてきたのは、真っ赤な髪を短く刈り込んだ年嵩の女だった。傍らには日に灼けた小太りの男。二人の視線は、琥珀の手もとに注がれている。しくじった。慌てて後ろ手に隠すが、後の祭りだ。
「俺っち、光る遺物なんざ初めて見たぜ」
「ちょいと見せておくれよ、ぼくちゃん」
琥珀より一回り大きい赤毛の女が、腰を屈めて酒臭い息を吹きかけてくる。「嫌だ」娼館に逃げ込もうとした琥珀の肩を、男の太い指が馴れ馴れしく掴んだ。
「まあ待てって。遺物取引ならとっときの当てがあんだ。教えてやるから、こっちに来いよ」
「……間に合ってる」
「つれねぇな。ま、インテリ先生も今日のところはちぃとばかり、お忙しいみてぇだがよ」
「ああ、あれかい。案外俗っぽいとこもあるもんだ。金髪がご趣味とはね」
何の気なしに吐かれた言葉が、琥珀の耳に引っかかる。
「今、金髪って言ったか? 今日、何かあったのか」
西側に限らず、ルカのような白金色の髪はこの街でも珍しい。ましてや件の人物は遺物の取引先としても有力だという。見過ごすわけにはいかなかった。
「何だよ、顔見知りか?」
「人を探してるんだ。俺と同じくらいの年頃の金髪の男だ。あんたたちが見かけた奴かもしれない。何か知ってるなら教えてくれ」
二人は顔を見合わせ、にんまりと口もとを歪めた。
「いいよ、教えてあげる。でも、ただでとはいかないねぇ。代わりに坊やの持ってる珍しい遺物をちょうだいな」
「……わかった。これはあんたたちに譲る。代金もいらない。だが、事が済んでからだ。先に情報をくれ」
「ふん、交渉成立だね。来な」
赤毛の女が顎をしゃくると、小太りの男の煤まみれの手が琥珀の腕を鷲掴みにする。無遠慮な力加減に、琥珀は顔を顰めた。
「待ってくれ。中に連れがいるんだ。一声かけてくる」
その一言を皮切りに、二人は態度を一変させた。
「連れ? ……そいつはいけないねぇ」
「んんっ……!」
背後から口を塞がれて、軽々と物陰に引き摺り込まれる。抵抗もできないまま、琥珀は油と汚物の溜まった地面へと力任せに投げ出された。
「口約束なんか聞く間抜けがいるもんかい。今、奪っちまえばいいってだけの話なんだからさ」
通りから漏れ差すガス灯の明かりを、乱暴者たちの上背が遮った。




