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12.最深部

「なあ、ピカリ。俺、どこかで間違えたかもしれない。未踏区画が既存のフロアと繋がったんだが」

 手もとの地図に鉛筆を走らせながら、琥珀は顔を上げた。周囲を見渡すピカリが、事もなげに現実を突きつけてくる。

「さすが、琥珀君のマッピングは完璧だね。だってここ、お馴染みの『玉転がしフロア』だもん」

「んな……」

 琥珀はがっくりと肩を落とした。


 ルカ本人はよく覚えていなかったらしいが、未踏区画はほとんど一本道であった。近づくと勝手に開く扉やら、乗っかると上昇する箱やらに導かれて、ようやくたどり着いた先がこの場所。「鉄球と追いかけっこを繰り広げた階段」の踊り場なのだから、肩透かしにもほどがある。

「まあまあ。手つかずの遺物だってがっぽりあったじゃない。それにほら、あの青い光も調べたかったんでしょ?」

「まあ、それはそうだ」

 琥珀は巨大な吹き抜けの底に、ランタンの明かりを差し向ける。やはり、あった。暗闇の奥に、あの日と変わらぬ青い光が。

「……?」

 おかしなことだ。ルカならば、今まさに琥珀の隣で吹き抜けを覗き込んでいるではないか。

「琥珀、あそこ、あんなに遠いのにどうして光っているんだ?」

 ルカは不思議そうに首を傾げている。聞きたいのはこっちの方だ。こんなの、半径一メートルどころの騒ぎじゃない。

「あの日、あんたはこいつを見なかったのか?」

「あんな深みにあったら気づくものか。僕は石ころを探しにきたんじゃない、追っ手から逃げ回っていただけなんだから」

「まあ……何はともあれ、調べてみなけりゃ始まらないな」


 鉄球に追い回された際に開かれた隔壁は、全て閉まっていた。どうやら時間経過で閉まるらしい。ルカが近づくと、待ってましたとばかりに次々と口を開けていく。

 石棺のある部屋も調べた。しかし、いかにも何かありそうなこの部屋はまさかの「はずれ」。隈なく調査したが何も出ず。ルカにも部屋中這い回ってもらったが、うんともすんとも言わないのだった。


「ここまで来たのに何もなし、か」

 階段は途中で途切れていて、そこから先は真っ暗闇だ。青い光はまだ遠い。

「あそこには行けないのか?」

「厳しいな。この距離と角度じゃ、ロープを渡すこともできないし」

「ふうん」

 ルカが暗闇を覗き込む。途端、横壁からメリメリと石の軋む音がして、石の足場が飛び出してきた。

「ひっ……な、何だ!?」

 驚いて尻餅をつくルカ。距離が開いたせいなのか、足場はしずしずと壁の中へと帰っていく。

「階段……か?」

「階段? たった一段しかないぞ」

 恐る恐るといった風に、もう一度、さっきより深くルカが踏み込む。すると再び一段。続けてもう一段の足場が現れるのだった。

 一連の異常を見守っていたピカリが顎をしゃくる。

「降りてこいってことじゃない?」


***


 ハーネスに繋がれた命綱のあそびが、降下に伴って少しずつ減っていく。琥珀の腕にしっかとしがみついたルカが、牛の歩みで一段降りる。すると今しがた乗っていた足場が、役目を終えたとばかりに消えていった。

 突貫工事の検証の結果。足場は二段ずつ、フロア中央に渦を巻くようにして現れることがわかった。ルカが下方向を向くと、現在地はそのままに、下に一段。くるりと振り返ると下段が消えて、上に一段。そんなわけで、琥珀はルカと息を合わせないことには進むことができないのだった。

 浮遊する足場の仕組みについては、一旦思考を止めている。ただでさえ物理法則を無視したシーソー床を見た後だ。積極的に麻痺していくしかない。

 ピカリは上で命綱を見張っている。「もし二人が共倒れしても、私だけは帰るから安心してね!」そんな薄情なことを宣って。


「うう、怖い。琥珀、怖いよぉ」

 腕に食い込むルカの手から、恐怖がびしびしと伝わってくる。

「あんたに命を預けてるのはこっちのほうなんだが……」

「だって、こんなに暗くて高いのに、手すりもないなんて……!」

 ルカの悲痛な叫びが響き渡った瞬間、ゴゴ……と足場の縁に石の手すりが生えてきた。

「……」

「……」

「……熱々の紅茶とクリームたっぷりのスコーン」

 ゴゴ……と手すりが引っ込んでいく。

「ああ!」

「欲をかくからだ! 謝っとけ」

「ごめんなさい、嘘です!」

 再び生えてきた手すりにしがみつきながら、少し下ったところでふと気づく。

「……これじゃあ近づけない」

「え、何だ? 何に?」

「あれだよ」

 壁面にて煌々と光り続けている遺物を指差す。

「螺旋構造だから、あいつと同じ高さまで降りていくと、水平方向に遠ざかる……」

「? どうするんだ……?」

「上から行って、下に戻る」

「何?」

「このまま進んでくれ」

「わ、わかった」


 青い燐光に隠されていた遺物の輪郭が、近づくごとに明らかになっていく。ピカリの言った通り、あれは桁外れの大物だ。収穫祭のかぼちゃくらいある。

「『当たり』どころじゃない。『大当たり』だ……」

「琥珀?」

「ここでいい」

 ひとりでに早くなる呼吸を整えて、「大当たり」を斜めに見下ろす。水平軸では一番近い足場だ。お誂え向きに「大当たり」の直下には、獣を模した毳毳けばけばしい燭台が壁から突き出している。

「ここなら、届く」

 ツールベルトからグラップル・ガンを抜き、トリガーを引く。ぱしゅ、という軽快な排気音と共に飛び出したワイヤーフックが、湾曲した燭台の枝にぐるぐると絡みついた。

「ルカ、ちょっと頼まれてくれ」

「何だい?」

 琥珀はグラップル・ガンごと、ワイヤーを足場の縁にクランプで固定する。

「見ろ、こうやってハンドルを回すと締めつける。で、反対に回すと外せる」

「ふんふん」

「俺がここから離れたら、こいつを外して十二段降りろ。それで足場にこいつをもう一度固定してくれ。『大当たり』入りのバッグを先に送るから、持ち手をクランプに引っかけておくんだ」

「ふんふん……って、え? ここから離れる? ……ちょっと、何をやってるんだ!」

 琥珀がハーネスから命綱を外そうとするのを見て、ルカが慌てて止めにかかる。

「足場は約三十度ずつ回転してるから十二段降りたところがこの真下になるだろ、そうすると行きと戻りが最短距離になる」

「いや、何を言ってるのかわからない! そうではなくて、君、まさか命綱もなしに……落ちたらどうするんだ?」

「命綱は邪魔なんだよ」

「邪魔って……正気か? 正気なわけないよな、そんなに目をかっ開いた奴が」

 ルカが救いを求めるように見上げる。遥か上方のピカリは影も形もない。琥珀は黙々とハーネスから命綱を外し、滑降用のフックに付け替える。

「ま、待ってくれ。僕には君の命を握れない!」

 袖を掴んでくるルカの指が真っ白に力んでいる。そこでやっと琥珀はルカの顔を見た。

「……そこに夢があるんだ。頼む」

 聴こえてくる。万年時計が、世界を刻む音。星が天を駆け巡る音。幾星霜の時を超える音が。あれこそが、この命のすべてだ。

 ルカは泣き出しそうに、しかしどこか呆れたような顔でため息をついた。

「絶対に落ちるんじゃないぞ。君がいなくなって、僕が浮浪者になったって知らないからな」

「あんたの頼まれたら断れないところ、悪くないと思うぞ。クランプは気に食わない相手を懲らしめるつもりで思いっきり締めろよ」

「そんな相手はいない」

「じゃあしつこい汚れをごしごし洗って、絞るつもりでだ」

「心得た!」


 ぐっと自重をかけて、ワイヤーを滑り降りていく。壁に突き当たったところで燭台に飛び乗り、ワイヤーに通してあるインベントリバッグを「大当たり」に被せた。ルカがまごまごとクランプを外しているのが目に入る。みし、と、足蹴にされた燭台が不平の声を上げた。距離と高さだけでなく、時間も敵であるらしい。平鑿の先を根もとに差し込み、金槌を叩く。「大当たり」の根はしぶといが、こちとら二年間、ただ手をこまねいていたわけじゃない。

 ルカは恐る恐る階段を下っている。十段、十一段、十二段目。重さに耐えかねた燭台が、おもむろにお辞儀をしていく。せっかちなものだ。

 足場に腹這いになったルカが「琥珀、できたぞ!」と叫んだ。ワイヤーはしっかりと、燭台から斜め下の足場の間に直線を書いている。上出来だ。

「よしきた、退いてろ!」

 とどめの一撃を加えると、インベントリバッグがずしりと重くなり、ワイヤーにぶら下がる。そのままバッグは「大当たり」の重みでワイヤーを滑降していく。「引っかけた!」クランプの耐荷重は百キロ。数字の上では……ギリギリアウトだ。

 琥珀は再び自重をかけて、足場に向かって滑り降りる。バキ、と、致命的な音がした。あと一息のところで燭台が力尽き、ガラガラと真っ逆さまに落ちていく。「……っ!」間一髪のところでワイヤーを掴む。ルカが足場に噛ませたクランプを支点に、琥珀の体がぶら下がった。クランプはがっちりと足場を噛み締め、びくともしない。金具に引っかけてある「大当たり」も無事だ。

「……いい仕事するじゃないか」

「琥珀!」

 ルカが手を伸ばしてくる。腕の力でワイヤーをよじ登って、ルカの手を取った。

「君って、自分の頭のネジをいくつか修理に使ってしまったのか? だからそんなにでたらめなんだろう!」

「わかった、小言は後で聞くから!」

 何とか足場の上に転がり込んで、二人で力を合わせてインベントリバッグを引っ張り上げる。誇張でも何でもなく、新聞配達員だった頃の琥珀の方がまだ軽い。

 震える手でバッグの口を開く。透き通った結晶の塊の周りは、そこだけ朝がきたように、眩い光に満ちていた。胸の奥で、歓喜が堰を切ったように溢れ出す。

「や……」

「や?」

「やったー!」

 辛抱たまらず両拳を突き上げた。ルカが目をまん丸にしているのも気にならない。いや、気になる。興奮はすぐに後悔にとって変わった。

「というのは冗談で……」

「それは無理があるだろう」

「ええと、ともかくあんたのお陰で俺の用は無事終わった。引き続き進むぞ」

「あっ、琥珀。待てったら」

 そそくさと道具を片づけて、下で待ち構えている足場に移ると、慌ててルカもついてくる。

 刹那、轟音が響き渡った。フロア中がビリビリと揺れる。

「なっ、何だ。トラップか!? まさかまた鉄球……」

「いや……琥珀、あそこだ!」

 ルカがランタンの明かりを翳す。照らし出されたのは「大当たり」の採取跡、その下方。もげた燭台のさらに下の壁が、真っ二つに開かれていくところだった。


***


 未だかつて見たことのないほどの巨大な扉の向こうには、異様な光景が広がっていた。ルカがひいこら往復して上から連れてきたピカリが「何、これ」と、らしくない困惑の声を上げる。

 そこにあったものを何と表すべきか。あえていうなら「壁」があった。何もない空間の奥に、中心を境にまったく質の異なる材質が継ぎ合わされている壁。

 向かって左側の壁は、周囲の壁と造り自体はあまり変わらない。ただし垂れ幕や燭台の類いは一切かかっておらず、意匠も高熱に溶けた鉛みたいに歪んでいる。

 より異質なのは右側の壁だ。石で出来ているように見えるが、継ぎ目がない。そのとてつもなく大きな一枚岩の表面は、時化の海のように荒ぶっていた。

 似ても似つかない材質ながら、二枚の壁はまるで溶接したかのようにぴったりと沿っていて、ネズミ一匹、それどころか虫の一匹すら通しそうにない。

 そして。境目にまたがるようにして、奇妙な紋様が描かれていた。絵筆で殴り描きした火の玉のようなものを、上から剣が差し貫くような構図。

「ねえ、あれ……人の足みたいじゃない?」

 ピカリが右側の壁の根もとを指差す。そこには奇妙な膨らみがあった。膨らみの下から二本の岩が突き出し、地を踏みしめている。見るからに人工物ではないが、天然物でもない。そんな不気味な造形だった。

「ルカ君、これが何だかわからないの?」

「皆目見当がつかない」

 ルカがきっぱりと首を振る。

「何でもいい。心当たりはないのか? ほら、寝物語に親が語って聞かせた逸話とか」

「残念ながら、何も。それどころか遺構の『い』の字だって出たことがなかったぞ。母上からも、爺やと婆やからも、家庭教師からだって」

「まあ、そりゃそうか」

 最初から、ルカは何も知らずに遺構に迷い込んだと言っていた。今さらルカの口から新情報が出てくる方が驚きだ。

「近づいてみても何も変わらない? ほら、他の場所は開いたり動いたりしたじゃない」

「どれどれ……うーん。ぴくりともしないな」

 ルカとピカリが近寄って触ったり叩いたりしているが、壁はうんともすんとも言わない。

「ここまで、か」

 ふと、琥珀はポケットの中から遺物コンパスを取り出す。コンパスの針は混乱したように、ルカと壁との間で大きく振れていた。


***


 地上に戻る頃には、日がとっぷりと暮れていた。制限時間ぎりぎりの退構だ。松明の灯りが夜道を照らしている。

「もう最終列車も行っちゃったねえ。馬車を拾って帰るしかないか」

 ピカリが琥珀の懐中時計を覗き込んでくる。

「馬車か……こんな辺鄙な場所で拾えるかな」

「拾えなかったらどうなるんだ?」

「少し行ったところにある宿に泊まりだな。まあ、ロープにぶら下がって寝るよりは幾分かましな程度の宿だが」

「ロープにぶら下がって……寝る?」


 ランタンを囲んで額を集めていると、不意に灯りの中に人影が差し込む。

「あら、お困りのようね」

 艶のある女の声に振り返る。羽織っている黒いジャケットからして、管理局の関係者なのだろう。断言できないのは、あまりにも雰囲気が違っているからだ。

 ルカよりずっと、ひょっとするとヤセギスよりも背が高いのに、ハイヒールのブーツがさらに女を遠くしている。ボタンの深く外されたシャツも、尖った耳を彩る金のピアスも、ひどく煽情的だ。しかし琥珀の目に焼きついたのは、風にたなびく青空の色をした長い髪だった。

「待ちくたびれてしまったわ。お帰りなさい、魔王様」

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