第19話 静かな選び方
寒の戻りがあり、曇天と冷え込みが続いた。
額に灰を受ける日は、雪まじりの風の切れ間に急いで行われた。
祈りの列はできた。
だが、戸口の影に留まる者もある。寒さを理由にする者もいれば、理由を口にしない者もいた。
この村では、言い訳と心の割れ目が、同じ形で見えてしまう。
ルシアは列の中には入らず、端でクララの手を握っていた。
雪が当たらない壁際に、子どもを先に置く。
クララの額には、うっすら灰が残っている。前髪の影に隠れて、見えにくいだけだ。
子どもは長く並ばせない。寒い日は、とくに早く済まされる。
ルシアは前髪を指先で整え、額を見せない位置で留めていた。
耳の上を撫でて整える動きは丁寧なのに、指先だけが落ち着かない。
クララが鼻をすすれば、ルシアは懐から小さな布を出して拭いた。手は迷わない。
けれど顔を寄せ過ぎず、距離だけは残す。
布を畳む指が、そのまま外套の襟へ行く。
喉元を整える。その動きで前髪の影も崩さずに済んだ。
「……寒いね」
クララが小さく呟く。指先が冷えて、鼻が赤い。
ルシアはクララの袖口を、手首が出ないようにそっと寄せた。
ついでみたいな手つきで、呼吸だけ整える。
列の中へは入らない。中心も避ける。目立つことを、身体が嫌がる。
ここは“自分の番”を作らない位置だった。
波風の立たない場所を、先に手が選ぶ。
村人の額の灰はすぐ薄れた。
そして、村の食卓はじわじわと形を変えていく。
同じ節制でも、守り方は家ごとに違った。
湯で伸ばしたひき割り麦の粥で済ませる家もある。
冷えで倒れるほうが罪だと言って、脂をほんの少し落とす家もある。
どちらも“正しさ”の顔をしていて、だから口に出せば角が立つ。
食卓は静かなまま、選び方だけが並んでいった。
やがて日中は晴れが続き、人が踏むところの雪が消え、白は物陰に押しやられていた。
だが風は冷たく、寒さはまだ居座っていた。
それでも子どもは外へ行きたがる。
ただ、冷たい風の日は遊びが続かない。頬が赤くなり、指が先に固まる。
ルシアは遊びを短く切り上げて、室内へ引き戻した。
「今日はここまで。また明日遊ぼ」
そう言って笑わせてから、ルシアは空いた時間に、借りていた服を洗った。
冷えた水で汚れを落とし、水気をしっかり切る。
乾いた布で押さえて濡れを吸わせてから、炉の離れた熱でゆっくり乾かした。
指先に残る冷たさが消えるころ、布はようやく軽くなった。
外気はまだ刺す。けれど日なたの時間だけは、前より長い。
ほつれた縫い目を見つけると、糸を通して整える。
派手に直す必要はない。ほどけないように、戻すだけでいい。
ルシアはそれを畳んで抱え、服を貸してくれた女性の家の戸口に立った。
冬の終わりの光が、畦道の土をうすく乾かしている。
戸が開く。
中から出てきた女性は、ルシアの腕の中を見て眉を上げた。
「わざわざ返しに来たのかい?」
ルシアは畳んだ服を渡す。
「借りたままは、落ち着かないので」
女性は受け取る。その直前に指先で端をつまみ、縫い目の揃い方を確かめた。
ほつれは直され、洗いの匂いがする。丁寧すぎるほど、丁寧だった。
女性は服を抱え直し、そこでようやくルシアのほうを見る。
視線がふと、ルシアの上等な服へ滑った。布の艶。仕立て。外套の重み。
「……立派なもん着てるのに」
言いかけて、女性は言葉を切った。
口の端だけが、わずかに歪む。詮索が喉まで出て、飲み込まれた顔だ。
「いや……、なんでもない」
それでも視線だけは、もう一度ルシアの顔に戻る。
「子どもに向ける顔は、嘘つけない。あんたの笑い方は、そういう顔よ」
ルシアは一瞬だけ目を丸くして、それから困ったように笑う。
「……見られてました?」
女性は肩をすくめた。
「そりゃ目に入るさ。村の女は、そういうとこだけは目ざといのよ」
女性は服を抱えた腕に、軽く力を入れた。
「それに、子どもと笑える人間がどんな人間かくらい、見りゃ分かるわよ」
そう言って、女性はふと視線を外へ滑らせた。
つられてルシアも目を向ける。
畦道の向こうから、子どもたちが走ってこちらに向かっているのが見えた。
女性は口元だけで笑い、戸口の影へ身を引きながら言った。
「……ゲルダよ。そう呼んで」
それだけ残して、影に溶けるように家の中へ消えた。
ルシアは一拍遅れて、声を落とす。
「ゲルダさん。ありがとうございます」
返事はない。
戸板のきしみと、家の中の気配が少し動いただけだった。
戸が閉まる音が小さく鳴る。
その途端、空気がきゅっと冷たい。
ルシアは襟元を整える。布が指先で小さく擦れた。
次の瞬間。
「お姉さん!」
弾む声が、畦道を跳ねてきた。




