第26話 冬の輪
話し合いの翌朝、司祭は村人を教会の前に集めた。
人々は畑へ向かう足を止め、半円の輪を作って司祭を見上げた。
ルシアとロルフは輪から少し離れたところで、その様子を見守っていた。
昨日のざわめきは、まだ土の下に埋まりきっていない。
クララの泣き声も、踏みにじられた花びらの色も、皆の胸に残ったままだ。
司祭は一度だけ、息を整える。
視線が広場をゆっくりと巡った。
逃げずに集まってくれたことへの感謝と、言葉を間違えれば燃えるという怖さが、同じ目に宿っている。
「昨日の件だが、話し合った結果、冬は周囲の森で採れる松の枝と葉を供物台に飾ることにした。花が咲く時期はこれまで通り、花を生けようと思う」
声は穏やかだった。
だが、その穏やかさがどれほどの夜を越えて作られたものか、昨日の話し合いの場にいた者ほど分かっている。
村人たちはいったん頷いた。
誰も声を荒げない。
息を吐く音さえ控えめで、頷きが一斉に波のように広がる。
だが、子どもの手を引いた女性が、ため息まじりに言う。
「松を飾るってのもねぇ。ただ置いただけじゃ、散らかって見えるよ」
昨夜話し合いの場にいた者たちが、一瞬だけ顔を強張らせる。
反対の一言が出れば、また戻る。皆がそれを知っていた。
けれど女性は、首を振って終わらせず、手を動かす人の顔で続けた。
「どうせなら、編んで輪っかにするってのはどうだい? 前にもそうやって飾ってた家があったろ?」
隣の赤子を抱いた女が目を見開き、顔がぱっと明るくなる。
「それいいわね!」
赤子はぐずりかけていたのに、母親の声につられたのか、ふっと静かになった。
「松だけじゃ寂しいから、松ぼっくりも添えたいわ。
拾えるものなら、誰の腹も減らないし」
「紐ならあるよ。古い縄をほどいて使えばいいわ」
「結び目を裏に隠せば、見た目がきれいになるわね」
女性たちの声が重なる。
手が自然に動く仕草をし、編む段取りをもう頭の中で組んでいる顔だ。
言葉が前に立つのではなく、暮らしが前に出る。そういう勢いがあった。
さっきまで張っていた空気が、少しだけ柔らかくなる。
肩の力が抜けた男たちが、思わず息を吐いた。
昨夜が無駄ではなかったと、確かめるみたいに。
ロルフが小さく言った。
「……生活を回す者は、強かだな。折れずに、前へ進める」
驚いているのに、どこか安心した目だった。
ルシアは胸を張る。
「当然よ。世のオカンを舐めてもらっちゃ困るわ」
ロルフは否定しないまま、視線だけを村へ戻した。
その視線が、女性たちの手つきだけでなく、子どもたちの顔にもいちいち止まる。
壊したくないものを、数えているようだった。
生き生きと話をする女性たちを見て、司祭が嬉しそうに笑みをこぼした。
気付けば松の枝を取りに行く相談が、もう始まっている。
誰かが「まずは松を集めないとね」と言い、誰かが「子どもは手を切らないように」と釘を刺す。
その全部が、村の明日に繋がっている。
話はまとまり、人々はそれぞれの仕事へ散っていった。
昨日の夕方、この場所から離れた時の足取りは重かった。
互いの顔色をうかがい、言葉の残り火を踏まぬように歩いていた。
だが今朝は違う。
肩の位置が少し高く、声が少し前に出る。
決まったことをやるための散り方だった。
ロルフは司祭とまだ話があるようで、教会の中へ戻った。
ルシアはクララとレナ、子どもたちに手を引かれて去ろうとした。
その前に、男が一人、道を塞いだ。
昨日、供物台に花を添えるのを拒んでいた若い男、ハインツだ。
顔色は冴えず、相変わらず目の下に薄い影がある。
眠れていないのが分かる。
それでも逃げずに立っているのが、彼なりの覚悟に見えた。
ハインツは立ったまま、口がうまく動かない。
視線も落ちたまま。
クララとレナは反射的にルシアの背へ回り、服の端を掴む。
その小さな動きに、ハインツの顔が一瞬だけ歪んだ。
傷ついたのが分かった。
けれど彼自身、それが当然だと分かっている目だった。
拳を握りかけて、やめる。
指先が迷って、結局、太ももの横に落ち着く。
「……胸ぐらを掴もうとしたことは、悪いと思ってる。
お前達も、ごめんな」
ようやく出た声は掠れていた。
子どもに向けた謝罪が、いちばん言いにくい。
ルシアは一瞬驚いたが、すぐに口角を上げた。
「よそモン相手でも、子どもの前で怒らんようにな」
ハインツが目を見開く。怒られると思っていた顔だ。
それから、何か言い返そうとして、言葉が出ない。
唇が動いて止まり、喉が鳴る。
最後に、視線だけが落ちた。
「……あんたみたいな女、初めて見た」
「褒め言葉として受け取っとくわ」
ハインツは少しだけ肩の力を抜いた。
それから、言いにくそうに続ける。
「今日の決め方……あれで、良かったと思うか?」
ルシアは少しだけ考える。
さっき女性たちが言った輪っかの形が、頭の中に浮かんだ。
——戸口に掛ける輪。
冬に飾る、家の内と外を区切る目印。
そして、飾りは争いの証ではなく、暮らしの合図になる。
「すごく、いいと思う」
「……そうか」
ハインツの肩がふっと落ちる。ようやく安心が見えた。
その安心が悔しさと混じって、顔の奥に残る。
何も守れなかった日が、まだ離れないのだろう。
「輪にするならさ」
ルシアは子どもたちの手を見て、笑った。
小さな手は、今日も土と草の匂いがする。守られた手だ。
「端切れを一本だけ結ぶとか、してもいいね」
クララがぱっと顔を上げる。
「それ、やりたい…!」
さっきまで掴んでいた服の端が、少しだけ緩む。
怖さが消えたわけじゃない。
けれど、前へ出ても大丈夫だと身体が判断した緩みだった。
ハインツはそれを見て、ほんのわずかに眉を寄せた。
刺さった痛みを、飲み込む顔だ。
レナはすぐに頷かなかった。
輪、飾り、そして、神様。
その言葉が絡むと、家の空気が変わるのを知っている。
それでも、クララの目だけは見た。
嬉しさを隠せない、子どもの顔だ。
レナはぱっと笑いかけて、すぐに口元を手で隠した。
笑っていいのか迷った顔が、一瞬だけのぞく。
「松ぼっくりとか拾うのは手伝うよ。拾うのは、得意だからね!」
最後だけ、胸を張る。明るい声が場をほどく。
けれど“飾り”には踏み込まない。レナなりの線引きだ。
クララが一瞬きょとんとして、それから、照れたみたいに笑う。
「うん! いっしょに拾お」
レナは返事の代わりに、頬を緩ませて頷いた。
「よしっ! じゃあ、一緒にやる人!」
子どもたちは考える間もなく、競うように手を上げた。
声が重なり、教会前の空気が、冷えの殻を一枚だけ脱いだ。




