15.都の二人
「はあ……」
もはや幾度目かもわからないため息が、工房の床に落ちる。
「琥珀よう、そう気を落とすなっての。それともまだ本調子じゃねぇのかい」
「いや……体はもう問題ない」
琥珀は手もとの修理品のねじを回しながら答える。カウンターの丸椅子にだらしなく腰かけたヤセギスが、自前の革手帳にバツ印をつけた。
「あの芯抜き屋の親父、何かときな臭いことに手を出しちゃあいたようだが……まさか夜逃げとはね」
親方にきついお灸を据えられて、遠出の許可が下りるまで実に一週間。期待に胸を膨らませた琥珀が「大当たり」を持ち込んで店の戸を叩いたとき、そこはすでにもぬけの殻だった。
「今日明日にでもほいほい出来上がるような代物じゃあないんだろ、万年時計とやらはよ。都にゃ親父より腕の立つ職人がごまんといるさ。ついでに見繕ってくりゃいい。ルカなら文句は言わねぇだろ」
概ね、ヤセギスの言う通りだった。今すぐに大量の芯を得たとて、肝心の万年時計はまだ構想段階。ただ「大当たり」を手に入れてからこっち、頭の中が万年時計のことでいっぱいで、いてもたってもいられないのだった。
「まあ、急ぐ話じゃないのは確かだが……」
「琥珀、ただいま! 旅用のパンを買ってきたぞ。これでいいか?」
呼び鈴の音と共にルカが帰ってくる。腕の中の紙袋には、香ばしいパンがぎゅうぎゅうに詰まっていた。
「おい。一日二日で帰ってくるんだぞ」
「明日都に行くと言ったら、おまけしてくれたんだ」
「またかよ。いったいどうなってるんだ、あんたの交渉術は」
琥珀は紙袋から堅パンを選り抜いて、二人分の鞄に分けて詰めていく。中身はチーズにりんご、干し肉の切れ端とナイフ。飲み物は明日の朝にでも水筒に詰めればいい。これだけ入念に用意すれば、都という広大な未踏区画においても干上がることはあるまい。
「……本当についていかなくて大丈夫か」
工房の隅で押し黙っていたシズカが口を開く。彼はルカの都行きを危ぶみ、付き添いを申し出てくれていた。しかし二メートル近くある屈強な体躯に、異国情緒漂う顔立ちのシズカの同伴は、残念ながら人目を忍ぶ旅には不向きだ。
「大丈夫だ。俺もついてるし、装備も一通り用意したし……あ、そうだ」
琥珀は壁に引っかけていた使い古しの襟巻きを取って、ルカに差し出す。
「これで素性を隠しておけよ」
「こら、病み上がり」
「あいてっ、何するんだよ!」
脳天に手刀をお見舞いされ、ヤセギスを睨む。
「春先の都は底冷えする。そいつぁお前さんが巻いとけ」
「いや、でも……」
「ルカには……私の砂避けをやる」
シズカが鞄の中から生成り色の布を引きずり出し、ルカの首に巻きつける。山高帽と砂避けによって特徴的な髪の色が覆い隠されると、ルカから滲み出ていた高貴な気配は、いよいよもって極限まで薄められた。
「シズカ、ありがとう!」
「ゆめゆめ、油断せぬよう。……砂の女神の加護があらんことを」
そうして短い祈りを捧げるシズカは、どこか誇らしげだ。そういえばヤセギスがルカにお下がりをやったとき、妙に羨ましそうにしていたっけ。
***
若葉の芽吹きかけた林と、霜の残る田園風景がしばらく続いた後。車窓の向こうの景色は、煉瓦造りの倉庫や駅舎、郊外の邸宅などによって彩られはじめる。都の気配が近づくほどに、向かいの席のルカがそわそわと腰を浮かせる。
「琥珀、もうすぐ着くんじゃないか?」
「落ち着け。まだ少しかかる」
琥珀は懐中時計の蓋を開け、列車の時刻を記した手帳と見比べた。朝のうちに金の竪琴町を出発してから、とっくに昼を回っている。
ルカは「三日三晩走り続けて、王宮から遺構に辿り着いた」と言っていた。だが、何しろフォークより重いものを持ったことがなかった温室育ちの王子様だ。甘く見積もって一時間に八キロ、死に物狂いで十時間走り続けたとしても、三日で二百四十キロ。人の足ならば途方もない距離ではあるが、都から遺構まで機関車を乗り継ぐ距離を考えると……。
「……勘定が合わない」
「君は都に来たことがあるのか?」
「え? あー」
ルカに話を振られて、琥珀は一度思考を切った。
「……いや、今回が初めてだ」
もともと琥珀は、親方に師事するために移住してきた余所者だ。生まれも育ちも金の竪琴町だったなら、折に触れて都を訪れることもあったのかもしれないが。工房と遺構を行き来するだけの日々を送ってきた琥珀に、そんな機会があるべくもない。
琥珀の返事を聞いたルカは、この上なく嬉しそうにウンウンと頷いた。
「そうか、そうか。ではこの僕が直々に案内してしんぜよう」
「あのな。遊びに来たんじゃないんだぞ」
「わかっているとも。しかし、君だって胸のうちでは都を見て回りたいんだろう?」
「む……」
ちょっと図星なのが腹立たしい。
やがて機関車は汽笛を響かせ、大きなドーム型の駅舎へと滑り込んだ。天窓から差し込む陽射しが、きっちりと並んだ石畳に艶を出している。張り巡らされた蒸気管がくしゃみのような白煙を上げると、発着案内板がぱたぱたと入れ替わった。
踵を鳴らしながら往き交う人々は一様に身なりがよく、油染みだらけの作業着姿なのは琥珀くらいのものだ。幼き日、故郷の博物館で味わった居心地の悪さが蘇ってくる。
琥珀の思いを知ってか知らずか、ルカは両手を広げて目いっぱいの歓迎を示した。
「ようこそ、都へ!」
***
天を突く時計塔。ずらりと立ち並ぶ煉瓦のアパートメント。シルクハットが林立する二階建ての乗合馬車。初めて目の当たりにする都の風景が、琥珀を圧倒する。
「帽子、飛ばされないようにしろよ」
晴天には恵まれたものの、ひどく風が強い。はためく襟巻きを押さえながら、ルカに注意を促す。
「わかっている……って、わあっ」
「ああもう、言ってるそばから」
いたずらなつむじ風が帽子を巻き上げ、白金色の髪を日の光に晒した。帽子は石畳を転がって、新聞を手売りしている魔族の子どもの足もとで止まる。
子どもは目にも留まらぬ速さで帽子を拾い上げ、くるりと背中に隠してしまった。そして「へへっ、どうぞ」と、満面の笑みで新聞を差し出してくる。
「? か、買えばいいのか?」
戸惑いながら鞄を開けようとするルカを制し、琥珀は財布から小銭を取り出した。
「いきなりの洗礼だな。……一部」
「はいよ、毎度あり!」
返してもらった帽子を被り直したルカが、「琥珀、すまない。新聞代を返す」と財布を出す。いつぞやヤセギスに忠告されたことをちゃんと覚えているらしい。
「いい。後で読むから」
「君、新聞なんて読むのか?」
「あんたも読んだ方がいいぞ。面白いから」
話しながら、琥珀ははたと気づく。すれ違う人々から視線を感じるのだ。ルカに対してではない。自分に向かって。人々の視線は物珍しげに琥珀の左目の上をかすめては、わざとらしく逸らされていく。「あ……」春風にめくり上げられた前髪を押さえつけて、痣を隠す。久しぶりに突き刺さった好奇の目が、琥珀の気後れに拍車をかける。
そんな琥珀のようすに何を思ったか、ルカはこれみよがしに明るい声を上げた。
「琥珀、何やらいい香りがしないか。あの店からだ。行ってみよう」
「え? お、おいちょっと」
ルカに引きずられていったのは、「一山亭」という妙な名前の菓子屋だった。真ん中に貨幣のマークが焼き入れられた「金貨クッキー」が、この店の目玉商品であるらしい。
広場に続く石段に腰を下ろして、袋詰めされたクッキーを分け合いながら、琥珀は疑問を呈する。
「何をやってるんだ、俺たちは」
「何って、観光に決まっているだろう」
「いやいや……だから遊びに来たんじゃないんだって」
「琥珀。君はもっと遊ばなけりゃ駄目だ」
謂れのない小言を聞かされながら、薄焼きクッキーを口に含む。結構香辛料が効いている。都会の味だ。
首を巡らせると、坂の途中にある工房が目に入った。軒先に掲げられた料金表を見やる。芯抜きの相場は、金の竪琴町よりかえって高い。琥珀はがっくりと肩を落とす。
「なあ、琥珀。君が作ろうとしている『世界の全てを刻む時計』というのは、あの店にもあるのか?」
琥珀の視線を追いかけて、ルカが尋ねてくる。
「いや、万年時計はいくつもの時差と天体の動きを同時に刻むんだ。そんじょそこらでお目にかかれるような代物じゃない」
「どういうことだ?」
「世界ってのはうんと広くて、ここから離れるほど時間の流れがずれていくんだよ。だから国によって時刻が違う。それはわかるか?」
「うん? うん……」
「絶対わかってないだろ」
「え! わかっているとも。家庭教師が言っていたのを聞いたことがあるような、ないような」
「ないなら駄目だろ。……まあいいや。結構美味いな、これ」
他愛のない会話をしていると、真っ白な式服姿の少女が二人、石段を上がってくるのが見えた。軽やかに笑い合う声とは裏腹に、寂しげに目尻を拭う素振りが見て取れた。二人とも、リボンの巻きつけられた立派な筒を大切そうに持っている。
「卒業式……か」
「ああ、本当だ。修了証書を持っているな」
クッキーを齧りながら、ルカが少女たちを振り返る。
「あんたも学校に通っていたのか?」
「いいや。さっき言ったように、僕には家庭教師がいたから。そういう君こそ、知っているような口ぶりじゃないか」
「知ってるよ。同世代の奴らが集まって勉強するんだろ。新聞の隅に載ってる冒険譚にも出てくるし」
「君、意外とそういうの好きなんだな」
「やかましい。面白いから読んだ方がいいって言っただろ」
階段を上りきったところで、少女たちは足を止める。どうやらここでお別れらしい。ひしと抱き合い、互いの達者を祈って。明日また会う約束も交わすことなく、それぞれの帰り道へと分かれていく。
「……東の国では、ああいうのを『青春』と言うんだとさ」
ぽつりと口にしてから、ちょっと気恥ずかしくなる。無理やりにクッキーを口いっぱい頬張ると、訳知り顔のルカが言う。
「同世代の者が、集まって学ぶ……何だ、今の僕たちじゃないか」
「あんたが何を学んでるか言ってみろ」
「君が意外とロマンチストなこととかね」
「落第」
「そんなあ!」
「ははっ」
無性におかしくて、ルカと二人、都の空に笑い声を響かせた。何のしがらみもない学生みたいに。
***
「見ただろう、あの髪の色を。……何より、遺物のこの反応。間違いない」
「あれが旧棟で観測した個体ですか」
「そうだ。人目につかないところを狙え。手荒な真似をしてもいい。どうせあれは『戻る』」
「付き添いがいるようですが」
「所詮子どもだ。騒ぐようならまとめて回収しろ。手に余るなら好きにするがいい」
路地の暗がりから、陽だまりの中で笑っているルカを注意深く観察しながら、男たちは声を潜めた。手の中の計器の針は大きく振れて、埋め込まれた遺物製のランプが青く点灯している。
「ようやく見つけたぞ。あれこそが『境界』の鍵だ」




