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14.予感と違和感

「このたわけ者が。また無理していやがったな」

「また? 親方、またとはどういうことか」

「こいつがここに転がり込んできたときは、読み書き一つできなかったからな。探索者になるために血眼になって勉強して、職人の修行も手を抜かねえで、しまいにゃ過労でぱったりよ。こっぴどく大目玉を食らわせてやったのに、喉もと過ぎりゃあすぐこれだ」

 ルカと親方が何か話している。耳の奥に水が溜まっているみたいに、くぐもってよく聴こえない。

「僕のせいか? 僕が琥珀に無理をさせたからなのか」

「三日徹夜して三日寝込む馬鹿が悪い。どうしても気に病むってんなら、こいつを寝床に縛りつけとけ。工具の類は全部取り上げろ」


***


 重い瞼を持ち上げる。ランプの灯りが揺らめいて、ベッドの傍らに固く握り締められた白い拳を照らし出す。琥珀が首を動かすと、額から生温なまぬるい手拭いがずり落ちた。

「あ……」

 声を出そうとすると、喉に紙やすりをかけられたような痛みが走る。体を丸めて咳き込むと、ルカがあたふたと机の上の水差しへ手を伸ばした。

「琥珀、ほら、これを飲め」

 ルカに背中を支えられながら、カップからちびちびと水を飲む。ただそれだけのことが酷く重労働だった。

「……あー、今……」

 懐中時計を取ろうと机に伸ばした手が空振る。どういうわけか、机の上にあった工具と部品の山が切り崩されて、すっかり平らかになってしまっていた。

「まだ朝方だ。工房も開けてない」

「……良かった」

「良くない。君が倒れてから丸二日経ってる。わからないのか?」

 丸二日。そう言われてみれば、無理やりに苦い薬を流し込まれたり、汗を拭かれたりした記憶がおぼろげに蘇ってくる。てっきり親方相手だと思い込んで、夢うつつに謝り倒したような気がするが、あれはルカだったのだろうか。

 二日も仕事をほっぽり出して昏倒していたという事実に、茹で上がった頭が冷えていく。ベッドを這い出そうとした琥珀の頭を、ルカの両手がぎゅっと押さえ込んでくる。

「うっ、何する……」

「それはこっちの台詞だ。君、仕事をしようとしただろう。絶対に駄目だからな。僕は君を監視しておくよう親方から言いつけられているんだ。……ほら、それをこっちに寄越したまえ」

「それ……?」

「腋の下に挟まっているやつだ」

 言われて初めて、腋の下にガラスの棒が差し込まれていることに気がついた。前にも見たことがある。薬屋の魔女印の体温計だ。ぬくまった体温計をルカがひょいと掠め取っていき、渋面を作って目盛りを注視する。

「……む? やや、これは重症だ」

「絶対わかってないだろ」

「わかっているとも。現に君、自力で起き上がれないじゃないか」

「もう、平気だ」

「じゃあその場でジャンプして三回転して、潔白を証明してみろ」

「暴君かよ」

「魔王の生まれ変わりだからな」

 ルカが得意げに胸を反らす。抗議の声を上げようとして、また酷く咽せてしまう。ルカの手が脂汗に濡れた琥珀の背中を、火が出そうなほど擦り回してくる。

 悔しいがルカの言う通り、頭も手足も鉛が詰まったように重たい。額に乗せ直された手拭いの冷たさが、自分の体が使いものにならないことを自覚させる。芯抜きのために無理を押したのに、寝込んで時間を浪費するとは本末転倒もいいところだ。

「飯、は……」

「どうした。お腹が空いたのか?」

「飯は……どうしてる」

 からからに掠れた声を絞り出すと、ルカの顔が今にも泣き出しそうに歪んだ。

「……斜向かいのパン屋で買って食べた。焼きたてでふわふわで、ほっぺたが落ちそうだった。チキンの煮込み料理も食べた。君の作る豆のスープより、ずっと美味しかった」

「おい」

 仮にも病人相手に何たる失礼な言い草だ。しかしルカの表情は真剣そのもので、黄橙色の瞳にランプの灯りがじわじわと滲んでいく。

「だから、もう作ってくれなくていい。僕の世話をして、無理して倒れるくらいなら、何もしてくれなくていい。洗濯だってうまくできる。君にぞっこんの石鹸だって、もうすぐ僕に振り向いてくれる頃だ。だから死ぬな、琥珀。死なないでくれ」


 ちょっと疲れが出た程度のことで何を大袈裟な。そう呆れたくても、ルカの必死な剣幕に気圧されて何も言えなくなってしまう。

「何でもする。何でも言いたまえ! もっと水を飲むか? あるいは何か食べられそうか?」

「じゃあ、あれを……」

「あれ? あれとは何だ」

「あれだよ……」

 薬屋の魔女にもらった、口の中に風が吹くやつ。傷めた喉にすうっと効きそうな、丸っこい……。熱が上がってきたのか知らないが、頭がぼんやりして単語が出てこない。

「ああ、そうか! あれだな。わかった、今すぐ持ってくる」

 言うが早いか、ルカは胸を叩いて飛び出していった。遠くの方から何やらルカが親方に頼み込む声がして、続けてガタガタとやかましい音が響いてくる。数分後、ルカは作業用の台車に「大当たり」を乗せて戻ってきた。

「ほら、君の大好きな石ころだ。これで早く元気になりたまえ。よい、しょっ……お、重い」

 どすん、と「大当たり」が脇腹を掠めてシーツに沈み込み、粗末な寝床が悲鳴を上げる。危なかった。腹の上に落とされようものなら、あばらの一、二本へし折れていたところだ。

「これじゃない……」

「えっ」


 放っておけばよいものを、ルカは甲斐甲斐しく琥珀の世話を焼きたがった。今度は「体に良さそうな果物を買ってくる」と言い残し、財布を握りしめて飛んでいってしまった。いつもとまるっきり逆になった気分だ。

 一人残された琥珀は、煌々と光り続けている「大当たり」をぼうっと眺めていた。しばらくそうしていると、ある時点を境に、徐々に光量が弱まりはじめるのに気づく。ややあって光は完全に途絶え、透き通った結晶体にランプの明かりが反射する。汗の滲んだ目もとを擦りながら、琥珀はじっと「大当たり」を見つめ続けた。

 幾許いくばくも経たぬうちに、再び「大当たり」に青い光が灯る。そしてみるみるうちに光量を増していき、ついには元の眩い姿を取り戻す。


「ただいま! 『恵みの水菓子屋』のマダムが、てんこ盛りにおまけをしてくれたぞ」

 瑞々しい果実が山盛りになったとうの籠を抱えて、ルカが満面の笑みで帰ってくる。琥珀は机の抽斗ひきだしから町内地図を引き摺り出して、震える指先で工房と果物屋までの距離を結んだ。

「……半径、約四百メートル」

「何が?」


***


「あれま。どうしちゃったのかしら。可哀想に」

 窮屈そうに長身を縮めて、ミラージュブルーは琥珀の部屋に足を踏み入れた。琥珀は小柄な体をさらに小さくして、隙間風のような寝息を立てている。そばかすだらけの頬は紙のように白く、机の上には齧りかけのりんごが転がしてあった。

「ミラージュブルー、琥珀は病に臥せっている。用向きならば僕が聞こう」

 自分が座っていた椅子をミラージュブルーに勧めて、ルカはベッドの隅に座り直した。琥珀とルカと「大当たり」の重さを一身に受け止め、ベッドが苦悶の声を上げる。

「問題ないわ。私は貴方に用があるの」

「僕に?」

「ええ、貴方よ。魔王様」

 ミラージュブルーの切れ長の目に、遺物の青い光が宿る。ルカは嫌気が差したように首を振った。

「それはピカリのたちの悪い冗談だ」

「あら、王家に追われていたのではなくて?」

「……それはそうだが。しかし、魔王なんてただの御伽話だろう。それとも、魔族にとっては違うのか?」

 ルカが問い返すと、ミラージュブルーは「そうね。少しだけ」と短く答えた。あまりにも自然な誘導に、ルカは暗殺されかけた事実を伏せていることにすら思い至らない。

「そういえば、僕の婆やと爺やも、あなたと同じ魔族なのだ」

「まあ、魔族が王子様の身の回りのお世話を? 何て素敵なことかしら!」

 ミラージュブルーが手を合わせて顔を綻ばせる。

「そんなに驚くことなのか? あなただって要職に就いているではないか」

「運が味方しただけ。魔族は皆、明日をも知れぬ暮らしをしているのだから」

「明日をも知れぬ、暮らし……」

 それきり、ルカは深く考え込んでしまった。ミラージュブルーはさらりと話を変える。

「貴方は魔族のことをどれくらい知っていて?」

「魔族のこと? 耳が尖っていて……人より少し寿命が長いと、爺やが言っていた」

「そうね。あとはほんの少し、体が丈夫なくらい。私たちと人との違いなんて、それくらいのものだわ」

 ミラージュブルーが長い手足を伸ばす。

「その魔族の使用人からも、なんにも言われたことがないというのね?」

「ああ。お前は魔王の生まれ変わりだ、なんてこれっぽっちも言われたことがない」

 きっぱりと言い切ったものの、ルカの表情は冴えない。青い燐光が、落ち着かなく組み替えられた指先を染める。

「ミラージュブルー。僕は……どこかおかしいのだろうか」

「う……っ、げほっ」

 静かに横たわっていた琥珀の喉から、苦しげな咳の音が飛んでくる。ルカは慌ててその背中をさすった。すこぶる遠慮のない撫で方だが、琥珀の瞳は固く閉ざされたままだ。

「随分と心配しているのね」

「当たり前だ。だって琥珀って……ものすごく体力がないんだ! 気がつくといつも、力尽きて転がっているし。僕は生まれてこの方、ベッドなんか一度も使ったことがないのに」

 一瞬、ミラージュブルーから笑みが消える。何も疑問に思うことなく、ルカは続ける。

「まるで母上みたいだ。母上も毎日のように、ベッドに横になっていた。そして、体を壊して……そのまま」

「貴方は、どんな風に夜を過ごしているの?」

「琥珀にもらったオルゴールを聴いたり、星を見たり……」

「ふうん。素敵だこと。朝まで?」

「……? ああ。それがどうかしたのか」

「誰か、きたのか……」

 干からびた声を上げて、琥珀が目を覚ます。榛色の瞳が、ぼんやりと焦点を結んでいく。

「ハーイ、坊や。お邪魔しているわよ」

「え、ミ、ミラージュブルー!? うう……」

 青ざめていた顔に血の気が巡っていく。ばね仕掛けのからくりみたいに跳ね起きたかと思えば、すぐにふらふらと突っ伏してしまう。

「あっ、こら、琥珀。急に起きるんじゃない」

「だって、せっかく……ミラージュブルーが来てるのに……あ、これ、果物……」

「それは君のだ!」

 弱々しくもがく琥珀に、ルカが頭から毛布を被せて封印を施していく。

「あっはっは、元気そうで安心したわ!」

 ミラージュブルーは先ほどまでの剣呑な空気をすっかり消し去って、少年たちのずれた掛け合いを豪快に笑い飛ばした。


***


「なあ、琥珀。僕は一度屋敷に帰ろうと思う」

 ルカがそう打ち明けてきたのは、ようやく起き上がれるようになった琥珀が、親方の薬膳スープを傾けているときだった。

「屋敷に? だけど、あんたは……」

「もちろん危険がないわけじゃないのはわかっている。だけど今頃、きっと爺やと婆やは泣いている。帰って、無事を知らせて、安心させてやりたいのだ」

「……そうか。まあ、いいんじゃないか」

 ルカはずっと帰りたいと言っていたし、いつまでもこの工房に置いておけるわけでもない。こうして身を隠していても根本的な解決にはならないのだから、一度様子を見に行くのも一つだろう。だが──

「それで……君が元気になってからでいい。僕と一緒に、屋敷に来てくれないか」

「俺が?」

「言っただろう。匿ってくれた礼に、君をお茶会に招待するって」

「え、あれ本気だったのか?」

「君を爺やと婆やに紹介したいんだ。どうだろうか」

 神妙な面持ちでルカが問うてくる。「どうって……」琥珀は頭を掻いた。まさか庶民の自分が王族のお茶会なんてものに招かれる日が来るとは、夢にも思わなんだ。

「わかった。行くよ」

「やった!」

 ルカがぱっと顔を輝かせる。そのとき、チカッ、と、青い光が瞬いたような気がした。視線を向けるも、「大当たり」はひたすらにルカの存在を証明し続けているだけであった。

「……? 気のせい、か」


 ルカの屋敷について行く。琥珀がその申し出を受け入れたのは、何も美味しいお菓子が目当てじゃない。どうにも嫌な予感が渦を巻いていたからだ。

 ルカを一人で行かせてはいけない。

 そんな予感が、治りかけの胸の奥で、鋭い警鐘を鳴らしていた。


「琥珀」

「何だよ」

「本当は、君の作るスープが一番美味しい」

「最初からそう言え」

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