16.帰れない場所
赤いビロードの敷き布の上に、格子状に仕切られた標本箱がずらりと並んでいる。小さな枠に収められた色とりどりの鉱石が、傾きかけた陽の色を反射して、道行く人を惹きつける。
「おお……」
ルカが感嘆の声を漏らすと、露天商は口の両端を吊り上げた。
「どうだい、綺麗だろう。置物にしたっていいし、装飾品に仕立てるのも洒落てるぜ」
「ああ、とても綺麗だ。光っていない石にも色々あるのだな」
「ごほんっ」
「どうした琥珀。また喉の調子が悪くなってしまったのか?」
呑気な王子の脇腹を小突いて、琥珀は露天商に尋ねる。
「遺物の取り扱いはないんだな」
「ああ。うちの取り扱いは基本的に輸入ものだからね」
「へえ、見覚えがないわけだ」
工房では宝飾品の加工や修理も請け負っているので、鉱石の知識は無きにしも非ずだ。それでも、こんなに多種多様な鉱石を目にしたのは琥珀も初めてだった。
「琥珀、見てみろ。この石、僕の瞳の色だ!」
標本箱の中から、ルカがそっと一つの石を摘み上げた。色濃い蜂蜜のような石の中に、虫の脚の影がくっきりと浮かび上がっている。
「あー……」
それは所謂アンバーだった。琥珀自身の名前の由来でもある石。それを口にすべきか否か迷っているうちに、露天商が答えを掠めていく。
「そいつはアンバー。別名、琥珀ともいう石さ」
「琥珀? この石、琥珀というのか」
ルカの視線が、石の琥珀から人間の琥珀へと移る。何だか尻むず痒い。琥珀はピカリがよくそうするように、ふいと目を逸らした。
「その石、中に虫が入ってる。とびきり高価なものだぞ。俺たちの路銀じゃ手が出ない」
「えっ、虫?」
「よく知ってるじゃないか。そいつは太古の昔に、木から滲み出た樹脂が固まったものだ。虫や葉っぱなんかが綺麗に閉じ込められたものは、とりわけ人気なのさ」
「そう、なのか」
ルカがしゅんとしてアンバーを元の枠に戻す。
「何だよ。欲しいのか?」
「僕の瞳の色は母上譲りなんだ」
黄橙色の瞳に影が差す。琥珀は頬を掻いた。路銀の心許なさは琥珀とて同じだ。一部売りの新聞とは違って、軽々に買ってやることもできない。
すると露天商が、閃いたと言わんばかりにポンと手を打つ。
「虫入りにこだわらないなら、掘り出しものがあるぜ。虫じゃなくて、ひびが入ってるやつさ。どうだい、お安くしとくよ」
露天商は机の下から、訳あり品が少し乱雑に詰め込まれた箱を引っ張り出す。ひびの入っているアンバーを掌に乗せられて、ルカは目を輝かせた。
「琥珀、買っていいか? あ、人間の方の琥珀、いいか?」
「いちいち注釈を入れんでいい。自分の財布と相談してみろ」
結局、露天商から提示された値段は、虫入りアンバーとは比較にならないほど安価だった。ルカは大喜びで、財布の紐を解いたのだった。
アンバーが梱包されている間、琥珀は固められた虫の脚をじっと見つめていた。大昔の時間をそのまま封じ込めた石。ふと、遺構の最深部で見た奇妙な光景が頭を過ぎる。
──ねえ、あれ……人の足みたいじゃない?
「いやいや……まさか。まさかな」
「琥珀、君も何か欲しいものはないのか?」
「え? ああ、そうだな」
頬を叩いて、不気味な想像を追い払う。実は一つ、気になっている鉱石があった。無骨な母岩から、透き通った淡い空色の結晶が生えている鉱石だ。
「これ、かな。この水色の石」
アンバーの入った紙袋を大事そうに抱えたルカが、横からひょいと覗き込んでくる。
「ほう。ミラージュブルーの髪の色だな」
「お、親父っ! こいつはいくらするんだ?」
裏返り気味に呼びかけると、露天商はやや面食らいつつ、無精髭の生えた顎をこする。
「セレスタイトだな。なかなかお目が高いじゃないか。まあ、ひび入りアンバー三個分ってとこだな」
「うぐ……」
「琥珀、足りそうか?」
「足りるが今夜の宿代はなくなるな」
「それを世間では『足りない』っていうんじゃないのか」
財布の中身を何度数え直しても、残念ながら勘定は合っている。琥珀が小さく肩を落とすと、ルカが含み笑いをしながら顔を寄せてくる。
「喉から手が出るほど欲しい、と顔に書いてあるぞ。少しばかり貸してやろうか」
「いや、別に、そこまで……いくらある?」
「ふふん。僕に任せたまえ。ええと、一、二……あれ、足りるか?」
開かれた財布の中を覗く。ルカの帰りの乗車賃が危ぶまれる程度の残金だった。
「靴、磨くか……」
「左耳の耳飾りも売るか……」
「やめとけ」
露店の前にしゃがみ込んで、ああでもないこうでもないと談義していると、痺れを切らした露天商が白旗を上げた。
「もういい、わかった。まけてやるっての!」
***
宿の部屋の隅で、ルカは飽きもせず、ひび入りアンバーと見つめ合っている。夜に揺らめくランプの灯りが、石の中の古の時を黄金色に透かす。
「いったいいつまで見てるつもりだ。そのうち大穴が空いたって知らないぞ」
「君だって思う存分見ていいんだぞ。愛しき大輪の花に想いを馳せて」
「何のことだか皆目見当がつかないな!」
琥珀は手の中に隠していたセレスタイトを、セーム革に包んでそっと鞄に仕舞い込んだ。
露天商には「この石はすこぶる脆いから、取り扱いに気をつけろよ」と言い含められている。金の竪琴町に帰るまでに割れてしまったら笑えない。大事にしなくては。
ルカによると、屋敷は都の外れにあるらしい。近所には寄宿舎とカリヨンの他に目ぼしいものはなく、乗合馬車も一日二本しか走っていないという。そんな不便な場所ゆえに、安宿に一泊してから改めて向かうことになったのだった。
歪な板張りの壁も、風が吹くたびにガタつく窓枠も、管理局の一分の隙もない内装とは雲泥の差だ。当然食事など出るはずもなく、二人は持参した堅パンと干し肉で胃袋を膨らませた。
庶民御用達の宿であるが、ルカが不満を言うことはなかった。きっと屋根裏の不自由な生活が、ルカを立派な清貧主義に大成させたのだろう。
「屋敷に戻ったら、爺やと婆やに教えるんだ。僕の瞳の色をしたこの石は、君と同じ名なんだって! それに洗濯も料理も、何だって出来るようになったんだって言ったら、二人ともきっと腰を抜かすに違いない」
明日の帰還を目の前にして、ルカはすっかり上機嫌だ。少なくとも料理は出来るようになってないだろ、という台詞を飲み込んで、別の懸念を口にする。
「あんたなあ……追われてる自覚はあるのか?」
「この変装ならば誰も僕だとわかるまい。それに、あわよくば兄上にお会いできるかもしれない。そしたら僕は魔王の生まれ変わりなんかじゃないって話すんだ」
「……そんなに上手くいくのかな」
「いくとも。僕には後ろ暗いことなんか一つもないのだから」
ルカが真っ直ぐに胸を張るほど、反対に琥珀の胸には暗雲が立ち込めていく。悪いことが起こらなければいいのだが。
悩んだって仕方がない。琥珀はシャツのボタンを緩めて、軋むベッドに潜り込んだ。
「ランプ、消しておけよ」
「琥珀、やっぱりまだ体調が優れないのか?」
「慣れない場所を歩き回って疲れただけだ……」
「君って意外と軟弱だよな」
「体力バカ。もう寝るから朝まで話しかけるなよ……」
もともと、どんな劣悪な環境でも眠れる質だ。毛布を被ると、あっという間に眠気が押し寄せてくる。朝になればきっと、この胸を支配する不安も薄らいでいるに違いない。
翌朝、琥珀が目を覚ましたのは日の出前。白んできた窓の外の微かな明かりを頼りに、枕もとの懐中時計を手に取る。まだ五時を回る前だ。だというのに、ルカのベッドはぴっしり整えられており、本人の姿はどこにもなかった。椅子に打ち掛けてあった作業着を身に纏ったところで、建てつけの悪いドアが開き、ルカが部屋に戻ってくる。
「あんた、こんな朝早くから一人でどこ行ってたんだよ」
「外の空気を吸ってきただけだ。君、一晩中ぴくりともしなかったぞ」
「寝相はいい方なんだよ」
ルカはすっかり身支度を整えていて、シズカにもらった砂避けもちゃんと巻いている。今日のことが楽しみすぎて眠れなかったのだろうか? それにしては目も赤くないし、疲れた素振りもない。
どこか引っかかりを覚えながらも、琥珀は気を取り直して水筒の茶を飲み干した。
***
「なあ、ルカ。ちょっと待ってくれ」
「どうした? 何か面白いものでもあったか」
琥珀が掠れた声を上げると、嬉々として先導していたルカが足を止める。
乗合馬車を降りてからしばらく歩くと、周囲からはすっかり人通りが途絶えた。ぽつりぽつりと古びた邸宅や倉庫、粉挽き小屋があるだけ。王族が居を構えるにしては、寂しすぎる土地だ。煉瓦の舗道とばかに広大な水路だけが、妙に景色から浮いていた。
「やっぱり、やめないか」
「え……」
いよいよ屋敷に着こうという段階に入ってからこんなことを言い出すのは、残酷な仕打ちだと承知している。しかし、胸の奥にしまってきた嫌な予感は、無視できないほど膨れ上がっていた。
「琥珀、どうして」
ルカがあからさまに傷ついたような顔をする。どうして、と問われても、ルカを納得させるに足る理由など持ち合わせていない。あるのはただ漠然とした胸騒ぎだけだ。
「……行かない方がいい」
「わかった」
地面に目を落としたまま、ルカが消え入るような声を絞り出す。
「ここまで付き合ってくれてありがとう。ここからは一人で行ける」
「あ、いや、そういうことじゃない」
琥珀は慌てて否定する。ルカを一人で行かせるのはもっと悪手だ。しかし止めたところで、ルカは行くのだろう。泣き暮らしているという、残された家族のために。
「前言撤回だ。さっさと行くぞ。今後一生お目にかかれないような高級な茶でも淹れてくれ」
まだ不安そうにしているルカの先に立って、琥珀は煉瓦の道を歩き出した。その迷いは、すぐに後悔に変わることになる。
「何だ、これは……」
ルカの呆けた声が耳を打つ。鬱蒼と生い茂る林を背後に構えて、その屋敷はあった。およそ人が住んでいるようには見えない、寂れきった様相で。
ぐるりと柵に囲い込まれて、門扉を鉄鎖で封じられている。花壇は枯れ果て、前庭の砂利道は枯葉で埋め尽くされていた。
「爺やと……婆やは?」
迷子の子どものように、ルカは家族の影を求める。しかし屋敷の中にも外にも、人の気配は微塵もない。
琥珀は柵に打ち付けられた立て看板の文字を読む。そこには立ち入りを禁じる旨が認められており、末尾には第一王子ラルゴの名が記されていた。
ふと人の声を聞きつけて、琥珀は振り返る。作業着姿の二人の若者が、世間話をしながら水路にかかる橋を渡ろうとしているところであった。
「あ、あの! この屋敷はどうしたんだ? 使用人たちがどこへ行ったか知らないか」
祈るような気持ちで、琥珀は彼らを呼び止める。
「ああ、この空き家のことかい?」
二人は顔を見合わせて肩をすくめた。
「ここは王様の囲っていた女の家だったんだが、しばらく前に病気でね。さらに最近になって、息子のはぐれ王子も事故でおっ死んじまったらしい。まだ若かったのに、気の毒なこった」
「使用人は暇を出されたって聞いてるが……さて、何分、魔族だからねえ」
そこまで聞いて、琥珀は後悔に襲われた。口さがない彼らの言い草は、当然すぐ後ろに立ち尽くしているルカの耳にも届いたことだろう。ぼうっと屋敷を見上げていたルカの首の角度が萎れていく。夏の終わりを知ったひまわりのように。
王家はルカを殺した。処分された屋敷の跡が、何よりそのことを如実に物語っていた。
***
「ルカ……もう行こう」
どれくらいの間、そうしていただろうか。早春の冷たい風が吹き抜ける中、ルカは縫いつけられたようにその場から離れようとしなかった。かけるべき言葉を見つけられないまま、琥珀はできるだけ優しくルカを促す。
「琥珀……僕は、どうしたらいい」
ルカは死んだ屋敷を見つめたままだ。
「どうって……帰るんだよ、工房に。それ以外の何があるんだ」
あるいはヤセギスなら、もっと気の利いた台詞が言えたのだろう。ピカリだったら、明るく励ますこともできた。シズカならばきっと、傷ついたルカの心のために祈りを捧げたに違いない。
しかし琥珀にはそんな要領の良さはない。できるのは、こんな寂しいところに一人きりで置いていかないことくらいだ。
「……うん」
ルカにしては随分小さな声であるが、聞こえてきたのは確かに肯定だった。そのことに少しだけ安堵して、琥珀は屋敷に背を向けた。
帰り道には、生き生きと若葉萌えゆく木々の緑と、突き抜けるような晴天が広がっていた。
その光景が皮肉なほどに美しかったから、気がつくのが遅れた。
背後に鳴り響いた破裂音が、この長閑な景色には到底似つかわしからぬ「銃声」であることに。
「……っ、うっ」
「ルカ?」
短い苦悶の声に振り返る。体勢を崩したルカが、脇腹を抱え込んでガクンと膝を折るのが見えた──ルカが撃たれた。
一瞬のうちに、脳が冷却されていく。待ち伏せされていたのか、相手は王家の手の者なのか、わかっていたのに油断した、そんな余計なことを全部かなぐり捨て、何人か、どこからくるか、何をすべきかを即断する。ルカに駆け寄りながら腰のツールバッグをまさぐって、琥珀は特製閃光粉のカートリッジの安全ピンを引っこ抜いた。
「ルカ、目を閉じろ!」
目を焼く光が炸裂し、続けて真っ白な煙が視界を塗りつぶしていく。濃厚な煙幕を掻き分け、琥珀は地面に倒れ込むルカの体に覆い被さった。二発目、三発目、すぐ足もとの大地を抉る音。間を置かずに、襲撃者たちの怒号が飛び交う。
「立てるか」
這いつくばったルカの手を、自らの肩に回させる。苦痛に顔を歪めながらも、ルカはがくがくと頷いた。横っ腹を必死に押さえる指の隙間から、まるで穴の空いたワイン樽みたいに、真っ赤な血が溢れ出している。
「辛抱しろ。逃げるぞ」
煙幕に混乱する声を背中に聞きながら、覚束ない足取りのルカを半ば引きずるようにして走り出した。
「絶対に帰るぞ……俺たちの工房に」




