21.ごめんな
しばらくぶりに訪れた遺構管理局は相変わらずだった。雨のようなタイプライターの音が、まっすぐな石壁に跳ね返る。
琥珀は手の中の書簡に目を落とす。約束の中央広場に、ルカの姿はなかった。単に場所を移しただけかもしれない。今頃きっと遺構行きの機関車の中で、いつかみたいに目を輝かせて車窓を眺めているに違いない。なのにどうして今、こんなにも激しい胸騒ぎに突き動かされているのだろう。
店番を理由にルカを一人で送り出しておきながら、結局のところ店を閉めて飛び出してきてしまった自分が情けない。親方が帰ってきたら、誠心誠意頭を下げよう。何事もなければ、笑い話になって終わるだけだ。
番号札を手にした探索者が総合窓口から去っていくのを見計らって、書類の束をめくる男性職員へと詰め寄った。
「なあ、急ぎで見てほしいものがあるんだが……」
「番号札を発券して、呼ばれるのをお待ちください」
男性職員はちらりと顔を上げ、すぐに戻す。
「そんなの待ってられない。事と次第によっちゃあ、管理局だってただでは済まないかもしれないんだぞ」
「ご意見は記入ブースの目安箱へ」
「そうじゃない! この書簡を見てほしいだけなんだ」
「まずは番号札を発券してください」
「だったらミラージュブルーに取り次いでくれ」
「次の方、どうぞ」
順番の回ってきた探索者に押し除けられて、琥珀は歯噛みした。馬鹿正直に番号札を発券したところで、たらい回しにされるのは目に見えている。この書簡が信頼に足るもので、ルカは今頃ミラージュブルーにこき使われて、ひいこらと役目を果たしているとわかりさえすれば、それだけでいいのに。
「探索者様? そんなに慌てて、どうかなさいましたか?」
よほど切羽詰まって見えたのだろうか。用がない限りすすんで話しかけてくることのないガチコが、怪訝そうに声をかけてくる。
「……ガチコ」
「ごほん。その呼び方を許可した覚えは──」
「頼む、こいつを見てくれ」
渡りに舟だ。決まり文句を遮って、ガチコの手に書簡を押しつける。
「これが何か?」
「今朝、うちの工房のポストに届いた。この手紙は正式なものなんだよな? 送り主はミラージュブルーなのか?」
「何故、貴方が室長の名を……」
「話せば長くなる」
戸惑いながらも、ガチコは書簡へと目を滑らせていく。丸眼鏡の向こうの赤錆色の瞳が、蛇のように細められた。
「押印が滲んでいますね」
「それがどうかしたのか?」
「管理局では速乾性の高い朱肉を使用していて、少しでも滲んだものは破棄しているのです」
ガチコの手の中で万年筆が回るようすを、琥珀は固唾を飲んで見守る。つとガチコは踵を返し、つかつかとカウンターの奥に入っていく。ファイリングされた控え用紙を手早くめくり、閉じた。ファイルを小脇に抱えて戻ってくる彼女の、パンプスの踵の音が硬い。
「非常に精巧ですが、私の目は誤魔化されません。この文書番号は存在しない。ミラージュブルー室長が発行したものではあり得ない。……偽物です」
さあっと、血の気が引いていく。足もとが揺らいで、思わずカウンターにしがみついた。
「探索者様、顔色が優れないようですが……」
「だったら……この手紙は、いったい何だって言うんだ」
「現段階では何とも。はっきりしているのは、何者かが管理局を騙って文書の偽造を行ったということ。そこに悪意が介在しないとは、考えにくいということです」
ガチコは張り詰めた表情で眼鏡を押し上げた。
取り越し苦労であれという願いが、最悪の形で裏切られる。
書簡は偽物だった。ルカは何者かによって誘き出されたのだ。
「やられた……!」
カウンターを拳で叩く。琥珀の剣幕に驚いたガチコが、ポニーテールを揺らして後ずさる。
いや、違う。ルカは初めから怪しいと訴えていた。
それを「行ってこい」と背中を押したのは。
「やら、かしたんだ……俺が」
***
「駄目だ、影も形もありゃしねぇ。どこほっつき歩いてんだ、あのお坊ちゃんは」
「こっちも駄目。片っ端から声をかけたけど、見かけた人はいないって」
ヤセギスとピカリが、交互に芳しくない成果を口にする。続けて、シズカも無言で首を振った。
「くそっ……」
琥珀は苛立ち紛れに髪の毛を掻きむしった。
管理局を後にして、すぐさま三人に事の顛末を話し、助けを求めた。しかし手がかりは何もなく、この街は虱潰しに当たるには広すぎる。
ガチコが言うには、偽装された書簡の印章は限りなく本物に近いらしい。出所を調査するそうだが、「直ちに結果が出るのを期待なさいませんよう」と釘を刺されてしまった。
「闇雲に駆けずり回ったって埒が明かねぇや。それにこの街を出て行っちまっていたら、俺らにゃ手も足も出ねぇぞ」
ヤセギスがこめかみに浮いた汗を拭うと、ピカリがきっぱりと反論する。
「街を出た可能性を考えはじめたらきりがないよ。私たちは今出来ることをするしかない」
「せめてもっと情報がありゃあな。琥珀、お前さん何かねぇのか。……琥珀?」
どうしてあのとき、ろくすっぽ考えもせずにルカを送り出したのか。頭の中がぐちゃぐちゃなのに、その答えだけははっきりしている。
「俺のせいだ……」
親方に店を任されたとか、罠が巧妙だったとか、そんなことは関係ない。誤魔化したのだ。上手く距離を掴めなくて足踏みをする自分を。
最初は追手だと思った。しかし曲がりなりにも王家が、あんな回りくどい真似をするだろうか。敵が王家でないなら、管理局に期待した王家への牽制は無意味だったことになる。
幸い、ルカは簡単に死んだりしない。だが、それはルカが無事であることと同義ではなかった。ルカの立場は、見る者が見れば格好の獲物だ。
「……おい、琥珀」
「え、あ、ああ。悪い。何だ」
ヤセギスが腰を屈めて覗き込んでいることに気づく。ピカリとシズカも、琥珀の答えを待っている。
「だからよ、偽物の手紙が届く前に何か変わったことはなかったのかって聞いてんだ」
「変わったことなんか……」
そう言われても心当たりはない。今朝はいつも通り、ルカは通りの掃除をしながら、ご近所と談笑していた。そして油をもらって、「大当たり」を磨こうと──
「……半径四百メートル」
「何だって? ……って、おい、どこ行きやがる!」
「ちょっと待っててくれ!」
ルカが「恵みの水菓子屋」に買い出しに行ったとき、「大当たり」の光は途切れた。工房から「恵みの水菓子屋」までの直線距離は約四百メートル。つまり、ルカが半径四百メートル以内にいれば、「大当たり」はそれを感知して光る。
琥珀は息を切らして工房に駆け込んだ。作業机の上に鎮座する「大当たり」は光を宿しておらず、この辺り一帯にはルカがいないことを指し示していた。
これだけの大物を丸ごと抱えてルカを探し回るのは非現実的だ。だが──四人で分け合えば、その限りではない。
「……ごめんな」
他の誰かの手に渡っていれば、きっと天寿を全うできただろうに。きっともう、これほどの大物には生涯お目にかかれまい。
しかし、これもルカがいなければ手に入れられなかったものだ。ルカを見捨てて「大当たり」だけが残ったとして、そんなもので作り上げた万年時計は、琥珀の夢じゃない。
最後に慈しむように「大当たり」を撫でてから、琥珀はその窪みに鑿を当てる。きっと上手くいく。何しろ、「当たり」を壊すのは初めてではないのだから。
「無事でいなけりゃ……承知しないからな!」
覚悟を決めて、琥珀は金槌を振り上げた。
***
真鍮の配管のバルブから、しゅう、と白い蒸気が漏れる。だだっ広い工場の製造ラインは途絶えて久しく、代わりに物々しい観測装置がずらりと立ち並んでいる。装置の上部に嵌め込まれたガラスドームの中には、玉石混交の遺物がぎっしりと詰め込まれており、鉄柱へ後ろ手に括りつけられたルカを青白く照らし出していた。
蒸気の音と、喉を戒められたルカの呼吸音に、ならず者たちの無遠慮な酒盛りの音が重なる。
「おい、学者先生はまだかよ。酒が底をついちまったじゃねえか」
刺青の男が皮袋を逆さに振ると、白衣の研究員はバインダーから生っ白い顔を上げた。
「急ぎ向かっておいでです。今しばらくご寛恕を」
「けっ、いいご身分だぜ」
「いいじゃねえの。このヤマが片づいたら俺たちゃ贅沢三昧なんだからよ」
シズカほどもある大男が干し肉を頬張る。歯がいくつか抜けているらしく、噛みちぎるのに難儀していた。彼らの肌は炭と油を塗りたくったように黒ずんでいて、全くと言っていいほどサイズの合わない上着だけが、いやに上等だった。
「それにしてもよォ」
空の皮袋を放り捨て、刺青の男がルカに歩み寄る。髪の毛を鷲掴みにされ、ルカは声にならない悲鳴を上げた。出入口の鉄柱に凭れて見張りをしている魔族の青年が、ちらりと視線を寄越して、すぐに目を逸らす。
「どっかで見た顔だと思っちゃいたが……こいつ、ラルゴの若ェ頃にそっくりなんだわ」
黄色く濁った目に眺め回され、震えが走った。もしもルカの素性が知れたら、もっと酷いことになるかもしれない。そっぽを向こうとしたのを見咎められて、千切れるほどに強く髪を引っ張られる。
「ラルゴだぁ? お前みてぇな鼻つまみ者が王子サマに会ったことでもあるってのか?」
「うるせぇ。あの野郎、まだお坊ちゃんの頃、西側に物見遊山に来てやがったのさ。護衛もつけずにのほほんとな。こいつみてぇに、何一つ不自由なんか知らねぇってツラでよ。あんときゃ腑が煮え繰り返ったね」
男の酒臭い息と饐えた匂いが、入り混じって鼻腔をつく。
「だからよォ、石投げてやったわけよ。これが傑作でよ、どたまに見事命中して、血塗れになってやんの。ありゃあ胸がすく思いだったね。そんで言ってやったのさ。『ぼんくら坊やはお城に帰ってママのおっぱいでも吸ってな』ってな」
そう言って、刺青の男はけたたましい笑い声を上げた。
大きな悲しみが、ルカの胸を塞ぐ。
ラルゴの側頭部には、確かに傷跡があった。幼かったルカがいったいどうしたのかと尋ねても、ラルゴは微笑むだけだった。
物見遊山なんかじゃない。ルカの知っている兄ならば、この人たちを、街を助けようとしたはずだ。護衛をつけなかったのだって、西側の人々を頭ごなしに荒くれ者だと決めつけていないことを、身をもって伝えたかったからに違いない。
ラルゴが自分を……見捨てるのは仕方のないことだ。本物の化け物なのだから。けれどラルゴは決して民を見捨てたりはしない。傷つけ合う必要なんかどこにもないのに。
拒絶の痛みを抱えて、兄はいったいどんな思いで笑っていたのだろう。
「小僧。……何だ、その目は。一丁前に憐れんでんのか?」
粘ついていた刺青の男の眼差しが、俄かに研ぎ澄まされる。ルカの髪から手を放し、男は乱雑に積み上がった木箱の上にどっかりと腰を下ろした。「おい」魔族の青年を顎で呼びつけ、揶揄するように自らの首を引っ掻いてみせる。
「躾けてやれ」
魔族の青年は重い足取りで近づいてきて、ルカの背後に回り込む。ルカの心臓が早鐘を打つ。「違う」と叫びたいのに、声が出ない。震える手枷が、かたかたと鉄柱にぶつかる。
「おら、何ボサッとしてやがる。さっさとやれ!」
怒号が飛ぶ。青年の小さな舌打ちが聞こえ、ぐっ、と首輪の背面が掴まれる。かちり、かちり。ねじを回すような金属音に合わせて、首輪の内径が縮む。突起に気道を押し潰され、息ができない。
「……っ、!」
苦しみのあまり、のけ反って身悶える。堰き止められた唾液が口から溢れて、水の中でもないのに溺れているような錯覚に囚われた。
視界が暗く閉じかけた瞬間、首輪が緩められる。「げほっ……、はぁっ……」激しく咽せ返るたび喉に激痛が走り、ならず者たちが笑い転げる姿が滲んだ。装置の前でバインダーをめくっている研究員は、少しも意に介するようすがない。
ルカの呼吸が整うのも待たずに、再び首輪が締めつけられる。より深く突起が食い込み、口の中に鉄の味が広がった。
唐突に、首の圧迫感がなくなる。緩められたのではない。取り払われたのだ。がくん、とルカの体から力が抜ける。刺青の男が気色ばんで立ち上がった。
「てめぇ、何してやがる!」
「……所長が来たら外すようにと命じられている」
涙の幕の向こうに、新たな二人の人影が見える。助けて、と唇が象るも、掠れた空咳しか出てこない。項垂れたままのルカのシャツの襟もとを、魔族の青年が開けていく。歩み寄ってきた老人が、剥き出しになった首筋の紋様を認めた。
「ご苦労だった。お前たちは外の警備に当たれ」
その声を合図に、ならず者たちは不承不承この場を後にする。すれ違いざまの魔族の青年の言葉が、耳の奥に突き刺さった。
「……恨むなら、ややこしい連中に目をつけられた自分の運命を恨むのだな」




