20.誘拐
「おっと、ご主人。立派な謳い文句が我が館まで届いていましたよ」
「おう、悪い。今日も朝から元気だねぇ」
「もちろんだとも! それこそが僕の取り柄なのだから」
春風に巻かれて店先に迷い込んだチラシを、箒を手にしたルカが鍛冶屋の主人に手渡している。朗らかな笑い声を合図にして、近所の職人たちが続々と顔を出す。いつもの光景を横目に、琥珀は重たいミルクタンクを工房へと運び入れた。
都から帰った翌日には、ルカはすっかりいつも通りに見えた。持ち前の愛想で人を惹きつけ、口八丁でお得意様を喜ばせて、親方のご馳走に無邪気に小躍りをする。
屋敷と家族を失って、兄の裏切りを知り、自らが人ならざるものと知ったことなど、まるでなかったかのように。
平気なふりをしているのかもしれない。それでも誰にも気取られることなく、ルカは明るく笑ってみせている。
部外者のはずの琥珀だけが、当たり前の日常を享受できないまま、静寂の機関車に取り残されていた。
「琥珀、琥珀!」
掃除から戻ったルカは、箒の代わりに茶色の小瓶を持っていた。
「金物屋の主人からもらったんだ。試供品の油らしい。これで石ころをぴかぴかに磨くというのはどうだろうか」
「『大当たり』には油を差さない。芯を抜くときに支障が出たら困るだろ」
「そ、そうか。そうだよな」
にべもなく言うと、ルカは目に見えてしゅんとしたようすで、小瓶をカウンターの隅に置いた。何も『大当たり』の手入れに使えないからといって、当てがないわけではない。窓や鍋、質がよければ修理品にだって使える可能性はある。そう付け加えればいいだけなのに、また上手く言えなかったことが気にかかって口が重くなる。
どうにもその気になれなくて、芯抜き屋を探すでもなく机の上に放ったらかしにしてある『大当たり』が、恨めしげにこっちを見ているような気がした。
「琥珀よ。都から戻って随分経つが……お前ら、まだ仲違いしてるのか」
机に向かって修理品のねじを巻いていると、親方が声をかけてくる。
「……仲違いなんか、してません」
無礼を承知で、背を向けたまま歯切れの悪い答えを返す。
ルカが都で命を狙われたことだけは、親方に伝えてあった。ルカをここに置いておく以上、まかり間違えば親方にまで危険が及ぶかも知れない。それを黙っているような不義理な真似はできなかった。
放り出されたって仕方がないのに、親方はあっさりとルカを受け入れてくれた。「身を隠すんなら、ここよりうってつけの隠れ家はねぇだろ。何せこの職人街の連中は、端から端まで皆ルカの味方なんだからよ」と。
そうしたわけで、親方は都で何があったのかを詳しくは知らない。ルカが自ら打ち明けでもしない限り、琥珀からそのことを話すつもりはないのだった。
「まあ、若いうちは色々とあるだろうが。あんまり冷たくしてやるな。あいつにはもう、どこにも行くところがねぇんだからよ」
「わかってます。わかってるんです」
自分の声が、懇願めいた響きを帯びる。親方は大きな髭を一撫でして、「そうかい。じゃあ前から言っていた通り、儂は出かけてくる。今日は戻らねぇから、後は任せたぞ」と言い残して、店を出て行ってしまった。
雑念を振り払うべく、目の前の修理品に向き合う。工具を取り出そうと机の抽斗を開けると、仕舞い込んでいたものがジャラリと金属音を立てた。琥珀はチェーンに指を通して、採光窓から差し込む朝の光にそれを透かし見る。
「何を見ているんだ?」
「うわっ……あいてっ!」
背後から聞こえた声に慌てふためいて、勢いよく閉めた抽斗に指を挟んで悶絶する。涙目になって振り返ると、ぎょっとしたようすのルカがいた。
「何だよ、おどかすなよ」
「おどかされたのはこっちの方だ。そんなに真剣な顔をして、いったい何を見ていたんだ?」
「工具に決まってるだろ」
「そんなに熱を帯びた目で?」
「すこぶるいい工具だったんだよ! それで、何か用か?」
抽斗を背中の後ろに隠すようにして、椅子ごとルカの方へと向き直る。ルカは何やら、ひどく形式ばった書簡を手にしていた。
「こんなものが届いていたんだ。怪しいと思わないか?」
「見せてみろ。……何だ、管理局からの手紙じゃないか」
ルカから受け取った封筒の差出人は、遺構管理局とあった。封を切って中身を検める。捺印も見慣れた管理局のものだ。内容はルカ個人の呼び出し。
先日の探索の件。確認事項有り。本日正午、中央広場の噴水前に来られたし。
要約すると、そのようなことが回りくどい文面で書いてあった。
「あんた、この前もミラージュブルーに呼び出しをくらってただろ。その件の続きじゃないのか?」
最深部のようすを直接見たいというミラージュブルーの希望に応えて、ルカはピカリを伴って再び遺構に潜っていた。ひょっとすると、例の壁の件で新たな事実がわかったのかもしれない。
「だが、あのときは彼女が直接工房にやってきた」
「ミラージュブルーだって、毎日遊んでるわけじゃないだろ。一応、あれでもお偉いさんらしいし」
「でも……」
ルカの瞳が心細そうに揺れる。付き添ってやれば安心するというならそうしてやりたいが、如何せん今しがた親方から店番を任されたところだ。親方に無断で店を空けるわけにはいくまい。
何より、遺構管理局は味方だ。他ならぬミラージュブルーがそれを約束してくれたのだから。
「ここから中央広場までなら人通りも多いし、真っ昼間から滅多なことはないだろ。大丈夫だ。行ってこい」
「……わかった。琥珀がそういうなら。君こそ僕がいなくて大丈夫か? 僕が見張っていないとすぐに無茶をするからな。もうあんな思いは金輪際ごめんだぞ」
ルカが仰々しく腕を組む。それこそこっちの台詞だ。洒落にならないので口にはしないが、土手っ腹に風穴を空けられた奴には言われたくない。
「こっちだってもう懲りたよ。このままじゃ一生あんたに監視されかねないからな」
ようやく、いつもの調子が出てきたような気がする。琥珀が大袈裟に肩をすくめると、ルカは表情を和らげた。
***
きょろきょろと辺りを見回しながら、ルカは帽子を深く被り直した。中央広場へ向かう道のりは、琥珀の言う通り人が多い。実際、こんなところで白昼堂々騒ぎを起こそうものなら、襲撃者だってただでは済むまい。
シズカからもらった砂避けは使えなくなってしまったが、ヤセギスのお下がりのシャツとベストは琥珀が手ずから補修してくれた。琥珀は器用だ。何だって直せる。遠い昔に失われたという「魔法」の手だと、ルカは思う。
どうやっても壊れない不気味な体なんかより、ずっとすごい。
ルカの足取りが重くなって、止まる。両手で頬を叩いて、また歩き出す。
中央広場に着いたとき、ちょうど時計塔の針が正午を指した。親方の作ったブリキの人形たちが、軽妙な音楽と共に踊り出す。
書簡に記してあった待ち合わせ場所、噴水の前にその男はいた。ミラージュブルーと同じ黒いジャケットに、管理局の腕章。夜のような長い髪。尖った耳。
「あっ」
眠っていた記憶が呼び起こされる。金の竪琴町に来て初めてトラムに乗った日、掲示板に貼り出された胡乱な求人を見ていた魔族の青年だった。
彼はルカの姿を認めると、片手を挙げて合図した。
「待っていた。こちらだ」
「待たせてしまい、申し訳ない。いやはや、驚いた。よもや待ち合わせの相手があなただったとは」
ミラージュブルーに「魔族は明日をも知れぬ暮らしをしている」と聞かされたことが、ルカの胸にずっと引っかかっていたのだ。こうして魔族が管理局員を務めているところを見ると、きっと彼女はああ見えて、同族の暮らしぶりが少しでも良くなるよう尽力しているのだろう。
「俺を知っているのか……?」
魔族の青年が顔を険しくする。ルカは両手を振って否定した。
「失敬、以前あなたが求人を熱心に見ていたのを覚えていただけだ。僕の使用人も魔族だったのでね。立派な仕事に就かれたようで、本当に良かった」
ほっと胸を撫で下ろすルカは、解けかけた青白い唇が、再び強く引き結ばれたことに気がつかない。
「……こちらへ。一緒に来てもらおう」
***
先導する魔族の青年に従って歩を進めてきたルカが、躊躇いがちに足を止める。
「……本当にそっちに行かないといけないのか」
この問いかけをするのは幾度目か。賑わっていた中央広場を出てしばらく歩くと、景色はすっかり様変わりしていた。建物の壁面を塗りつぶす煤が色濃く、放置されて久しい廃墟も目立つ。日中だというのに人気もない。
少し遠くに見える大きな石橋は、ヤセギスが口を酸っぱくして「絶対に近づくな」と警告していた、無法地帯だという「西側」への入口ではないのか。
「言っただろう。管理局の臨時施設がこの先にあると」
「ヤセギスが……仲間が言っていた。『西側』には、まともな者なら近づかないと」
「まとも、か」
魔族の青年が振り返る。灰色の風が、むしゃくしゃしたように長い髪を掻き乱していった。
「この街の風は、西に吹く。東には遺構を擁する山が聳えているからだ。煤煙と排水の吹き溜まり。そんな場所を、好き好んで終の住処とする者などいない」
「……何の話だ?」
ルカがじりじりと後ずさる。魔族の青年は、歯抜けになった石畳の上から微動だにしない。赤葡萄色の鋭い瞳に、どこからともなく憐憫の色が宿った。
「来い」
「嫌だ。行きたくない」
目を離さないように、魔族の青年から距離を取る。その目が憂うように伏せられたのと同時に、ルカは元来た道をなりふり構わず駆け出した。
しかし、すでに蜘蛛の巣の上だった。暗い路地から大柄な男が二人、狩りの獣の如く飛び出して、ルカの腕を力任せに掴み上げる。
「痛っ……何をする!」
「あの頓馬が、逃がしやがって」
二人がかりで路地裏に引き摺り込まれ、なすすべもなく湿ったレンガの壁に押しつけられる。手加減なしに髪の毛を引っ張られ、帽子とリボンが掃き溜めに落ちた。
「やめろ、放せっ、誰か……!」
「おい、黙らせろよ」
顔中刺青だらけの男がルカの首を鷲掴みにして、黒光りする鉄の輪を無理やり嵌め込んだ。冷たいロックの音。内側の突起が喉仏を圧迫し、助けを呼ぼうとした声を封殺する。風切り音にしかならない悲鳴をあげて、ルカは不揃いのレンガに爪を立てた。
恐るべき手際の良さだった。頭から麻袋に詰められ、運搬され、馬車の荷台に放り込まれたルカを、通りすがりの誰もが、せいぜい穀物か土嚢の類だと思ったことだろう。
「どうだい、この帽子。いかしてんだろ」
「はは、てんで似合いやしねぇ。売っぱらっちまえ」
窮屈な荷台の上で、ならず者たちが下卑た笑い声を立てる。声を封じられたルカには、か細い呼吸を繰り返すことしかできない。
「そんなことより見たか、こいつのツラ。こんな芥場じゃあ到底お目にかかれねえ上物だぜ。好事家どもに売り飛ばしゃあ、向こう一年は遊んで暮らせるんじゃねえか?」
「よせよせ、学者先生は後腐れがありすぎる。玉を瓶詰めにされたくなけりゃ、貰うもん貰って上等な酒でも飲んだ方が得だ」
「けっ。しけてやがるな」
ルカの理解を超えた会話が、頭上で飛び交っている。袋越しに頭を撫で回されて、身の毛がよだつ。
「何でえ、震えてやがるのか? 可哀想によ。物狂いの玩具にされるくらいなら、売られた方がよっぽどましな人生を送れたろうに」
芋虫のように身を捩った拍子に、首輪が喉に深く食いこむ。体を折り曲げて咽せ返る姿を笑われる。抵抗どころか、満足な呼吸すらままならない。
早く帰らなければ、琥珀が心配するのに。
悪路を行く馬車が、薄暗い視界をむちゃくちゃに揺さぶる。
何がどうなっているのか、どうしてこんな目に遭うのか、どこへ連れて行かれるのか、まるでわからない。
けれど、きっと、あの帽子はもう戻ってこない。
大切なものが手の中をすり抜けていく。一つ、また一つと。




