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13.ミラージュブルー

 「大当たり」はいくつもの細長い結晶がひしめき合う群晶だ。何人たりとも邪魔する者のない永い時の中で育まれてきたことを、夥しいほどの条線が物語っている。無秩序な構造に見えて、中心部は水のように透明だ。絶えず零れる青い燐光が、しとどに琥珀の手を濡らす。

「今日も綺麗だな」

 琥珀はカウンターに飾った「大当たり」に身を寄せて、塵吹きで丁寧に埃を吹き飛ばし、調教師が愛馬にするようにブラシをかける。仕上げにセーム革を往復させると、「大当たり」の肌が艶を増す。

「琥珀」

 この類稀たぐいまれなる透明度なら、ヤセギスが口を利いてくれたあの店に持ち込めば、きっと洒落にならない量の芯が抜けるに違いない。いくらあの無愛想な店主だって、こいつを見たら顎が外れてしまうのじゃないか。

 探索に時間を費やした分、しばらくのうちは仕事に専念しなくては。しかし多少無理を通せば、芯抜きを頼みに行く時間くらいは捻出できよう。

「琥珀ってば!」

「え?」

 はたと我に返る。壁にもたれかかったルカが、ふいと顔を背けた。窓から差し込む朝の光が、その横顔に憂いの影を落とす。

「君って、そういうのに興奮するタイプだったんだ……」

「ややこしい言い方をするな」

「そうやって日がな一日石ころ相手に『今日も綺麗だな』と口説き文句を垂れて、抱きしめてキスするんだ」

「やめとけ」

「この僕に少しも構わずに。そんなに磨きたいなら僕を磨けばいいのに!」

「ややこしい言い方をするな」

 地団駄を踏む王族ほど、始末に負えないものはない。いったい何が不満だというのか。今朝だってバターたっぷりのパンケーキを焼いてやったし、ベーコンだって特別に厚切りにしてやっただろうに。

 ルカは神妙な面持ちのまま、「見てみろ」とカウンターの隅を指差した。怪訝に思いながら視線をやった先に、風に飛ばされたボロ切れみたいにヤセギスが引っかかっていてぎょっとする。

「うわ、びっくりした。いつからいたんだよ」

「これに気づかないなんて、どこまでその石に首っ丈なんだ。君がいつもの調子でびしっと切り込まないから、ヤセギスはあのように干からびてしまったんだぞ」

「いや面倒くさいって!」

 琥珀の拒絶の声を合図に、生気を取り戻したヤセギスが泣きついてくる。

「うおおん、琥珀! どうして俺を連れて行ってくれなかったんだよぉ!」

「自分が商会の案件を優先したんだろ」

「『大当たり』が出るとわかっていて蹴る奴がいりゃあ、そいつぁ大たわけだ」

「何も最初からわかってたわけじゃないさ。まあ可能性の話としてなら、なくもなかったが」

「畜生、俺のすっとこどっこい」

 このようすだと商会絡みの大口案件とやらは実を結ばなかったのだろう。燦然と輝く「大当たり」が、その鬱憤にポンプを繋いで際限なく膨らませているらしい。

「おい、琥珀、本当にそいつの価値をわかってんだろうな。まさか売るつもりはねぇなんて言い出さないでくれよ」

「わかるに決まってるだろ。こんな値千金の代物、殻だって売るもんか。芯を抜いたらちょっとした細工を施して、花瓶なんかにするのもいいかもな」

「お前さんはいかれてるよ。『大当たり』が泣いてるぜ。俺だったら絶対そんな思いはさせねぇ、巨万の富になるまで転がしてやるのによぉ!」

「こんな石ころ一つが人を狂わせる。これが魔性というものなのか……」

 めそめそする大の大人とわけのわからない王子に挟まれて、琥珀が「ピカリ。頼むから早く来てくれ」と願ったとき。小気味の良い呼び鈴の音が、待ち人の来訪を告げた。


***


「やっほう、皆の衆。お待たせ!」

 ピカリが片手を上げ、その後ろでシズカが一礼する。そして最後に管理局の女が入口を潜ると、工房は水を打ったように静まり返った。

 昨夜、日付が変わる前に帰ってくることができたのは、彼女が管理局の馬車を用立ててくれたお陰だ。隣から漂っていた芳しい香りを思い出し、琥珀は人知れずかぶりを振った。

「紹介しますね、こっちの小さいのが琥珀君、そこでひょろひょろしてるのがヤセギス君。そっちできらきらしてるのがルカ君です」

 ピカリの雑な橋渡しに、言いたいことをぐっと飲み込む。女の冷徹な目が、琥珀たちを順に見定めていく。ヤセギスを、次に琥珀を。そして最後にルカを見る。

 束の間の静寂を経て。女は波打つ空色の髪を耳にかけ、パッと相好を崩した。

「ハーイ、ごめんあそばせ。私は遺構管理局の偉い人、ミラージュブルーよ。以後お見知り置きを。探索者さんたち」

 予想だにしなかった軽薄な口調に、琥珀は思わず肩をずり落とした。

「き、昨日はどうも」

「あら、どういたしまして。けれど私も貴方たちに用があったのだから、お互い様ね」

「……あなたの用は、僕が魔王の生まれ変わりと疑われていることと、何か関係があるのか」

 おどけるミラージュブルーとは対照的に、難しい顔でルカが問いかける。


 ミラージュブルーは昨夜、確かに言っていた。「お帰りなさい、魔王様」と。

 管理局の要人であるらしいが、管理局は国の組織ではない。王家が秘密裏にルカを追っているのだとすると、いったいどこでその情報を掴んだのか。

 特徴的な耳の形が、彼女が魔族であることを証明している。もしや魔族には、ルカが魔王の生まれ変わりであることが本能的にわかるというのか。まさか本当に? こんなぽんこつ王子が?

「ええ。だってここに書いてあったんだもの」

 ミラージュブルーは懐から一枚の報告書を取り出した。ピカリが「あ」と白々しい声を上げる。

「……『採取した遺物、ルカ。魔王の生まれ変わりらしい』。……姐さん。やってますねこりゃ」

 にわかに復活したヤセギスがピカリを横目で見ると、同極同士を近づけた磁石のように、すいとピカリの視線が逃げる。

「うーん、正確にして簡潔。上級探索者の名は伊達じゃないね」

「こんなこと馬鹿正直に報告しておいて、その自信はどこからくるんだよ」

 ルカを管理局に取られないためにガチコに格好よく啖呵を切ったのは、いったいどこの誰だったのか。しかし今回ばかりは誰もピカリを責められまい。だってこんな世迷言で上層部が直接お出ましになっている今の状況こそが異常なのだから。

「ええと、じゃあ、あんたはそこに書いてあることを……ルカが魔王の生まれ変わりだって信じてるってこと、ですか?」

 琥珀が尋ねると、ミラージュブルーは大袈裟に肩をすくめてみせる。

「信じているかって? あの御伽話を?」

「……なら、どうして」

「こんな愉快な報告書が届いたんだもの。野次馬の一つもしなければ嘘でしょう?」

 あっけらかんとした答えに、肩の力が抜ける。お偉方にも変わり者がいたものだ。

「そういうこと。じゃあ早速、貴方たちが遺構の中で見たことを報告して頂戴」

 ミラージュブルーは鞄からノートと万年筆を取り出して、聴取の姿勢を取る。

「あ、でも……待ってくれ」

 遺構で目の当たりにしたことを話せば、ルカは間違いなく管理局預かりになるだろう。琥珀たちがそれで困ることはない。昨日の探索で「ルカを連れてもう一度遺構を調査する」という目的は果たしたのだ。念願の「大当たり」も入手したし、残された謎はどう考えても手に余る。だが。

「ルカは……帰りたがってるんだ」

 管理局に身を寄せることになれば、ルカが屋敷に帰る日はますます遠のくだろう。どうにも売り飛ばすみたいで舌が重い。事情をわかっていないルカは、きょとんとして琥珀を見つめている。

 そんな琥珀の迷いを見透かしたように、ミラージュブルーが両手を広げる。

「心配しなくても彼の意思は尊重するわ。そうね。私に話してくれたなら、七面倒臭い紙切れのやり取り、ぜーんぶ免除してあげてもよくってよ?」

「うっ」

 これ以上ないほど魅惑的な提案に、思わず逡巡する。琥珀はピカリの表情を窺った。少しも揺らいだようすはなかった。

 そうか。ピカリにとって今回の報告は、「単なる紙切れのやり取り」なんかじゃないのだ。ピカリはガチコと約束していた。「必ず面白い報告を持ち帰る」と。腐れ縁の友に冒険の夢を手渡す、大切な……。

「はい、お願いします!」

 ものの数秒で誘惑に負けたピカリの手が、元気いっぱいに天を突いた。


***


「……で、最後に辿り着いたフロアがここ。管理局に記録されてるマップと照らし合わせると、ここが遺構の最深部じゃないかなーと思うんだけど。なんにもなかったんだよね」

 ピカリが二番煎じの茶をカップに注ぎながら、もう片方の手で器用にマップをなぞる。ちょうど振り子時計の音が鳴り響き、工房の開店時間が近いことを知らせた。


 ルカがお尋ね者であることだけ伏せて、ミラージュブルーには全てを打ち明けることにした。完全に信用したわけではないが、当事者であるルカ自身が「話しても構わない。僕だって僕のことが知りたい」と言ったのが決め手になった。

 道中での不思議な出来事を話すたび、ミラージュブルーは大袈裟に驚いたり、笑い転げたりしながらペンを走らせる。

「金銀財宝もなければ、封印された怪物もいなくって、囚われのお姫様の白骨もなかったの。ねえ、琥珀君」

「発想が邪悪すぎる。まあ……だけど、あえて言うなら、壁が変だった」

「壁?」

「ああ、そうそう。きれいな壁とぐちゃぐちゃの壁が繋がってて、真ん中に絵が描いてあったよね!」

「んな大雑把な……そうだけど」

 琥珀は最深部で見た奇妙な光景を思い返す。異なる材質がぴたりと溶接された壁。そこにまたがる曰くありげな紋様。

「それは、こんな紋様ではなかったかしら?」

 ミラージュブルーがノートにさらさらと図を描き記す。それは琥珀が見た紋様に限りなく近かった。やはり、何かを知っているのだろう。

「……いや、足りない」

 しかし彼女が描いたのは、火の玉だけだ。そこに突き刺さっていた、剣のようなものがない。

「何が足りないのかしら。付け足してくださる?」

「え、あ、ああ」

 差し出された万年筆を掴む。軸にはまだ体温が残っていた。琥珀はあたふたと、彼女の描いた火の玉を剣で貫く。

「お、俺たちが見たのは……こんな紋様だった……でした」

「ふうん……?」

 ミラージュブルーが腰を浮かせ、琥珀の手もとを覗き込んでくる。長い睫毛がぱちりと至近距離で瞬く。ガタン、と椅子の脚が踵に当たって、大仰な音を立てた。

「わっ、琥珀君、大丈夫?」

「悪い、何でも……」

「……? それでね、この壁にルカ君が近づいてみたんだけど、うんともすんともいわなかったんだよねー。他の場所は全部、ルカ君に反応してばかすか開いたのにさ」

「不思議だこと。この襟の曲がった坊やがねえ」

 ルカの背後に回ったミラージュブルーが、立ち襟を正してやる。ルカは落ち着き払って、「失敬、マドモアゼル」と礼をした。少し前まで「大当たり」に張り合って駄々をこねていたとは思えない他所行きぶりに、いっそ感心すら覚える。

 ルカの外面の良さはともかくとして。気のせいだろうか。今、赤葡萄の瞳の奥に、大きな感情の一片が垣間見えたような。


「ねえねえ、ミラージュブルーさんは魔族なんでしょ。ルカ君が本当に魔王の生まれ変わりだったとしたら、どう思いますか? 魔族にとっては嬉しいことなの?」

 ピカリがずけずけと切り込んでいく。ミラージュブルーは顔を綻ばせて、無邪気そうに手を合わせた。

「勿論よ。嬉しくって連日連夜パーティーを開いちゃうわ。私たちの魔王様が帰ってきたってね!」


***


 表の札を「準備中」から「営業中」に裏返す。地下からは親方がボイラーを焚く音が響いている。話し込んでいる間に、シズカが空になった茶器を片づけておいてくれたらしい。茶渋一つ残さず磨かれて、洗い場に積み上げられていた。

 ミラージュブルーはピカリに連れ出され、「中央市場のお勧めブランチ」なるものを食べに行ってしまった。ピカリの遠慮のなさと来たら、相手が管理局の要人だろうがお構いなしだ。


「……俺、魔王になろっかな」

 壁に向かってひとつ。横からルカが、真面目くさって口を挟んでくる。

「奇遇だな。僕も今しがた、そう思っていたところだ」

「あんたが言ったら洒落にならんだろ」

 二日のうちに多くのことがありすぎた。遺構の最深部に到達し、「大当たり」を手に入れ、管理局の上層部と繋がった。

 その全てを管理局に報告していたら、きっと今頃気の遠くなるような手続きに溺れていたに違いない。ミラージュブルーがいてくれて助かった。そういえば彼女の袖口から腕時計が覗いていたのは、良かったな──

「やい、琥珀。……この破廉恥野郎」

 ヤセギスが何か言っている。

「何だよ……悪い、何だって? もう一回言ってくれ」

 ヤセギスとシズカは呆れたように顔を見合わせ、ルカはしげしげと琥珀の顔を覗き込んでくる。何だっていうんだ。

「……お前さん、本気か? 相手は魔族で、管理局の要人で、魔性の女だぞ」

「何が?」

「そんな焼けた鉄みてぇに真っ赤な顔して、何とぼけたこと言ってんだい」

「いや、そんな顔してない」

「君、具合でも悪いのか……?」

「悪くないっ!」

 壁際に追い詰められて喚いている琥珀を一瞥し、シズカが手短に祈りを捧げた。

「……女神は言う。身の程知らずの思慕を憂うとき、祈りは短くて良いと」


***


 しばらくしたら親方に休みをもらって「大当たり」の芯抜きを頼みに行こう。そう思えば思うほど、なぜか工房が繁盛する。あと少し、もう少しと、逸る気持ちを抑えきれないまま、琥珀はよく働いた。夜はランプの明かりで書物を読み漁り、製図に線を引き、芯の位置をマーキングして、明け方まで皮算用に夢中になった。

「いい天気だな……」

 市場で買ったミルクタンクを地面に預けて、琥珀はまだ白みがかった早朝の空を見上げた。この煤けた街にしては珍しいほど、雲一つなく澄み渡っている。その色が風に靡く青い髪を彷彿とさせた。「いやいや……」万年時計の構想を頭に描いて、雑念を掻き消す。今日に限ってやけに重たく感じるミルクタンクを持ち直して、えっちらおっちら歩きはじめた。


 あら琥珀ちゃん。あんた顔が赤いんじゃないの?

 おい坊主、どうした。熱でもあんのか?

 顔が真っ赤ですよ。体調が優れないのでは?


 行きつけの店の前を通りがかるたびに、店主たちから心配の声が上がる。「いやいや、違う……そういうんじゃないから……」うわごとのように繰り返しながら、やっとの思いで工房に帰り着く。

 仕事に取りかかる前に一休みさせてもらおう。ルカが来てからというもの、作業場はすっかり整頓されて、暗闇の中で工具に足を取られることもなくなった。こんな風に、足を伸ばして寝転がることだってできる。冷たい石畳の床が気持ちいい。

「琥珀、いるのか? 今、何か大きな音がしなかったか……琥珀!? どうした、しっかりしろ。親方、親方! 琥珀が倒れた!」


 ルカの騒がしい声が小さくなっていく。ちょっと横になっただけなのに、大袈裟な奴だ。ああ、だけど、もう少しだけ寝ていたい。ひどく目が回って、立ち上がることもできないから。

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